INSANIA











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紛い物達よ
第二十七話「罪の象徴」

 ツワブキ家の裏手には巨大な社宅がある。

 これは今しがた知った事実だ。ダイゴもツワブキ家の外観にすっかり気圧されてその裏手にまで頭が回らなかった。

「デボンコーポレーションの社員は、ここで衣食住を済ませるわ」

 コノハはデボンの社員証を入り口で通し、ダイゴを招き入れる。当然、デボンのお膝元となればダイゴも警戒したが、「大丈夫よ」とコノハは告げた。

「私の身辺も明らかになっていないって事は、デボンは身内を疑うほど余裕はないって事だから」

 コノハの声にダイゴは豪勢な社宅へと足を踏み入れる。マンションの体裁を取っているが、まず入ったところのワンフロアがぶち抜きで高い天井があり、暖色系で塗り固められた明かりはマンションというよりも一流ホテルの装いだ。覚えず気後れするものを感じたが、「私の部屋は何でもない普通の部屋よ」とコノハが口にした事で少しだけ気持ちを持ち直す。

「あんた、さっきどうしてサキさんに連絡する事を許した?」

 つい先刻、コノハがまず言ったのは「自分への接触の可能性がある人間には先んじて連絡を取り付けておけ」との事だった。コノハは何でもない事のように、「そんな事」と口にする。

「逆探知対策よ。ここがばれればいくら今まで及び腰気味だったツワブキ家でも調べを進めるわ」

 どうやらコノハは場数を踏んでいる様子である。ダイゴはそれほどの研鑽の日々に彼女が置かれなければならない理由を探ろうとした。

「どうして、そこまでする? 危険を冒すくらいならば、俺なんて放置すればいいのに」

 もしくはエルレイドで殺せばよかったのに。ダイゴの思案を他所にコノハは、「必要がないのならば」と口を開く。

「殺す必要はないわ。足がつけば面倒だし。まぁ、この街はそうでなくても物騒なんだけれど」

「この街って、カナズミの事か」

「つい先刻の秘密基地での事件、あれは災難だったわね」

 コノハの口から秘密基地での事件が口にされてダイゴは狼狽する。あれは関係者以外には極秘のはずだ。

「どうして……」

「デボンの記録にあったから。警察の記録を手繰るよりもデボンのログを漁ったほうが少しばかりマシな成果が得られるわよ」

 ダイゴは彼女がどれほどの修羅場を潜ってきたのか一気に分からなくなった。ただ口にするのも憚られるほどの荒波があった事だけは確かだ。

「エレベーターに入るわ。あなたは南西の方角から顔が見られないようにだけしておいて」

 コノハの忠告にダイゴは訝しげに返す。

「何が?」

「監視カメラ。この社宅で他のは無視していいけれど、あれだけは直接見られている。ダミーの中に本物を一個だけ紛らせておくのは定石よ」

 コノハの言葉にダイゴは舌を巻いた。それほどまでにデボンの腹の内を熟知しているというのか。ダイゴは指示された方角に顔が映らないように俯いて歩いた。コノハがエレベーターから手を伸ばし引っ張る。

「これで、私が誰かを連れ込んだのはばれたかもしれないけれど、あなただって事はばれていないでしょう」

 ダイゴは額の汗を拭いながら、「何なんだ?」と尋ねた。

「デボンは、いやツワブキ家は何のつもりなんだ? 俺に何か恨みでもあるのか?」

「当らずとも遠からずね。部屋のある階層につくわ」

 コノハが口にすると間もなく扉が開いた。ダイゴはコノハに追従する形で部屋まで向かう。コノハの部屋は奥まった角部屋だった。

「どう? 都合がいいでしょう?」

 コノハの言葉にダイゴは首を傾げる。

「何の都合がいいって?」

 コノハは顎をしゃくり手すりの向こう側を見やった。

「不都合があればすぐに飛び降りて自分の命ごとなかった事に出来るわ」

 怖気の走る言葉にダイゴはおっかなびっくりに手すりの向こうを眺める。地上十階建て程度とはいえ、落下すれば死だ。

「冗談よ」

 全く冗談には聞こえなかったがダイゴは手招かれるまま部屋に訪れた。コノハの部屋は生活感がしない。モノトーンで主張を抑えられた家具達が適度な距離を取って居座っている。まるで人間の距離感だ。

