第三十一話「落し物の小道T」
朝食の席でダイゴはコノハと顔を合わせた。
だが彼女は何も感じていないかのように淡々と雑務をこなす。テーブルには既にイッシンが新聞紙を片手にパンを頬張っている。リョウはダイゴよりも後に起きてきた。
「おはよう、ダイゴ、よく眠れたか?」
肩をポンポンと叩いてくる。ダイゴは、「ええ」と応じたがリョウを心の奥底では信じられないと感じ始めている。ツワブキ家の人間は少なくとも全員がトレーナーだと判断している。いざという時に自分を止められるほどの強さは誇っているはずだ。
「そりゃよかった」
リョウがテーブルにつく。すると、レイカが降りてきた。ティーシャツを突っかけただけのラフな格好だ。
「姉貴、もう少し身だしなみをさ」
リョウのたしなめる声にレイカは、「いいじゃん、家族の前だし」と返す。
「ダイゴは慣れていないだろう?」
「そんな事ないでしょ? 慣れたよね、ダイゴ」
馴れ馴れしいレイカの声にもダイゴは、「まぁ」と曖昧に応じる。
「そういう態度、よくないぜ? 押し付けがましいって言うかさぁ」
「別にいいじゃんね? 迷惑かけているわけじゃないし」
「それが迷惑だって言っているんだよな、ダイゴ?」
二人して問い詰められダイゴは戸惑う。曖昧に微笑んでお茶を濁した。
「まぁ、いいじゃないの。私、ベーコンエッグね」
コノハにレイカは注文する。コノハは何も言葉を挟まずにベーコンエッグの準備をし始めた。昨日の出来事がまるで嘘のようだ。コノハはツワブキ家に逆らう気配もなければ、その素性を調べている様子もない。どこからどう見ても立派な家政婦だった。
「らら、ダイゴ。よく眠れた?」
現れたのはクオンだ。目を擦りながら歩み寄ってくる。リョウが、「何だ、寝不足か?」と訊いた。
「ちょっと本を読んでいたの」
昨日の本だ、とダイゴは感じたがリョウは無関心らしい。「まぁ、本はいいよな」程度だった。
「寝不足はよくないよ、クオン。きちんとしなきゃ」
レイカの忠告に、「姉様こそ薄着過ぎるわ」とクオンが返す。
「いいんだよ、大人はこういうので」
「姉貴、クオンに間違った大人を教えないでくれ」
リョウの声にレイカが突っかかる。これも一つの家族の形だろう、とダイゴは理解する。ヒグチ家ばかりをいいものだと感じていたが、ツワブキ家もそれなりに平和だ。しかし、見え隠れするのは陰謀である。彼ら彼女らは決して自分の過去に無関係ではない。その事実が目の前の光景を純粋に仲がいい家族で括るのに無理が生じていた。
コノハが、「頂き物ですが」と生キャラメルの箱を取り出す。イッシンが、「おっ、好きなんだ」と数個包装を剥がして口に放り込んだ。
「親父、その癖、下品だぜ」
「いいんじゃないか、別に。ほれ、みんなの分もあるぞ」
ダイゴもキャラメルのおこぼれをもらう。家族全員、キャラメルを口直しにか頬張っていた。
「あの、イッシンさん」
ダイゴが声をかけるとイッシンが新聞紙から顔を上げる。
「何だ、どうした、ダイゴ?」
「俺にも、そのポケナビが欲しいんだけれど」
見渡せば家族全員ポケナビをしている。ポケモンを持っているのならば所持は奨励されているはずだ。リョウが、「どうする、親父」と問う。戸籍のない人間がポケナビを持てるのか、という意味合いだろう。
「難しいかもしれないが、リョウ、ポケナビの会社を回ってくれないか。確か今日は非番だろう?」
イッシンの声に、「オレが?」とリョウは指差す。ダイゴは、「あの、無理ならばいいので」と遠慮を声にした。
「かわいそうじゃん。リョウ、回ってやりなよ」
レイカの声に、「姉貴は無関係装えるからいいんだよ」と後頭部を掻いた。
「オレ、これでも忙しいんだよね」
「じゃあ、あたしが行くわ」
突然に割って入ったクオンの声に全員が瞠目する。レイカが、「クオンだってやるって言ってるんだよ?」と暗にリョウを責め立てた。
「……分かったよ。ダイゴ、飯食い終わったらポケナビの系列店回るぞ。どの企業がお前にいいのか分からないからな」
リョウの声に感謝を返す。
「ありがとうございます」
「いいんだよ、礼なんて。まぁ、そう遠くないと思っていたからな。ポケナビの所持くらいは許してやってもいいだろう」
イッシンが、「ポケナビと言えばどこ製がいいんだ、今は」と尋ねる。レイカが、「やっぱりイッシュ製じゃない?」と自分のポケナビを操作した。
「イッシュって産業が潤っているイメージだし」
「そんな事言い出せば、ホウエン製の信頼度には及ばないだろ」
リョウの言い分に、「国産が一番安心って言っている間はガキよ」とレイカがせせら笑う。
