INSANIA











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紛い物達よ
第二十五話「協力者」

 ダンバルが浮き上がる。

 ジラーチには傷はほとんどないが相手がもう行動不能だろう。エルレイドが肘を突き出して攻撃の構えを取る。トレーナーが戦えなければもうジラーチとて無理なはずだ。ダイゴは、「退け」と言っていた。

「今ので確信を得た。思念の頭突きはお前へときっちり命中している。もうジラーチを動かすだけの体力も残っていないはずだ」

 ダイゴは立ち上がる。「じゅうりょく」の束縛が解けている。ダンバルがいつでも攻撃を打ち込めるように浮遊する。ダイゴは相手へと歩み寄った。見れば見るほどに自分との類似点が目立つ。この者は一体、何者なのだ。何のつもりで自分に接触してきたのか。解き明かす必要がある。

「言え」

 ダイゴは襟首を掴み上げる。ほとんど力の入っていない相手は呻き声を漏らした。

「俺は誰だ? お前は、何かを知っている風だったが」

 答えを間違えればいつでもダンバルで攻撃出来る。ジラーチはほとんど無力化したも同然だ。ダイゴが睨んでいると相手はフッと口元を緩めた。

「思念の頭突きは読めなかったな。この右腕でも、やはり限界はある、という事か……」

 その瞬間である。いきなり相手の顔立ちが老け込んだ。一気に十歳か、あるいはそれ以上歳を取ったのである。皺が刻み込まれた相手の顔に思わずダイゴは手を緩めた。

「何だ……、お前。一体何なんだ」

「右腕の力で老化を抑えていたが限界らしい。俺はここで死ぬのか? なに、悪くはないな。一度でもツワブキ・ダイゴとして戦えたのだから。失敗品の烙印を押さえた俺がな」

「失敗品? お前はさっきも成功例がどうだとか言っていたな? 俺は何なんだ?」

 ダイゴの焦燥を感じ取ったのだろう。相手は卑屈な笑みを浮かべる。

「知ってどうする? お前は、どうせ誰かの操り人形になるだけだ」

「それでも! 俺は知らねばならないんだ。俺が何者なのかを」

 相手は視線を逸らし、指を一本立てた。

「一つ、聞いておきたい。人間の血と、ポケモンの血が丸ごと入れ換えられたら、それはもう人間なのか? それともポケモンなのか?」

 何を言っているのか。ダイゴは返事に窮する。それを見越したように相手はせせら笑った。

「誰にも答えられまいよ。それが人間なのか、ポケモンなのかを。あるいは境界の侵犯者か? 人間とポケモンという壁を超えようとした、禁忌の人物か」

「何を言おうとしている? お前は、何なんだ?」

「答えの一端はダンバルが握っている」

 その声が明瞭に耳朶を打つ。ダイゴは戸惑い気味にダンバルへと振り返る。赤い単眼の手持ちは、ダイゴの顔を見返すばかりだった。

「お前がそれを手持ちに加えている事は、何の偶然でもないんだ。それは忌避すべき毒でもあるのだから」

「どういう……」

 それを問い質す前に相手から力が急速に抜けていった。ダイゴは呼びかける。

「おい! 何の事なんだ? お前が知っている事を話せ!」

 その呼びかけに応じる声はなかった。相手は自分の手の中で息絶えていた。ダイゴは思わず手を離す。最初から命など灯っていなかったように相手は崩れ落ちた。ダイゴは意図せずして人殺しをしたという感覚に手が震える。

「俺が、殺したのか……」

 這い登ってくる恐怖にダイゴが頭を抱えていると、「違うわ」と声が響き渡った。そちらへと振り返る。見覚えのある人影が佇んでいた。ダイゴは息を呑む。

「あんた……」

「ツワブキ・ダイゴ。あなたは誰も殺してはいない」

 そう口にしたのは他でもない。ツワブキ家の家政婦であった。確かコノハという名前だったか。紫がちの虹彩が自分を見据えている。その瞳に何か、特別なものを感じ取った。

「何で、あんたがここにいる?」

「エルレイド」

 その呼びかけにエルレイドがコノハを守るように侍る。コノハのポケモンなのだ、とダイゴは理解した。それと同時に、何故、と疑問が突き立つ。

「何で、俺を殺そうとしていた?」

「完全な誤解よ。私はあなたを殺す気はなかったし、ただ単にプラターヌ家を襲撃しようとしていた連中と対峙し、あなたはそれに巻き込まれたに過ぎない」

「つまり、偶然だと?」

 信じられない、という声音を含んでいたせいだろう。コノハは目を伏せた後、「まぁ信じてもらおうとは思っていないわ」と答えた。エルレイドと共に先ほどまで争っていた相手へと歩み寄る。その胸に去来するものは何なのだろうか。ダイゴが考えているとコノハは、「エルレイド」と命じた。

