第三十四話「不老の研究者」
面会時間は十分、との事だった。
サキは控え室の椅子に座って待機する。相手がガラスで隔てられた向こう側からのっそりと顔を出した。点滴チューブを垂らしており、付き人が従っている。サキは少なからず驚いていた。初代と関係がある、という事はそれなりの高齢である事が予想される。だが、目の前に現れた男はほとんど年老いている気配がなかった。四十代手前か、三十代後半で年齢が止まっている。その印象を胸にサキは声を出す。自分でも存外に緊張している。
「プラターヌ博士、ですね?」
問いかけるとプラターヌは、「ああ」と首肯する。どうやら本人に間違いないらしい。サキは付き人の視線を感じながらも率直に問いかけた。
「あなたは遺伝子研究の権威と聞きました」
「そんな事もあったかな」
読めない声色にサキは話を切り出す。
「メガストーン、それにメガシンカ、それに関わる十の論文。全て、目を通しておきました」
サキは鞄の中から論文資料を出す。するとプラターヌは少しだけ戸惑った様子だった。
「わたしの資料を読んだのかい?」
「はい。あなたが論争を招く要因になった矛盾する論文に関しても」
その言葉にプラターヌは苦い顔をする。矛盾する論文。それはサキもプラターヌに関する情報を得る過程で偶然得た産物だった。
「カロス地方でのみ、メガシンカは発動する。メガシンカにはキーストーンとメガストーンが必要になり、トレーナーとポケモンとの絆によって発動する。……興味深いのはあなたが拠点を構えていたカロス地方で最初に発見された、という点ですが、既にホウエンなどでは見られていた現象であった、という事です」
サキの口調にプラターヌは答えない。答える気がないのか、と勘繰っていると、「お恥ずかしい話でね」と口元を緩めた。
「わたしももうろくしていたんだ。もう十年以上前の論文だが、カロスのみでメガシンカは発動すると考えていた。カロスには不思議な石の伝説が数多く残っていたし、それにまつわる継承者なんていう特別な地位もあった。メガシンカは、カロスのみの事象であると。……だが後にそれは間違いであった事が発覚した。ホウエンでは既にメガシンカは確認済みである事、さらに言えば第一人者を自称していたわたしが、実のところで言えば三番煎じもいいところの論文を書き上げた事かな」
メガシンカに関する情報はしかし、プラターヌが発表した事によって公に広まった事は間違いない。その功績は素直に称えられるべきだ。しかし、今、彼がこの身分に甘んじているのには理由があるのだろう。サキは問いを重ねた。
「院長に聞きました。プラターヌ博士、あなたの体細胞は老化しないのだと」
あり得ない話だったがそれこそが彼の身柄をホウエンの大病院が確保している理由であった。曰く、ちょうど十年前より彼の身体は老化しなくなったという。それを調べるために各地方の名医が呼ばれたが、原因は究明出来なかった。今、ホウエンの院長との縁でこの病院に留まっているが、プラターヌ自身、自分の身体がどうなったのか調べ上げるためだという。嘘か真か分からない話だったがプラターヌは特に隠し立てする事もなく、「よく調べたね」と微笑んだ。その笑みはやはり齢五十を超えるとは思えない。
「何があなたに起こったのですか?」
「色んなジャーナリストとか、色んなテレビで証言したよ。でも、聞き入れられなかった。カットされたり、信じるか信じないかはあなた次第、とかアオリつけられたりね。都市伝説の一つに過ぎないとも言える老いない研究者にわざわざ警察からお呼びがかかるとは思わなかったよ」
自嘲気味の声に、今までまともに取り合った人間がいなかったのだろうと予測する。
「確かに、信じられない事ですし、私自身、戸惑っています。あなたが若々しいままでいる事が」
「それで何かな? 矛盾する論文とわたしが老いない理由を問い質して、警察官に何の得がある? まさかこんな老いぼれを嗤いに来たか?」
プラターヌの言葉にサキは首を横に振った。
「最終兵器、というものをご存知ですよね」
その言葉に今まで一点を見つめていなかったプラターヌの視線がサキへと注がれた。一瞬だけ張り詰めたような静寂が降り立つ。だがすぐにプラターヌ自身が肩を竦めて掻き消した。
「何だい? それ。新手のSFかな?」
「最終兵器。それはカロス地方をかつて滅ぼしたとされる異端の兵器。一度発動すれば人間とポケモンの見境なく、全てを灰燼に帰すと言われている。十年前、カロス地方でこの最終兵器の模造品が発動しましたね?」
「デタラメだ」
一笑に付すプラターヌを無視してサキは続ける。
