INSANIA











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紛い物達よ
第三十二話「落し物の小道U」

「度胸試し?」

 聞き返すとリョウは顎でしゃくる。

「あの道を何の被害にも遭わずに通り過ぎれるか、という賭けだよ。あの道はたった百メートルぽっちの道路に過ぎないが、カナズミに住んでいる奴ならみんな知っている。百メートルの間にいくつかものを落とす。別名、落し物の小道って言われている」

「落し物の小道……」

 ダイゴがおうむ返しにして道を眺める。道路の脇に自動車が停まっており、行き交う人々は落し物をしているようには見えない。

「いわゆる目に見えない落し物、ってのがあの通りにはたくさんあるんだ。ダウジングマシンって知っているか?」

 ダイゴはその情報を頭の中に呼び出した。人差し指を出して、「こうやって探る奴ですか?」と聞く。

「そう、それだ。まぁ、今は高性能で身体に身につけるタイプもあるみたいだが、ダウジングマシンでしか感知出来ないレベルの落し物があの場所にたくさん転がっているらしい」

「警察に届けたりとかは……」

 ダイゴの言葉にリョウは首を横に振った。

「駄目だよ。あの場所で落し物をしたら、それは落とした奴が悪いんだ。それに警察の人間だって例外じゃない。あの通りを行くと何かを落とす。もし、それが拳銃や重要書類であってみろ。厳罰レベルじゃ済まない事もある」

「つまり、警察ですらあんまり感知しない場所って事ですか?」

 リョウの話を統合すると、「出来れば通りたくないんだよなぁ」と額に手をやってぼやく。

「他の道は?」

「あるけど、ちょっと遠回りだぜ? それに、あの落し物の小道は運が良ければ誰かが落とした高価な代物を自分が拾う事も出来るんだ。ともすれば金を出さなくともホロキャスターレベルなら落ちているかも」

 リョウの意味するところが分かってきた。ダイゴにわざわざ金を払ってやるのも惜しいのだろう。落し物の小道で棚からぼた餅を狙っているのだ。

「あの、そういうのよくないと思うんですけれど」

「ダイゴ、でもな、この街で住む以上は絶対に、一度は通らなきゃならないんだ。なに、運試しだよ、運試し。お前、落とすとまずいもの持ってる?」

「手持ちとか……」

「モンスターボールなんて相当ぼうっとしていないと落とさないだろ。まぁ、オレだって他人から聞き及んでいるだけで実際にあの通りで落し物をした事はない。酷い目に遭うっていう都市伝説かもしれない」

 リョウも半信半疑なのか。しかし、なおの事通りたくなかった。リョウからしてみれば運試し、度胸試しの領域だろうが、今手持ちを失うわけにはいかない。

「遠回りしましょうよ」

「何だよ、ビビッているのか? クオンを手なずけたあの度胸はどこへ行ったんだよ」

 手なずけたわけではない、と言い返したかったが、リョウはどうあっても落し物の小道を通りたいらしい。自分の運試しも兼ねているのだろう。ダイゴはため息をつく。

「……じゃあ、行きましょうか」

「乗ったな? まぁ、どうせ落としやしないって。その前に持ち物を確認。オレは財布に三万円持っている。それとモンスターボール、警察手帳、ポケナビ、あとは、おっとポケットに千円札紙幣見っけ。もうけたな。あと胸ポケットに煙草が入っている。それぐらいかな」

 大雑把に持ち物を確認するリョウに倣ってダイゴも持ち物を確認する。手持ちのダンバルぐらいしか持ち物はない。懐を探ると、朝食の席に出ていたキャラメルが何個か入っていた。

「落とさないって。大丈夫、大丈夫」

 リョウが先行する。ダイゴは後からついて行った。道幅は二車線分、両端の歩道が横に人間三人分ほどの幅だ。充分な広さを誇るこの道で落し物など本当にするのだろうか。ダイゴは視線を巡らせたが、何かを落としそうな気配はなかった。茫々の雑草が生えており、そこいらがしきりに揺れているぐらいだ。

