INSANIA











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因縁の刻印
第四十一話「求めうる可能性」

 コーヒーを飲んだ後、プラターヌが口火を切ったのは初代の死に様についてだ。初代ツワブキ・ダイゴは先ほど述べた、メガシンカさせる要因である精神エネルギーを放出し、死んだと。それは初耳であった。

「そんな事、当時の警察が放っておくわけが……」

「だから黙認したはずだ。警察のデータには残っていないし、目撃者や関係者も限られている。わたしは、その数少ない関係者だったというわけだ」

 サキは怪訝そうに尋ねる。

「博士、あなたは何の……」

「初代の研究室にいた、人間の一人だよ」

 それを聞けばサキとて黙ってはいられなかった。今までの話し振りからプラターヌは必要以上の事を知っている。それは初代の死の真相とて例外ではないだろう。

「プラターヌ博士、あなたが初代を?」

「殺しているはずがない。わたしは無実だ」

 無論、額面通り受け止められるはずもない。

「無実だと言われて、はいそうですか、といかない事ぐらいは」

「重々承知だよ。だが当時の警察関係者はわたしを追求しようとはしなかった。むしろ、遠ざけようとしていたくらいだ」

「遠ざける……?」

 それはおかしいだろう。警察がまず疑うのは同じ研究室にいたプラターヌだ。

「警察には、この事件を解決する気がないのだとわたしでも分かったよ」

「そんな馬鹿な……。解決していないって言うんですか? 初代の変死が迷宮入りなんて」

「その通りだ。事件は迷宮入りをした」

 プラターヌの口調に嘘は感じられない。本当に、初代の変死は迷宮入りとなったのだろう。

「でも、そんな事、一言も聞いた事がない……」

「秘中の秘である事はわたしでも容易に想像がつく。君がツワブキ・ダイゴの事を知っているという事はツワブキ家に親しいか、あるいは彼を匿える機会があったと想像するが、それでも君がそこまで知り得ていないのは意外だな」

 リョウからは何も聞いていない。ツワブキ家の人間だ。知らないはずがないだろう。

 ――意図的に隠されていた?

 そうとしか考えられなかった。ツワブキ家との親交はあると考えていたが、実のところ隠し通されてきた事実があるのかもしれない。

「でもそんな、ここはカナズミシティですよ? そんなに大きな街じゃない。誰かが知っていたとしてもおかしくはない」

「そう、おかしくはないが、誰からも聞かないところを見ると、やはり死に方が奇妙だったからだろう。誰もが口を閉ざすのさ」

 死に方。精神エネルギー放出の結果ではないのか。

「……どうだって言うんです」

「初代の死は決して安らかなものではなく、肩口から血が噴き出していた。大量に、それこそ地獄絵図のような格好でね」

 肩口からの出血。その言葉がサキにある事件を想起させた。

「天使事件=c…」

 当然、プラターヌは疑問符を浮かべた。

「何だ? 天使事件って。新種の流行りか」

 病院の中で幽閉されていたプラターヌが知るはずもない。そうでなくとも極秘になっている事件だ。サキは何度か逡巡の間を浮かべたがこの研究者に隠し通したところで意味はないだろう。ぽつり、と話し始めた。

「ここ三ヶ月程度から、カナズミシティで起こっている事件です。肩口からの大量出血で死亡する事件の警察内の俗称。死因は目下のところ不明で、しかもその出血が直接原因ではない事だけは分かっている」

