INSANIA











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二つの家
第二十二話「二体のポケモン」

 サキは手に入れた資料を二つ、重ね合わせるように眺める。デスクに並んだ二つの資料は全くの無関係の事柄でありながら、自分へと追随するように出現した事実でもある。

「彼と初代ツワブキ・ダイゴは九十パーセント以上の確率で同一人物。それに、遺伝子サンプルとして保管されていた右腕の消失。偶然とは思えない。それに」

 視線を移す。もう一方の資料に手書きでメモされた三つのキーワード。「メモリークローン」、「D015」、「初代ツワブキ・ダイゴ」。

「やはりツワブキ家は何かを隠しているんだ。だが、それが何なのかは皆目見当がつかない」

 しかし絞れるだけは絞れた。恐らくそれは初代ツワブキ・ダイゴに関する事に間違いはないのだ。だが頭の中でこんがらがってくるのは四十年前の偉人がどうして現在進行中の事件に関係があるのか。サキはペンを手にして事実を羅列する。

「いいか? 四十年前、正確には二十三年前に死んだツワブキ・ダイゴ。彼はカナズミを代表する偉人で、デボンコーポレーションを興した人間だ。四十年前に玉座についた彼は二度防衛し、三度目に敗れた。敗北した彼は素直に王の職務を引き継ぎ、ホウエンへと戻ってきて家族を作り、今のツワブキ家の礎を築いた人物だ。そんな彼の遺伝子情報と合致する人物が、件の彼」

 サキは「ツワブキ・ダイゴ?」とメモする。便宜上、彼をツワブキ・ダイゴと呼ぶ事は賛成だが、そうなってくるとよりややこしい。

「つまり、初代ツワブキ・ダイゴと同じ遺伝子組成、同じ人間が四十年の時を経て再び現われたって? そんな馬鹿な」

 サキは可能性を棄却しようとするが、それにしては気になる要素が多い。どうして、リョウは彼にツワブキ・ダイゴを名乗らせたのか。そもそもツワブキ家が彼を所有するメリットは何だ?

「普通に考えればお荷物に他ならないツワブキ・ダイゴ。だが、ツワブキ家はどうしてだか彼を所有しようとした。……もしかして初代の身体を奪ったのもツワブキ家の手のものか?」

 そこまで考えて首を横に振る。ツワブキ家がどうして死んでホルマリン漬けになった過去の偉人の身体を、わざわざ危険を侵して回収する? それはあまりに不自然だ。

「初代の身体を狙っている人間と、彼を抹殺しようとしている一派、逆に彼を保護しようとしている組織、そしてツワブキ家、これらは別々の人々なのか? だとすれば、どうして大学病院から今の今まで初代の身体を奪わなかった? どうして保管させていた?」

 初代の身体が目的ならば早々に、それこそ捜査の手が及ぶ前に事を済ませればいい。だが、事態はサキが手を伸ばしたギリギリのところで行われた。つまり、それまでは初代の身体に価値などなかったと言える。

「何らかの原因が生じて、初代の身体、そのパーツを集めねばならなくなった。直近の原因と考えられるのはやはり……」

 先ほど書いた「ツワブキ・ダイゴ?」のメモに視線を落とす。彼の存在だ。彼が出現したから、連中は急がねばならなくなった。

「抹殺を講じている連中は、どうしてだか彼を恐れている。いや、敵視しているレベルか。だが何故だ? この理論だと彼がつい最近までは取るに足らない存在で、このホウエン、もしくはどこかの地方にいた事になる」

 抹殺対象を警察の手に落とすのはどう考えても不自然。それならば彼の移動中、それこそホウエンに来るまでを狙えばいい。あるいはあの日、あの雨の降る夜以前に彼の身柄を拘束すればよかった。

「……それが出来なかった? だとすれば彼は降って湧いたような災難という事になるが、そんな都合のいい話……」

 彼は恐らく見た目から二十歳前後と推定される。ならば生まれてから今までどうして殺されずに済んだのか。どうして今になって彼が抹殺されなければならないほどの脅威と化したのか。考えれば考えるほどどつぼにはまるような気がした。

「駄目だな。今の状況では情報が足りん」

 そう結論付けるほかない。サキはペンを指先で弄びながらこれをどう上に報告するべきかという考えを巡らせる。捜査一課、ハヤミ課長にどう言えばいいものか。

 そもそもハヤミ達を当てに出来る案件なのかの判断をせねばならない。場合によっては単独で、誰一人当てに出来ない戦いが始まる事になる。

「もちろん、リョウも、か」

 彼に関して一番知っていそうな人間だが、易々と情報提供というわけにもいくまい。抹殺する動きがある事も、彼を保護しようという動きがある事も伏せながら幼馴染と顔を合わせる事になるだろう。

