第十四話「姿なき影」
宴の席が終わるとサキが真っ先に告げたのは手持ちを渡せ、との事だった。
約束を違えるつもりはない。ダイゴは正直に手渡したが博士とサキは耳打ちし、ダイゴに研究所に来るように告げる。シャワーを浴びてからダイゴは与えられた部屋を訪れ、その後、研究所に足を運んだ。すると既に解析を始めていたサキが、「遅いぞ」と腕を組んで佇んでいる。博士が窪みにモンスターボールを入れてパソコンで調査していた。
「何か分かります?」
自分でもダンバルの基本命令以外は不明だ。だからこそ、素直に渡す気になれた。博士は顎に手を添えて、「これは非常に珍しい種類だね」と神妙に語る。先ほどまでの宴席での軽薄な態度は消え失せ、そこにはポケモンの権威が座っていた。
「ダンバル。目撃例が数少ない鋼タイプ。覚えている技は突進だけだ」
「他には?」とサキが促す。ダイゴが、「クリアボディです」と口を挟んだ。
「特性は」と付け加えると、「そうだね」と博士は首肯する。
「能力の下降上昇の影響を受けない特性。珍しいといえば珍しいが、ダンバルの個体においてはそれほど重要視しなくてもいいだろう。問題なのは、ここから君のトレーナー情報。つまりおやである君の情報源に辿り着けるかどうかだが」
博士に自分の記憶喪失の事は話したのだろうか。サキへと目線を配ると、「ある程度は」と告げられた。
「自分の記憶がない、という部分は話した」
つまりそれ以外の、咎人かもしれない部分は話していないのだろう。ダイゴは余計な事を言わないほうがいいと判断する。
「今行き当たった」
博士の声にダイゴは覚えず心臓が収縮したのを感じ取る。サキが、「どうだって?」と端末の画面を覗き込んだ。博士は腕を組み、「これはちょっと意外だね」と呟いた。
端末における「おや」の登録には「該当データなし」とあった。つまり、ダンバルのおやは自分ではない、という事になる。
「お父さん、これは」
「うん。私もそう睨んだが、やはりおかしい」
何がだろうか。ダイゴには手がかりが途絶えたように映ったがこの二人には違うのか。
「普通、野生個体でもどこで出会ったか、という記録はされるんだ。交換したのならばその人物の名前、どこかでタマゴから生まれたのならばその場所。なのに、不明だなんて、逆におかしい。ダイゴ君。君は、どこで手に入れたのか、少しでも心当たりはないのかい?」
つまり博士の言い分だとポケモンのおやの項目に「不明」はあり得ないのだろう。ダイゴは必死に思い出そうとしたが自分の中で雨の日に打たれていた以上の過去はなかった。空白の期間。自分は何をしていたのか、それ以前が全くないのだ。
「……すいません。俺には何も」
その言葉は予想されうるものでもあったのだろう。「やはり、か」と博士は顔を拭う。サキも前髪をかき上げていた。
「だが、実際に奇妙な話だ。ポケモンの所持からある程度の出自が割れるのに。どこから現れたのか、その出身地ですら明らかでないとは」
サキの言葉に博士が続ける。
「ポケモンリーグ以降、トレーナーのポケモンは余さずIDによって個体識別番号が振られ、トレーナー登録を済ませた人間はデボンに管理される時代。その時代に不明、だなんて、ダンバルと君は透明人間のようだね」
ダイゴはその言葉に暫し沈黙する。透明人間。観測されなければここにいるのかさえも危うい、歪な存在。ダイゴの沈黙を読み取ったのだろう。「失礼……」と博士は訂正した。
「だがこの高度情報化社会で、どうして個人情報の網を潜り抜けられるのか……」
「俺には、何も……」
戸惑いに博士は手を振る。
「いいよ、君の不安は分かる。我々こそ、いたずらに煽る真似をしてしまった。悪かったね」
博士とサキが目配せし合う。サキも、「すまない」と頭を下げた。
「やめてください。俺のために、二人はやってくださったんですから」
「だが結果が得られなければそれは無駄だ」
「だろうね。……ダイゴ君、少しだけダンバルを預かっていいかな?」
博士の声音にダイゴは疑問符を挟む。
「いいですけれど……」
「いや、必要ならば返す。ただ一時間程度ではこれが限界なんだ。きちんとした施設で調べよう」
「お前にもう一つ、やってもらう事がある」
サキが何かを差し出す。それは爪楊枝だった。
「これで頬の内側の組織を取ってくれ。今すぐに」
言われるがままにダイゴは爪楊枝で頬の組織を取り、サキに手渡す。
「もういいぞ」と言われダイゴは戸惑った。
「いいんですか?」
「これ以上は研究者の領域だ。なに、心配はしなくっていい。私も管理している」
ダイゴは釈然としないものを感じながらも二人が嘘をつくはずがないと部屋に戻った。眠りは訪れないかと思われたが素直にベッドに入ると意識は闇に落ちた。