「そこに座って。今、お茶を入れるわ」

 コノハの声に、「いえ、お構いなく」とダイゴは言っていたが、コノハの顔には哀愁が漂っていた。

「フランは、いつもストレートティーだったけれど、あなたはどうかしら」

 存外にその言葉は重い。自分の恋人が肉体だと言われてもダイゴに特別な感情があるわけではない。むしろつい今しがたコノハの名前と顔が一致したくらいだ。その上でコノハの言葉の裏面まで理解しろというのはどだい無理な話だろう。

 ダイゴは座布団に座った。傍にはこの部屋で唯一の嗜好品と思えるポケモンのぬいぐるみがある。泡立ったクリームのような身体に顔がついているポケモンを象っていた。舌を出しており、愛玩動物のように振る舞っているポケモンだ。

「ペロッパフのぬいぐるみよ。それが気になる?」

 ダイゴの視線を読み取ったのか、コノハが二つのマグカップを持って尋ねる。ダイゴは、「いや……」と座り直したがコノハは対面に座ってマグカップを差し出した。全てお見通しだとでも言うようにその紫色の虹彩が細められる。

「懐かしいわね」

「懐かしい?」

「フランがくれたものだから。私が女らしくないって最初のほうにね。その時はあまりいい印象はなかったんだけれど」

 コノハの声音はどこか柔らかだ。自分に向けられているものではない。それはもういない恋人へと手向けられているのだろう。

「俺は、あんたが知っている事を聞きに来た」

 ここに来た目的を問い質すと、「そうね」とコノハは告げて手を差し出した。

「飲んでみたら?」

 突然の勧めにダイゴが戸惑っていると、「大丈夫よ」と続けられる。

「毒なんて入っていないから」

 一連の流れから考えてみて毒が入っていても何ら不思議はないがダイゴは信じて紅茶を口に含んだ。その途端、芳しい香りが鼻腔で弾ける。舌の上でほのかな甘みがダンスの調べを奏でた。

「おいしい……」

「そう。フランもそれが好きだったわ。カロスから取り寄せた茶葉でホウエンにはあまり出回っていないんだけれど」

 ダイゴは少しだけ喉を潤してから、「そのフランってのは」と口火を切った。

「やっぱり、俺なのか?」

「自分が誰か別の、他人なのかもしれない、という問いは自己矛盾の始まりになるからあまりおススメはしないけれど」

 コノハはそう言いつつ紅茶を一口だけ含み首肯する。

「エルレイドの感じ方からして、多分間違いない。あなたの肉体はフランのもの」

「どういう事なんだ。肉体は、ってのが俺には分からない」

「魂、いえ、この場合適切なのは人格かしら。人格があの人のものじゃない」

 人格。ダイゴは今まで自覚していなかった事柄に直面する。自分の性格が、生来育てられたものではないというのか。

「俺は、どうして今の人格を手に入れたんだ?」

「そこにこそ、私はつけ入る隙があると感じている」

 コノハの言葉にダイゴは疑問を挟んだ。

「フランの肉体を取り戻す?」

「……ほとんど諦めているけれどね。でも、フランはまだ死んでいないって信じたいだけなのかもしれない」

 コノハは自分でも分かっていないのかもしれない。どこまでそのフランという青年に心を許していたのかを。フランの事を語る彼女からは普段の鉄面皮からは想像出来ない、柔らかな空気が漂っていた。

「俺は何者なんだ?」

「私の結論では、あなたはDシリーズ。その成功例」

「そのDシリーズってのが分からない。その……」

 ダイゴが言い辛そうにするとコノハはここまで持ってきた右腕を出した。スーパーの袋に包んだだけのものでよく気づかれなかったと安堵する。

「みんな、大根か何かだと思ったんでしょう」

「本当に、人の腕なのか?」

 ダイゴの質問にコノハは何でもない事のように袋から取り出した右腕を眺める。ダイゴはそれだけで吐き気がした。先ほどまで、確かに生きている人間の腕についていたものをよくしげしげと観察出来るものだ。