「皮肉だな。引き合わせた本人が、一番厄介だとは」

 あるいはこれすらリョウは見越していたのか。サキは今の状況を打開するためにも彼の情報を少しでも多く集めねばと感じる。恐らくここから先は出たとこ勝負。彼に関する事を抹殺する一派か、自分か、あるいは保護する一派か。

 一手間違えれば待っているのは死だ。その渦中に飛び込む度胸があるのか。サキは目を瞑って深呼吸を二度して肺の空気を入れ替える。

「どちらにせよ、家族だけは」

 家族だけは犠牲にしてはならない。その意思が先に立ちポケナビを通話モードにした。博士へと電話をかけねば。サキがコールすると、『もしもし?』とすぐに出た。とりあえず手が回っていない事にホッとする。

「お父さん。早速だけれど聞いて。彼、ツワブキ・ダイゴの手持ちを私の管轄に回して欲しい」

 そうすれば必然的にダイゴは自分と接触を取る事になる。多くの事を聞き出さねばこの盤面は押し負ける。だが返ってきたのは意外そのものの声だった。

『うん? サキが言ったわけではなかったのか。ついさっき、彼が家に来ていたよ』

 その言葉にサキは思わず大声になる。

「どうして? 何が!」

 辟易したように博士は気後れした声を出した。

『……何がって。えっ、サキが忠告したわけじゃないのかい? 彼、手持ちがなければ危ないみたいな事を言っていたよ。てっきり、サキが彼に手を回してダンバルを引き取らせるように仕組んだのかと』

「私にそんな権限はないし……」

 サキは前髪をかき上げて部屋の中を歩き回る。誰が、彼にそのような行動を吹き込んだ? 思案を巡らせる間に、『ダンバルを調べていて分かった事が一つだけある』と博士は告げた。サキは足を止める。

「分かった事?」

『うん。彼には言っていないんだが、あのダンバルの血液検査をしたんだ。鉱物系統のポケモンの血液ってのは特殊でね。大体、構成物質が人間とは根本から異なるから当然血管も大きくなったり小さくなったりと様々。ダンバルは血管が大きかったから手持ちのキットでも検査出来たんだ。それで分かったんだが……』

 博士は何を言わんとしているのだろう。少しばかり声に迷いが受け取れる。

「何が分かったの?」

『その、な。ちょっと言いにくいんだが、ダンバルには磁力のある血液が流れていて、それは当然、人間の遺伝子組成とは根本から異なるはずなんだ。つまり、人間に見られる血液に必要な要素は、逆にポケモンには見られないわけ。だから、これはとても奇妙な事なんだが……』

「濁さないで言って。ダンバルの血に、何が?」

 博士は意を決したように咳払いする。

『ダンバルの血中に、僅かだが人間の血液中の成分が混ざっていた』

 それがどれほどの意味を持つのか、サキには咄嗟には理解出来ない。思わず、「えっ」と聞き返す。

『いや、これはあり得ない、というよりもあってなならないんだが……。明らかに血の入れ替えが行われた形跡がある。多分、人間の血とポケモンの血を、ごっそりと、入れ替えたんだろうね。で、当然ポケモンの身体であるダンバルはそれに耐えられないから自分の脳、ダンバルならば単眼に当たる部分だが、そこが指令を出す。ポケモンの血を造れ、ってね。だから今ダンバルに流れているのはポケモンの血が九割だが、一割程度、ほんの少しだが、人間の血があったんだ』

 サキはその事実の突き当たる帰結にハッとする。それはまさか――。

「ダンバルの体内に流れていた血が、人間のそれだって?」

『断定は出来ないよ。もしかしたら私の考えなんて的外れで……、いや、外れていて欲しいね。だって人間の血液とポケモンの血液をごっそり入れ替えるなんて、正気の沙汰じゃない』

 博士は電話越しでも頭を抱えているのが分かった。憔悴の声にサキは返す言葉もない。恐らくそれが分かった時点から、博士は隠し通していたのだろう。サキは確認の声を重ねる。

