第十七話「試練」
「何が……」
起こったのか。ダイゴは確かめようもない。攻撃を放たれた、とばかり感じて身構えた身体が弛緩する。降り注いできたのは大量の鉱石だった。それもただの石ころではない。重量のあるダイヤが床に散りばめられている。
「何のつもりなんだ、君は……」
ダイゴの戸惑いをクオンは断じる。
「あなたは本質を見極められる人なのかどうか、そのテストみたいなもの」
「本質? 何を言っているんだ」
ダイゴの質問を無視してクオンはリビングを横切る。後ろから手持ちであるディアンシーが輝きを誇りながらついてくる。
「物事の本質を見極められないのならば、それは死人と大差ない。ダイゴ、あなたは家族になるのならば必要な儀礼」
「これが何だって言うんだ?」
ダイゴはダイヤの一つを手に取る。クオンが目を細め、「当ててもらう」と答えた。
「当てる……?」
「あなたの視界の中に、今無数のダイヤモンドがあるでしょう。でも、本物は一つしかない。その一つを見つけ出して」
クオンの放った無理難題にダイゴは狼狽する。視線を落とせば床一面にダイヤがあり、それらの輝きはほぼ均等である。
「……馬鹿な。無理だろう」
自分にはダイヤの見極めなど出来る経験がない。いや、もしかすると記憶がないだけかもしれないが、今の自分にはその経験値はゼロである。
「無理だと断じるのは勝手。でも、このゲームに乗らないのならば、あたしはディアンシーであなたを攻撃する」
「どうして……」
ダイゴの当惑にクオンは紅い髪を指でくるくると巻きつけて、「らら」と口にする。
「物事の本質を見極められない人間は家族にいらないから。あたしの家族、つまりツワブキ家はみんな、この試練を乗り越えてきた。あたしもそう。ディアンシーはだからあたしのポケモンになった」
試練。
その言葉にダイゴは身が強張るのを感じ取る。今提示されているのは超えなければならない試練だと言うのか。
「どういう意味だって言うんだ? ダイヤモンドの見極めが何の?」
「ダイヤモンドの見極めも出来ないようでは、らら、家族になろうなんてそれは無理」
ディアンシーがダイヤを精製しクオンの手に握らせる。クオンは掌でダイヤを転がしながら、「あたしの世話係になったんでしょう?」と聞き返す。
「ならば、遊んでくれるのは当たり前のはず」
ダイゴは今置かれている状況を俯瞰する。相手はポケモンを出している。下手には動けない。ダイゴは息を詰めて、「ルールは?」と訊いていた。
「ルールが分からなければ一方的だ」
「そうね。一方的なのはゲームとは言わない。ダイゴ、先にも言った通りあなたの視界の中にあるダイヤモンドの中に一つだけ、本物がある。でも誰かにそれを問うたり、あるいはこの場から逃げ出そうとしたりでもすれば、手痛い罰が待っている」
「罰、だって……」
ダイゴの当惑にクオンが顎でしゃくる。すると、膝から先の力が抜けていった。不意打ち気味の何かにダイゴは驚きを隠せない。
「何を、した」
「何をした、とはとんだ言い草。罰だと言ったはず。ディアンシーは岩・フェアリータイプ。フェアリーとは妖精の事。人知の及ばぬ存在。人体の神経系統を切るくらいは動作もない」
まさか、今の動作だけで膝から下の神経が切られたとでも言うのか。瞠目するダイゴへとクオンは囁きかける。
「一時的に、よ。ディアンシー」
呼びかけるとディアンシーが片手を振るう。それだけで脱力感が消え去り、膝から下に力が戻ってきた。
「今のは、あたし達がどれだけ本気なのかを示すためにちょっとだけ試してやったに過ぎない。でも、もし本当に間違えたら今の現象が起こると考えてもらっていい」
ダイゴはクオンの襟元を掴み上げた。クオンは眉一つ動かさず、「痛いわね」と口にする。
