第四十三話「疑念の晩餐」
「まったく、どこ行っていたんだよ、お前は」
リョウに呼び止められ、ダイゴは身体に緊張を走らせる。慌てて服の上から手帳を確かめ、鼓動を鎮めた。
「いや、かなり混乱していましたから」
ダイゴの言葉に、「そりゃあな」とリョウは後にした小道を顧みる。
「とんでもない場所だった。もう金輪際、あの小道には行かない」
「あのポケナビですけれど」
「ああ、どうする? 結構無駄足食ったし、今日はやめておくか?」
「ええ、俺もそういう気分じゃないですし」
ダイゴは愚痴をこぼすリョウの横顔を窺う。
――先ほど拾った手帳に書かれていたリョウの役職。それはニシノと同じ部署であった。
それだけでも警戒の対象だが、もう一つ。初代ツワブキ・ダイゴの隠された死の真相。そこに関わっていたのは精神のエネルギー。仮定に過ぎないが、もし、その精神エネルギーが行き場をなくしたのだとしたら。それはどこに注がれたというのか。記憶喪失という自分の来歴に何か鍵があるのではないのか。
「なに難しい顔しているんだ? 落し物の小道は悪かったよ。運試しなんかするもんじゃないな」
リョウの言葉にダイゴは話半分で頷いた。本心では、この男は何か重大な事を隠しているのではないか、という疑いと共に。
誰に話すべきなのだろう。ダイゴは自室で思案を巡らせていた。
クオンか、と感じたがあの娘は無害だ。恐らくツワブキ家の呪いに関しては全く、正反対の位置にいるのだろう。巻き込むのは出来るだけ避けたい。もう一人、思い浮かぶ。
コノハ。自分の身体がフラン・プラターヌのものだと主張し、ツワブキ家の秘密を探るために家政婦を買って出ている人間。彼女に言うか? と一瞬考えたが却下した。彼女がもしこれを知り得て感情論で動けば、それこそ危うい。ツワブキ家全員の戦力を知っているわけではないが、全員がポケモントレーナーだと見て間違いないだろう。
「……でも、どうなっているんだ。俺の身体がフランっていう人間だとして、じゃあ俺は誰だ? それにコノハが殺したあいつは……」
自分と瓜二つだったあの男は何者なのか。右腕だけ持ち去ったコノハの真意は? 考えれば考えるほど迷宮に入るようだった。
「ダイゴー。晩御飯」
扉の向こうからノックと共にクオンが呼びかける。応じて扉を開けるとクオンが首を傾げた。
「らら? どうかしたの?」
彼女には出来れば明かしたくない。ダイゴは平静を装った。
「何でもないよ。ポケナビ買う予定が消えて、ちょっと残念だっただけ」
「ああ、兄様が悪い遊びをけしかけたんですって? 悪い癖だわ。兄様、すぐに遊びたがるのよ。ダイゴがあまりにも無防備だからからかってやろうって気持ちだったんじゃないかしら?」
「俺、無防備かな?」
自分を指差して尋ねるとクオンは呻った。
「すっごい、無防備。それでツワブキ家の謎を探っているんだから見ていて危なっかしいわ」
クオンから見てもそうなのだから他人から見ればもっとなのだろう。ダイゴは夕飯の席についた。コノハがグラタンを作って全員分揃えている。ツワブキ家転覆ぐらいならばコノハの立場からでも出来そうだが、彼女の目的はあくまで自分の肉体、フラン・プラターヌの奪取。無益な戦いは避けたいのだろう。
「おっ、今日は洋風だな。グラタンにピザか。こりゃあ、太るなぁ」
快活に笑ったのはツワブキ家の頭首であるイッシンだ。老人から聞いた話を思い出す。イッシンは、当時の初代を知る唯一の肉親。ダイゴは一番怪しいと踏んでいたが本人は早速ピザを頬張っていた。
「あー! いけませんわ、父様。つまみ食いは」
クオンが声を上げると、「かたい事言うなよ」と次のピザへと手を伸ばしている。
「もう! 父様は下品なんだから!」
クオンが席につき、食卓を見渡す。
「姉様と兄様は?」
「レイカは仕事で今日も遅いらしい。コノハさん、悪いが娘の分をお願い出来るかな?」
「承知しました」と従順に従うコノハ。その様子は内情を知っている分、滑稽に映る。
「リョウは、いたんだがなぁ。ダイゴ、知っているか?」
ダイゴは、「いえ……」と首を振る。イッシンは後頭部を掻いた。
「困った奴だな……。また仕事で呼び出されでもしたのか?」
「夕食は家族全員が揃ってからと決めているものね」
「レイカとコウヤは仕方がないとしても、リョウめ、私に何の断りもなしに夕食を留守にするとは」
イッシンはまたしてもピザへと手を伸ばす。その手を叩いたのはクオンだった。
「駄目よ、兄様は帰ってくるかもしれないんだから。それにダイゴの分も」
「分かっているよ……。ダイゴは食うか?」
ピザの皿を差し出されダイゴはおずおずと一切れを手にして頬張った。
「うまいか?」
イッシンがどうして聞いてくるのだろう。作ったのはコノハなのにと思いながらも答える。