「フラダリという怪人物の犯行だとされてきた。そのフラダリも、ホロキャスターの開発者でありあなたとは何度も肩を並べた友人である事に私は驚きました。最終兵器発動時、いいえ、正確には発動しなかったそうですが、あなたはその最終兵器の光を最も強く浴びる場所にいた。ヒャッコクシティに、日時計と呼ばれる巨大な鉱石がある事をご存知ですよね?」
プラターヌは、「あるにはあるが」と言葉を濁す。
「それが何だと?」
「ヒャッコクの日時計には最終兵器の光を増幅する機能があった。あなたはそれを浴びて、不老の人間となった」
サキの推理にプラターヌは、「面白い作り話だ」と拍手を打つ。
「きっと、週刊誌とかには高く売りつけられるだろう」
プラターヌはこの段になっても認めようとしない。サキはもう一つの手を打つ事にする。
「ツワブキ・ダイゴ、という人物をご存知ですよね」
その名前にプラターヌは今までの善人の能面を捨て、初めて驚愕を露にした。だがすぐさま微笑みの中に隠そうとする。
「ツワブキ・ダイゴ……? ああ、確かカントーの王だったね。二度の防衛成績を持つ、ホウエンからしてみれば英雄じゃないか」
「あなたはツワブキ・ダイゴと交友関係にあった」
「出来すぎだよ。そこまでわたしは――」
「交友関係にあっただけではない。ツワブキ・ダイゴとあなた、何か秘密を共有したんじゃないですか? だから隠し立てする必要がある」
遮って放った声にプラターヌは片方の眉を上げてから付き人に声をかける。
「あと何分だい?」
「あと三分ですね」
付き人が時計を見て告げる。サキはついつい急く口調になっていた。
「あなたの不老の身体とツワブキ・ダイゴは無関係ではない!」
「勝手な妄想だよ。どうしてわたしとツワブキ・ダイゴが関係あるというのだね。顔を合わせた事なんてないよ」
「しかし、メガシンカの権威としてあなたはツワブキ・ダイゴと一度は会っているはずです。その時、あなたは恐らく不老の身体を説明した」
「言いがかりはよしたまえ」と付き人にさえいさめられる。プラターヌは、「どうやらわたしの出る幕ではないらしい」と腰を浮かしかけていた。
「オカルトなど」
「オカルトだと断じないでもらいたい」
「では確たる証拠と、それに基づく理由と、さらに言えばそのツワブキ・ダイゴを連れてきたまえ」
プラターヌの言葉にサキは歯噛みする。
「……ツワブキ・ダイゴは、もういません」
「だろう? 二十三年前に死んだ。これは周知の事実だよ。だからもうその事に関して話す事は何もないし、彼についてわたしが知っている事もない」
プラターヌが踵を返そうとする。サキは切り札を差し出す事にした。
「その彼が! 生きているかもしれないとなればどうします?」
プラターヌの身体が硬直する。付き人が、「行きましょう、博士」と促す中でプラターヌが振り返った。
「どういう意味だ?」
サキは口調を整えて言い直す。
「ツワブキ・ダイゴ。確かに初代は死んだかもしれません。ですが、極めて彼に近い、いえ、ともすれば彼そのものと言える存在が現れたとしたら?」
サキは調べ上げた資料を鞄からちらつかせる真似をする。だがその資料は実のところ白紙だ。ダイゴに関して分かった事などほとんどない。初代との関連性も、またメモリークローンや彼自身の事も。だが無関係ではない、と感じていた。ポケモンの血と人間の血がそっくりそのまま入れ換えられた個人。記憶喪失の謎。それを解き明かすにはこの不老の研究者の力添えが必要だ。
ある意味では賭けだった。これにプラターヌが乗らなければ、こちらの負けは確定である。しかし、プラターヌは再び椅子に座り込んだ。付き人が告げる。
「十分経ちましたが」
「いい。続けよう」
プラターヌは付き人を下がらせる。会釈をして離れていく付き人に対し、プラターヌはいやに冷静に、サキを見据えていた。
「今の話、興味深いな。二十三年前に死んだ王が、生きていると?」
来た、とサキは手応えを感じ取る。
「同一人物ではないかもしれませんが、ツワブキ・ダイゴの名を冠する個人が保護されました。彼には一切の自分に関する記憶がない」
引き付けなければ、とサキは情報を小出しにする。この研究者の興味を切らしてしまえば終わりだ。プラターヌは、「謎だね」と真面目な顔になる。
「さらに言えば、彼にはもう一つ、ある特徴がある」
「何かな?」
プラターヌの顔立ちは最早、もうろくした研究者の顔でも、あるいは不老の怪人の顔でもない。真実を探求する研究者、第一線を走る人間のそれだった。
「血液です。ポケモンにしか含まれない血中の成分が彼の血には含まれている。さらに言えば、彼の手持ち、ダンバルもポケモンには本来含まれていないはずの成分の血が流れている。それはヒトの血です」
ここまで出してしまえば、あとの手はほとんどない。乗るか、とサキは唾を飲み下す。プラターヌは顎に手を添えて口を開いた。
