第二十六話「最後の糸」
知らない番号だ、とサキはスクーターを走らせながらかかってきた通話に視線を落とす。ドライブマナーに設定しようとして確認するべきだ、という自分の声に従った。一度駐車場に立ち寄って、「もしもし」と出る。すると通話からは見知った声が聞こえてきた。
『サキさん、ですか?』
「お前……、大丈夫だったのか?」
思わず出てしまった本音をダイゴは意に介する事はなく、『ヒグチ博士にはお世話になったので』と番号を知った手順を伝えてきた。どうやら博士がお節介をしたらしい。だがそのお節介が結果的にダイゴの無事を確かめる手段となった。
「よかった。生きているんだな?」
確認の声に、『当たり前じゃないですか』とダイゴは笑い声を返す。
「そうだな、当たり前だ」
自分は危機に敏感になり過ぎていたのかもしれない。ここ最近、気を遣う事が多いせいもあったのか。ダイゴの声に自然と緊張が解けた。
「しかし、お前は……」
そこまで言いかけてダイゴに自分の知った事実を知らせるべきか悩んだ。人の血とポケモンの血が混ざり合っている。そのような事を口にされて戸惑わない人間などいないだろう。自分の存在如何を疑いかねない。今のダイゴにそれだけの事実を受け止める精神力はないだろう。ただでさえ記憶喪失で不安を煽られているはずだ。
「いや、何でもない。とにかく無事でよかった」
『ええ。サキさんこそ、無事で』
「私は何でもない。刑事だからな」
『どこから出るんですか、その自信』とダイゴが笑う。どうやら本当に無事のようだ。サキはお節介が過ぎたのは自分も同じか、と自嘲する。
「笑えればいいだろう。私からは経過観察程度を見ればいいと言われているからな。あとはツワブキ家に従ってくれ」
リョウならばうまく回してくれるはずだ、と思う反面、その幼馴染が信じられるかどうかは宙ぶらりんになっている、という事実も噛み締めた。
『ええ。リョウさんにはよくしてもらっていますから』
「問題を起こしてくれるなよ。私の責任問題になるからな」
『はい。ではまた。マコさんや博士によろしく言っておいてください』
「父はともかくマコにまで言ってやる義理はないぞ? あいつはつけ上がるからな」
ダイゴは笑い声を交えて、『とにかく頼みます』と言って通話を切った。サキはダイゴの無事が分かって一安心しかけたが、はて、と思い留まる。
「あいつ、どこからかけてきたんだ?」
端末の番号は同じポケナビからかけられた事を示していた。ダイゴにポケナビの所持が認められたのか。確かにダンバルを持っているのならばポケナビを所持していても不思議ではないがその疑問にサキはかけ直した。しかし、今度は無機質なコールの後に、『おかけになった電話番号は電波が入っていないか……』というお決まりの文句に繋がっただけだ。
何かがおかしい、とサキは感じた。ダイゴが直接かけたにしては何かしらの制限がかかっていたように先ほどの会話の節々に違和感がある。まるで誰かに監視されながらの会話であったかのように。
「まさか、既に事態はのっぴきならない方向に行っているんじゃないだろうな?」
通話の逆探知をしようにも手持ちのポケナビと他の端末だけでは不可能だ。一度捜査一課に顔を出さねば。だが捜査一課に出れば今回の一件の進捗状況に際して聞かれる事が多々あるだろう。サキはまだうまく嘘をつける自信がなかった。
「お父さんに……、いや駄目だ。家族にこれ以上深く踏み込ませる事は出来ない」
ダイゴの血液検査をしただけでも危ういはずだ。サキはどうにかして今の状況を打開せねばならないと感じながらも、その策は思い浮かばなかった。ダイゴの手助けをしたいが、その手助けは一歩間違えれば奈落への落とし穴だ。しかし知らぬ存ぜぬを通せるほど自分は器用でない事も知っている。
「……結局のところ、私が個人的に調べるほかないのか」
捜査一課に提出すれば公安の手が伸びる可能性がある。かといって個人で出来る範囲には限界が生じるはず。サキはそこに至って自分に接触してきた連中の連絡先を思い返した。
ジャケットからくしゃくしゃになったメモ書きを取り出し舌打ちする。頼ってはならないと自分の本能的な部分が告げていたが、今のサキにはすがるべき場所がない。あるいは、相手はこれさえも見越して自分に連絡先を寄越したのか。
「……これしか、彼のために出来る事がないのならば」
最後の糸だ、とサキは通話ボタンをコレクトした。すると数回のコール音の後に、『もしもし』と音声が繋がった。しかし、相手の声は変声機を使っているのか男なのか女なのかさえも分からない。サキは、「ヒグチ・サキだ」とぶっきらぼうに告げる。すると相手は心得ていたように応じた。
『ようこそ、ヒグチ・サキ様。ご所望でしたよね、真実の入り口を』
サキは内心歯噛みする。この手は最後まで使うつもりはなかったのに、これでは相手の思い通りだ。
「能書きはいい。私に必要なのは何だ?」
無遠慮な声にも相手は憤る事もない。それどころか愉悦の笑みさえも予想される声音で返された。
『まずはスクーターから降りて、きちんとした場所でお話しましょう』
その時点で相手が自分を見張っていた事が確定した。サキはこのポケナビの情報も盗まれている可能性があると考えたが、それを上書きするように相手の声が被さる。
『あんたが求めているものがあるはず』
「私が求めているもの? そんなに容易く分かるものか」
『分かるさ。真実だろう?』
サキはスクーターから降りずに応じる。
「どこで会えばいい?」
『そうだね、場所は――』