INSANIA











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二つの家
第二十一話「導き人」

 クオンを送り届けるのにそれほど時間はかからなかった。

 なにせ学園都市だ。クオンの通う高校はすぐに見えてくる。肩を並べながらクオンが紅い髪を指に巻いて尋ねる。

「ねぇ、ダイゴ。兄様に全くかまをかけなかったのは、やっぱり考えがあっての事?」

 ダイゴはクオンを見やる。クオンが完全に味方だと断じる事は出来なかったが、自分のいう事はきちんと聞いてくれるだろう。当然、秘密も守ってくれるはずだ。

「俺にはリョウさんを叩いてもぼろが出るとは思えない」

 それはニシノの経歴も頭にあった。公安、それと同じ場所に所属しているリョウが何も知らないはずがない。ニシノの事はあえて他言しなかったが秘密基地で起きた凶行も目的の内だと考えるのが筋だった。

「そりゃあね。あたしも兄様がそう易々と話すとは思えない。でも一度でも聞いてみれば? もしかしたら思わぬ収穫があるかも」

 クオンの言葉は希望的観測だ。それは家族が自分に関わる事で重大な秘密を抱えているかもしれない、と考えるよりかは精神衛生上いいだろう。

 だが確固とした疑念がある。リョウは信用出来ない。クオンにさえも話す事は危ういと感じている。この状態で信頼出来る人物は少ない。

「クオンちゃん。ポケナビを持っているよね?」

 問いかけるとクオンは左手首に巻いたポケナビを掲げて首をひねった。

「持っているけれど、何?」

「かけて欲しいところがあるんだ」

「いいけれど、あたしの知らないところにかけないでよ。通話履歴から怪しまれるかも」

「大丈夫。君の知っているところだ」

 ダイゴの声にクオンはポケナビを操作して尋ねた。

「……いいけれど、どこにかけるの? 番号は?」

「通話先は、ヒグチ家だ」

 その言葉にクオンが硬直する。ダイゴの顔を見やり、「どうしてヒグチ家に?」と訊く。クオンからしてみれば疑問なのだろう。ダイゴは正直に話す事にする。

「君も知っての通り、俺のポケモン、ダンバルはヒグチ博士の手にある。君に全く抵抗出来なかったのは何もルールだけの話じゃない。ダンバルを取り戻さねばならない。それが俺の抵抗の第一段階」

 何よりもヒグチ博士が自分に関わるものを持っていれば危険が伴うだろう。それはサキにも言えた。自分の事を今も調べているに違いないサキに連絡を取る。それにはまずダンバルの確保と博士の協力が不可欠だ。

「第二段階は?」

 クオンの疑問にダイゴは、「君には教えたくない」と答える。当然、クオンは苦い顔をした。

「あたしには教えられないってどういう事?」

 問い詰められるだろう、と想定しての言葉だった。ダイゴはきちんと説明する。

「君は俺の味方になってくれているとはいえツワブキ家の人間。最後の最後に人質に取られればお終いだ。それに君にもしもの事があったら俺の心は耐えられないだろう」

 クオンは暫時呆気に取られていたが、少しだけ頬を紅潮させた。

「……あたしの事、心配してくれているの?」

「当然だろう。俺が何者か知るのに、これ以上危険を冒させたくない。これはあくまで俺の問題なんだ」

「でも、ヒグチ家は巻き込むんだ?」

 クオンが腕を組んでダイゴを窺う。「それに関しては言い訳出来ないな」とダイゴは返した。

「出来れば俺だって博士やサキさんを巻き込みたくない。でも、ダンバルを取り返すだけでももしかしたら相手は強攻策を取ってくるかもしれない」

「兄様が、そこまでするって言うの?」

 クオンからすれば実の兄だ。そこまでしてダイゴを排除したいとは考えたくないのだろう。しかしダイゴからすればリョウは最も脅威となる人物に映った。

「俺の経歴なんてないも同然、紙切れ一枚だ。リョウさんが全てを管理している以上、俺が即座にツワブキ家から排除される可能性もあるんだ。俺だけならばまだいい。でも、誰も巻き込みたくない」