「ねぇ、お父さん。それって返り血とか、そういう不確定要素はあり得ないの?」

『そう思いたいが、あり得ないんだ。それこそダンバルが割れていたか、解剖でもされていたところに、人間の血が混ざり込まなければ。……これ以上はあまり考えたくないね』

 新たに分かった事実。ダンバルに人間の血が少しでも流れている。それは同時にとある事を想起させた。

「お父さん。彼、ツワブキ・ダイゴの血液検査を――」

『したよ。私もそれは考えた。だから、嫌な気分なんだよ。私の考え通りに、彼はポケモンの血が混ざっている』

 愕然としたサキは思わず机の上のキーワードを呟いた。

「……メモリークローン、D015、初代ツワブキ・ダイゴ」

『うん? 何だい? それ』

 怪訝そうな博士へと、「何でもない」と咄嗟に返す事が出来たのは我ながら僥倖だろう。ともすれば全て話してしまいかねなかった。

「お父さん、私、ツワブキ・ダイゴに、彼に会わなくっちゃ。今すぐにでも」

 サキはジャケットに袖を通す。スクーターのキーを手に博士へと問いかける。

「どこへ行ったの?」

 サキの質問に博士は、『だからサキの忠告だと思ったんだが……』と濁す。

『彼は、カナズミシティを回る、と言っていた。あと、時間があれば図書館に行く、とも』

「図書館……」

 それはまずい。サキは即座に感じ取る。彼が一人になれば、抹殺の派閥か、あるいは保護の派閥か、どちらかが動き出すに違いない。あるいは両方か。最悪のシナリオにサキは慌てて部屋を出てスクーターに飛び乗った。

「お父さん、彼が出て、何分経った?」

『お、おお、ちょうど三十分ほどかな』

 こちらの焦燥を引き移したような博士の声にサキは歯噛みする。

「間に合わない……!」

 アクセルを開くと同時にポケナビの通話を打ち切り、サキはカナズミシティを駆け出した。


















「おや?」

 先ほど見かけた庭師がいなかった。松の木はきちんと剪定されているので既に仕事は終わったのだろうか。ダイゴは博士からダンバルを受け取る事には成功したが、博士がずっと自分へと奇妙な目線を送っていた事を思い出す。そして何故だか血液を採取された事も。もしかしたら自分の出自に関わる事なのか、と博士に問い詰めたものの、「一応だから」と先延ばしにされた形だ。

「どっちにせよ、ダンバルは帰ってきたし」

 ダイゴは腰のホルスターに留めたボールを撫でる。ダンバルはどうしてだか手離したくない。普通のポケモンとトレーナーという関係以上に、まるで自分の身を引き裂かれるような感情がある。その感情の発生点は不明だが、恐らくは力を持たない事の恐怖だろうとダイゴは判じていた。

「もう庭木の剪定が終わるなんて、仕事が速いんだな」

 生け垣から内部を覗き見る。ヒグチ家やツワブキ家ほどではないが豪邸だ。恐らくはこうした上流階級は自然と軒を連ねるのだろう。ダイゴの視線の先には庭師の姿があった。庭師はどうしてだか家の内側を向いたまま、じっと身じろぎ一つしない。会話が弾んでいるのだろうか、と感じたがダイゴの耳には談笑の声は聞こえなかった。

「何も話していないのか。まぁ、庭師とお客の間柄ってそんなもんかな」

 そう感じていると不意に庭師の身体がこちらに向いた。ダイゴは目を見開く。庭師は何かに羽交い絞めにされ、今にも絞め殺されそうだった。ダイゴに気づいたのか庭師が手を伸ばす。

