第二十八話「まばゆいもの」
コノハの告げた真実は重く、ダイゴの中に沈殿していった。
コノハの想い人がツワブキ家に誘拐されていた? だが、どうしてそんな事が分かるのだ?
「言いがかりかもしれない。今の推測だってあんたの妄想じゃないって証拠はない」
「証拠はないけれど、こういう記録はある」
ホロキャスターを操作しコノハが見せつけてきたのは行方不明者の数だった。ホウエン地方における行方不明者、あるいは死者の数が示されている。「ここを見て」とコノハが指差したのはカナズミシティの数値だ。ダイゴは瞠目する。その部分、行方不明者の数が他とは倍近く違った。
「行方不明者……、つまりそういうのを使って、Dシリーズを造っていたと?」
コノハの証言を統合するのならばそうなる。コノハはホロキャスターを仕舞い、「これはここ数年、ずっとよ」と続けた。
「カナズミシティでは行方不明になる人間が特別に多い。それも男女問わず」
「それを、公表しているのか?」
「警察のデータベースに行けば誰でも閲覧出来る。でも、警察は本腰を上げて捜査しようとはしない。過ぎればデボンの逆鱗に触れる事を知っているから」
コノハの妄言とも限らない。だが、行方不明者のデータ照合くらいは誰でも出来るだろう。ここで嘘をつく理由はない。
「だからってデボンの陰謀だって決め付けるのは早計じゃ……」
「デボンコーポレーションが、どれほどの地位を持っているのかあなたは知っていないからそう言えるのよ。ポケモン産業は言うに及ばず、数々の電子機器や生活必需品など、ホウエンの、いいえ、もっと言えば世界の人々にとってデボンは絶対に倒れてはならない屋台柱なのよ」
以前もデボンの巨大さについて語られた事があったがダイゴにはその辺りがピンと来ない。デボンが必要悪とも取れる企業だとしても、それを支えるために初代の功労者を蘇らせようなどという馬鹿げた計画を立てるだろか。
「それほどまでに、デボンは斜陽なのか?」
「表では盛況を装っているけれど、私が調べた限りでは初代が亡くなった後、株価は大幅に下落。毎日のようにストップ安が見られた。さらにポケモン産業一つとってしてみても革新的な技術は全くない。全て既存の技術のマイナーチェンジ。当然、特許で食い繋いでいるしかないのだけれど、その特許期間だって切れる寸前。更新するにはそれなりの成果を出さねばならない。企業としての面子も関わってくる」
「今のデボン、いやツワブキ家にはそれほどの逸材はいないと?」
コノハは頷き、「私が見た限りでは、ね」と前置いた。
「ただ、ツワブキ・イッシンとツワブキ・コウヤ。この二人に関しては読めない部分があるけれど」
ツワブキ家現当主と長男か。ダイゴはその二人がどれほどのものなのかまだ分かっていないために顔を思い浮かべるのが必死だった。
「リョウさんは?」
「彼は警察内部から圧力をかける役割を持っている。でもそれ以上は何も」
悔しげに唇を噛み締めるコノハにダイゴは嘆息をついた。
「つまり、あんただって推測で言っている部分が多いって事じゃないか」
どこまで本当なのか分かったものではない。コノハは、「信じて欲しい、とは言わないわ」と突き放した。
「私が調べた事実を並べ立てているだけだもの。私だってどれが本当なのか、どれが嘘なのかは見当がつかない」
「真実が聞いて呆れるよ」
ダイゴは立ち上がりかけて、「それでもあなたが知らない事実ばかりだったでしょう」と口にされた。動きを止めていると、コノハが続け様に声を発する。
「Dシリーズ、それにフランの事、私の事、知らないままならばあなたは人知れず抹殺されていた可能性すらあった」
ダイゴはニシノの言葉を思い出す。自分を抹殺しようとしている派閥がいる事を。コノハにそれを伝えるべきか、と逡巡する。だが、とダイゴは否とした。コノハはまだ信用に足る存在かは分からない。フランどうこうの話も嘘っぱちである事だってあり得る。
