第四十四話「記憶遥か」
「……で、俺は君につき従えばいいのかな」
通学路でクオンに尋ねる。クオンは紅い髪を指先で弄びながら、「そうね」と答えた。
「まさか二度もダイゴに世話になるとは思っていなかったけれど」
「世話って言うんなら俺のほうが世話になりっ放しだ。リョウさんもそうだけれどクオンちゃん、君にも」
だがリョウは何かを隠している。その上で自分に学校に行けと言っているのだろう。一体学校に何があるのか。先日のように自分の似姿の襲撃を受けないとも限らない。その場合、クオンを巻き込む事だけは避けたい。
「……何か考えているの?」
「いや、何も」
条件反射的に答えた言葉にクオンは、「嘘」と言って回り込む。
「隠しているでしょう」
眼前で問い詰めるクオンにダイゴは、「何もないって」と声にする。
「本当?」
クオンは頬をむくれさせて尋ねる。
「俺だって分からない事だらけなんだしさ。隠し事、っていうか考え事? ぐらいはあるよ」
「まぁ、確かに兄様がどうして学校に行けなんて言うのかは分からないわね」
「クオンちゃんでも、その、リョウさんの真意みたいなのは分からない?」
「分からないわ。そもそもあの人、あたしに関心ないもの」
クオンは背中を向けて歩き出す。その突き放すような物言いに疑問を感じた。
「関心がないって、家族だろう?」
「家族でも、関心がないのよ。あたしが学校に行くって言い出さなかったら、ツワブキ家の鼻つまみ者だったでしょうね」
「……そりゃ、不登校は困るだろうけれどさ。関心がないってのは、嘘だよ」
ダイゴの言葉にクオンは視線を振り向ける。
「意外ね。あなたは兄様の事、何か疑っているんだと思った」
「俺は、別に……」
「あのね、ダイゴ。最初に言ったでしょう。本質を見極めるのに余計な事をしないでって。隠し事をしているのぐらい、あたしだって分かるわ」
隠し切れないな、とダイゴは降参した。
「……ちょっと、リョウさんの言動に疑問を感じている」
「疑問? 確かに兄様はちょっと想定外の方向に動くところはあるけれど」
「そういうんじゃないんだ、きっと。多分、リョウさんの厚意を厚意だと素直に受け止めきれない、俺の猜疑心だと思う」
「難しい事を言うのね」
クオンは首を傾げる。
「かもしれないね」
「でも嬉しいわ」
思わぬ言葉にダイゴは聞き返す。
「嬉しい?」
「あたしに言ってくれた事が。ダイゴの事だから隠し通すかと思った」
核心を言っていないだけだ。クオンを心の底では巻き込めないと感じている。実際、リョウが何のつもりで自分に初代の名前をつけたのか、初代の死に様と自分に因果関係はあるのか、イッシンの真意は、など氷解していない疑問は多々ある。
「俺は、嘘が下手なんだよ、多分」
「あたしは正直な人が好きよ」
クオンの偽りない言葉にダイゴは微笑む。
「俺も、出来れば正直者が好きだ」
脳裏にサキの姿がちらついた。サキは今頃どうしているだろうか。マコは、ヒグチ家はどうしているだろうか。正直者、という単語で真っ先にあの姉妹が浮かんだ。サキは偽ろうとしても優しさが出てしまうタイプだ。マコは隠す事が本質的に苦手なのだろう。
「あたしは学校まで案内する事しか出来ないけれど、ダイゴどうする?」
「まぁ、行くっきゃないだろう。リョウさんが何のつもりで言ったのか気になるし」
この期に及んで今さら逃げ帰る事など出来るか。クオンは呟く。
「……でも、ダイゴ記憶はまだ全然戻っていないのよね? それで兄様の言いなりになるのは不安じゃない?」
「そりゃ、不安はあるよ。でもさ、動き出さなきゃ始まらないだろう」
ダイゴの言葉にクオンはダイゴの腕に自分の腕を絡めた。不意打ち気味の行動にダイゴは面食らう。
「なっ、クオンちゃん……」
「ダイゴ、そういうところが好きよ。でも抱え込まないでね。あたしがいるから」
ダイゴはハッとする。ここにも分かり合える人がいるのだ。仲間は信頼し合えればどこにでもいる。
「……そうだな。俺も出来るだけ打ち明けながらいきたいと思う」
それでもリョウの所属や初代については言えなかった。自分の存在そのものを揺るがされる気がしてどうしても口に出来なかったのだ。
「あれよ、ダイゴ」
クオンが指差したのは茶色の建築物だった。三階建てで、小山ほどの大きさだった。敷地面積は推し量っても相当なものでダイゴは目の前の場所だけでカナズミシティの半分はこの敷地が占めているのではないかと思わされる。豪奢な造りの庭内の中央には噴水が設えてあった。学校、というよりも自然公園の趣が強い。