「何も変わりはなさそうですけれど」

「まぁ、見てなって。分からないもんだから」

 リョウは自分の持ち物は絶対に奪われないと思い込んでいるのだろう。ダイゴは一応、注意を張り巡らせたが、物を落としそうな気配はなかった。

「本当に、落し物なんてするんですか?」

「何だよ、疑っているのか?」

 リョウが足を止めて振り返る。いや、と返そうとしたその瞬間、何かが雑草から飛び出してリョウの懐に潜り込んだ。あっと声を上げる前に、その何かは素早く反対側の歩道へと隠れていく。目で追う事すら出来なかった。

「……何だよ、じっと見て」

 リョウは気づいていないのか。今、リョウの懐から何かが掏られた。ダイゴが指摘しようとすると、「あの……」と声がかけられた。二人して振り返ると子連れの女性が姿勢を低くして口元を押さえる。

「つかぬ事をお聞きしますが、私の娘のおもちゃ、あなた拾いませんでした?」

「おもちゃ?」

 二人して顔を見合わせる。そのようなものを持っているはずがない。しかし、リョウは一応確認する素振りを見せた。懐に手を入れる。その時、リョウの動きが硬直した。

「何でだ……」

 取り出されたのは小さなポケモンのおもちゃだった。水色のポケモンで、雲のような両翼を持っている。

「あたしのチルットのおもちゃ!」

 子供が声を上げる。リョウは、「あり得ないんだ……」とうろたえた。ダイゴにもわけが分からない。何が起こってリョウがおもちゃを懐に持っているのか。

「やっぱり! 勝手におもちゃを取らないでくださる?」

「いや、誤解です。オレは、おもちゃを盗ってなんて……」

「場合によっては、訴えてもいいんですよ! 子供のおもちゃを盗るなんて!」

 母親の剣幕にリョウはすっかり気圧された様子で手元のおもちゃを眺める。

「……間違いなく、オレは持っていなかったはずだ。なぁ、ダイゴ。オレ、こんなもの持っていなかったよな?」

 確認の声にダイゴは頷く。しかし、目の前で起こっている現象こそ全てなのだ。

「あなた! いつまでおもちゃを持っているんですか! うちの子のおもちゃをいい大人が取り上げて恥ずかしくないの?」

 リョウは慌てて、「すいません……」と母親におもちゃを返そうとする。母親は、「もちろん、ただではないですよね?」と手渡される前に声にした。

「いや、何かの間違いで……」

「盗人猛々しいとはまさにこの事! あなたがおもちゃを盗った事は間違いないんですよ!」

 リョウは財布から何枚かの紙幣を取り出し、「あの、こんな額でよろしければ」と母親に差し出した。母親が引っ手繰り、「娘の気持ちを踏み躙ったんですから」と当然という顔で紙幣をポケットに収めた。

 歩き去っていくその背中を眺めながら、「何なんだよ」とリョウがポケットをひっくり返す。

「オレ、持っていなかったよな? 何であの子のおもちゃが懐なんかに入っているんだよ?」

 問われてもダイゴにも答えようがない。何かが潜り込んできてリョウの内ポケットにおもちゃを忍ばせた、というのか。馬鹿な。

「リョウさん、つかぬ事をお聞きしますけれど、何か落し物をしていません?」

 ダイゴの声に、「落し物?」とリョウは懐を探る。すると、顔面が一瞬にして蒼白になった。

「嘘だろ、おい!」とリョウがスーツを脱いでポケットを裏返す。そこにあったはずの警察手帳がなくなっていた。

「オレの手帳がない……」

 やはり先ほどの何かだ、とダイゴは感じる。何かがリョウの持ち物を奪って、代わりに子供のおもちゃを置いていった。

 ――いつの間に? 

