INSANIA











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二つの家
第二十話「偉人」

 目覚まし時計のベルが鳴り、ダイゴは身を起こした。

 夢を見ていたような気がするが滑り落ちていく砂のように儚く、記憶に留まらない。右腕へと視線を落とす。昨日、感覚器が奪われたが何の問題もなく機能している。何度か握ったり閉じたりを繰り返して感触を確かめ、ダイゴは用意されていた服飾に袖を通した。家政婦のコノハと言ったか、彼女が仕立てたのだろう。パリッと糊の利いたスーツは同じものだがクリーニングが行き届いており清潔だ。赤いネクタイを締め、ダイゴはリビングへと階段を降りた。途中、リョウが気づいて声をかける。

「おう、早いな。ダイゴ」

 気安いその言葉にダイゴは、「ええ」と答えた。

「ずっと朝早く起こされていましたから」

「何だよ、嫌味か?」

 留置所での生活の事だったので警察関係者であるリョウにはそう聞こえても仕方がない。ダイゴは、「いえ」と首を振る。

「お陰で規則正しい生活が身について助かっています」

「まぁ、オレ達だって暇じゃないからな。出来ればきちんと朝起きて、夜眠ってくれるのがありがたい」

 リョウはダイゴの肩に手を置いてぽんぽんと叩く。ダイゴは朝食の並べられているテーブルへと歩み寄った。

「ダイゴ!」

 そう呼びつけたのはクオンだったが服装が違う。黒いカーディガンを身に纏っており、髪の毛と同じ色の紅いスカートを履いていた。その姿に驚いたのはダイゴだけではないらしい。リョウと既に朝食を取っていたイッシンまでも目を見開く。

「クオン……、お前」

 その格好、と口にしようとした二人へとクオンは舞い遊ぶようにくるくると踊りながら、「変かしら?」と尋ねる。

「久しぶりの制服だから」

 二人して次の言葉を繰りあぐねていたがダイゴだけがきちんと頷いた。

「うん、似合っている」

「ありがとう」

 クオンは鼻歌を口ずさみながら朝食の席につく。リョウが、「おい、ダイゴ」と囁きかけた。

「何でしょうか?」

「何でしょうかって、これはどういう風の吹き回しだ? お前、クオンに変な事をしたわけじゃないだろうな? 妙なクスリを飲ませたり……」

「あら、失礼ね兄様。ダイゴはあたしに気づかせてくれたのよ。学校に行くのも大事だって」

 リョウが呆けたように口を開けている。イッシンが、「そ、そりゃそうだが……」と同じようにダイゴを見やった。二人分の疑念の眼差しにダイゴは答える。

「学生の本分は勉強です。俺は、クオンちゃんを説得しただけですよ」

「そんな馬鹿な! オレ達が何度言っても聞かなかった事を、お前が一日でやったなんて……!」

「兄様。ダイゴはとてもいい方よ。この家に連れてきてくれてありがとう」

 妹からの何のてらいもない感謝にリョウは戸惑いを隠せない様子だった。ダイゴは涼しい様子で席に座る。

「朝食、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

 その問いにイッシンが気後れ気味に、「お、おお」と答えた。

「そりゃもちろん。家族だもんな。リョウ」

 視線を向けられたリョウがばつが悪そうに目を逸らす。

「まぁ、な……」

 信じられないのだろう。クオンの変わりようは確かに今までの彼女を知っていたのならば異常に映るかもしれない。だが、自分とて命を賭けた戦いの後にようやく彼女を説得出来たのだ。理解してくれ、とは言わないまでもそれなりの苦労はあったと思ってもらいたい。

 コノハがベーコントーストとスクランブルエッグを調理して持ってくる。ダイゴは、「ありがとう」とコノハの顔を見やった。コノハは無感情に会釈する。

「父様。あたし、今日から学校に行くわ」

「それならばきちんと定期代を持たせなければな。な? リョウ」

 この場で納得していないのはリョウだけだった。ダイゴを見やり、渋々と言った様子で承服する。

「……そうだな。ならば頼みがある。ダイゴ、二度目になるがクオンの通学路についていってくれないか?」

 クオンがトーストを頬張りながら、「あたしは一人でも大丈夫よ」と口にする。

「いや、久しぶりなんだ。それにダイゴだってこのカナズミシティをきちんと回っていない。クオンの通学を見守ってくれた後は好きにしてくれていい。今日の四時までに帰ってきてくれれば」

