第四十二話「真実へ至る道標」
プラターヌの言う通りだ。
初代の権威を利用するのならばもっと早く着手すべきである。それが何故、二十三年の月日を要したのか。やはり年月の問題は氷解しない。
「それ、やっぱり博士は、彼がクローンだとは思えない、って話ですよね」
「そうだが、何だ、何かクローン説を補強する話でもあるのかね」
サキは迷ったが言うべきだと感じた。自分だけの秘密にしておいても進展しないのならば意見は仰ぐべきだと。
「メモリークローン、という言葉をご存知ですか?」
プラターヌは指でこめかみを突く。
「聞いた事ないな」
「ですよね……。私も、全くこの言葉の意味が分からない」
「どういう事だ? 意味の分からない言葉をちょっと言ってみただけ、ってのはないだろう」
サキは状況を説明した。保護派と思しき連中から渡された情報。「D015」、「メモリークローン」、「初代ツワブキ・ダイゴ」。この三つのキーワードが真実を知る鍵になる、と。博士は呻っていたが、やがて結論を出した。
「つまり、それらの情報さえあれば、白紙からでも彼を追う手立てがあるという事だ」
「前向きに考えれば、そうでしょうか」
「D015、とは? シリアルナンバーか?」
サキにも詳しい事は分からない。ただそれを元にダイゴの名前がつけられたとは話した。
「D……、ダイゴのDね。他にも意味がありそうだが、分からないな。だがメモリークローンという言葉は意味ありげだ」
「私にも全く分かりません。博士が先ほど言っていた、記憶の話でしょうか?」
顎に手をやってプラターヌは考え込む。
「記憶、ねぇ。だがそうだとしても、彼の情報源にはならないだろう。だって彼は記憶喪失なんだ。つまり、彼に誰の記憶がどうだとか言っても、全く分からないわけなんだろう?」
「はい」とサキは頷く。現状、全く情報がないのと同義。
「どうしたものかな。こちらから動こうにも手数が足りない。どうしたものか。動かせる駒があれば違うんだろうが」
同僚にも話せない。サキとプラターヌだけで真実に辿り着けない。思わずため息をこぼすと、「お困りのようだね」と声が響いた。二人してそちらへと振り返る。窓辺に止まっているのはペラップだ。羽ばたきながらサキ達を見据える。
「やぁや。先ほど振りだ。やはり行き詰っているのだろう?」
「ペラップか」
存外に落ち着いたプラターヌの言葉に反応する前にサキは険しい声を向けた。
「何の用だ?」
「何の用だ、とは随分だな。そろそろカードが出尽くした頃だろうと思ってわざわざ赴いてあげたのに」
「頼んでいない」
サキの口調から推測したのか、プラターヌが尋ねる。
「もしかして、保護派の面子か?」
鋭い指摘にペラップ――Fは感嘆した。
「さすが、プラターヌ博士。物分りが早い」
「面白いな。ポケモンが特使なのか?」
プラターヌが窓辺に歩み寄り、窓を開ける。Fが部屋の中に入ってきた。
「羽を撒き散らすな」
「おかしい事を言うね、ヒグチ・サキ警部。私はポケモンだぞ?」
「ポケモンがポケモンであると認識して動くものか。何を企んでいる」
「企んでいる? 企んでいるとは随分と嫌われたものだ」
Fの嘴から漏れる笑い声に眉をひそめる。対照的にプラターヌは興味深そうだった。
「ペラップが、トレーナーに教え込まれた事以外を喋るのか。これは珍しい個体だな」
「プラターヌ博士、私の名前はF。ペラップは所詮、種族名です」
「ああ、そうだな。これからはそう呼ぼう、F」
親しげな二人にサキは割って入る声を出す。
「何で仲がいいんですか」
「仲がいいって、彼は特使だぞ。保護派から情報を全部巻き上げたわけではあるまい。少しでも友好的な関係を築くのは交渉の基本だろう」
「もっともだ。ヒグチ・サキ警部。あんたは少し迂闊だな。ここは情報を得る千載一遇のチャンスと考える」
二人して責められサキは首を引っ込めた。
「……じゃあ、さっさと情報を渡してもらおうか」
急く声に、「まぁ、待つんだ」とプラターヌが間に入った。
「どうしてペラップが人間の言葉に応じて返事が出来るのか気になる。検証したいね」
研究心から出る言葉にサキは閉口する。
「そんな場合じゃ……」
「いや、私も言っておこう。博士、私が返答出来るからくりはあなた方が持っているであろう情報に依存している。メモリークローン、聞いただろう?」
そこでプラターヌは真剣な口調になる。
「……人格が移植されているのか」
「さすが博士。早々に理解してくれる」
サキは状況を飲み込めずに声を発した。
「何なんです? Fが何だって――」