 そのために力が必要だ。ダンバルさえあれば、という楽観主義ではない。しかし武器も持たずに突っ切るのは危険だ。

「……分かった。ダイゴはあくまでもダンバルを手に入れたい、っていう目的なら」

 クオンがヒグチ家をダイヤルする。ダイゴは素直に頭を下げていた。

「ありがとう」

「水臭いって。一蓮托生でしょう。もう、あたしだって覚悟決めているんだから」

 クオンの声に心強くなる。だが、クオンに求めているのは本が流通しているかどうかまで。それ以上をこの少女に課してはならない。この十字架は自分だけで完結させねば。

「あれ? ダイヤルしているけれど誰も出ない……」

 クオンの声にまさか、という思いが募る。既に手が回っているのか。網膜の裏で傷ついたヒグチ家の人々が映り、目を強く瞑った。その時である。

「あっ、出た。もしもし?」

 どうやらただ単に対応が遅かっただけらしい。ダイゴは安堵の息をつく。

『クオンちゃんかい? うちに電話なんて珍しい』

 博士の何も変わらぬ声だ。まだ自分を抹殺しようという一派の手が回っていないらしい。

「クオンちゃん。俺に代わって」

 ダイゴが自分を指差すとクオンが左手のポケナビをダイゴに近づけた。ダイゴは声を吹き込む。

「俺です。ツワブキ・ダイゴです」

 今となってはこれを名乗る事さえも滑稽だが、自分にはこれ以外に名乗る名前がないのだ。博士が怪訝そうな声になって、『ダイゴ君?』と尋ねた。

『どうしたんだ? 何かあったのか?』

「いえ、俺のほうには何も。それよりも博士、ダンバルはどうなりました?」

 すっかり忘れていたのか、博士は、『ああ、そうか』とようやく理解したようだ。

『君の手持ちだったね。あれから随分と色んな手段を講じたがやはり君の正体に繋がる物証は何も出なかったんだ』

「そう、ですか……」

 それは落胆する事実でもあったが、同時にヒグチ家が安全だと言う証明にもあった。自分に関する何かを掴んでいれば博士やマコにも危険が及びかねない。

「これからダンバルを受け取りにいきます。あの、サキさんは?」

 サキに本の事と初代ツワブキ・ダイゴの事を話せれば心強い。しかし、博士は、『ああ、サキなら昨日から帰っていないね』と答えた。

「帰っていない?」

『もう一人暮らしの部屋に戻ったって言っていたかな。実家に顔を出したのは一昨日だけだよ。もう巣立った娘の事だし、あんまり気にしないようにしていたんだが』

 サキに何か、と訊いてきた博士にダイゴは答える。

「いえ、何でも……」

 サキは博士に新たな情報を話していない。それは自分に関する事実が行き詰ったか、あるいは身内にすら話せない状況に立たされたかのどちらかだ。

『サキの連絡先、教えようか?』

 博士の言葉はありがたかったがこれはクオンのポケナビだ。どうするべきか、と考えあぐねているとクオンが鞄からメモ帳とペンを取り出した。無言で小突いてメモするように忠告する。唇だけでありがとうと礼を言ってダイゴはメモの準備をする。

