第三十八話「種の根源」
しかし、とサキはまだ疑問が尽きない。どうして現在の我々がそれを推し量る事が出来るというのか。所詮、伝承だ。
「気づいたようだね」とプラターヌは先回りしたように告げた。
「エネルギー量をどうして現在の我々が知る事が出来るのか。答えは一つ」
「メガシンカしたレックウザのエネルギーを測れる、そういう器具がある……?」
「惜しいな。測るのはその通りだが、そのような便利な器具は存在しない」
「じゃあどうやって……」
「メガシンカについて、初代とわたしは話したと言ったね。つまり、メガシンカエネルギーを客観視出来る機会があった」
そこでサキは結論に至った。
「初代がメガシンカの使い手だった?」
プラターヌが指を鳴らす。
「グッド! 君は答えに至った」
「でもそんな、四十年前にメガシンカなんて……」
「ないという証明は出来ないはずだ。この世で難しいのはあるという証明よりも、ない、という証明なのだから」
それは、と口ごもる。確かに、存在しない事を証明するほうが随分と難しい。
「メガシンカが四十年前になかったわけではない。今のようにネットワークが不充分だったため、ある一定の人間は知っていたが、大衆は知り得るはずもなかった。それもそのはず、メガシンカはある一線、ポケモンと人間の境界線を冒した人間にのみ、可能な極みであったからだ」
「極み……」
おうむ返しにする。ポケモンと人間の領域の侵犯者。
「四十年前にはそれを同調現象と呼んでいたが、今の学会でもまかり通るか怪しい分野だ。同調はマユツバ。それが学会のスタンスでね」
サキも初耳だった。同調、とは何なのか。眉根を寄せていたせいだろう。尋ねる前にプラターヌが説明を始める。
「同調、とはポケモンと意識的に一体化し、意識圏の拡大、反応速度の向上、また命令なしの技の指示などを可能にする、いわば超越者の領域」
「そんなの」
「不可能だ、などと言わないはずだね? 君は、これまでのわたしの講義を聞いているのだから」
それは確かにその通りだ。プラターヌの発言を真に受けるのならば同調、という分野に着目しないわけにはいかない。
「でもそんな、そんな事が可能だなんて」
「だがそれが、メガシンカを説明する最も効率のいい話だった。四十年前でも、今でもそうだろう。メガシンカには絆、と呼ばれるものが必要だとするが、それこそちゃんちゃらおかしい。どぶに捨ててしまえ。絆、などの謳い文句が一番怪しい事ぐらいは分かるだろう?」
「そりゃ、私はポケモンと人間の絆なんて信じている性質じゃないですけれど……」
「だがメガシンカにはその絆、とやらが必要になる、と世間一般では言われている。だがね、そのような目に見えないまやかしを信じるよりも、ダメージフィードバックや意識をポケモン側に持っていかれる可能性のあるリスキーな同調のほうが、まだ信じられないか?」
サキは無言で頷く。返す言葉もない。
「でも、おかしいじゃないですか。メガシンカしたレックウザが二体を止めたとして、じゃあ誰がメガシンカを?」
サキの質問にプラターヌは重大な見落としてあるかのように指差す。
「それこそが、認識の差というものだ。今現在、我々はメガシンカが個人のトレーナーに適応されるものだと信じ込んでいる。メガシンカ可能なのは手持ちのうち、一体のみ。何でだか分かるか?」
今までならば大会の制限やら、ポケモントレーナーの総本山が決めている、とでも答えただろう。だが今までのプラターヌの発言から鑑みて、そのような安易な答えを求めているわけがない。
「その、メガシンカに必要なエネルギーを注ぎ込むのに、一体分しか不可能だから?」
「正解だ」とプラターヌは拍手する。サキはくすぐったいやら屈辱的やらで複雑な心境だた。
「その通り。メガシンカがどうして一体しか出来ないのかは、メガシンカというものに注ぎ込む集中力、人間のエネルギーの総量が決まっているからだ。キーストーンを触媒にしてメガストーンに人間の……我々は精神エネルギーと呼んでいるが、それをきちんと注ぎ込み、制御するのに鍛錬がいる。そうでなければ制御盤が剥き出しになったポケモンはエネルギーの総量を制御出来ずに暴走してしまう」
「その、精神のエネルギーが強力なわけですか」
サキの言葉にプラターヌはチッチッと指を振る。
「甘いな。逆だよ。言っただろう? 今のポケモンは太古の頃に比べれば十分の一、いや百分の一の力しか持たないと。メガシンカはポケモンを、本来の、リミッターが外れた状態にする。その手助けに人間の精神エネルギーが必要なだけだ。ポケモンからしてみれば、メガシンカという形態変化を行うための道具だよ、人間はね」