「つまり、血がそっくりそのまま、入れ換えられている」
どうやら興味を示したらしい。サキは、「不自然ですよね」と声にする。プラターヌが腕を組んだ。
「ポケモンの血と人間の血っていうのは全く組成が違うそうです。共通する塩基とか、そういうものが全くない。つまり拒絶反応が起こるはずなんです。ですが、彼はいたって健康。問題があるのは」
「記憶喪失、だけか」
プラターヌが言葉尻を引き継ぎ、顎をさすった。どうやら考え込んでいるらしい。自分もひたすら考えた。この研究者はその鍵を持っているはずなのだ。
「その彼、初代とは別個体だというのは」
「確認済みです。ホウエンの各病院に初代ツワブキ・ダイゴの遺体はある」
「確か、バラバラになっているはずだな。もちろん、初代との関連性を疑うのならば遺伝子組成の一致は」
「行いました。その結果、九割以上の確率で彼と初代は同一人物」
知り得たほぼ全ての情報。どう出るかとサキが睨んでいるとプラターヌは出し抜けに微笑んだ。
「なるほど。それはきな臭い、というよりも怪しいとしか思えないね。二十三年前に死んだはずの王と同じ体組織の人間が出現したとなれば、一大事だろう」
「この事は極秘です。限られた人間にしか情報は渡っていません」
「もちろん、上司や部下には」
「言っていません」
サキの応答にプラターヌは満足したように息をついた。
「まぁ、言えないね。それをさらに言えば一個人に過ぎない君のような若い刑事が探っているなど。……だが、これは奇妙だ」
プラターヌが目を向ける。その眼差しが予想外に鋭く、サキは心を見透かされたような気がした。
「これだけ気になる要素が並んでおいて、誰も調べていないはずがない。しかも、ツワブキの名はそう易々と名乗れない。わたしが考えるに噛んでいるのは最低でも二つ以上の組織。確実なのはツワブキ家。彼の身元引受人だね。そしてもう一つ、この情報を家だけで留めるはずがないだろう。どこかの機関に委託なり何なりして彼の素性をどうしてでも調べ上げたいはずだ。その組織が一つ」
プラターヌが指を立てる。意外なのはツワブキ家を含んでいない点だった。
「もう一つは?」
「敵対組織だ。人間とポケモンの垣根を文字通り侵した人間だよ? それを解剖でも何でもしたいのが一つ目だとして、もう一つはそんな存在を真っ向から否定する組織。つまり、あっちゃいけない存在をなかった事にしたい相手だ」
それが抹殺派か、とサキは結論付ける。彼の存在そのものがポケモンと人間に関しては罪悪なのだとする団体。そう考えれば敵対組織の行動動機も頷ける。
「もし、そうならば、彼は今も狙われている」
サキの言葉に、「いや、さほど焦る事はないだろう」とプラターヌは返した。思わず疑問符を浮かべる。
「何でですか?」
「ツワブキ家がわざわざそいつを引き取ったって事は、さ。死なせたくないんだろう。何かを期待しているようにも映る」
「何か……」
全てはリョウの独断ではなかったのか。ツワブキ家の総意だったとすれば、それはそれでツワブキ家全員が真っ黒だ。
「これ以上は推測になるが」とプラターヌは前置いた。
「血を入れ換えられても拒絶反応一つ起こさない身体。耐え得るメンタリティ。ただ単にツワブキ・ダイゴの名前を、ちょっとつけてやろうっていう意図じゃないような気がするね。少なくともポケモンにニックネームつけるような気軽さじゃないだろう。彼の写真はあるのか?」
サキは懐からFの用意した彼の写真を差し出す。プラターヌは一言、「似てるな」と添えた。それが初代に、という意味なのかを解する前に、「やるべき事がある」とプラターヌは立ち上がった。
まさかこの段になって話を打ち切る気なのだろうか、と勘繰っているとプラターヌは付き人を呼んだ。「何でしょう」と扉を潜ってきた付き人へと、プラターヌは蹴りを放った。警戒していなかった付き人からしてみれば突然の強襲だ。身体にまともに受け止めた衝撃と、さらにプラターヌは首筋へと手刀を見舞う。付き人が昏倒して倒れた。サキは思わず立ち上がり、「何を!」と声を張り上げる。
プラターヌは唇の前で指を立てる。
「静かに。出来るだけ穏便に出たいだろう」
点滴を無理やり引き千切り、プラターヌは周囲を警戒する。サキは、「何のつもりなんですか」と尋ねた。
「何のつもり、ってそこまで聞いて、はいそうですか、って病院の中に居残る必要もあるまい?」
プラターヌは思わぬ言葉を投げた。
「ここを出よう。久しぶりに楽しめそうだ」
「何を言って――」
「職員が来るぞ。わたしは勘付かれずにここを出る方法ぐらいは心得ている。どうするね?」
サキは決断を迫られていた。早鐘を打つ鼓動が、今は逆に嘘くさいほどだった。
第三章 了