INSANIA











小説トップ
因縁の刻印
第四十話「時のいや果て」

 その頃、ホウエンは荒れていた。

 ツワブキ・ダイゴが王になったにも関わらず、ホウエンにもたらされる利益は限りなく少なかったからだ。カントーが利権を貪り、ほとんどの権利関係はカントーに帰属した。

 ダイゴはそれをどうにかしようとしていたというのが一般の見解である。そのために他地方の研究者と話したり、ホウエンの伝承を売り込んだりした。だがことごとく失敗し、ホウエンは暗黒時代を迎える事になる。デボンの技術の利権があると言っても、所詮はポケモントレーナー。研究職ではないし、ダイゴにはトレーナーである事を除けば何一つ価値はなかった。だからこそ、焦っていたと言える。ホウエンで何か、後世に残せる事をせねば。だが、後世に残せるものと言ってもたかが知れている。自分がデボンの御曹司で、王で、社長だとしても、自分の名が永遠になるわけではない。

 ダイゴはある一つの計画を立てた。その計画はデボンの社内でも極秘として扱われ、社外秘であったがメガシンカにまつわる話であった事はハッキリしている。プラターヌ博士を交え、ポケモンと人間の間に発生するメガシンカエネルギー、通称精神エネルギーと呼ばれるものを研究していた。人の精神がポケモンに真の能力を引き出すきっかけになる。そう信じて何日も研究室に篭り、結果を待った。だが、人間から精神エネルギーを取り出す実験は最悪の結果をもたらす事になる。

 被験者の何人かが心神喪失、あるいは廃人と化した。その研究は悪魔の研究と罵られ、ダイゴは居場所を失いかけた。デボン社内でもダイゴ排斥の動きが強まりダイゴはその地位を奪われる事、また自分の血族であるツワブキの血が途絶える事を恐れた。

 決断が迫られていた。研究に身を投げるか、あるいはきちんと社長職を全うするか。だが、デボンは他人のものになるかもしれない。自分がいくら足掻いたとて無駄に終わる可能性がある。

 運命の日が近づいていた。ダイゴは決断する。

 研究を成功させる。そして家族も守る。

 ダイゴは主任研究員にこう告げた。

「しばらく出かけるよ」

 その言葉に対して主任研究員はこう答えたそうだ。

「旅行ですか?」

「ああ、時のいや果てまで、ぼくは行こうと思う」

 もちろん冗談の類だと考えられた。ダイゴはほとんど冗談を言う事はなかったが、疲れているのだろうと主任研究員は結論付けた。それが第一の間違いであった。

「研究室にぼくは行くよ」

 それを止めなかったのが第二の間違い。ツワブキ・ダイゴは戻ってこなかった。

 ダイゴは精神エネルギーを取り出す機械を自らに装着し、被験者となったのだ。その結果としてメガシンカの最初期の分野が切り拓かれた。ダイゴの精神エネルギーの放出によって今まで無反応だったメガストーンに火が灯り、メガシンカを初めて研究として発現させられたのだ。デボンコーポレーションは数々の利権と共にメガシンカの第一人者として名を馳せ今日に至っている。メガシンカは後発の研究者に影響を与え、なおかつカントーから発言力を取り戻すきっかけになった。ダイゴの遺体はその血縁者のみが知り得る方法で保管されているらしい。一説によれば、全身を分解され、今でもどこかの大学病院に安置されているそうだ。



