 するとエルレイドが肘から思念の刃を発生させ、死者の身体を細切れにする。ダイゴは瞠目した。コノハの行動に、「何を……!」と声にしていた。

「殺さなければ、また利用される可能性がある。Dシリーズの初期ロットならばいくらでも再利用が可能でしょう。それに、何よりもこの右腕」

 エルレイドが放った攻撃は右腕以外を完全に切り刻んでいた。右腕が血溜まりの中に浮かんでいる。コノハは臆す事なくそれを持ち上げた。右腕には黒い文字でナンバリングが施されている。

「やっぱり、オリジナルのものね。誰が持ち出したのかまでは割り出せそうにないけれど、オリジナルの右腕を持ち出すって事は他の部位もと考えるのが道理でしょう」

 ダイゴは落ち着き払ったコノハへと駆け寄り、その襟元を掴み上げていた。コノハは表情を変える事はない。ただ一言、「痛いわ」と他人事のように告げた。ダイゴは肩を震わせる。涙が頬を伝った。

「泣いているの?」

 その声にダイゴは頭を振って目元を拭う。コノハは冷たく断じた。

「殺そうとしていた連中よ。あなたが泣いてやる道理もないんじゃない?」

「それでも、殺す必要はなかった」

「ほとんど死んでいたも同然よ。右腕に食い潰されて、結局、命を縮めていたでしょう」

 コノハが手にした右腕に視線を落とす。ダイゴは奥歯を噛み締めた。

「何なんだ! あんたらは! 人の命を、何とも思っていないのか?」

「何とか思っていれば救いがあるのかしら? 私はそこまでこの世界が甘いとは感じていない」

 その言葉にダイゴは隔絶を感じていた。彼女は何なのだ。どうしてそこまで冷たくなれる? ダイゴはコノハの襟元から手を離した。身を翻し呟く。

「……結局、俺は何なんだ。周りの人が傷ついていくばかりで、何も出来ずに……」

 拳をぎゅっと握り締める。無力感に苛まれていると、「一つだけ」とコノハが口にした。

「一つだけ、ハッキリした事があるわ」

 その言葉にダイゴは視線を振り向ける。コノハは真剣な面持ちでダイゴを見返した。

「エルレイド、この子をあなたは知っている。記憶がなくてもどこかで覚えていた。それはやっぱり、あなたの本体の記憶なんでしょう」

「本体……?」

 問いかける。コノハはモンスターボールを出してエルレイドを引っ込めた。エルレイドを封じたボールにはサインがされていた。「F」の文字が。

「ツワブキ・ダイゴ。私はあなたの事を、最初敵だと思っていた。ツワブキ家の手先だとね。でもエルレイドが本能的に守った事で確信したわ。やっぱり、あなたの本体の記憶までは消えていないのだと」

「ちょっと待て。俺の本体? 俺が何者なのか、あんたは知っているのか?」

 コノハは一呼吸置き、「やっぱり、あなたには記憶がないのね」と残念そうに告げた。

「……俺には確かに記憶はない。だが、俺を知っている人がいるのならば話は別だ。俺は誰なんだ?」

 知る必要がある。コノハはその一端でも握っているのならば。コノハはプラターヌ邸を見やり、庭師や家の人々が気絶しているのを確認してから、「あなたはこの家の人間なのよ」と口にした。その言葉の意味が分からずにダイゴは聞き返す。

「何だって? 俺がこの家の……」

「あなたの身体、肉体はこの家の人間。フラン・プラターヌのもので間違いない。彼の手持ちであったエルレイドがそれを感知している」

 ダイゴは硬直していた。自分が偶然立ち寄った家の人間であるなどにわかには信じられない。

「じゃあ、俺はそのフランとか言う奴なのか。俺の正体は……」

「それも違う。フランはそんな顔立ちじゃないし、声も違う。性格も、話し振りも」

 だとすれば疑問が浮かぶ。どうしてコノハは自分の事をフラン・プラターヌだと感じたのか。エルレイドの証言だけではそれは確立出来ないはずだ。コノハはホロキャスターを取り出す。それを手渡し一枚の写真を見せた。そこには金髪の青年が映っていた。どこか優男風な青年を指して、「それがフランの顔写真よ」とコノハは告げた。ダイゴは自分の顔をさする。どう考えてもフランの顔写真と自分は一致しない。

「どういう事なんだ? これは俺じゃない。そんなの、誰だって分かる」

「そう、誰だってね。私だって分かる。あなたはフランじゃない。でも、一度は愛し合った関係だからか、運命という呪縛は、あなたがフランであると告げている。それは理性よりも本能の部分で」