 その疑問を氷解させようとダイゴは周囲に視線を巡らせる。どこかに何かがいるはずなのだ。だというのに、その何かは見えない。

「のう、あんたら」

 その声にダイゴとリョウが振り向く。籐椅子に座った老人が手を伸ばしていた。

「困っているのか?」

 その問いに、「どうやら落し物をしたみたいで……」とダイゴが答える。

「そりゃ、難儀だなぁ。でも、ワシはもっと困っている」

 老人の言葉にダイゴは首を傾げる。老人は財布を取り出し、「ここにあったはずのワシの保険証」と言葉にした。

「ないんじゃよ。あるはずなのになぁ」

「そりゃ、ご愁傷様で」

 リョウが相手にするべきではないと感じたのか立ち去ろうとする。ダイゴも軽く会釈して去ろうとしたが老人は、「待てよ」と強く呼び止めた。

「そこの、銀色の髪の兄ちゃんのほうだ。ポケットを裏返してみろ」

 ダイゴは、「俺?」と聞き返す。老人が顎をしゃくった。

「そのポケットに何もなければ、見逃してやる」

 何を言っているのだ、という思いが突き立つ。何かが入っているはずがないだろう。ダイゴはポケットに手を入れた。

 その瞬間、総毛立つ。ポケットの中にカードのようなものが入っていた。指先が探り当て、それを取り出す。老人の保険証だった。

「お前、盗んだな」

 老人の目が細められる。ダイゴは困惑した。

「ち、違う……」

「違うも何もなかろう。そのポケットにワシの保険証があった。それが真実」

 ダイゴは改めて保険証を見やる。自分のものではないのは明白だったがどうして、いつの間にポケットに入ってしまったのか。

「何かの間違いで……」

「間違いで済めば警察はいらんじゃろう! 老人の保険証を掏った人間がのほほんと住めるほどカナズミシティは懐が深くないんじゃよ。お前の事を警察に突き出すぞ。この街に住めなくなってもいいのか? うん?」

 ダイゴはどうすればいいのか分からなかった。保険証を返すべきだ、と感じて歩み寄った瞬間、耳打ちされた。

「ただで、なわけがなかろう?」

 ダイゴは、「でも俺には金が……」と戸惑う。老人はリョウへと視線を据えた。

「じゃあ、そこの兄ちゃんだな。こいつが慰謝料の一つも払えないと言う。家族だとしたら、恥だよな?」

 リョウは、「……すいません」と紙幣を差し出す。老人は引っ手繰って、「分かればいいじゃよ」と口にした。

「だが、老人の保険証を盗むなんて事が知れれば大変じゃろうな」

 どうやらこの老人はここで終わらせる気がないらしい。二人から搾り取れるだけ搾り取るつもりだ。

「でも、オレ達はただ、道を通りすがっただけで……」

「あのな、ここは落し物の小道。落とした奴は落とした自分が悪いし、拾った奴には特に非はないが、それが拾ったのではなく盗んだのならば事は重大。盗人猛々しいぞ。耳をそろえて十万で手を打とうじゃないか」

 老人の言葉にリョウは目を見開く。

「それは恐喝じゃ……」

「だが盗んだのは事実。どうする?」

 リョウはダイゴの保護者としての責任がある。不始末はきちんと決着をつけねばならない。リョウは、「じゃあ、その、検証させてください」と声にする。

「検証?」

 怪訝そうな老人へと、「ダイゴ」と呼びかける。

「ポケナビの動画機能でお前を十分ほど映そう。何かが起こっているはずなんだ」

 リョウがポケナビのカメラを向ける。ダイゴは一歩も動かずにいた。自分から取るものなど何もないはずだ。老人が、「そんな事をしても無駄じゃて」と口にする。

「ワシは年季が入っているんだよ。カナズミのこの道の事は誰よりもよく知っている。落とした奴が悪いし、拾ったとしても咎められない。ただし盗んだのならば別だ、と。分かるか? 落とした奴が悪で、拾った奴が正義。盗むのは論外なんだって事が」

 ダイゴがそれを聞きながら立ち竦んでいると、「おいおい!」と荒々しい声がかけられた。振り返ると数人の若者達がたむろしている。

「さっきまであったオレの小包がねぇ!」

 その声にダイゴはもしや、と感じる。リョウはずっと撮影を続けているはずだ。だとすれば、自分が誰かの物を盗るなどあり得ない事が証明されるはずである。そっと懐に手を入れる。指先があり得ないものを引き当てた。

