第十九話「失敗作」
闇が凝っている。
真空か、または深海を思わせるほどの静謐の中に存在するのは一人の呼吸だった。魚でも、ポケモンでもなく、人間であるはずのその者の呼吸はしかし、生命力が限りなく小さい。ゼロに近い生命へと歩み寄る気配があった。呼吸を中断し、その者は問う。
「――何奴」
その問いに答えるべく前に出た人影は外套を身に纏っていた。監視カメラ対策か、とその者は勘繰る。
「随分とやつれておられますな」
その声音は男にも思えるが女とも思える。老人のようで若人の瑞々しさも存在した。年齢の読めない声にその者は問いを重ねる。
「俺を、殺しにきたのか?」
問いかけに、「まさか」と外套の人影が肩を揺すった。
「今のあなたは動けもしないはずだ」
その通りである。その者はベッドに横たわった自分を自覚する。もう幾星霜の時が過ぎただろうか。呼吸と声が大別され、心臓の鼓動もほとんど刻む事はなくなった。死者のそれに近い自分の身体を持て余し、今や迫る死の足音に怯えるわけでもなくただ淡々とその時を待ちわびるだけだ。せめて人間の尊厳を保った終わりを。
「もったいない、と感じませんか?」
外套の人物の言葉にその者は、「何が」と応じていた。最早自分の命に頓着する事はない。命はいずれ終わりを告げる。ならば、自分が死ぬ事に何ら特別性を見出せない。
「あなたとてDシリーズのはずだ。だというのに、ただ失敗作として世を去るのは」
その言葉に瞠目する。Dシリーズ。それを知っている者は数少ない。自分の出自を知るものはこの世にはいないはずである。
「何者ぞ?」
質問に相手は答えず布で包められた筒状のものを取り出した。視線をそちらに向け、「それは?」と尋ねる。
「あなたに足りなかったものです。Dシリーズとして、あなたは生を受けたにもかかわらず失格者の烙印を押された。ですが、これであなたもDの一員だ」
布が取り払われ、それが明るみになった。真空袋に入れられたそれは黄色い液体の中にある腕だった。人間の右腕だ。
「あなたにこれを移植します。そうする事であなたはDの一員として目覚める事が出来る」
「何が目的だ」
今さら、自分に生きる事を促すなど。相手の酔狂な目的を知らねばならない。外套の人影は、「ただ一つ」と告げる。
「D015の抹殺を」