「いや、ヒグチ・サキ警部。君は踏み込まないほうがいい。また生命倫理の話で躓くぞ」
制される声にサキは言葉を飲み込む。どうやらサキの頭では理解出来ないと思われているようだ。
「馬鹿にしないでもらえますか? これでもきちんと大学は出ているんですから」
「だがポケモンに関して君は素人だ。わたしがその点に関してはフォローする。あまり自分で出来ない事を認めないのも悪い傾向だぞ」
プラターヌの言葉にぐうの音も出ない。サキはそれでも抗弁を発した。
「というよりも、F。どうして今、この瞬間に接触しようと? 博士を確保したと先ほど伝えたはず」
「ああ、あんたにある程度の事情を知っておいて欲しくてね。あえて博士に説明を頼んだ」
それは彼に関する事だろうか。確かに自分は知らないことのほうが多かった。
「でも、だからって博士と話しても進展した事と言えば……」
「そうだな。結局、彼が何者なのか、という核心には至っていない。だがF、君ならばある程度察しはついているのだろう」
プラターヌの言葉にFは笑い声を上げる。
「さすが、遺伝子工学の権威であり、東西随一の頭脳と呼ばれているだけはある。私の正体もそうだが、博士、やはり衰えてはいないな」
サキには何が何だか分からない。しかしプラターヌとFの間に無言の了承が成り立っているのが分かった。
「F、いや保護派か。この段に至るまでわたしとの接触をしてこなかったのは、ひとえにヒグチ・サキ警部を巻き込む腹積もりがあったからだろう? 要するに、君らは自分達から戦力を補充するのは惜しいくせに、外部戦力でなおかつ信頼出来る人間が欲しかったわけだ」
Fは喉の奥でくっくっと笑う。
「そこまで理解されているとは、話が早い」
「わたし達に何を求めているのだね?」
「そうですね。先ほどまでの仮定の話、我々でも少し掴んでいる部分がある。そこから話しましょう」
Fはフローリングの床に降り立った。ここまでなればもうどうにでもなれだ。サキは前髪をかき上げ、「ああ、もう!」と喚く。
「つまるところ、私を巻き込む気は最初からあった、というわけじゃないか」
サキの言葉にFが首肯する。
「分かっているじゃないか」
「なに、わたしを連れ出すように扇動したのもこのFと保護派なのだろう。しかし、解せないのはどうして外部戦力に頼る? 君達の組織はそれほどまでに内側が脆弱なのかね?」
プラターヌの疑問にFは向き直って答えた。
「我が組織は少しばかり出来て日が浅い。抹殺派には勝てない、というのが客観的な考察です」
日の浅い組織。それはFから聞き及んでいなかった部分だ。抹殺派と対峙するのならばそれなりの年月を要しているかと思っていたが。
「抹殺派か。乱暴な言い回しだが正しい。まさしく、彼――現ツワブキ・ダイゴを抹殺しようと言うのだから。だが、おかしな事がある」
プラターヌが指を立てる。「何かな?」とFが聞き返した。
「どうして組織立って彼を殺そうとする? 逆も然り、何故組織立って彼を守ろうとする? それほどまでに彼は重要な人間なのか?」
サキもFへと目線を振り向ける。ここでの無言はお呼びではない。明確な答えを二人とも求めていた。Fが嘆息のようなものをつく。諦めたのだろうか。
「……隠し立てしても、あまり有益ではないな」
「当たり前だろう。私だって博士の身柄の保護までさせられて、危うい綱渡りをしているんだ」
「その苦労に見合うだけの対価は寄越すつもりだよ」
Fが丸い眼をくりくりとさせる。プラターヌは、「聞こう」と口を開いた。
「彼から得られる情報は不可欠だ。今の我々にとってはね」
サキは渋々納得して座り込む。Fが咳払いした。
「さて、君達が辿り着いた結論は、端的に言えば、ツワブキ家の暗躍をはっきりと感じながらも手が出せない。そしてツワブキ・ダイゴが何者なのか、という議論については彼がツワブキ家に関する重要人物であるが血縁者である可能性は薄い、というところだろう」
「聞いていたのか?」
盗聴の類を疑ったがFは嘴を持ち上げる。
「これくらい推測の範囲だよ」
頬を引きつらせながらサキは言う。
「じゃあ、その先をお前らは言ってくれるんだろうな」
「もちろんだ。ここから先は、逆に言えばあんた達の協力がなければ出来ない部分であるのだから」
サキはその言葉に疑問を発する。自分達の協力が不可欠? 組織にはこれくらいの情報を持っている人間はいくらでもいるような口調でありながら、どうして真実の一端にも掴み取れていない自分達を選ぶのか。Fの真意は何だ? どうして自分とプラターヌと言う人材が必要なのだ?