 プラターヌはその事件の内容を咀嚼するように頷いた。

「似ているね」

 初代の死と、だろう。サキも首肯する。

「似ていて、ビックリしているんです。こんな事件、過去になかったと思っていたんですから」

「なるほど。思わぬところで事件の糸口を掴んだ事になるのか」

 プラターヌの冷静な分析にサキは舌を巻いた。

「驚かないんですね」

「何がだ? 初代の死と似ている事がか? わたしはこの二十三年で冷静になってしまってね。その結果が病院での幽閉に繋がったとも言えなくない」

「自分の事を客観視出来るようになったと?」

「そう思わなければやっていけなくなった、とも言える」

 プラターヌが煙草に火を点ける。最早サキは止めようとも思わなかった。

「しかし、初代の死と似たような事件がカナズミで、か。これはくさいな」

「私も、そう感じています」

 それに加えて唯一の被疑者であるのが彼であり、ツワブキ・ダイゴ――。出来すぎていると言えなくもない。

「君は、その事件を捜査していた。その延長線上で彼と出会った」

「理解が早くて助かります」

 プラターヌは鼻頭を擦る。

「出来すぎているな」

「私も、そう思いますね」

「君の話を統合するに、彼を巡って抹殺する派閥と保護する派閥が動いている。そして彼の身柄を握っているのがツワブキ家。初代と同じ、ツワブキ・ダイゴの名前。ここまで揃って何もありませんでした、ではなかろう」

 サキはリョウの事を伏せていたがこれも話さねばならないだろうと感じた。

「名付けたのは、私の幼馴染です」

「ツワブキ家の人間、しかも君に話せるとなれば警察組織を疑うべきだろう」

 プラターヌは一瞬でリョウの職業でさえも看破した。「でも分からないな」と続ける。

「分からない?」

「わたしがその幼馴染だとして、君のように勘の鋭い人間には事件の一端でも掴ませたくないね。勝手に調べるのが丸分かりだ。君を遠ざけようとさえするだろう」

 そういえば、リョウにその気がない事に驚く。むしろヒグチ家で一晩でも預かれといったところがおかしい。

「私では対応出来ないと感じている」

「それはないだろう。話してみると分かる。君ならばたとえ八方塞でも、何か手を尽くそうとするだろう。わたしに辿り着くのは時間の問題に過ぎない」

 過ぎた賞賛だったがそれを喜ぶ暇もない。サキはリョウの考えを読み取ろうとする。どうしてツワブキ・ダイゴの名前を与えたのか。また、どうして自分に少しでも興味を持たせようとしたのか。