 リョウが、「それでいいだろ?」とイッシンに目配せする。イッシンは、「いいだろう」と首肯する。

「ダイゴもこの街の事を知らねばな」

 新聞を捲るイッシンにリョウは、「決まりだな」とダイゴに手を差し出す。

「妹をよろしくな」

 差し出された手をダイゴは握り返した。

「ええ。きちんとクオンちゃんを送り届けます」

 ダイゴはリョウの目を見返しながら昨日の事を思い返していた。その眼差しがつい昨日までとはまるで違う、何かを含んでいるように映って仕方がなかった。



















「これから行う事は、もちろん、ツワブキ家の人達には内緒だ」

 クオンに言い含めると彼女は正直に頷き、口元をチャックする真似をする。

「もちろん。ダイゴ、あなたとあたしだけのね」

 真鍮製の取っ手は他の扉とは明らかに違う。何か、異様な気配を含んだ扉をダイゴは開いた。リョウが禁じていた部屋。何があるというのか。それこそ自分にまつわる秘密があってもおかしくはない。あるいはツワブキ家の本来の目的が。しかし、入るなりダイゴは拍子抜けした。その部屋は応接室だったからだ。

「何だ、この部屋……」

 テーブルを挟んでソファが二つある。艶のあるソファには掃除が行き届いているのがダイゴにも分かった。どうやら放置されているわけでもなく、定期的に清掃されているようだ。ダイゴはクオンが入ったのを確認し扉を閉める。鍵はかかる仕様ではないらしい。いざという時に閉じ込められる心配はないが、証拠が残らないだろうかとダイゴは懸念する。

「クオンさん。君のディアンシーで気配は探れる?」

 尋ねると、「ちゃん付けでいいわ」とクオンは応じた。

「年下だし。もう対等でしょう?」

 ダイゴはクオンの提案に頷き、「じゃあクオンちゃん」と呼んだ。

「この部屋、おかしなところは?」

「ないと思う。だって応接室だし。それ以外に聞いていない」

 壁一面には本棚がありいくつもの蔵書が並んでいる。

「本、か。虱潰しに調べるわけにはいかなさそうな量だな」

 足元から部屋の天井ギリギリまである。これらの本の中から重要な文書を見つけ出すのは困難だろう。

「リョウさん、君のお兄さんがよく読んでいる本とか分かる?」

 クオンは本棚を眺めて一冊の本を指差した。

「これとか、かな。ほら、他の本は埃を被っていたり、日に焼けたりしているのに、これだけが真新しい」

 言われてみればクオンの示した本だけは埃を被っていない。ダイゴはそれを手に取る。タイトルを声に出した。

「ツワブキ・ダイゴの半生?」

 自分と同じ名前が刻まれている本をダイゴは観察する。特別な装丁が成されており、ちょうど日記帳のように本の端はボタンで留められている。

「これ、そんな特別な本なのか?」

「あたしに言われてもなぁ。でも他の本に比べて、読んだ形跡があるのはそれじゃない?」

 クオンの観察眼が馬鹿にならない事はつい先ほどの戦闘で明らかだ。ダイゴはボタンに手を伸ばそうとして、「いや」と首を振る。

「クオンちゃん、君が取ってくれないか?」

 光沢のあるボタンに指紋が残れば不可思議だろう。クオンはそれを汲んだのか、「分かった」とボタンを外した。ダイゴは受け取ってようやく表紙を捲る。すると一枚の写真がひらりと落ちてきた。手に取ってダイゴは瞠目する。

「……何だこれは」

 クオンが覗き込んでくる。彼女も目を戦慄かせた。「これ……」とダイゴと写真を交互に見やる。

「ダイゴじゃない?」

 クオンの言う通りである。そこに写っていたのは玉座につく自分の似姿だった。傍らには秘書か側近か、一人の背の高い紳士が佇んでいる。玉座につく青年の髪型も、目つきも自分のそれだった。