 口元を押さえているとコノハは、「何でもないわ」と言い放つ。

「だってこれ、ついさっき死んだ奴の腕じゃないもの」

「言っていたな。オリジナルだって。確かに俺の、素人目でもそれが他人のものだって事は分かるよ。でも何かの事故で移植された腕かもしれないじゃないか」

「あり得ないわ」

 コノハは確信を持って口にする。ダイゴにはその自信が疑問だった。

「どうして言い切れる?」

「あれがツワブキ・ダイゴの姿形をしていたからよ」

 あれ、と形容したのは自分の似姿の事だろう。D008と名乗った相手は何のつもりで自分を攻撃してきたのか。コノハは知っているのだろうか。

「何者なんだ? あいつも俺と同じ顔をしていた」

「Dシリーズ。ツワブキ・ダイゴの再生計画のために利用される肉体のスペア。その初期ロット。一桁だって事は、あれの身体は安定していないはずよ。極端な老化現象や、あるいは短命などが上げられるわ」

 ダイゴは掴みかかった瞬間に相手が老化したのを思い出す。口をついて出たのは、「俺と、関係があるのか?」という質問だった。

「質問ばかりね」

「仕方がないだろう。俺は、何一つ知らないんだから」

「何一つ、ね。私の知っている事ならば話しましょう。Dシリーズとは初代ツワブキ・ダイゴを再生するためにデボンが画策している計画に使われる個体の事を指す」

「計画?」

「D計画って研究者は呼んでいるわ。そのために遺伝子操作した人間とポケモンを使い、デボンは初代ツワブキ・ダイゴを再生しようとしている。四十年後の今に、ね」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。話がついていけない」

 初代ツワブキ・ダイゴを何故、デボンが再生せねばならないのか。ダイゴはその疑問に突き当たった。コノハはそれを予想したのか、用意されたような語り口で続ける。

「そうね。何で、初代が必要なのか。そこから紐解きましょう」

 コノハはホロキャスターを操作して画像を読み込む。そこには初代ツワブキ・ダイゴの玉座の写真があった。ダイゴが本の中から見つけ出したのと同じだ。

「初代ツワブキ・ダイゴはデボンコーポレーションの創始者にして御曹司。さらにカントーの玉座に立つなど類稀なる才能に恵まれた人物。でも、その子孫が、全くその血を受け継いでいないとしたら、あなたはどう思う?」

「どうって、そりゃ気の毒だとしか……」

「そう、気の毒。本来はそれで済ましてしまうような事柄だけれど、デボンはそうではなかった。ツワブキ家はね、今没落の最中にあるのよ」

 コノハの言葉はにわかには信じられない。ダイゴは怪訝そうに眉をひそめて首を振った。

「没落って……、あれだけ豪勢な家に住んでおいて?」

「あれはほとんど初代の功績なの。今のデボンは初代の持っている資本と特許で食い繋いでいる老人みたいなものよ」

 コノハの言い分にダイゴは閉口した。自分の仕えている家を指して老人とは。

「……でも、カナズミでは一二を争う名家だって」

「そりゃ名家には違いないわ。でも、才能が受け継がれなければいつか家は枯れる。血が絶たれる、という事の恐怖をツワブキ家ほど重んじている家はないわ。ツワブキ家の家系は才能ある人間を招き入れる事で存続してきた。でも、才能と野望は表裏一体。当然、そういう輩はデボンを切り取りにかかる」

「どうしたって言うんだ?」

「殺したのよ」

 ダイゴは思わず息を詰まらせた。コノハはその続きを語る。

「殺して、その遺伝子情報と才能、頭脳だけを奪った。そういう事がデボンには出来た」

「何で? だって遺伝子工学なんてデボンの専売特許じゃないだろう?」

「そう。そのために狙われた家系があった。プラターヌ家よ」

 思わぬところでプラターヌ家の名前が出てダイゴは戸惑う。コノハは、「プラターヌ家は遺伝子工学の第一分野の家系」と告げる。

「だからその血が必要だった。ツワブキ家はずっと狙っていたの」

「ちょっと待て。じゃあDシリーズとやらはプラターヌ家の一人、あんたの言うフランを殺して、そのノウハウを乗っ取ったってわけなのか?」

「そんな生易しいものじゃないわ」

 コノハは首を横に振る。

「遺伝子工学にはツワブキ家は明るくなかったけれど、それよりも進歩した技術、そうね、人格転移技術とかには随分と精を出していたみたいよ」

「人格転移……?」

「私が今言った、才能を自分のものにする技術、それの事だと思ってくれて結構」

 才能を自分のものにする。文面だけでも恐ろしいが、ツワブキ家はそれを実行するために何を行ってきたというのか。息を詰めていると、「突然だけれど、交配実験、って知っているかしら?」とコノハは問うた。