「……もしかしたら、ツワブキ家も彼、ツワブキ・ダイゴの事を持て余しているのかもしれない」

 一つの可能性に過ぎなかったがプラターヌは頷く。

「大いにあり得る話だ。彼が何者なのか、その手がかりはないに等しい。猫の手でも借りたいというのが本音かな」

「彼の正体を暴くために、私の事も利用した……」

 リョウがそこまで考えられる人間かどうかは疑問だったが、自分への干渉はそうと考えれば腑に落ちる。

「つまりツワブキ家でも、彼の存在はイレギュラーだった。いや、この場合、デボンでも、と言ったほうが正しいか」

 先ほどの話ではデボンの研究室で初代は亡くなったのだ。だとすれば企業レベルで話が通っていてもおかしくはない。

「でも、おかしいと私は思います。だって、彼の外見は初代そのものだ」

「わたしも写真を見せてもらって思ったよ。まるで生き写しだ。初代と変わっているところは身に纏っている空気と、眼の色か」

「眼、ですか……」

「初代は銀色の眼だ。だが彼の眼は赤い」

 それはあまりに気にしていなかったが初代との相違点と考えればそうなのだろう。

「彼の正体の可能性の一端も掴めないんじゃ、これ以上の捜査は薮蛇でしょうか」

「いや、既に何個かの仮説は出来ている」

 プラターヌの言葉にサキは驚く。

「今までの話で、ですか?」

「当たり前だろう。ずっと病院にいたんだ。今まで聞いた話から結論を導き出すしかない」

 彼の正体が分かるのならば手段を選んでいる場合ではない。恥も外聞も捨てるしかない。

「……お願いします。彼の正体が分かるのなら」

 サキは頭を下げていた。それを見てプラターヌが手を振る。

「やめてくれ。君のお陰でわたしも抜け出せたんだ。それに君の情報がなければ分からなかった事。共犯者程度に考えてくれればいい」

「共犯者、ですか」

「そう、共犯者。わたしの逃亡を許したのだから、今さら罪のない一般人を気取るわけではないだろう」

 もう、戻れない場所まで来ている。サキはその実感に唾を飲み下す。

「可能性は?」

「三つほどある」

 プラターヌが指を立て、「まず一つ」と告げる。

「彼の正体が、二十三年前の初代の死に繋がっている人物。そうなってくると一つ目の可能性は、そのツワブキ・ダイゴが初代の隠し子。つまりツワブキ家の人間」

 あり得ない話ではない。それならば初代に外見が似ているのも頷ける。

「だが、これはないな」とプラターヌはすぐさま棄却する。サキはうろたえた。

「な、何でですか? 一番ありそうなのに」

 サキの様子を見てプラターヌはため息を漏らす。

「……勘が鋭いと言ったのは撤回しようか? 彼がツワブキ家の隠し子ならば、何で天使事件の関係者なんてなる? それは面倒になるに決まっているじゃないか。もし、隠し子でツワブキ家の秘密だとすれば、わたしならば一歩も外には出さない。彼の秘密は一生保たれるだろう」

 つまり天使事件に関わった事そのものが不可解、だと言っているのだ。サキは可能性を口にする。

「彼が、拘束を破ったとか」

「あり得ない話じゃないがね、だとすれば何故、二十三年という月日が必要だったのか。それに彼を見たところ、まだ二十歳になるかならないか、という感じだ。とても二十三歳以上とは思えない」

 プラターヌが写真を見たのは一瞬の事に過ぎないはずだがそれでも覚えている事が驚きだった。だが、サキとしても気になったところではある。もし、初代の隠し子、あるいはツワブキの血縁だとしたら、どうして二十三年間秘匿されねばならなかったのか。それにツワブキ家の人間を一時でも警察の手に渡す事は大きなマイナスになるはずだった。自分で上げておきながらこの可能性は薄いとも考えていた。

「ツワブキ家の周到さから、彼の監視を解いたとは思えない……」

「それに、彼の血液を調べたんなら、ツワブキ家の血縁関係も明らかになる事になる。大きなアドバンテージを君は持っているのだよ。それに気がついていないようだが」

 そこまで聞かされればリョウが一晩でも自分の家に預けた事があり得ないのだ。血縁者ならば調べられる事すらも危険である。

「血液の結果……。それにDNAも持っています」

 初代との遺伝子照合の結果が九割以上の確率で同一人物である事は言ったほうがいいだろうか。だがプラターヌはそこには言及しなかった。

「血液とDNAを持っているのならば、いや持たせる事が出来るのならば、彼の血縁自体に大した意味はないのかもしれない。ツワブキ家転覆、というのには結びつかないか」

 リョウとて自分に隠し事をしているはずだ。ダイゴという名前の意味。ツワブキ家で預かる事が簡単に通った理由もあるはずだ。

「私は、彼の存在をどうしてもツワブキ家が引き取りたかった理由があると感じています」

「だったら、余計に今の仮説はナンセンスだな。一度手離して、もう一度、というのは」

 サキは仮説を取り下げて次の可能性を口にする。

「もう一つは?」

「彼がツワブキ家とは全く関係のない、いわば他人の空似である可能性。彼らはただ単に彼の容姿が初代に似ていたから引き取っただけに過ぎない。まぁ一番楽観的な可能性だ」

 サキはその可能性に異議を唱える。

「いや、それはないですよ。天下のデボン、ツワブキ家とはいえ何で似ているだけの人間を引き取るんですか。面倒ですし、そもそも勘繰られる事が嫌いなツワブキ家の行動原理じゃない」