「助けて……」

 その声にダイゴは表から慌てて庭に入った。

「あんた……!」

 庭師だけではない。この家にいる人々は揃いも揃って同じような青い光に絡め取られている。今にも意識が落ちる寸前で固められており、生殺し状態だった。

「何をやっているんだ! ふざけているのか?」

 そのようなはずもなく、彼らの口から呼吸音と大差ない呻きが漏れる。ダイゴは咄嗟にホルスターからボールを抜き放った。

「誰かの、攻撃……!」

 自分に向けてのものだろうか、あるいはこの家の人間に向けての? ダイゴはかけられていた表札を見やる。プラターヌ、とあった。

「プラターヌ家……?」

 聞き覚えのない名前にダイゴが首を傾げる前に、青い光が鎌首をもたげダイゴを捕捉する。

「来るならば、来い。俺が目的ならこの人達を巻き込む事はないはずだ」

 ダイゴは緊急射出ボタンに指をかける。腕を交差させ、押し込んだ。

「行け、ダンバル!」

 モンスターボールから飛び出したダンバルが標的を睨み据える。青い光のうねりがダイゴとダンバルを視認したようにくねって突撃する。

「ダンバル!」

 ダイゴの声にダンバルが壁となった。鋼の表皮を念力が打ち据えるが微塵にも効果はない。

「エスパーの技か」

 この場にいる全員を一挙に締め上げるほどの念動力。それは並大抵のポケモンではないだろう。ダイゴは呼びかけた。

「出て来い。ポケモンか、トレーナーか」

 出てきたほうを始末する。戦闘態勢に自身を磨き上げたダイゴへと飛び出してきた影があった。跳躍した痩躯が屋根を突き破る。緑色の腕を鋭角的に折り曲げ、身を翻したそのポケモンは人型であった。身体の中央を赤い三角形が射抜いている。

 宙返りを決めて降り立ったそのポケモンへと青い光が重圧を伴って降りかかった。ダイゴは地面を抉り取る青い光の瀑布をその目に認める。どうやら緑色のポケモンは逃げているらしい。だが、どこへ、という疑問はある。

「あれが、敵じゃないのか……」

 青い光を操っているのは緑色のポケモンとは別個体のように思えた。しかし何と戦っているのか。緑色のポケモンは騎士のように直角的な肘を振り翳し、そこから紫色の波動を生じさせていた。

 ブゥン、と二重像を結んだ途端、その空間が切り裂かれる。どうやら緑色のポケモンは近接戦闘型のようだ。対して青い光は容赦なく緑色のポケモンを攻め立てる。緑色のポケモンは「テレポート」と高速移動を併用し、一時として同じ場所にいない。まるで一度でも捕捉されれば終わりだとでも言うように。ダイゴはその戦闘に割って入った。

「ダンバル!」

 ダンバルが青い光に向けて突進する。すると青い光が攻撃をやめ、ダイゴとダンバルへと首を巡らせた。

 その瞬間、緑色のポケモンが跳ね、ダイゴへと肘を突き出す。ダイゴは驚愕と共にダンバルを呼び戻した。自分と緑色のポケモンとの間に生じた斬激をダンバルが受け止める。

 辛うじて耐えたか、とダイゴが感じた瞬間、緑色のポケモンのすぐ傍の地面が陥没する。それだけに留まらない。陥没した地面から赤い顎が飛び出した。巨人の顎と見紛うほどの剥き出しの歯茎ががっとくわえ込む。何が行われたのか、ダイゴには一切分からない。ただその赤い顎は一撃必殺の鋭さを伴って先ほどまでダイゴのいた空間を噛み砕いた。もし緑色のポケモンが押し出してくれなければ自分の身体は今頃引き裂けていただろう。

「……助けてくれた? でも何で……」

 ダイゴが緑色のポケモンを見やる。騎士の威容を持つポケモンはダイゴを見下ろしていたが、何かの気配を察知したように天を仰ぐ。

 その視線の先にいたのは白色の小型ポケモンだった。黄色い頭部を有しており、とてもではないが戦闘用のポケモンには見えなかった。そのポケモンがその場を後にしようとする。ぐっと緑色のポケモンが歯噛みしたのが伝わった。白色のポケモンが消え去る。恐らく「テレポート」だろう。ダイゴは家の中を窺う。青い光はいつの間にか消え去っている。

「助かった、のか……」

 安堵に身体を休ませようとした瞬間、目と鼻の先を念動力を纏った肘が行き過ぎた。ダイゴが瞠目する。緑色のポケモンは自分に向けて攻撃を放っていた。その眼には先ほどまではなかった殺意がある。ダイゴは、「何で……」と戦慄く視線を向けた。緑色のポケモンは既に戦闘姿勢を取っている。このまま逃げ帰るわけにもいかないらしい。ダイゴは立ち上がり呼びかけた。

「お前、俺の敵なのか?」

 問いかけも虚しく踏み締められた一歩目で既に肉迫される。ダイゴは咄嗟に、「ダンバル!」と呼びつける。自分の思考と同期したダンバルが壁になって攻撃を防いだ。

「そうかよ……。だったら、俺が何者なのか、そっちが吐くまでやってやる!」

 誰が敵であろうと構うものか。ダイゴは鋭い光を相貌に湛えた。



第二章 了


オンドゥル大使 ( 2015/11/25(水) 20:36 )