「Dシリーズ、俺は初期ロットじゃない。という事は人造人間じゃないって思えばいいのか?」
「だから言っているでしょう? 肉体はフランだけれど、何らかの技術であなたはツワブキ・ダイゴになっているのだと」
「技術って、人格転移とか言う? 冗談」
だとすれば自分の人格を疑わねばならない。ダイゴはそこまで自分を追い詰めたくなかった。Dシリーズの真実だけでも今受け止めるには重い。
「俺は、俺だと信じる」
「それも結構だけれど、あなたが記憶喪失なのは何の間違いもないでしょう?」
それを言われればぐうの音も出ない。自分に関する記憶がないのも、人格転移技術とやらの後遺症だとすれば頷ける。しかし、それを認めてしまえば自分の身体は他人のものだという事実の裏づけにもなってしまうのだ。
「俺は一体誰なんだ? 何の目的でツワブキ家に引き取られたのか」
「それを明らかにするのにはまだ足りていないピースが多いわね」
ダイゴはそれを知るには畢竟、ツワブキ家に居るほかないのだと実感する。デボンから離れれば、自分はただの一個人。出来る事は少ない。だがツワブキ家にいる間は、デボンの上層部に近い連中と会話を交わす事だって出来る。
「あんたの目的、ツワブキ家をどうする気なんだ?」
「私の目的は最初から一つだけ」
コノハはエルレイドの入ったモンスターボールに手を添える。
「フランを取り戻す」
それ以外は見えていないような眼差しだった。ダイゴは忠告する。
「それだって、勝手に信じ込んでいるだけかもしれないじゃないか」
「私は自分の勘を信じている。エルレイドが反応したのも私を後押ししてくれている」
コノハはどうやら盲目的にフランを取り戻す事を掲げているようだ。ダイゴからしてみれば途方もない目的のようだがその最終目標は目の前にいるかもしれないのだ。焦りもするだろう。
「俺はフラン・プラターヌじゃない」
「私だって重ねるような真似はしないわ。フランならば私の事を応援してくれるはずだもの」
あくまでツワブキ家では記憶喪失のツワブキ・ダイゴとして振る舞う。そのスタンスに変わりはなかった。
「俺は俺のやり方で自分が何者なのかを知る」
「帰る時、気をつけてよね。一階の監視カメラは依然有効だから」
暗に自分を巻き込むなという意味か、それともコノハなりの忠言か。ダイゴは後者として受け取る事にした。
「あんたが言ってくれた事、感謝はしている」
その言葉にコノハは、「意外ね」と口にしていた。
「意外?」
「自分の記憶がないのに他人に感謝出来るってのが。自分が天涯孤独ならば、他人にありがとうという事すらも思い浮かばなさそうだし」
そういうものなのだろうか。自分は決して孤独だと思った事はない。記憶がない事は闇の中で手を伸ばしているのと同義だが、闇の中から救い出そうとしてくれる光も感じられる。
「俺は、光が眩しいから、そっちに行きたいんだと思う」
ヒグチ家を思い出す。マコの笑顔、博士の声やヨシノの声、サキの呆れ顔もつい二日ほど前の話なのに随分と懐かしく思える。あの場所にずっといたかったが、それはわがままだろう。
「光、ね。私も光に手を伸ばしている。それこそしゃにむに」
コノハがぎゅっと拳を握り締める。ダイゴはその言葉に応えられない自分が歯がゆかった。もしかしたら、自分がフランだと一言言ってやれば、彼女は救われるのかもしれない。だが、そのような事は言えない。自分が何者なのか、まだ分からない。だというのに一時の感情で誰かに自分を規定されれば、もう枠組みからは外れられないような気がしていた。何よりも、まだ何一つ好転していないのだ。
「ツワブキ家では、お互いに干渉しないでおこう」
「そうね。私とあなたがグルだった、なんて知れたらどんな惨い最期を遂げるか分からないもの」
その言葉を潮にダイゴは部屋を出た。コノハは期待しているのか? 自分がフランである事を。だが、フランではないと言えない代わりに感謝だけは置いてきた。今は、それが精一杯だった。