だがその疑問を突き詰める前にプラターヌの言葉にサキは戦慄した。
「恐らく保護派にとって最も忌まわしいのはツワブキ家。襲撃でも行うか?」
「生き急ぎすぎだよ、プラターヌ博士」
サキが声を詰まらせたのを読み取ったようにFは声にする。
「だが、君はこう言ったはずだ。わたしとヒグチ・サキ警部の協力が不可欠だと。警部の役職と言動からツワブキ家とは親しいと感じるし、わたしと彼女ならばツワブキ家の廷内に毒ガスを撒くぐらいは出来よう」
サキは思わず立ち上がって、「そんなの!」と声にする。Fとプラターヌが目を向けた。
「許される事じゃないでしょう! ここは法治国家なんですよ。しっかりと証拠を見つけて、その上で動かなければテロリストや犯罪組織と何ら変わらない。私は!」
サキは胸元に手をやって自身の仕事を誇示する。
「あくまでも刑事! いくら真実を求めるためとはいえ、人道にもとる行為に手を染めるわけにはいかない! それは止めねばならない邪悪だ!」
肩を荒立たせて発した声に、ぷっ、とプラターヌが吹き出した。呆然としているとFも翼を揺らして笑い出す。何がおかしいというのか、サキは改めて怒りを露にしようとしてプラターヌが手を掲げた。
「いや、悪い悪い。君がそこまで正義を尊重しているとは思わなかったものだから。しかし、今時……、なぁ?」
声をかけるとFも同意する。
「そうだな。まさか、私も意外だったよ。もっとドライな人間だと思い込んでいた」
二人して潜めて笑うのでサキは顔を真っ赤にして抗議する。
「な、何がおかしいんですか!」
その行動を見て再び二人は、「なぁ?」、「ええ」と声を交わす。馬鹿にされているのは明らかだった。
「……もういいです。私は協力しません」
「ああ、分かった。分かったから。なぁ、F。彼女はへそを曲げてしまったらしい」
「ですね。私からもお願いしよう。もう笑わない。あんたの正義はとても身に沁みた」
Fが頭を垂れる。サキは鼻を鳴らした。
「ポケモン風情の頭の一つや二つで……」
「いや、わたしも謝ろう。君の正義を笑うつもりはなかったんだ」
プラターヌも頭を下げる。サキはそっぽを向いて、「……いいですよ」と手を振る。
「別に、怒っていませんから」
「本当に?」
「本当です。さっさと話を進めましょう」
自分の急いた行動を恥じながらサキは話を戻す。
「そうだな。博士、生憎だがツワブキ家を直接襲撃、というのはうまみのある話じゃない。我々の調べでは、ツワブキ家にもこの事件に関与していない人間がいる。それに、当のツワブキ・ダイゴを殺してしまっては元も子もないだろう?」
「そうだな。その通りだ」
三文役者のように二人が頷き合う。サキはふざけているのか、と思った。
「して、どうする? 保護派はどう動くつもりなんだ? ツワブキ家が大元の悪だとは言えないにせよ、明らかに関与は認められるんだ。誰かをふんじばって事情を聞き出すか?」
「乱暴ですよ、博士。私が提案したいのは、もう一つのプランです」
「もう一つ?」
サキが尋ねるとFが目線を振り向ける。
「そう。彼の遺伝子が初代と九割がた同じだという事は、既に?」
サキとプラターヌが頷く。「結構」とFは続けた。
「ならばどうやって彼の容姿と遺伝子を初代と同じに出来たというのか。そのおぞましさがどこからやってくるのか」
そこまで言われてサキもハッとする。
「どこかに研究所か、それに伴う何かがある……」
「その通り」とFは首肯する。