「客観的に見れば工業製品はイッシュの技術が大きいし、カロスなんかのホロキャスターも随分と進んでいる。ホウエンは最近、マルチナビがようやくついたばかりじゃん」
「進歩しているんだよ。ホロキャスターは軽いし性能もいいけれどオレ的には邪道だね。やっぱりさ、液晶ってものから外れるべきじゃないよ」
「クオンはどこ製だったか?」
イッシンが目を向けると、「あたしのはカントー製」とクオンが答える。
「カントージョウトのポケギアに近い性能よね。まぁクオンはまだ仕事もしていないからその程度でもいいんだろうけれど」
「結局、どこがいいんだよ。分からねぇな」
ダイゴはテーブルについた。すると朝食が運ばれてくる。どこの家庭とも変わらない、朝食の風景だったが、彼らは何かを知っている。その確信にダイゴはパンを頬張った。
「リョウも社会人だ。自分でいいものを選ぶセンスくらいあるだろう」
イッシンはそう結論付けてダイゴの面倒をリョウに任せた。リョウは、「まぁ、そういうわけだ」とダイゴの肩を叩く。
「どこ製がいいとかあるか?」
歩きながらリョウは尋ねる。リョウと二人きりになるのは初めてなので緊張した。ともすれば一番自分の真実に近いかもしれない人物だ。
「……いえ、その辺も疎くって」
「だよな。記憶喪失っていうんじゃ」
リョウは会話を切って息をつく。ダイゴはどうにかして会話の糸口を探ろうとしていた。
「あの……」
「サキとはうまくやっているのか?」
思わぬ問いかけにダイゴが聞き返す。
「サキさんと、ですか?」
「いや、一応お前の身柄を引き受けたとも言ったが、お前の事を一番心配しているのはサキだ。もしかして今回、ポケナビを使おうというのもサキを安心させるためか?」
ダイゴはそこまで考えていなかったが頷いておいた。リョウは満足そうに、「お前がそういう奴で嬉しいよ」と口にする。
「嬉しい、って」
「いや、自分の事で手一杯なはずなのにそうやって他人を気にかけられる事とかな。クオンの事に関しても礼を言わなきゃならない。オレ達がどれだけ言ってもクオンは聞かなかったんだから」
ダイゴは謙遜気味に、「いえ、俺なんて」と言葉を発する。リョウは首を横に振った。
「あまり遠慮が過ぎると無欲な奴だと思われるぞ。まぁ、今回のポケナビはオレ達からのご褒美って側面もあるかな」
「ご褒美、ですか……」
「クオンをそれなりに社会復帰させてくれた礼だよ。まだ分からないが、お前がやってくれた事に間違いはないからな」
ダイゴはここまで言う人間が敵だとは思えなかった。敵だとするのならばくさ過ぎる。そこまで敵に謝辞を送れるものなのか。
「あの、リョウさん」
「ん? 別に呼び捨てでもいいぞ」
「そういうわけにはいきませんよ。俺にとっては恩人ですし」
「恩人か……。ダイゴ、恩人ついでにこれから買うポケナビってものを教えてやろう」
リョウが自分のポケナビを掲げる。ダイゴは、「基本操作は理解していますけれど……」と言った。
「そうじゃないよ。オレが教えるのはこれがどういう経緯を経て世に出るようになったか、という歴史だ。まぁ半分身内褒めになるんだがな」
ダイゴが首を傾げていると、「まず歴史だが」とリョウは語り出す。
「四十年前、ソネザキ・マサキという研究者が作った無線端末、それが始まりだ。当時、第一回ポケモンリーグ開催に当ってポイント交換の技術が必要になってな。そのために個人識別機能と併せて世に出た技術だよ。ちなみに個人識別番号とIDはデボンの技術だ。その時点で既にデボンは先を行っていたんだが、ライバル企業があった。シルフカンパニーって言ってな」
聞き覚えのない企業名にダイゴは、「そんなものが?」と尋ねる。今やデボンがポケモン産業を牛耳っているためにライバル企業という存在が考えられなかった。
「だがシルフ本社は壊滅、さらに言えば地下組織との癒着疑惑も出てきてポケモンリーグ終了と同時に理事会が発足。シルフは解体され、その全権がデボンへと委譲された。デボンの今日の成功はそれも起因している」
その歴史は知らなかった。ダイゴが素直に感嘆していると、「まぁ、半分教訓話さ」とリョウは微笑んだ。
「そうやって出る杭は打たれるってな。シルフはあまりにもその企業名が有名であったための経済的損失ははかり知れなかった。だが、デボンという存在があったために、損害は最小限に抑えられた、と言うべきかな。もしデボンが出資企業に名を連ねていなかったらカントーは未だに経済損失から立ち直れていないだろう。デボンが遠く離れたカントーも支援しているのさ」
その話とポケナビがどう結びつくのだろう。ダイゴが怪訝そうにしていると、「ポケギア、ってものが最初に作られて、って言ったよな」とリョウは続ける。