「分かっているじゃないか」

 サキの返答を予期していたのだろう。プラターヌは頷く。

「その通り、ツワブキ家がどうして彼の面倒など看ねばならない。ただ似ているだけという理由で。それはあり得ないんだ。ツワブキ家側としてもね」

「そうなってくると」とサキは腕を組む。

「その可能性は却下ですか……」

「なに、別に可能性を潰す事に何一つおかしな事はない。可能性はない、という話し合いもまた有益だよ」

 だとすれば三つ目だ。サキは尋ねた。

「三つ目の可能性は?」

「三つ目は……」

 プラターヌは机の端に煙草を押し付ける。ジュッ、と音がした。

「彼から引き出せる情報があるという事。つまりツワブキ家にとって有益に働く存在、だがツワブキ家の血縁者ではない。という、出来過ぎにも程がある仮説だ」

 サキは首をひねった。

「……二つの論法から消去法でそうなるのは分かりますけれど、あまりにも出来過ぎでしょう? 彼がツワブキ家にとって有益だけれど、でも血縁者じゃないなんて」

「だが彼を預かるメリットを考えた場合、ツワブキ家としてはそれぐらいの利点がなければおかしい。血縁者ではないが初代に関わる秘密を持っている。しかし血縁者、初代とそっくり、という」

 サキは手を振った。

「ないですよ。ないない。そんなの、人工的に作り出さなければ――」

 そこまで言ってハッとする。初代とDNAは九割以上の確率で同じ、さらに言えば、メモリークローンという謎めいた言葉。

 ――まさか、クローン? 

 あり得ない、と今までならば否定出来たが、ここまでプラターヌと話していれば何が起こっても不思議ではない。

「どうした?」

 胡乱そうに尋ねるプラターヌにサキは慎重に言葉を紡ぐ。

「あの……現時点の科学技術で、人間のクローンっていうのは可能なんでしょうか?」

「可能だ」

 即座に答えてみせたプラターヌにサキは追及する。

「じゃあ、何でそういうのが公然と行われないんです?」

「倫理的な問題が強い。たとえば、だ。ある一人の男がいるとする。その男は交通事故に遭って死亡する」

「唐突ですね」

 サキの感想を無視してプラターヌは続ける。

「その男は死ぬが、肉体のスペアが残っていたとしよう。それがクローンだ。電気的な信号か、あるいは定期的な記憶のバックアップにより、男はスペアの肉体に移り変わって今までと何ら変わらぬ生活を送る……。これが許されるか、どうか。分かるかね?」

「そんなの……」

 言いかけて返事に窮する。男の命と周囲の人間に関して言えばプラスだが、生命倫理の観点からしてみればスペアの命、というのは適切ではないだろう。さらに、命のスペアがまかり通ればその男は何だって出来る。人間の倫理観を無視した行動でさえも。

「気づいたようだね。その通り、人間は、いや人間に限らず全ての生命体が、だが、一回しか人生がないから尊く生きるのだし、さらに言えば必死になれる。もし、スペアの命があれば、人間の生き方は随分と変わってくるだろう。今の自分が消えてもやり直しが利く、という意味でね」

「そんなの、人生じゃ……」

「ないよ。その通りだ。だからこそ、クローン問題は倫理観に抵触する。もっと言えば、そうだな。人類規模の飢餓が起こったとする。食糧供給は完全に途絶え、控えてあるたんぱく質は自分のスペアの肉体のみ。この場合、人間はどうするのか」

 サキはその向こうにあるおぞましき可能性に口元に手をやった。プラターヌは頷く。

「人間は、自分の肉体でさえも生存継続の条件に出来る……」

「君が今感じたとおり、それはおぞましき事だ。人間が自分と寸分変わらぬ肉体を食料に出来る、というのは。精神の歯止めが利いたとしても騙せるのは精神だけ。肉体ではない。いくら誤魔化したとて人間をやめる決断に至れるほどわたしは人間に絶望していない」

 それは意外だった。プラターヌならば全てを絶望の淵に置いていてもおかしくはないと思っていたからだ。

「そう、なんですか」

「ああ、だから彼がクローンだというのも、わたしはいまひとつ納得出来ない。どうして初代と似たような人間を造る必要があったのか? おぞましき可能性の一つとして、ツワブキ家が初代の肉体をスペアとして使おうとしていたとしても、どうして今なんだ? 初代が死んで二十三年。そんなに時が経っていれば初代と瓜二つな人間など異分子でしかないだろう」


オンドゥル大使 ( 2015/12/20(日) 21:09 )