第三十話「どこまでもまっすぐに」
部屋を抜け出してダイゴは待ち合わせていた場所に赴く。ツワブキ邸内で会う事は極力避けるべきだろうという判断でダイゴは裏口に回っていた。裏口ではクオンが既に紅い髪を巻きながら佇んでいる。
「ゴメン、待たせたかな」
「いいえ、大した事ではないわ」
クオンが学校に行ってまで調べた事があるはずだ。ダイゴは早速聞き出す。
「あの本については……」
「分かった事がいくつか。一つ目はやっぱり学校の図書館にはあった。二つ目はその内容、今ちょうどここにある」
クオンが鞄から本を取り出す。借りて来たのだろう。ダイゴは、「君には悪い事をしたかな」と口にした。クオンが首を傾げる。
「何で?」
「久しぶりの学校で、友達と関わるわけでもなく俺の調査に時間を割かせてしまって……」
「別にいいわ」とクオンは本を捲る。
「友達、っていうものを作るのはまだ先になりそうだから」
クオンの事だ。不器用ながらも自分の言いつけを守ろうとしているのだろう。それに一朝一夕で友人関係は出来るものではない。ダイゴは温かく見守る事にした。
「本は?」
「内容自体は、まだ半分ほどだけれど、何て事はない自伝よ。ただこれ、初代が書いたってわけじゃないみたい」
「書いたわけじゃない? 自伝なのに?」
ダイゴの問いに、「共著者って言うか、編集した人間がいる」とクオンは告げた。
「その編集した人間って言うのは?」
「私もよく知らないんだけれど、奥付にはプラターヌって書かれているわね」
その名前にダイゴは心臓が収縮したのを感じた。プラターヌの名前。コノハが言っていた通りならば自分の正体はフラン・プラターヌ。その家系の人間だ。これは偶然なのだろうか。ダイゴは都合のいい偶然というよりも因縁めいたものを感じた。
「……何か知っているの?」
クオンは目ざとく察知する。ダイゴはまだこの事実は言うべきではないと判じた。
「いや、何でもないよ。共著者なんていたのか……」
「ええ、そうみたい。だからこの本は初代の証言を基にした、言うなればインタビュー形式のもの。自伝って言っても半自伝ね。初代に関する情報はその功績だとか、戦闘スタイルだったり四十年前の第一回ポケモンリーグに関するものであったりする。プラターヌ、という人物は対等な友人であったと考えられるわ」
「対等な、友人」
プラターヌ家が選ばれたのは何も偶然ではない。初代から続く関係性があった。コノハはその家系であるフランを取り戻そうとしているがこの事も知っているのだろうか。
「あたし、プラターヌって人について調べてみた。その結果、その子孫がカナズミに住んでいる事が分かったわ。でも、長男って言うか、一番手近な子孫は行方不明。その家族も実は養子縁組とかで、実際に血が繋がっているのは一人だけだって分かった」
「一人?」
ではフランは直系ではないのか。ダイゴの疑問にクオンは答える。
「ええ、遺伝子工学の権威とされている人物、プラターヌ博士。カナズミの病院にいるらしいって事までは分かったけれど、接触の機会までは得られなかったわ」
「そうか。……ありがとう」
「何でお礼を?」
クオンが首をひねる。ダイゴは、「当然だろう」と言葉を発する。
「ここまでしてもらったんだから。クオンちゃんは俺のために危険を被る事はないのに」
「危険だって思っていないから。それに一番の危険は多分、あなたよ。ここまで知ってしまった以上、もう知らなかった頃には戻れない」
「重々承知だよ」
ここから先は出たとこ勝負だ。一手間違えた側が敗北する。クオンが嘆息をつき、「その病院だけれど」と続けた。
「どうやらカナズミの総合病院みたい。そこから先は守秘義務ですって教えられなかった」
ダイゴは顎に手を添えて思案する。
「職員、とかじゃないのか?」
「だとしてもプライバシーの観点からでしょうね。それ以上肉迫するには情報が足りない」
「こちらから動くしかない、か」
ダイゴはそう結論付けて首肯する。クオンは、「もう少しで読み終わるわ」と本を掲げた。
「読み終わったら全体を纏めて話す。それまで待っていて」
「ああ、それはいいんだけれど、クオンちゃん、そんなに読めるの?」
「心外ね」とクオンは頬をむくれさせた。
「あたしは本を読むのは速いほうよ」
「あ、いやそうじゃなくって、学校との兼ね合いとか」
「心配はいらない。勉強にはついていけているから」
「そうか。よかった」
安堵するダイゴへと、「あなたが安心してどうするの?」とクオンが尋ねる。
「あたしの問題なのに」
「だって、俺は君の世話を頼まれたから」
単純な理由にクオンが目を見開いた。それほど意外な事を言った覚えはないのだが。
「……世話係って兄様が勝手に決めたものでしょう? ダイゴは自分のほうが大変なのに」
「それでも、だよ。俺はこの家で役割を与えられた。それを全うしなければならない」
「真面目ね」とクオンが評する。ダイゴは自分がそれほど真面目だとは思っていないために、「そうかな」と疑問だった。
「一応、どのような企みがあるとはいえ身元を預かってもらっているんだ。それなりの恩義は感じている」
「たとえ、陰謀の渦中にあっても、か」
クオンは鞄に本を戻し、「いいわ」と答える。ダイゴが、「何が?」と逆に質問する。
「あなたの味方になってあげる、って言っているの。本質を見極めたあなたなら、もしかしたらその先にある真実も掴めるかもしれない」
「その先にある、真実……」
ダイゴは掌に視線を落とす。自分がフランという人間かもしれないという恐怖。自分が何者なのか分からない困惑。さらに言えば、初代ツワブキ・ダイゴとの関係。どれも闇の中の出来事のようだが、どれかに手を伸ばさねば掴めない真実でもある。
「暗中模索だけれど、何かやらなきゃ駄目だってのは分かった」
「だから、あたしはその味方になる。やれる事はやるわ」
クオンの声に心強いものを感じた。自分の味方が出来るというのはこれほど心に安息をもたらすのか。
「すまない。でも、一つだけ、約束して欲しい。危ない事には首を突っ込まないで欲しいと」
ダイゴの条件が意外だったのだろう。クオンは、「安全圏から見守れって?」と不服そうだった。
「そうじゃない。でも、君が危険に晒されるほうが、俺の心が痛む」
ダイゴの真正直な言葉にクオンは腰に手をやって、「呆れた!」と声にした。
「そこまで馬鹿正直なんて」
「でも、嘘をついてまで自分が何者なのか知るつもりはない。俺は出来るだけ本当の事だけを綴っていきたいんだ」
「本当の事だけ、ね。それが出来ればどれほど楽なのか分からないけれど」
クオンが目を向ける。ダイゴは気圧されたように後ずさった。
「何を犠牲にしてでも、自分を知りたい、とかじゃないんだ?」
「俺はそこまで強くないよ」
ダイゴは頭を振った。自分のためとはいえ、サキやクオンが傷つくのは嫌だ。それならば自ら炎の中に身を投げ打とう。
「あんまし無茶しないでよ。……あなたが思っているほど、みんな薄情でもないんだから」
後半は本音だったのかもしれない。ダイゴは頷いた。
「俺が何者なのか、知るためには俺自身が強くならなきゃいけないんだ」