「……何なんだ。この写真。これは誰だ?」

 写真を裏返す。すると日付が刻まれていた。

「四十年前の、二月十三日。戴冠式?」

 この写真の青年が誰なのかの記録はない。だが戴冠式、という言葉からやはり王なのだという確信は持てた。

「この写真は誰だ? ツワブキ家の人間なのか?」

 ダイゴは本のページを繰る。すると、最初のページに同じ顔の青年の写真があった。今の自分と同じような服装で、自分を見つめ返している写真の青年の下にはこう書かれている。「初代ツワブキ・ダイゴ」と。

「初代? 俺以外にもツワブキ・ダイゴが?」

「それ、きっとツワブキ家の最初の当主だと思う」

 クオンはダイゴの疑問に答える形で口を挟んだ。

「当主、って、じゃあ一番偉い人か?」

「うん。ツワブキ家は元々鉱石業で成功した家系なんだけれど、その中でも異端中の異端の、今のデボンコーポレーションの基礎を築いたのが、あたしのお爺様だって聞いた事がある。それがこの人なんじゃないかな」

 写真の青年、ツワブキ・ダイゴこそ、今のツワブキ家の祖先だと言うのか。しかし、ダイゴには疑問が多かった。

「どうして、俺と同じ顔をしている?」

 本に問いかけても答えは返ってこない。クオンが代わりに口にする。

「分からないけれど、ダイゴは、この家とは全くの無関係に預かられたわけじゃないって事なんだと思う。何の関連性もなく、その名前をつけられたわけじゃないのかも……」

 クオンの推理に、ならばこの名前をつけた人物は経歴を知っていた事になる。初代ツワブキ・ダイゴと自分との関連性を既知の上で、この名前を用いた張本人。それは――。

「ツワブキ・リョウ……」

 彼しかいない。彼は自分と初代ツワブキ・ダイゴが何らかの因果関係の中にある事を知っているはずだ。知っていて黙っていた。

「じゃあ、リョウさんは俺の事を予め知っていた? 俺が何者なのかを」

「あたしも勘繰れるわけじゃないけれど」

 クオンは独自に考えを巡らせる。

「兄様は秘密主義なところがある。あたしにまずダイゴをぶつけたのは、何の計算もなしだとは考えられない」

 つまりクオンによって無力化される事さえも考えのうちだったという事か。ダイゴは本のページを繰った。初代ツワブキ・ダイゴに関する様々な情報が書かれているが少しの時間で読み解ける内容ではない。

「これ、この一冊だけな事はないよな?」

 その段になってクオンも思いついたらしい。

「そうだよね。なにせ偉人だもん。これがオリジナルだとしても、何冊か世に出ているはず」

「ホウエン、特にカナズミのツワブキ家からしてみれば稀代の偉人。必ず。どこかに原本ではない、写本が残っているはず」

 クオンは頷き、「あたし、学校で調べてみる」と口にした。その提言にはダイゴも驚きだった。

「でも、危険が伴うし……」

「せっかく学校に行くんだもの。それぐらいの役には立ちたいわ」

 クオンが探りを入れれば自分を抹殺しようとする一派に狙われる可能性がある。ダイゴは出来るだけ他人を巻き込みたくなかったがここまで来ておいてそれも水臭いか、と感じた。

「……分かった。でも調べるのは、この本が流通しているのかどうか、それに留めて欲しい。あまり深入りしないように」

「分かってる。あたしだって怖いし」

 クオンは頭が悪いわけではない。きっと引き際くらいは心得ているだろう。

「俺が何者なのか、この本がきっかけになる」

 ダイゴは本棚に本を戻す。このきっかけをどう活かすかは自分次第だ。だが自分とクオンだけでは限界が生じるのは目に見えている。

 ダイゴは会わねばならない人間がいると感じた。自分の味方になってくれる、この世界で何よりも頼りになる人間に。



オンドゥル大使 ( 2015/11/20(金) 21:57 )