「それが、ツワブキ・ダイゴの逸話。死の真相じゃよ」

 老人の言葉にダイゴは黙りこくっていた。メガシンカのために、いや、デボンコーポレーションと家族のために命を賭した男が初代ツワブキ・ダイゴだというのか。

「その、どうしてその話を……」

「簡単な事じゃよ。その主任研究員というのが、ワシだっただけの話」

 ダイゴは少なからず衝撃を受けた。初代と最後に話した男が目の前の老人なのだ。

「じゃあ、あなたが」

「まぁ、もうデボンは定年退職したが、今でも思い出す。その時の初代の横顔をな。君は、どうしてだか、初めて会った気がしないがどこかで会っていたかな?」

 老人の言葉にダイゴは気後れ気味に、「いや……」と首を横に振る。

「そうじゃよなぁ……。初代の生き写しに見えて……。いやはや歳を取るとこれだから」

 首筋をさする老人には決して言えない。自分が初代を再生するために準備された人間である事など。だが、どうして、という疑問もあった。

「その、初代は精神エネルギーを放出したんですよね? その結果としてメガシンカが発生した」

「おう、そうじゃが」

「じゃあ、初代はショック死のようなもので?」

「そこがよ、逸話なんじゃよ」

 老人は声を潜める。ここからが本題、という事なのだろう。

「精神エネルギーを飛ばす機械じゃが、遠隔操作出来る代物じゃないんだよな、これが。つまるところ、絶対に被験者ともう一人、必要だったわけだ」

 そこまで聞いてダイゴは肌が粟立った。

「……じゃあ、その場には」

「ああ、もう一人いたはず。だが、研究員が駆けつけた時、そこには誰もいなかった。初代の骸だけが転がっていたという」

 第三者の存在。それが初代の死に深く関わっている。

「誰かが、いた……」

「だが、誰もその誰かを見つけられなかった。社内、社外を引っくり返して探したよ。初代の死を解き明かすための唯一の証人だ。だが名乗り出るはずもなく、その事件から二十三年が経った」

 その時にいた誰か。その人物こそが、初代ツワブキ・ダイゴの最期を知っている。だが、その人物は名乗り出ない。それこそがキーだ。その人物は重大な秘密を握っている。

「その、誰だったかの、目星ぐらいは」

「そうじゃなぁ。あの場所に出入り出来るのは限られていて、簡潔に言うと三種類」

 老人が指を三本立てる。

「主任研究員、つまりワシ以上の権限を持つ人間。これは二人いた。一人はメガシンカエネルギーを研究していた先生、確かプラターヌとか言ったか。それともう一人なんじゃが、どうしてだがデータに存在しない。後から考えてみてもそのもう一人がいる、という情報しか知らなかった」

「あと一人は?」

 唾を飲み下す。老人は口角を吊り上げて嗤った。

「ツワブキ家ならば生体認証で入れた。つまりツワブキ家の誰か。疑いたくないが、初代の妻か、あるいは先代社長、ツワブキ・ムクゲ。または、……あり得ないだろうがその息子、ツワブキ・イッシン」

 ダイゴは愕然とした。初代が死んだその場にいたかもしれない人物がツワブキ家に今もいる事を。

「あくまで仮定じゃよ」と老人は手を振るがダイゴにはイッシンの存在が恐るべきものに感じられた。初代の死に関わっている人間が何も知らないまま自分を――ツワブキ・ダイゴを招き入れるはずがない。裏があるはずだった。