「本能って……」

 ダイゴはホロキャスターを翳して全方位からフランとか言う青年の顔立ちを眺めるが、どう考えても自分のそれではない。骨格も、微笑み方さえも。

「でも、これは俺じゃない。どうしたって、俺がこのプラターヌ家の人間である証明にはならない」

「そう、普通なら、ね。でも私はツワブキ家に潜入し、それがあながち不可能でもない事を発見した」

 その言葉にダイゴは眉根を寄せる。どうしてコノハはツワブキ家に家政婦として潜り込んでいるのか。それを知らねばならない。

「あんた、言ったよな? ツワブキ家の手先かと思った、と。ツワブキ家は裏で何をしている? 何のために俺は引き取られた?」

 それだけがどうしても疑問だ。リョウの口裏から自分がただの社会奉仕の精神だけで引き取られたのではない事は分かる。だが、それ以上は全くもって不明。あの応接室にあった自分の似姿の写真も、初代ツワブキ・ダイゴの事も。誰一人として語ろうとしない自分の過去も。ダイゴはその扉がコノハとして開かれているように思えた。手にするのは今しかない。この機会を逃してはならない。

「……あなた自身も、不思議に思っているのね。どうしてツワブキ家はあなたなんかを引き取ったのか。多分、ツワブキ・リョウの意思だと思うけれど、その本質までは私も分からないわ。でも言える事は、ツワブキ家はあなたにツワブキ・ダイゴの名前をつけた事も、引き取った事も偶然ではないという事」

「それだよ」

 ダイゴは指差した。コノハが小首を傾げる。

「それ、とは」

「偶然じゃないとすれば何なんだ? プラターヌ家に訪れた事も、ツワブキ家と関わりを持った事も偶然じゃないんなら……」

「誰かが仕組んでいたのか、運命か」

 言葉尻を引き継いだコノハにダイゴは首肯する。コノハは、「運命なんて、随分とセンチメンタリズムな事を言うのね」と口元だけを笑みの形にした。

「俺だってそんなセンチな事を言っている場合じゃないと思っている。だからこれは仕組まれた事だ。誰かが俺を誘導している」

「ここに来る事も、あなたが自分の正体を私を通じて知り得る事も、全て仕組まれていた、と」

「運命に任せるよりかはまだ理解出来るさ」

 ダイゴの声にコノハは相手から奪い取った右腕に視線を落とす。ダイゴもナンバリングが施された右腕が気にかかっていた。

「何なんだ? その右腕……、さっきの奴の、生まれた時からついている腕じゃないみたいだけれど」

 どうにかして相手の証言を食い合わせようとするが、そうすると自分はツワブキ・ダイゴではない、という事になってしまう。今はたとえ偽りでも名前にすがっていたかった。

「さっきの、D008って名乗っていたわね。恐らくはDシリーズの初期ロット」

「そのDシリーズってのも分からない。俺も、Dシリーズなのか?」

「肩口をご覧なさい。刻印がされていれば、あなたもDシリーズよ」

 ダイゴは秘密基地での襲撃を思い出す。あの時、ニシノから指摘された。服を捲り上げ、その箇所をさすった。「D015」の刻印が成されている。

「やはりね……」

 どこか諦観気味にコノハが呟く。

「俺も、そのDシリーズとやらなのか?」

「成功例よ。さっきの奴が言っていた通りに。私の知り得る限りでは、成功した例は一つや二つのはず。だからこそ、あなたがフランだと感じていた」

 ダイゴはその二つの事柄の結びつきがいまいち理解出来なかった。どうしてDシリーズの成功例とフラン・プラターヌが関係しているのか。ダイゴの困惑を読み取ったのだろう、コノハは、「いいわ」と口にする。

「出来るだけ目立たないように、ツワブキ家の敷地に来て欲しい。そこに私の社宅もあるから、話しましょう」

 コノハの言葉にダイゴは歩み出しかけて、「ちょっと待って」と声にした。

「何? 言っておくけれど、あまり時間はないわ」

「それは俺も同じだ。四時が門限なんだから」

 ダイゴは手を差し出す。それを怪訝そうにコノハは眺めた。

「一応、助けてもらったんだし感謝はしておこうと思って。エルレイドがいなければ俺の命は危うかった」

 ダイゴの態度にコノハは、「殊勝なのはいいけれど」と手に視線を落とす。

「一回の命のやり取りくらいで相手を信用しないほうがいいわ。これから先、何度裏切られるのか分からないんだから」

 コノハは何度も裏切られてきたのだろうか。その言葉には不思議と重みが宿っている。しかし、ダイゴは手を取り下げなかった。

「でも、休戦協定のつもりでさ。握手だけでも」

 ようやく自分の事を少しでも知っている人間に出会えたのだ。それだけでも分かち合いたい。コノハはため息を漏らし、「おめでたいわね」と呟く。

「生きているだけでも儲け者なのに、信頼関係なんて」

「駄目かな?」

 コノハは、「まるで話にならない。だけれど」と振り返った。

「嫌いじゃない」

 その手をコノハは握り返した。確かな人の温もりのある手だった。


オンドゥル大使 ( 2015/11/25(水) 20:37 )