「おいしいです」
「そりゃあよかった。ツワブキ家ではうまいものはうまいと言う。そういう時に正直になれないひねくれ者はいけない」
「父様は少しばかり軽率よ。ダイゴだってまだ来て日が浅いんだから」
クオンの忠告にイッシンは、「悪かったよぉ」とまたピザを口に運ぶ。クオンは注意するのも疲れたのかコノハを呼びつけた。
「すいません、このままじゃピザなくなっちゃう」
「ご用意しております」
コノハは既に二枚目を焼いていた。
「おっ、さすがコノハさん。分かっているねぇ」
「父様はもう駄目よ。あとは姉様と兄様に残しておかないと」
すっかり大人びたクオンの口調にイッシンは、「細かくなったなぁ」と口にする。
「すっかりお前の母親そっくりだな」
「母様なら、父様の耳をひねり上げていたでしょうね」
今まで話に出なかった母親の話題が出てダイゴは身を強張らせる。そういえば母親はいないのだろうか。思い切って尋ねてみた。
「あの、クオンさんのお母さんは……」
その言葉にイッシンとクオンの笑いが凍る。やはりまずい事を言ってしまったかという悔恨が胸を支配する前にクオンが口にした。
「……母様はね、あたしが小さい時に亡くなったの。でも寂しくないわ。母様はきっと、天国に行っているはずだから」
「そうだ。あいつは今でも私達の事を天国から見守ってくれているだろう」
イッシンが笑みを取り戻す。クオンも一瞬だけ見せた翳りを消し去っていた。
「そう、なんですか……。すいません、割り込むみたいに」
「いいんだよ。いずれは話す事だ。それにしてもリョウは連絡も寄越さないな。一応、かけてみるか」
イッシンがポケナビで電話をかける。するとすぐさまリョウの声が聞こえてきた。
「おい、どこへ行っているんだ、リョウ。もう晩飯だぞ」
『悪い、親父。ちょっと急な用事が入っちゃってさ。今日は多分、零時過ぎると思う』
「お前……、ダイゴに悪い遊びを教えたんだってな。クオンから聞いたぞ」
『悪い遊びって……、まぁ落し物の小道はオレも悪いと思っているよ。でも結局被害はなかったんだから大丈夫だろ』
「……まったく、大事なものを落としても知らないぞ。好奇心だけで動くなといつも言っているだろう」
大事なもの、という言葉にダイゴは懐に仕舞ってあるリョウの警察手帳を思い起こす。リョウが急用だと言ったのは恐らくそれの再発行手続きだ。
『悪い、悪いって親父。今日ばかりは許してくれよ。代わりと言っちゃ何だが、ダイゴに変わってくれるか?』
「うん? まぁ、いいが」
ポケナビをダイゴは受け取る。
「あの、変わりましたけれど……」
『おお、ダイゴ。悪いな、今日は危ない遊びをさせてしまって。怖い目に遭っただろう。どうかな。こっちで許可は取り付けておくから、明日はクオンと一緒に学校見学っていうのは』
リョウの提案にダイゴはうろたえる。クオンへと目線をやって、「そういう話は、オレの一存じゃ」と答える。
『あ、そうか、そうだな。クオンに変わってくれ』
クオンへとポケナビを手渡す。
「兄様。ダイゴに危ない遊びをさせたんですってね」
厳しい声音のクオンにリョウは、『悪かったって』と口にする。
『その代わりなんだけれど、お前、学校にダイゴを案内してやってくれ』
「……どういう風の吹き回しかしら? それにダイゴはあたしより年上じゃなくって?」
『深く考えるなって。まぁ、今の状態じゃ戸籍もないし学歴もない。ツワブキ家で預かるに当たって、まぁ学力ぐらいは見ておこうって話。もう明日で約束取り付けちゃっているしさ』
クオンはため息を漏らす。
「兄様、相変わらずそういうのの根回しだけは早いのね」
『クオン、いいよな』
「……分かったわ。ダイゴと一緒に学校に行けばいいのよね」
『おお、助かる。ダイゴに変わってくれ』
クオンは渋い顔をしてポケナビを手渡した。受け取ってダイゴは声を吹き込む。
「あの、リョウさん?」
『うん? 何だ』
「俺なんかがクオンさんの学校に行ってもいいんですか?」
『まぁ、問題ないだろう。保護者って名目で入れるだろうし、オレが信頼する教師にお前の世話は任せてある』
リョウの信頼する教師、とは誰なのだろう。それを問い質す前にリョウは話を区切ろうとする。
『まぁそういうわけだ。今日は多分帰れないが頑張ってくれ。じゃあな』
その声で通話が切られる。ポケナビをイッシンに手渡すと、「相変わらず身勝手だな」と苦言を漏らした。
「ダイゴを預かる時もそうだったが、勝手に話を進めるんだから困ったものだ。……ああ、ダイゴ、お前の事を悪く言っているわけじゃ」
「あ、はい。分かっています。せっかく名前をもらったんですから、俺は別に」
「そうか。そう言ってくれると助かる」
コノハが食卓につきイッシンは声にした。
「よし、今日は四人だけだが夕食にしよう」