「その、プラターヌって言うのは……」

 それだけではない。プラターヌの名前。それは自分の肉体の持ち主であるフラン・プラターヌと無関係ではないだろう。

「カロスからの研究者だったが、今はどうしているのか。ぱったり見なくなったな」

 その人物も可能性はある。初代を殺せたかもしれない人物は三人。だが老人は引いていいだろう。わざわざ自分が殺せたなどと話す必要性がない。二人、あるいは複数。

 プラターヌ博士か、あるいはツワブキ家の誰か。

 二十三年前の初代の死が仕組まれていたものであるという可能性がダイゴの中で膨らんでいく。

「その……、それってカナズミの人は誰でも?」

「初代の死が不可解なのは知っておるじゃろう。だが、その細部まで知っているのはこのワシだけかな」

 あるいは当事者か、と老人は付け加える。当事者とも言えるツワブキ家に匿われている意味。そしてリョウの真意。探れば探るほど分からない迷宮だった。

「どうして俺に話すんです? 道を通りかかっただけだ」

 ダイゴの疑問に老人は首をひねった。

「どうしてだろうか。ワシにも分からん。だが、君には話してもいいとワシの中の何かが告げたんじゃよ。どうしてかな。初対面とも思えんし、他人とも思えんのだ」

 これ以上関わればぼろを出すか。ダイゴはそこで引き上げる事にした。

「俺、ポケギアを買いに行くんだった」

 リョウも見失ったため最早その意味はないに等しかったが。

「最後に一つだけ」

 老人の声が背中にかかり目線を振り向ける。

「初代の精神エネルギーはどこへ飛んだのか」

 歩みを止め、ダイゴは向き直った。

「それは……オカルトなんじゃ?」

「いや、必ずしもそうとは言えん。初代の精神は確かにメガシンカを感応させた。メガシンカには生きた人間のエネルギーが必要なんじゃよ。だから初代が精神エネルギーを送ってメガシンカを達成したという事は、初代はメガシンカ時までは生きていた」

 その推論が可能ならば、初代は精神エネルギーを飛ばしたショック死ではない、という事だ。

「……じゃあ、どうして」

「だからこそ、ミステリーになり得る。初代は自然死じゃない。殺害されたんだと」

 ダイゴにはそれを解き明かす鍵が、まだ自分にはないような気がした。ただコノハから聞かされた初代の再生計画。自分を殺そうとする一派。自分そっくりの顔をした何者か。刻印が成された右腕――。それらの事柄は決して繋がっていないわけではない。

「初代が殺害された、とすれば犯人は……」

「分からん。警察も見つけていないし、そもそも初代の死を殺害だとも思っておらんじゃろう。ただ、奇妙な事は知っておる」

「奇妙な事?」

 聞き返すと老人は顎に手をやって目を細めた。

「あれは……何て言うんだろうか、内側から食い破られたようじゃった」

 その言葉にダイゴが疑問符を浮かべる。

「何の事を言っているんです?」

「だから、初代の死に様じゃよ。言っておらんかったか? 初代の死体は綺麗なものじゃなかった」

 ダイゴは瞠目する。てっきりショック死に近い状態かと思い込んでいた。

「……何なんです?」

「あれは、背中から血が噴き出したのか、あるいは肩が弾け飛んだのか、初代の身体から血飛沫が研究室に散っておってな。今でも思い出すと吐き気がするよ……。あれは、そう、まるで羽のようじゃったな」

「羽?」

「言うなれば、そう。天使の羽じゃよ。肩甲骨の辺りから血が噴き出して、警察によればそれが致命傷ではないとの事なんじゃが、どうしても引っかかった。初代は、肩から血を噴き出した形で死んでいた」

「じゃあ、変死……?」

「分からん。警察発表では病死という事にされておった。それほどまでにセンセーショナルだったんじゃよ。初代の死には色々と噂が付き纏っていてな。メガシンカしたポケモンは結局、メガシンカから戻れたのか。そもそもメガシンカしたポケモンがどこから運び出されてきたのか、全てが謎だ。しかし初代はそれを押してでも、メガシンカの成果を挙げたかったに違いない。結果としてホウエンが抜きん出る形となったわけだからそれは功を奏したと言うわけだが」

 老人の煮え切らない言葉にダイゴは質問を被せる。

「初代ツワブキ・ダイゴは精神エネルギーを放出した上に、誰かに変死を遂げさせられた?」

「そう考えるほかないじゃろうて。その誰か、に一番近いのが研究室にいた、その時機械を操作した何者か……」

 何者かはまだ生きている。そのような含みを感じさせた。

「この街で、その何者かは生きて、再びツワブキ・ダイゴを殺そうとしている……」

 ダイゴの声に老人が首を傾げる。

「再びって……、もう初代はおらんよ。ボケてはおらんぞ」

 老人の抗弁にダイゴは苦笑を寄越した。


オンドゥル大使 ( 2015/12/15(火) 22:31 )