「どうして俺を倒そうとする? もしかして、君もニシノの言っていた奴らの一員なのか? ツワブキ家は何を企んでいるんだ?」
「らら。質問の意味が分からないけれど、でも答える義務もないわよね。だってあたしは公平にルールを語った。そのルール間でしかあたし達の関係性は成り立たない」
ふざけたルールの上で自分の感覚器を切られるとでも言うのか。ダイゴは、「付き合いきれない」と踵を返そうとする。だがクオンの声が背中に投げられた。
「いいの? 勝負を投げて」
「端から勝負にならない。俺にダイヤモンドを見極めるスキルはない」
「そう、残念」
その言葉で右腕の感覚が失せた。瞬間的に消え去ったためにそれを認識するのが遅れたほどだ。だらんと力なく垂れ下がった右腕をダイゴは戦慄く視野に入れる。
「俺の、右腕を……」
「言ったでしょう? 罰が待っているって」
ダイゴは歯噛みした。この状況、クオンはツワブキ家の企みを知っていて、その一環として自分を潰そうとしている。それは明白だ。だからこそ、ポケモンありでの勝負を申し込んだ。
ダンバルがいれば、と考えてしまう自分を叱咤する。どちらにせよ、ルール上の攻撃しか有効ではないのだろう。ディアンシーと呼ばれたポケモンにはそれなりの威厳がある。ダンバルの突進攻撃だけが通用する相手とも思えない。
「俺が、きちんと本物を見極めれば、このゲームも終わるんだな」
問い質すとクオンは首肯する。
「そう。別にアンフェアなゲームじゃないでしょう? 視界の範囲にあるダイヤモンド、そのどれかが本物の一個なのだから」
どれかが、とダイゴは床に散らばったダイヤを眺める。どれも同じ輝き、同じように切り取られたダイヤに映るがどれかが本物なのだと言う。ピンク色の光を内側から灯すダイヤは神秘的だが今は性質の悪い冗談にしか映らなかった。どれも本物、いやもしくはそれ以上の輝きを誇るダイヤだ。どれかが本物で偽物だなんて区別をつけられない。
「これか、これ……」
手に取って硬さ、重さを比べてみるがどれも同じだ。特別に軽いわけでも、重いわけでもない。ダイゴは苦渋の選択を迫られていた。
「さぁ、どうするの? 今手に取っているダイヤが本物?」
震える視界の中でダイゴは一つのダイヤを差し出す。違いは全く分からないがどれか基準を示さねば本物と偽物を見極める事など叶わないだろう。ダイゴの手にあるダイヤにクオンは少しだけ首を傾げてから、「残念」と呟いた。
次の瞬間、膝から下の感覚が消え失せていた。覚えずその場に膝を落とす形となる。
「そんな……」と喉の奥から声が漏れる。
「本質を見極めなさい。そうでなければあたしには勝てない」
本質、とダイゴは胸中に繰り返し、左手でダイヤを探る。硬さ、重さ、あるいは輝き、それらを比べてみるも全く違いは分からない。
「本質だって……? こんなイカサマ紛いで……」
「心外ね。イカサマなど一つもないわ。視界に入っているダイヤのうち、たった一つだけが本物。口にしたルールにはいささかの間違いもない」
だが、だとすればこの中に本物を探さねばならない。ダイゴは床に散らばったダイヤを見比べる。しかし一人では活路を見出せそうにない。
周囲に視線を配る。誰かいないものか。だが、ツワブキ家はクオンと自分以外留守だ。首を巡らせるうち、ダイゴはテーブルの上にあるものを見つけた。ポケナビである。誰かが置いていったのだろう。もし、あれがリョウのものならば、サキの番号が入っているはずだった。
どうにかしてサキへと連絡を取らねば。それしか自分に出来る活路はない。この状況を覆すにはサキの力が不可欠だ。だがクオンは自分を見張っており、下手な行動は出来ないだろう。膝から下も自由ではない。動けてもクオンに察知されずにテーブルまで行けるだろうか。