「博士、じゃあ教えてもらえますか?」

 博士の口からサキの番号が口にされ、ダイゴはメモを控えた。これでもしもの時の備えは出来た。

「じゃあ今から伺います。俺が行っても大丈夫ですか?」

『ああ、問題ないよ。ダンバルを渡すだけならば五分もかからないだろう』

「では後ほど」

 クオンが電話を切り、ダイゴへと言葉をかける。

「あたしは学校に行って調べるけれど、ダイゴ、どうするの? ダンバルを受け取った後は」

 それは思案の内に入れておくべきだろう。のこのことツワブキ家に戻っていいものか。自分に出来る事をするべきではないのか。

「俺は、ダンバルを受け取った後、サキさんに出来れば会う」

 その決意にクオンが首を傾げる。

「何でサキさん? 警察に関わればまずいんじゃ?」

 それはリョウを警戒しての事だろう。しかし、サキは信じられる。この世で唯一、自分の身の上を任せられる存在に思えた。

「サキさんならば、俺を導いてくれる気がするんだ。だから任せる」

 ほとんど自分の勘に違いなかったがクオンは、「そっか」と頷いた。

「ダイゴがそこまで信頼を寄せるならサキさんは別かもね」

 引き際が意外でダイゴは声にする。

「……引き止めないんだ?」

「サキさんは、まぁあたしも一目置いているしなぁ。あの人、ディアンシーの試練を一発でクリアした稀な人だから」

「一発で?」

 ダイゴは瞠目する。クオンは事もなさげに、「そうなんだよねぇ」と腕を組んで渋い顔をする。

「ダイゴにしたみたいな、ペナルティなしのお試しみたいなものだったんだけれど、サキさんは一言だけ言ったの。『そこにあるでかいダイヤモンドは勘定に入れるのか?』って。もう負けだよね」

 クオンが肩を竦める。サキの審美眼が当てになる事がクオンを通して明らかになった。これでより、サキと合流する必要性があるだろう。

「じゃあ、俺はサキさんと会うから」

 クオンと別れ際に言葉を交わし合う。クオンは言い含めた。

「気をつけなよ。門限は四時。つまりそれまでに帰らなければ怪しまれる」

「分かっている。俺も、そうそうカナズミをほっつき歩いて回るほどの豪胆な人間でもないし」

 リョウとの約束通り、四時までに帰らねば。クオンが手を振って高校に向かう中、ダイゴはヒグチ家に向けて歩き出した。ヒグチ家に向かった時に見た街並みを参考にしてダイゴは歩みを進める。学園都市という話は伊達ではなく、そこらかしこに監視カメラや学生優待の店が軒を連ねている。

「おちおち逃げる事も出来ない、か」

 呟いてダイゴはヒグチ家を視界に入れた。さすが二大豪邸だ。ヒグチ家はすぐに見つかった。

「ダンバルをもらうだけだし、さっさと済ませよう」

 周囲は既に住宅街に入っているせいか少しだけ道が狭まっている。生け垣が左右にあり、立派な松の木が視界に入った。それを眺めていると松の木を手入れしている庭師と目が合った。

「あっ、どうも」

 自分から頭を下げると庭師は、「どうも」と返事を寄越す。ダイゴは変わったところがないか尋ねてみる事にした。

「あの、ヒグチさんの家ってあそこですよね」

「ああ、そうだよ」

 ダイゴが指差す方向を庭師は確認する。

「ここいらで変わった事ってありませんでした?」

 もしかしたら既に魔の手が伸びている可能性がある。だが庭師は首を横に振る。

「いんや。変わった事といえば一週間ちょっと前にあったけれどあれっきりだな」

 庭師の意外な発言にダイゴは聞き返す。

「変わった事、あったんですか?」

「ああ、雨が降ったのに庭の仕事をやらされていたからよく覚えている。ヒグチさんのところから真っ直ぐに、あっちの方向だったかな。パトカーが走っていったよ。何台もね」

 庭師の証言にダイゴは渋い顔を向ける。

「パトカー? どうして?」

「こっちが聞きたいよ。何だったんだろうね。後から聞いた話じゃ何でも事件だったらしいが」

「事件って、どういう?」

「飛び降りだって、小耳には挟んだけれど」

「飛び降り……」

 そこでダイゴはハッと思い至る。一週間ちょっと前と言えば、自分が拘留された時期と重なるではないか。

「飛び降り……、俺が捕まった時、何か事件があったのか?」

 呟いていると、「大丈夫か。あんた」と庭師が声をかけてきた。

「少し顔色悪いぞ」

「いえ、お構いなく」

 ダイゴは追及の視線から逃れるようにヒグチ家を目指す。自分の逮捕と同時期にこの周辺で起こっていた事件。その犯人だと自分は目されていたのかもしれない。だとすればどういう事件が起こっていたのか。知る必要がある、とダイゴは感じた。


オンドゥル大使 ( 2015/11/25(水) 20:35 )