「……馬鹿な。そんな」

 ダイゴが懐から取り出したのは掌サイズの小包だ。若者達が、「お前!」と声を荒らげる。

「そんな事をしてただで済むと思っているのかよ!」

「いや、誤解だ」

 ダイゴの抗弁を聞こうともしない若者達は、「誤解だってよ」とお互いに笑い合う。

「だったら、てめぇの持っているそれは何だよ!」

「だから誤解だと言っている。実はさっきからカメラを回しているんだ」

 リョウへと目配せする。リョウはポケナビの動画機能を読み込んだ。

「これで映っているはずだ……」

 動画が再生される。ちょうど老人との会話が切れてからダイゴはじっとしていたが、次の瞬間、ダイゴの懐へと何かが潜り込んできた。ほとんど質量を感じさせない速度で何かが通り過ぎる。ダイゴは、「あっ!」と声にする。

「今のは?」

「何か、だな。スロー再生してみるか」

 スローで再生されるも何かの影は掴めない。動画の画素が粗くなるだけだ。

「おい! 無視決めてんじゃねぇぞ!」

 若者達の大声にダイゴはびくりと肩を震わせた。リョウも警察手帳がないためにこの場で彼らをいさめる方法がない。何よりも、ダイゴの手に小包がある事は疑いようのない事実だからだ。

「何か、がいるはずなんだ」

「何かって何だよ! ぼんくらが!」

「失礼に対して何の謝罪も出来ないのかよ!」

 若者達の声にダイゴは肩を縮こまらせる事しか出来ない。

「……どうすればいい?」

「そうだな」

 若者の一人が顎をしゃくる。すると、トートバックが手渡された。

「これは?」

「中身見るんじゃねぇぞ。それと小包を、だ」

 視線で示された方向には煙管を吹かす女性がいる。カタギでないのは風体を見れば分かった。

「あの女に渡せ。手招かれれば地面に置いて、それだけでいい」

 それだけ、のはずがあるまい。ダイゴは周囲を見渡した。路肩に停車しているセダンには二人の男性が乗り込んでいる。じっとこちらを観察していた。ダイゴは、「何か、やばい事なんじゃないだろうな?」と聞き返す。

「やばかろうが何だろうが、オトシマエぐらいはつけろよ! オレの小包を盗っておいてよ! 盗人猛々しいとはこの事だぜ!」

 何も言い返せない。この落し物の小道のトリックが見抜けなければ、この状況を打開する事も出来ないだろう。

「……ダイゴ」

 リョウが囁く。ダイゴは耳をそばだてた。

「ここは言う事を聞くふりをしよう。そうじゃないとここから離れる事すら出来ない」

「でも、このトートバックの中身は、明らかにやばいものですよ。持った感じ、ちょっと重いくらいですけれど、俺が察するとこの中身は――」

「ブツブツ言ってんじゃねぇ!」

「さっさとやれ! オラッ!」

 若者達の声にダイゴは言葉を飲み込んだ。これ以上、リョウと示し合わせる事も出来ないだろう。

「もし捕まっても、オレの顔が利く部署ならば何とかする」

 リョウの言葉に、「信じていますよ」とダイゴは女へと歩み寄った。煙管を吹かしていた女が顔を上げて手招く。ダイゴはトートバックを地面に置いた。その瞬間、ホルスターからモンスターボールを引き抜く。ダンバルが飛び出し、周囲へと攻撃を放った。セダンの扉が開き、二人組の男が自分を掴み上げる。

「確保!」の声が響いた。

「1025。不正麻薬取引の現場を拘束!」

 時計を読み上げる男の声にダイゴは抵抗出来ない。男のうち片方が、「貴様! 手荷物検査をする!」と無理やり引っ掴んだ。視界の隅でリョウが逃げ出していくのが目に入る。ダイゴは完全に見捨てられた形となった。雑草が揺れる。根元から小さな影が出現した。

 ダイゴはそれを目にして、やはりと確信する。

 電気袋を頬に備えた黄色と茶色の混じったねずみポケモンだ。極めて小柄で二十センチあるかないかだろう。あれが素早く動いて自分達から物を盗っていったのだ。


オンドゥル大使 ( 2015/12/05(土) 21:17 )