「そのポケギアの技術を母体として、シンオウ、イッシュ、カロスなどの地方がこぞって技術促進を競い合った。その過程で生まれたのがポケッチとかそういう派生機器さ。最新技術ではホロキャスターやマルチナビとかあるけれどその根底に流れるのはポケギアの技術概念だ。オレが言いたいのはな、そういう先行技術者や先行者を貶めるような真似だけはしてはいけない、という事だ。敬意を払わない技術者は破滅の道を辿る。技術には常に敬意を払うべし、ってデボンの理念にもある。歴史ってのを軽んじていると痛い目に遭うぞ、っていう警告でもあるんだ」
リョウの話しぶりはつまり歴史を知らなければ最新機器を扱う資格もない、という事なのだろう。ダイゴは、「勉強になります」と返していた。
「馬鹿でも出来るようになったからって偉人の栄光が消えるわけじゃない。偉人をきちんと偉いと認識出来るようになるのには、だ。それなりの敬意の念を抱かねばならないんだ」
それはツワブキ・ダイゴの事も含んでいるのだろうか。コノハの弁にあった初代の再生計画。その根底理念をリョウは話しているのではないか。そう考えるとあながち聞き流していい話とも思えなかった。
「偉人、ですか。そういえばリョウさん。俺の名前って、初代と同じ名前なんですってね」
リョウが足を止める。もしかすると当たりを引いたか、とダイゴが感じていると、「そうなんだよ」とリョウは振り返って笑みを返す。
「よく気づいたな。サキ辺りがばらしたか? お前の名前も誇っていい名前なんだ。偉人と同じ名前だぞ。だからお前に話していたんだよ。ツワブキ・ダイゴの名前ってのは軽んじていいものじゃないぞ、ってな」
その程度だろうか、とダイゴは窺う。もし再生計画を先導しているのがリョウならば、この話も詭弁という事になる。自分の肉体がフラン・プラターヌのものだと知っていながらこうも明るく話せるとすればとんだ狸だ。
「じゃあ俺は、ツワブキ・ダイゴを名乗っていいんですかね?」
「名乗っていいもなにも、大歓迎だよ。その名前に誇りを持って欲しい」
言葉の表面ではいくらでも言える。だが、リョウの底抜けの明るさはそれだけではない気がする。もしや本当に一部分では何も知らないのか。知っていたとすればこの台詞は天然で言っているのか。自分に、呪われるべき名前を名乗っていいなど。
「安心しました。ツワブキ・ダイゴって名前の由来が気になっちゃって。サキさんに聞いたんですよ」
「そうか、そうか。まぁ、サキならば知っていてもおかしくないし、博士辺りなんか偉人として教え込まれただろうからな。そういう事を喋っても問題ない」
「リョウさんはどういう由来なんですか? お名前」
「オレ? オレの由来は特にないんだけれどな。確か親父がイッシュ地方に遠征していた際に世話になった旅行会社の社員か誰かの名前がリョウだったとか聞いたな。まぁ親父も酔っていた話だから当てにならないけれど」
リョウは笑いながらダイゴの肩を叩く。
「だからお前の由来が羨ましくもある。まぁ、オレがつけたんだがな」
「ありがたいと思っています」
お互いに本音か建前か分からない言葉を交わし合う。リョウが暗躍しているとすれば、自分も細心の注意を払わねばならない。リョウは上機嫌に、「どんなポケナビがいい?」と訊いてくる。ダイゴは、「どんなって……」と言葉を彷徨わせた。
「ポケナビ、って言ってもな、色々種類があるんだ。機能性とサービス面を考慮すればもちろんデボン製をおススメするが、他の会社もそう悪いものじゃない」
ダイゴはデボン製に盗聴の可能性があると考えた。みすみす自分の行動を監視させるわけにはいかない。
「あの、俺マコさんに見せてもらったんですけれど、ホロキャスターってのがあるって」
「ああ、あるな。なかなかに使いづらいが使いこなせば一級品だ。今の若者の間での流行りでもある。ホロキャスターを専門に扱う店にでも入るか?」
リョウの質問にダイゴは頷く。道を折れようとしたところで、「ああ、あの道通らなきゃならないのか」とリョウはぼやいた。その視線の先には何の変哲もない通路がある。
「何かあるんですか?」
「いや、あの道って悪い連中の集まりみたいなものでさ。自然とそういう奴らが赴く場所って言うか……」
リョウは言いづらそうにしていた。窺ってみるが治安が特別悪そうには見えない。子供も遊んでおり、親子も目立つ。
「見た感じ、そういうのじゃなさそうですけれど」
「あの道はなぁ……、見た感じはそうでもないんだよ。でも、実際行ってみると分かる。ポケナビを買う前に少しだけ度胸試しでもしてみるか?」