「だが、カナズミでそのような研究機関は知られていないはずだ。そのような大それた場所があるのならば警察である彼女が気づかないはずがない」
その通りだが、最初の秘密基地に関しても自分達は全く感知していなかった。警察だと言われてもさほど役立たない。
「そうだが、あんた達は知っているかな? このカナズミで行方不明者が毎年、五十人を超えるという事を」
初耳だった。サキはプラターヌへと視線を向ける。プラターヌが首を横に振った。
「知らないな」
「博士はそうかもしれない。だがヒグチ・サキ警部、あんたは?」
「私も、そんな事は知らない……」
恥ずかしい限りだが、知らないものは知らなかった。Fは一呼吸置いてから、「統計を調べないとなかなかね」とフォローする。
「だが行方不明者が出ているのは確かなんだ。そして今年に入ってから巻き起こっている猟奇殺人事件」
「天使事件≠ゥ」
プラターヌの声にFは、「知っているのだね」と口にする。
「先ほど聞いた。まさかわたしが病院にいる間にそんなものが起こっているとはね」
「しかも初代の死に様と同様……、出来過ぎたシナリオにせよ、あんた達はこう思うはずだ」
「何故、今」
サキが口に出すとFとプラターヌは深く頷く。
「二十三年経った今、何故、この事件は起こるのか。初代の死に様なんて一部の人間しか知らない。それになぞらえた事件を起こしてもメッセージ性も皆無に等しい。だが、知った以上こう思わずにはいられないはずだ。どうしてカナズミで、どうして今なのか」
Fの疑問はそのまま自分の疑問だった。
「どうしてなんだ?」
「……私も決定的な事は何一つ言えないが、少しばかりの資料は持ち合わせている」
Fが足を前に出す。足首に外部メモリが紐で括りつけられていた。
「この情報は、吉と出るか凶と出るかは不明だが、あんた達にはこれを有効利用して欲しい」
「何だ、君はここまで来たくせに何も知らないと言うわけか?」
プラターヌの声にFは頭を振る。
「お恥ずかしい事だが私も末端でね。あんた達を見張る事ぐらいしか分かっていないんだ。その先に至るかどうかは……」
サキは足首に巻きつけられた外部メモリを受け取る。
「私達次第、というわけか」
「丸投げするようで悪いが」
Fの謝罪に声に、「別に構わない」とサキは応ずる。
「元より、私が解決せねばと感じていた事件だ。それと彼の身元が重なるのならば、それに越した事はない」
「私はここまでだな」
Fは飛び立つ。サキは声をかけていた。
「一つ、聞く。既に当てはあるんだろうな?」
研究所の事だったがFは、「さてね」と答える。
「全ての道標は、あんた達にこそ拓かれる。私はあくまで傍観者を貫くよ」
Fが窓から羽ばたいて飛んでいく。サキはその後姿をじっと眺めていた。
Fが、保護派が与えるのはあくまで情報と道標。それを進むか否かを決めるのは他でもない己自身。
「あくまでも傍観者、か。なんていう無責任」
そう言いつつもサキは、自分の道は決して他人任せには出来ない事を感じている。Fはあくまで道を示すだけ。保護派もそうだ。決めるのは己自身なのだから。
「無責任だし、しかも病院を出たばかりの私と、ほとんど情報も、上回る手も持たない君と、か。これはどう転がるかな」
「必ず、正答を見つけ出しますよ」
サキは外部メモリを握り締める。己の胸に宿った意志は硬い。
――真実へ至る道標。そこに歩み出すのは自分自身。
プラターヌは額に手でひさしを作って、「困難な道だな、しかし」と呟く。サキは応じていた。
「困難くらいがちょうどいいですよ。私にとっては」