「ダンバルの確保と、それにダイゴ君の遺伝子情報を調べる、か」
博士はキーボードを打ちながらも感嘆の息を漏らす。
「我が娘ながら恐ろしいな」
「必要なんだから仕方がない。私だって、こんな真似はしたくないけれど」
サキはそれ以上を濁す。ダイゴから力を奪ってさらに遺伝子情報を施設に回す。自分に出来る抵抗はこのくらいだ。明日にはダイゴはツワブキ家。手を出すのは難しくなってくる。
「リョウ君は? 彼は協力的じゃないのか?」
「リョウとて公安だし、あまり踏み入った話は出来ない。それに私も自由に動けるかというとそうでもないし」
お互いに距離を置いたほうがちょうどいいのだがリョウのほうはどう思っているのかは知らない。だが心得ている幼馴染の胸中が予測出来ないわけでもなかった。
「リョウ君が引き取ると言い出したんだ。単なる気紛れとは思えないだろう」
博士の見解は幼い頃からリョウを見てきたからこそ出る言葉だ。リョウは身勝手だが決して気紛れではない。ツワブキ家に招いたのも何かしらの突破口があると信じていたからのはずである。だがその突破口とやらがこちらのアプローチでは全く見えない。進まない現状に苛立ちすら募らせる。ただ一つ、進展した事といえば自分に接触してきた謎の人物。いや、あの言い分だと組織か。
「お父さん。ネットワークから完全に隔絶されていて、いざという時にはデータバックアップが即座に行える端末って余っている?」
「うん? 何でそんな事」
博士からしてみれば疑問だろう。だがサキにはどうしても必要だった。スタンドアローンの端末でなければ二次災害は防げまい。
「ちょっと急を要していて。出来れば早めに貸して欲しいんだけれど」
「端末ならば揃っているけれど……」
博士が棚を指差す。旧式の機材が揃っていた。これならば文書ファイルくらいは開けそうだ。
「しかし、何でだってネット回線のないものなんて今さら持ち出す? ほとんど骨董品といい替えてもいいけれど」
「骨董品にも使いようはあるし。私は少なくとも必要」
ネットに繋がっていればぼろが出る。警戒しての行動だったが博士には怪しげに映ったらしい。「どうにも腑に落ちないな」と口にする。
「彼の事といい、ダンバルの事といい。それにサキもだ。警察の関係端末じゃ開示出来ない資料なのか?」
さすがは父親と言うべきか。自分の脆い部分をきちんと理解してくれていた。サキは息をついて前髪をかき上げる。
「……ちょっと同僚や上司には話せない野暮用が出来てしまって。私個人で進めたいのは山々なんだけれどダンバルの事とかに関してはお父さんの力が必要になった。その点、私はまだまだだ。大人に成り切れていない」
サキの悔恨を博士は、「大人なんてなっている人間のほうが少ないよ」と返す。
「研究者だって元を辿れば純粋な好奇心だ。どれだけ崇高な理念で着飾ろうとそれは変わらない。有史より人々は様々な、それこそ八方手を尽くして色々と解明しようとしたけれど、科学者が出来る事ってのは案外少ないものだからね」
博士は窪みにはまったモンスターボールの表面を撫でる。中にいるダンバルが身じろぎして主の不在を主張しているようだった。
「このダンバルから、本当に何も辿れないの?」
サキの疑問に、「本当に情報がないんだ」と博士は返す。
「どこから孵化されたダンバルなのか、そもそも彼が本当に持ち主なのかさえも分からない。それにこれは実験してみないと全くの不明だが、彼の言う事を聞くのかさえ、ね」
ダンバルがダイゴの言う通りに動くところをまだサキも見ていない。このダンバルがブラフである可能性も捨てきれないのだ。
「つまり、手詰まりって事?」
「必ずしもそうではない。サキがやってくれた彼の遺伝子組成とダンバルとの関連性を見よう。もっとも、これは少し時間がかかるが」
博士の言葉にサキは息をついた。
「ゴメン。帰ってきて早々、こんな事に」
本来ならばもう少し親子として話し合いたい事もあるのだが今は彼の正体を追及するほうが優先された。彼について何かしら知っている連中の事も気になる。
「いや、いいんだ。それに、正直なところ少し嬉しくもある」
「嬉しい?」
意外な言葉に疑問符を浮かべると、「あまりサキが私を頼ってくれる事はなかったからね」と博士は微笑んだ。
「そういう点で、まだ父親だと思ってくれているのが嬉しいんだ」
「お父さんはいつまで経っても私の父親だよ。それに、私だってまだまだだ」
刑事としてまだ不充分な点がいくつもある。博士は、「それを補い合えて嬉しいんだよ」と言葉を継いだ。
「必要とされないんじゃないかって、たまに感じてしまう。サキは自慢の娘だから、何でも出来てしまうんじゃかってね」