「これが、クオンちゃんの通ってる学校か」
「そういえばダイゴは来るの初めてだっけ?」
「まぁ、カナズミの建物は俺も知らないのが多いし……」
「だからってカナズミの高校を知らないなんて変わっているわね。一応学園都市なのよ」
カナズミシティのコンセプトを改めて実感し、ダイゴは敷地内に歩みを進める。クオンは慣れた様子で入っていった。すると黄色い声が上がる。
「あっ、ツワブキさん」
駆け寄ってきたのはピンクのリボンで黒髪をツインテールにした少女であった。額を出しており、活発な印象を受ける。
「ツツジ、ご機嫌麗しゅう」
クオンの家では見ない挨拶にダイゴは身体を強張らせる。ツツジは同じように頭を下げて挨拶した。
「ああ、そうよね。ご機嫌麗しゅう」
どうやら相当なお嬢様学校らしいとダイゴは認識する。ツツジ、と呼ばれた少女はダイゴを一瞥するなりクオンに囁きかける。
「あの、誰ですか、この人は」
「あら、ツツジ、知らなくて? あたしの家族よ。兄に当たる人だって言わなかったっけ?」
クオンのデタラメにツツジは、「えっ」とダイゴに視線を振り向ける。ダイゴは会釈した。
「どうも……」
「どうも……、お兄様だったんですね。私ったら失礼を」
ツツジはツインテールをかき上げてからもう一度改めて挨拶をする。
「ここ、カナズミシティでジムリーダーをやっているカナズミ・ツツジ、と申します」
カナズミ、という姓にダイゴはクオンへと尋ねていた。
「カナズミ……? それってつまり」
「カナズミシティの市長の娘よ。ジムリーダーも兼任している」
「お父さんとか、家族の人が?」
その言葉にツツジは頭を振る。
「いいえ、私自身がジムリーダーですの」
ダイゴは目を瞠った。クオンと同い年くらいの少女にしか見えない。「本当よ」とクオンが口にする。
「若干十五歳にしてジムリーダーの才が認められた、岩タイプ使いのジムリーダー」
ダイゴは改めてツツジを眺める。ツツジは、「証明になるか分かりませんが」とトレーナーカードを差し出した。そこには確かに「カナズミシティジムリーダー」と役職が書かれている。
「ジムリーダーって現役高校生でもなれるんだ?」
「ツツジは特例よ。でも若い人がジムリーダーをやるのは今では珍しくないわね。資格さえあれば出来る。まぁ、それにはジム運営委員会の厳しい審査と、年に三度もある査問会での防衛成績の維持とさらに言えば専門タイプに関する発展論文の発表が義務付けられているわ。だからツツジはそれなりの努力をしているってわけ」
「いやだ、照れるわ、ツワブキさん」
顔を赤らめたツツジを改めてまじまじと見やる。それほどの実力者が何故、高校に通っているのか。
「一応、ジムリーダーである以上は義務教育期間と、それに名のある高校や大学を出る事が義務付けられているの。でも、他に専門的な事業をやっているのならば免除される場合もあるのだけれどね」
「私は学校のレポートと査問会に出す成果発表でてんてこ舞い。だからそれ以上の事業に手を出そうとは思わないけれど」
ツツジは額に手をやって首を横に振る。ダイゴはジムリーダーという職種の厳しさを思い知った。
「防衛成績を落とすわけにはいかないから。常にトレーニングだし。ツワブキさんをいつも誘っているんですけれどね」
「誘っている? 何に?」
「ジムトレーナーによ。あたしのディアンシーは岩タイプだからジムトレーナーの資格はあるって言うんだけれど、残念ね、規格上、ディアンシーは挑戦者には使えないって何度も言っているんだけれど」
「ディアンシーほどのポケモンがいきなり出れば私がいちいち防衛に出張る必要もないし、楽じゃないですか」
「ツツジ、あなたは実力者なんだから楽さに流されちゃ駄目よ。どちらにせよ、ディアンシーを出すつもりはないのだけれど」
ツツジは、「ケチだなぁ」とむくれる。どうやらクオンとは対等の友人らしい。
「意外だな」
呟いた声にクオンが反応する。
「何が?」
「いや、リョウさんからは不登校だって聞いていたから」
友達もないのだと思い込んでいた。クオンは、「腐れ縁よ」と答える。
「幼馴染だし、別に学校に行く事が全て、友情を証明する手段じゃないでしょう?」
それはそうだが、とダイゴが口ごもっているとツツジが怪訝そうな目を向けてきた。
「ツワブキさんの、お兄さん、みたいなものなんですよね? 何でリョウさんの事を他人みたいに?」
疑問に思われたのだろう。誤魔化す言葉を探していると、「親類でも変わり者なのよ」とクオンが代わりに答える。
