第十八話「彼女の向こう」
「やっぱり、駄目だったのね。あなたには本質を見極める力がなかった」
クオンが残念そうに口にする。だがこれでダイゴは手に入った。最早、目的は果たした、も同然だ。クオンが身を翻そうとするとディアンシーが鳴き声を上げた。
「ディアンシー?」
振り返ったクオンの視界に映ったのは、両手を伸ばし、ディアンシーの頭部を掴んでいるダイゴの姿だった。修行僧のように頭を垂れ、ダイゴはディアンシーの頭部をがっしりと指をかけている。
「――答えは」
ダイゴの喉から言葉が戻る。その顔が上げられ、確かな輝きを伴った双眸が向けられた。
「最初から、視界の中にあった。君は言ったな。視界の中のダイヤモンドのどれか一つが本物だ≠ニ。そうだ、勘定に入れていなかった。視界の中、だと言うのならば、ディアンシーの額にあるこのダイヤモンドだって入っていたんだ」
膝から下の感覚器が戻ったのだろう。ダイゴは立ち上がり、ディアンシーから手を離してクオンに歩み寄った。
「君に勝ったぞ」
その言葉にクオンは正直に微笑む。
「まさか、見極めるとはね」
やはり自分の目に狂いはなかった。ダイゴは本質を見極められる人間であった、という事だ。素直に敗北を認める他ない。
「で、負けたあたしはどうすればいいのかしら?」
「どうも」
答えたダイゴの声に今度はクオンが瞠目する番だった。ダイゴは、「これは対等な勝負だったんだろう?」と聞き返す。
「ええ、それは」
「だったら、俺の言う事を一つだけ聞いて欲しい」
「何?」
内心、鼓動が早鐘を打っていた。ダイゴが言うべき事、それは一体何なのか。もしかしたら自分の家族の根幹を揺るがしかねない言葉かもしれない。
だが、放たれたのは意外そのものだった。
「学校に行くといい。俺が出来たんだ。君の友達にも、本質を見極められる人間がいるはずだよ」
思わぬ言葉にぽかんとする。ダイゴはしかし、奇をてらったわけでも、裏を掻こうとするわけでもなくダイヤを一つ手に取る。
「本物か、偽物か。そういうのって結構紙一重だと思うんだ。俺が最後の最後に答えに辿り着いたように、君だって最後の最後まで希望を捨てるべきじゃないと考える。高を括っていないで、本質を見極められるかどうかは自分の目でしっかり確かめるといい。俺は少なくともそういう向き合い方、大事だと思う」
ダイゴの要求はツワブキ家の秘密を暴けでもなく、自分に逆に奴隷になれでもない。ただ学校に行けという素朴なものだった。クオンは思わず聞き返す。
「そんなので、本当に……」
いいのか。ダイゴ自身、「俺だって聞きたい事は山ほどあるさ」と答える。
「でも、俺がまず命じられたのは君への世話係だ。任された役目は果たすよ。それが、まず第一歩となるはずだから」
その言葉にクオンは苦笑を漏らす。
「完敗ね。ダイゴ、あなたはあたしの予想以上だった。本質を見極め、相手の心も動かせる」
「学校に行ってくれる?」
「ええ、行くわ。最初から決めつけてかかるもんでもないって教えてもらったからね」
クオンの言葉にダイゴは、「俺が上から言える身分でもないんだけれど」と後頭部を掻いた。
「君は充分に魅力的だし、多分、人気者になれると思う。本質を見極めるのは、誰か一人でも友達を作ってからでも遅くはないんじゃないかな」
ダイゴの飾らぬ物言いにクオンは嘆息を漏らした。ここまで言われればもう敗北以外の何者でもないだろう。
「じゃあ、あなたが友達になって」
クオンの要求は意外だったのかもしれない。ダイゴは目を見開き自分を指差す。
「でも、俺は家族として迎え入れられたわけだし」
「血の繋がりはないわ。一つ屋根の下で男の子と女の子がそれって、結構犯罪級じゃない? そういうのに憧れているのよ」
背徳的な関係。クオンが求めているのはそれだった。まず友達よりもそれが欲しい。ダイゴは少しばかり首をひねって、「俺は君の事を女の子として見ている」と口にする。その言葉はクオンにとっては満足いくものであった。
「うん、それで?」
「女の子と恋人は別だ。だから君の望む関係にすぐにはなれない。それだけは申し訳ない」
ダイゴは真正直だ。しかしクオンは嫌いではなかった。この男がいずれ自分を必要とする。その時こそ、背徳の喜びが身体から溢れてくるだろう。今は、ダイゴの言葉を額面どおりに受け取ればいい。いずれ自分しか見られなくなるほどの自信はある。
「いいわ。今は家族として、あなたを見ましょう」
「俺も家族、というものが増えてくれて嬉しい。……俺には、ああいうのは無縁だと思っていたから」
ダイゴは何を思い出しているのだろう。顔を伏せて口にした声音には一種の哀愁すら漂っていた。
「ツワブキ家の人間は、家族じゃないの?」
「俺は迎え入れられた。でも、そう易々と家族になれたとは思えない。それに、秘密もある」
ダイゴが指差す方向へとクオンも視線を向ける。そこで、ああ、と納得した。
「兄様が禁じたのね」
「何があるんだ? リョウさんがわざわざ俺に言い含めるほどだ。何かあると考えるしかない」
「意外。そういうのには無頓着かと思っていた」
クオンがクスクスと笑うとダイゴは顎をさすりながら答えた。
「無頓着でいたい。だけれど、わざわざ禁を作るって事は、俺に知られたくない何かなのだろう」
暗に知らねばならない、と自身を諭しているかのようだった。クオンはダイゴの望みを叶える事が、自分の野望の一歩目だと考える。
「いいわ。兄様には内緒だけれど、あの扉の向こうへと行きましょう」
その言葉が予想出来なかったのかダイゴは視線を振り向ける。
「いいのか? 君まで疑われれば」
「心配してくれるの? でも、あたしは大丈夫。ずっと家にいるから、どこに行っても何も言われないわ。あなたがその証拠を残さないなら、ね」
ダイゴは渋い顔をして、「さっきの約束は」と口にする。
「分かっている。これからは学校に通うわ。でも今すぐじゃないでしょう?」
クオンの茶目っ気にダイゴも困惑しているようだったが目的を違えるつもりはないらしい。二階にある扉を目にして言葉を発する。
「俺は、俺の事を知らねばならない」