博士の杞憂にサキは、「そんな事……」と口にしようとするが自分に背負い過ぎている部分がある事は否めない。覚えず言葉を飲み込むと、「端末を持っていくといい」と博士は告げた。
「必要なんだろう?」
サキは、「ありがとう」と礼を述べてから端末を手にした。博士はまだダンバルの解析の手を休めない。
「お父さんも、早めに休んでね」
「ああ、サキもね」
お互いにこうして思い合える事こそが親子の証なのではないのだろうか。そこには特別な言葉などいらない。サキは端末を手に自室へと戻り、起動させて外部メモリを突き刺した。読み取っている間に部屋を見やる。部屋は、一人暮らしを決めたあの日からそのままで、時折掃除してある様子だった。
「お母さんかマコか」
まめなのはあの二人のどちらかである。どちらにせよ、久方振りの我が家でもきちんとくつろげるのはありがたかった。
起動した端末が外部メモリを読み取る。外部メモリの中にある圧縮されたファイルを解凍した。瞬時に解凍され、現れたのは二つの文書ファイルだ。サキは一つ目の「真実を乞う者へ」と書かれたファイルを開く。すると文書が開示された。
「親愛なる真実を乞う者よ。あなたがこの文書を目にする時、恐らくは彼はツワブキ・ダイゴという名前を与えられているだろう。だがダイゴの名前はいずれ重石となり、彼を押し潰す。彼の抹殺を企む一派について我々の知りうるところはまだ少ないが、開示される情報としては二つ……」
そこまで読んで、サキはスクロールさせる。すると二つの文言があった。
――1、彼は天使事件≠ノ無関係ではない。
天使事件≠フ名前が不用意に使われている事にサキは瞠目する。警察内部でしか知れ渡っていないはずの事件名。それを知っている時点で相手はただ者ではなかった。
「2、ツワブキ家は彼を引き取るために、全ての現象を利用しようとしている……。馬鹿な、オカルトだ」
二つ目の項目はサキには信じがたいものだった。ツワブキ家がどうして彼を必要としているのか。彼は言うなれば被害者で、ツワブキ家とは何の接点もないようなのに。だが天使事件≠ノ無関係ではない、という言葉にはサキも引っかかった。
やはり彼は関係者なのか。その上で記憶喪失を装っている、あるいは本当に記憶がないのか。記憶喪失を科学的に証明する手立てがない以上、この推論は無駄に終わるが。
「だが、どうしてツワブキ家がこだわる必要がある? ツワブキ・ダイゴの名前が無関係ではないというものこじつけに思えて仕方がないし……」
サキはその下へと目線を向けたがそこから先には「もう一つのファイルへ飛べ」、と書かれているだけだった。サキはもう一つの文書ファイル「真実を追う者へ」を開く。この二つで一つの仕様なのだろう。
――こちら側を開いたという事はあなたが真実を追う者である事を意味している。彼を傍観し、ツワブキ家の魔の手から救おうとしている、あるいはこのまま事態を静観出来ない正義感の持ち主だという事だ。我々はあなたを一旦、信用し、いくつかの情報を与える。あなたがそれらについて調べるかどうかはあなた次第だ。真実を追う気があるのならば覚えておくといい。「メモリークローン」「D015」「初代ツワブキ・ダイゴ」この三つのキーワードからなる真実を、あなたは追うといい。言っておくが真正面から愚直にこれらを調べるとあなたに危害が及ぶ可能性がある。出来るだけ隠密に、家族や恋人にさえも知られてはならない。あなたは真実を追う権利を得た代わりに、孤独に戦わねばならないのだ。だが、彼が味方してくれるかもしれない。彼もまた、真実を追う者だからだ。
その下へとスクロールした途端、一つの言葉が書かれていた。サキは読み上げる。
「真実は決して一つではない……」
その言葉を目にした瞬間、小さな火花が散り、外部メモリが焼き切れた。同時に端末がブルーバックになり、すぐさま様々なプログラムの書き換えが行われた後、暗転した。
「やはりウイルスが仕込まれていたか。だが」
サキは手元のメモ帳に書き付けていた。先ほどのキーワードを。
「メモリークローン、D015、初代ツワブキ・ダイゴ……。今のところ全く不明な単語の数々だな」
サキはため息を漏らし前髪をかき上げる。だが手がかりは掴んだ。今の情報から明らかになる事は二つ。
連中は天使事件≠フ概要を知っている。加えてツワブキ家を敵視している。
「だが何でツワブキ家を……。確かにデボンは脅威だが」
しかし民間企業だ。何を恐れる事があるのだろうか。サキは考えを巡らせたが堂々巡りになるのは目に見えていた。
壊れてしまった端末は言い訳が聞かないな、とサキは考えベッドに潜り込んだ。連日の疲れからか、眠りはすぐに訪れた。