道具、と言われてしまえばサキには言葉がなかった。プラターヌは過度のポケモン原理主義なのか。あるいはオカルトの教えを信じ込んでいるのか。
「じゃあ、誰がメガシンカさせたんです? どちらにせよ、人間のエネルギーが必要不可欠なわけじゃないですか」
「そこが見落としだと言っている。メガシンカに必要なのは一人の人間だとは限らない。精神エネルギーを鍵にしてポケモン本来の力を呼び起こそうとしても、たとえばだ。百入る器に三しか注がれなければ、器はどうなる?」
馬鹿にしているのか、とサキは憤る。
「……何ともならないでしょう」
「そうとも。何ともならない。通常のポケモンからしてみればそうだな、三の器に普段は一のエネルギーしかないとする。それがメガシンカによる精神エネルギーの注入により器に四、注がれる。すると決壊した器からのエネルギーがメガシンカエネルギーに転化し、ポケモンはメガシンカを果たす」
プラターヌの言わんとしている事が何となく理解出来てきた。サキは試しに口を開く。
「つまり、レックウザという巨大な器に、一人分の精神エネルギーじゃ不足、というわけですか」
プラターヌが指を鳴らす。
「その通り。レックウザほどのポケモンをメガシンカさせるのには、たった一人の精神エネルギーでは何も出来ない。ここで、初代と話した内容を打ち明けよう。初代は、ルネシティの番人、ミクリからこう聞いていた。レックウザをメガシンカさせるのには百の祈り、否、千の祈りに相当する、と。つまり、人類という種、そのものが、破滅を回避するために祈りのエネルギー、わたしの言う精神エネルギーを放出した。その結果としてオゾン層に棲むレックウザの身体に変化をもたらし、人類の救世主として降臨させた」
プラターヌはそこまで言ってから煙草を机の端で揉み消す。サキはプラターヌの論法を頭の中で組み上げた。
「……つまり、人類という種そのものがメガシンカの媒体……」
馬鹿な、と思う反面、伝説級のポケモンのメガシンカにはそれほどのエネルギーを必要としても何ら不思議はない、という気分がある。
「レックウザは人類の代弁者。だが、別にレックウザに限った話ではない。数々の伝承には、人類という種とポケモンという種が交信し、そして新たな道を切り拓いた例が数多とある」
「それが、先ほどのポケモンと人間、両者が許し合っている、という言葉の根拠ですか」
「長い話になったね」とプラターヌは新たな煙草を吹かした。
「その当時の人々はレックウザに神を見たはずだ。だが時代が下り、レックウザは所詮、オゾン層に棲むポケモンの一種にカテゴリーされた。所詮、ポケモン。この論法に何人もの研究者が躓いた事か。侮ってはならない。同時に、ポケモンも人間を侮っていない。だから草むらから出現する。だから我々の認知の範囲内に存在する」
お互いに共存関係にある、という事か。サキは一旦息をついて話を打ち切った。
「疲れたね」とプラターヌも襟元から風を入れている。同意したサキはキッチンへと歩んでいった。
「コーヒーでも注ぎましょう」
「わたしは砂糖三本で頼む。ミルクはなしで」
「角砂糖ですよ」
サキは応じながらコーヒーの瓶を取り出した。それを目にしたプラターヌがぎょっとする。
「おいおい、まさかインスタントかい?」
「いけませんか?」
返した言葉にプラターヌは苦い顔をした。
「コーヒーはドリップに限る。研究者の間じゃ常識だ。君は、本当に研究者の娘かね」
「生憎ですが、うちの父はそのような面倒な性格をしていないので」
マグカップに目分量で注ぐ。それを見てプラターヌは慄いた。
「ちょ、ちょっと待ちたまえよ。スプーンを使わないのか? そんな、適当に入れたんじゃ苦さも均等にならないだろう」
思わず、と言った様子で立ち上がったプラターヌをサキは冷たく見つめる。
「嫌ならいいんですよ。今からきちんとしたコーヒーを入れてくれる部下の下に戻れば」
サキの言葉にプラターヌは喉の奥で呻って、「それは困る」と首を横に振った。
「ようやくわたしの興味を実現出来る機会が得られたんだ。どうしてあんな、狭苦しい病院なんかに。病人のふりはもうたくさんだ」
「じゃあ、コーヒーの一杯ぐらいは我慢してください。それが我慢出来ないのならば聞く事はないです」
取り付く島もないサキの口調にプラターヌはとりあえず手を打った。
「……いいだろう。インスタントコーヒーの一杯で帳消しに出来るのならば安いものだ」