「交配実験、って、あれだろう。この種とこの種を足して、そのつがいから出来た子供がどれだけ親の形質を受け継いでいるのか、とかいう実験じゃないのか?」

「そう。最初、ツワブキ家はそれを行っていた」

 ダイゴは自分の言った事は所詮動物実験レベルだったためにコノハの弁に戸惑う。もちろん、動物で行っていたわけではないだろう。ポケモンでもあるまい。

「じゃあ……」

「ええ。自分の家の人間を差し出して行っていた」

 ダイゴはその言葉の行きつくおぞましさに身震いする。人間が、同じ人間をまるで実験動物のように扱っていたというのか。それも自分の家の人間を。

「でも、これはすぐに無駄だと悟る。だって人間同士だって、その才能が花開くかどうかを見るまでに二十年程度はかかる。ツワブキ家はその時間を惜しんだ。だから遺伝子、禁忌の部分に手を出した。その結果、テロメアの極端に短い個体や、突然老化したり、知能に問題のある個体が出てきた。それがDシリーズ初期ロット。自分の家の子供達を差し出した最果ての事実」

 では先ほど倒した相手は正真正銘ツワブキ・ダイゴだったのだろうか。ダイゴにはそれを確かめる手段はない。コノハが切り刻んでしまったからだ。ダイゴは慎重に言葉を発する。

「じゃあ、最初のほうのDシリーズは決して血の繋がっていない他人とかじゃなかった。自分の家の被害も顧みず、ツワブキ家はそんな事をしたって?」

 コノハは首肯する。そんな馬鹿な事があろうか。ツワブキ家はそこまで狂気に手を染めていたというのか。慄くダイゴにコノハは冷徹に告げる。

「ツワブキ家はそうしてまでも初代ツワブキ・ダイゴという稀代のギフトが欲しかった。いつまでも持ち続けたかったのでしょう」

「でもツワブキ・ダイゴは死んだ。二十三年前だったか」

 ダイゴの言葉にコノハは、「そうね」と頷く。本から読み取れた数少ない事実だ。

「何でそんな、生きていたとしても六十代前半かそこいらの高齢だ。人は誰しも死ぬし、その現象からは絶対に逃れられない」

 禁忌の術を使わなければ。口にしなかった部分までコノハは読み取り、「普通ならば、ね」と含んだ声音を漏らした。

「死んだ人間は蘇らないし、天寿を全うした人間にもう一度墓から出てくださいなんて口が裂けても言えないでしょう。でもツワブキ家は傲慢にもそれを行おうとした」

「それが、初期ロットのDシリーズ……」 

 そこまで結論付けて、ならば自分は? と疑問に感じる。自分には極端な老化現象は見られない。何が彼らと違うのだろうか。

「俺は、じゃあ最初期のDシリーズじゃないんだな」

「それが、あなたをフランだと確信するもう一つの理由」

「じゃあ何で俺の容姿はツワブキ・ダイゴのそれなんだ? フランであった頃の面影も何もないじゃないか」

「ない、のが問題なのよ」

 コノハの口調にダイゴは疑問を差し挟む。ない、のが問題、とはどういう事か。コノハはホロキャスターを操作してフランの顔写真を読み込む。

「あなたは骨格上も、人相も、何もかもフランとは異なっている。でも、肉体はフランであるはずなの」

「だから、それを確信する理由って何だよ。確かにツワブキ家はプラターヌ家の血筋を狙っていたのかもしれない。でもそれだって、招き入れるって形だろう? そうだとすれば友好的関係を築かないわけがない」

「そう。だからツワブキ家とプラターヌ家はそれなりの関係性がある。今でもプラターヌ家からデボンの社員が出るくらいだからね。私が言いたいのは、そういう表面上の事ではなく、例えばツワブキ家がどうしてもプラターヌ家の人間が欲しい場合、どうすると思う?」

 問いかけにダイゴは指折りながら案を列挙する。

「えっと……、普通の方法じゃないんなら、報奨金を出したり、あとは婿養子にするとかして待遇をよくする」

「それでも、プラターヌ家が警戒して来ないとすれば?」

 コノハの質問にダイゴは、「それでも、って……」とうろたえた。

「それでも来ないなら縁を切るしかないだろう。後は、まともじゃない手段といえば……」

 そこに至ってダイゴはハッとする。コノハも気づいた事を見越したようだ。

「……誘拐」

「そう。フランは、ツワブキ家に誘拐されたのよ。つい半年前にね」


オンドゥル大使 ( 2015/11/30(月) 21:39 )