しかしクオンとて持久戦の腹積もりではないはずだ。誰かが帰ってくればこの状態自体が瓦解しかねない。短期決戦。それはお互いにそうである。クオンからツワブキ家の秘密を探り当てるのと、この勝負に勝つには誰かが帰ってくるまでのリミットがあるのだ。
「一つ、問いたい」
ダイゴの声にクオンは超越者の余裕さえ漂わせながら、「何かしら?」と訊く。
「もし、このダイヤ、一つとして本物がないとすれば、この博打は最初から無効になる。それを証明出来るとすれば?」
ダイゴの言葉に、「それこそあり得ないわね」とクオンは無感情に返す。
「だって本物があるのだもの。言ったでしょう。ルールは先の通りよ」
視界の中に本物がある、か。ダイゴは反芻しながらも床に散らばったダイヤモンドの中に特別な輝きを見出す事は出来ない。
一つを手にする。ダイゴの掴んだダイヤをクオンが窺う。
「それが本物?」
ダイゴはクオンへと差し出そうとして、そのダイヤをクオンの遥か背後へと放り投げた。突然の行動にクオンが面食らい、ダイヤの方向を目で追おうとする。それが好機だった。ダイゴは上半身の力と残った下半身の力でテーブルへと這いずる。テーブルの上のポケナビを手に取り咄嗟にコールを押そうとした。その刹那、指先の神経が麻痺してポケナビを操作出来なくなる。クオンが、「はまったわね」と口にしていた。
「それはあえて置いておいた罠よ。あなたがそれにすがり付こうとすれば、問答無用で罰が発生する。それはだってルール違反だもの」
クオンの言葉にダイゴは声を返そうとしたが舌がもつれて全く喋れなかった。感覚器、それも会話という機能を奪われた。ダイゴは喉を押さえて必死に声を出そうとするがどれも呼吸音となって消えていった。
「大変な事になったわね。もう喋れないなんて」
ダイゴは恨めしげな眼をクオンに向ける。クオンはしかし風と受け流した。
「そんな眼をしても無駄。あたしを睨んだところで感覚器が戻ってくる事はないし、この勝負を続けるしかないのよ」
クオンはダイゴの手からポケナビを取り上げ自分の左手首にはめた。
「勝ちたければ考える事ね。どうやって本質を見極めるのか」
クオンが指を一本立てる。ダイゴはそれを見つめた。
「あと一度だけ、チャンスをあげるわ。今度の失敗であなたは視界を失う。つまり、最早見極める事など不可能になる。そうなればもう一生、あなたはツワブキ家の、いいえあたしの奴隷よ」
ダイゴは強く念じる。
――勝たねば。そうでなければ自分は一生前に進めなくなる。
ダイゴは左手でダイヤを掴もうとするが指先が麻痺しているせいで滑り落ちていく。ようやく掴んだダイヤも今までと大差ない。本当に、この中に存在しているのか。その問いかけさえも出来ない。かまをかける事も出来ないのならばこの勝負、もう決着はついているのではないか。ダイゴは絶望的な状況に立たされた。どうやって本物を見極めればいい? 本質とは、一体何なのか。
「それが本物?」
ようやく掴んだダイヤを見やりクオンが尋ねる。ダイゴは頭を振って否定する。床一面のダイヤを手で探るがどれも代わり映えはしない。このゲームに追い込む事、それ自体が罠ではないのか。ダイゴはそのような深い懐疑さえも抱いてしまう。ニシノの時と同じく、既に相手の優位に立たされている可能性。しかしクオンにペナルティが課せられる空気はない。このゲームはまだフェアなのだ。しかし次で終わる。視界が奪われれば今度こそ終わりだ。ダイゴは視界の中のダイヤを薙ぎ払った。どれも同じで、特別な本物があるとは思えない。しかし選ばねばならない。ダイゴはそのうちの一つに手を伸ばす。
「それが本物?」
ダイゴはクオンへと這いずって近づいた。ディアンシーが吟味するように手を伸ばす。その手が触れられ、ダイヤモンドが一瞬、本物かと映った。
しかし、ディアンシーは首を横に振った。
「残念ね、ダイゴ」
次の瞬間、ダイゴの視界は闇に閉ざされた。