「自分の年齢以上の人はみんな、さん付け。そういうのっているでしょう?」
クオンの言葉にツツジは納得したようだ。
「なるほど。いますよね、変わり者」
勝手に変わり者認定されて不本意ではあるが疑問を払拭出来て何よりである。
「でも何で学校に? 今日は保護者会じゃないでしょう?」
「学校の、先生方に用があってね。付き添いってわけ」
「ああ、なるほど……。でも珍しいですね。ここの先生方に用なんて」
「……それは何で?」
ダイゴが尋ねるとツツジは振り返る。
「だって先生方に用って言ってもアポもなしに用事が取り付けられるとは思えませんから」
「アポはあるわ。兄様が取り付けてくれたみたいよ」
「ああ、リョウさんですか。とんと見なくなりましたね」
「忙しいのよ。昨日も帰ってこなかったし」
リョウの事が話題に出てダイゴは警戒する。ツツジはどこまでリョウの事を知っているのか。場合によってはこの少女にも聞かねばならない事がある。
「でも、ツワブキさんも変わっていますね。お兄さんとはいえ、こんなに堂々と」
ダイゴが後に続いている事がそれほどおかしいのだろうか。クオンが口にする。
「まぁ、女生徒が八割の学校ですからね。自然と男子は目に入るものだし」
どうやらほとんど女子校と言っても差し支えないようだ。だからか、先ほどから好奇の眼差しを感じ取っていた。
「あの、お名前は?」
ツツジに訊かれ、ダイゴは答えようとする。その時、視界の隅に書類を抱えた茶髪の女性が映った。教師だろうか。赤いカチューシャで髪を留めている。クオンとツツジが立ち止まって頭を下げた。
「あ、ハルカ先生、ご機嫌麗しゅう」
ハルカと呼ばれた女性は立ち止まって会釈しようとしてダイゴの存在に気づいた。
その瞬間、ハルカはわなわなと目を震わせた。まるで幽霊にでも行き会ったかのように。
「あなたは……」
震える声にクオンが説明する。
「あの、兄様が多分アポイントを取り付けたと思っているんですけれど、彼の事、ご存知で?」
「いえ、その……、何でもないわ」
ハンカチを取り出して汗を拭いつつハルカは持ち直した様子だった。ダイゴをじっと見つめ、「まさかね……」と呟く。
「ツワブキ・リョウさんから話は聞いています。あとは応接室で話を聞いたほうがよさそうね」
ハルカが手招く。クオンはツツジに言い置いてついてきた。
「あなただけでは心配だから」
クオンがぎゅっと腕を掴む。
「でも、俺の用事だし……」
「あなたの用事はあたしの用事でもあるの。何があるか分からないんだから」
それを言うのならば、生徒である以上ここはクオンの庭のようなものではないのか。それでも信用出来ないのだろうか。ダイゴはハルカから距離を取って声を潜める。
「あの……ハルカ先生って俺の事知っているのか?」
「あたしだって分からないわ。何で先生があんな反応を見せたのか。何か理由がある事だと思うんだけれど……」
クオンでも分からないらしい。ダイゴは聞いていた。
「俺の話をした事は?」
「ないに決まっているじゃない。まだ登校し始めて数日よ」
当然である。いきなり来訪者の事を話題に出すほどクオンは軽率ではない。ハルカに連れられ訪れたのは落ち着いた色調の応接室だった。机を挟む形でソファがあり、奥には執務机がある。あちらこちらに賞状やトロフィー、それに歴代の校長だろうか、額縁があった。
「どうぞ」とハルカがソファに手を差し出す。既に先ほどの動揺は消え去っているようだったが、ダイゴは訝しげにソファに座った。クオンも隣に座る。
「あの、授業に戻ったほうが……」
「家族の一大事よ。授業なんて」
ぷい、とそっぽを向いてしまうクオンにダイゴは舌を巻いていた。給仕係が紅茶を持ってきてダイゴとハルカの前に一個ずつ置く。ダイゴが対応をしかねているとハルカは口を開いた。
「あなたの名前、聞かせてもらえますか?」
先ほどの動揺が消え去った、と思い込んでいたがそれは間違いであったらしい。未だ、ハルカは迷いの只中にいるようだ。ダイゴは素直に答える。
「ツワブキ・ダイゴです」
その名前を聞いてハルカは口元に手をやった。その目が驚愕に見開かれる。
「あの、先生。何か、ダイゴの事を知っているのでしょうか?」
クオンが切り込んだ質問をする。ダイゴは覚えず心臓が収縮したのを感じた。
「そうね……」
ハルカは紅茶のカップを手に取って幾度かの逡巡を浮かべた。
「私が話す事を、あなた達は信じられないかもしれない」