第十二話「客人」
「もらい物だけれど」
マコが取り出したのはロールケーキだ。冷蔵庫から取り出して切り分ける。ダイゴはリビングのテーブルについていた。マコに勧められ、もてなしを受ける事になったのだ。研究員達はいない。それぞれの仕事が忙しいのだろう。キッチンから芳しいコーヒーの香りが漂ってくる。鼻腔をくすぐる香ばしさに、「コーヒーですか?」と訊いていた。
「あっ、ゴメン。嫌いだった?」
「いえ、そんな事は」
ダイゴが首を振るとマコは微笑んで切り分けたロールケーキとコーヒーをそれぞれ自分とダイゴの分をテーブルに置いた。マコは対面に座り、「さて、と」と切り出す。
「サキちゃんとは、どういう関係なの?」
いきなりの言葉にダイゴは返答出来ない。先ほども訊いてきたが、どうやらマコは自分とサキが特別な関係だと思い込んでいるらしい。
「さっきも言いました。被害者だって」
「だから、あの時は研究員の皆もいたからあんまり引き伸ばすのも何だかな、って思ったけれど、やっぱり気になるじゃない」
妹であるマコからしてみればそうだろう。ダイゴは、「俺って、変ですか?」と尋ねていた。マコは、「すっごい変」と正直に返答する。
「ポケモンの知識はあるみたいなのに、なんていうか中途半端って言うのかな。トレーナーほど熟練してもいないし、だからって何もない、ただの人っていうには不思議」
勘繰り過ぎだ、とダイゴは感じたが黙っておく。マコの好奇心はもしかしたら自分の不明な部分を暴いてくれるかもしれない。そんな淡い期待があった。
「ダイゴさんはさ、女の子に魅力を感じないの?」
突然の質問に面食らう。マコは首を傾げた。
「魅力を感じない、ってのは……」
「まぁ率直に言うとさ、性欲みたいなのはないの、って話」
どうしてそのような話になるのだろう。ダイゴは眉根を寄せた。
「何で、そんな話に?」
「だって、サキちゃんも言ってたけれど、私の格好、ラフというにはちょっと大胆って言うか、攻めてない?」
改めてマコの衣服を見やる。ワイシャツをつっかけただけの上半身に、下半身は短パンを履いただけ。確かに肌の露出は多い。
「攻めてるんですかね」
ダイゴの言葉にマコは、「うーん」と呻った。何を困っているのだろうか。
「あのさ、じゃあ質問変えるけれど、サキちゃんには魅力を感じる?」
矛先が変わり、どう返答すればいいのか分からなくなった。サキは、確かに頼り甲斐があると感じている。自分からしてみれば見知っている人間の一人で、懇意にしてもらっていると思う。
「いい人じゃないんですか?」
その返答はマコの狙いではなかったらしい。ため息をつかれた。
「……いい人、ね。オーケー、そういう面倒な質問を振られた時には百点の答えだと思う」
「面倒だなんて。俺はマコさんもいい人だと思っていますよ」
笑顔が素敵な少女だと感じていた。マコはしかし渋い顔をする。
「サキちゃんと同じ土俵ってのはちょっとな……。何ていうか、ダイゴさんの人物評が分からないよ」
マコからしてみればはぐらかしているようにも聞こえるのかもしれない。だが、自分にとっては今しがた発した言葉が全てだ。
「俺は、嘘は言っていませんけれど」
「それは分かるんだけれどさ。嘘じゃないってのが逆にショックかも」
女性は分からないな、とダイゴは感じた。自分は正直に答えているに過ぎないのに、それ以上を求められている気がする。
「まぁ、そういうのはおいしいお菓子とコーヒーで忘れようか」
マコが切り替えるように手を打つ。ダイゴはロールケーキを眺めた。
「食べなよ。おいしいからさ」
既にマコは頬張っている。大げさなほどの身振りをつけ、「おいしいー」と言っていた。
「教授からもらったんだけれどやっぱりお金持ちは格が違うね。こんなおいしいものをもらったんだからお礼をしないと」
「俺からしてみれば、この家も大きいですけれど」
ダイゴが天井を仰ぐ。マコは、「まだまだだって」と手を振った。
「ホウエンって技術先進国だからさ。結構、お金持ちってたくさんいるんだよね。うちなんて真ん中くらいだよ。ロケット事業に関わっている人達なんかってもう年収数億円の世界だよ」
「ロケット事業?」
聞き覚えのない言葉にダイゴは問い返す。マコはコーヒーを口に含み、「うん」と首肯する。
「ロケット事業が昔からホウエンは盛んでさ。観測ロケットとか飛ばしたのは最初のほうこそまさにホウエンだけだったんだけれど、他の地方も遅れを取るもんかって追いついてきてね。でも、やっぱりホウエンの技術支援がないと他地方は劣るみたい」
ダイゴは額を押さえていた。ロケット、という言葉がどうしてだか耳にこびりつく。まるで忘れてはならない一事のように。
「ロケットって、その、どの街で造られているのか、分かります?」
「トクサネシティかな。あそこに発射台があって。ここからだと大分遠いよ?」
ダイゴの言葉に思うところがあったのだろう。マコの言い分は今から自分がそこに行くとでも言い出しかねない、と言った様子だった。ダイゴは、「まさか」と手を振る。
「さすがに遠出は出来ないですし」
「だよね。私もトクサネは一回や二回しか行った事ないや。ホウエンって割と広いけれど、街同士の交流って意外となくってさ。カナズミに住んでいれば大体の事は分かるし、大企業デボンコーポレーションがきちんと管理している学園都市。それなりに情報発信地でもあるから、ここに永住しても困らない」
ダイゴはしかし、トクサネシティがやけに気になった。何が自分を惹き付けているのか。ロケット、あるいは開発、または技術か。どれもが近しいようで遠い出来事に思える。
「学園都市、って、このカナズミがですか?」
「そうだよ、有名じゃない。トレーナーズスクールはどこの地方でも作られるようになったけれど、街規模でってのは珍しいよ。カナズミシティはさらにデボンコーポレーションのお墨付き。治安もいいし、いい場所」
どうやらマコは相当気に入っているらしい。ダイゴは頻出するデボンなる企業の事を尋ねた。
「その、デボンっていう会社は何なんです? そんなに偉いんですか?」
その質問にマコが思わず、と言った様子でコーヒーを吹き出す。幸い、自分にはかからなかったがワイシャツが汚れた。
「あーあ、びしょびしょだよ」
マコの不手際なのだがどうしてだか自分が悪いように感じられてしまう。「布巾を」と歩き出そうとしたダイゴをマコが制した。
「ああ、いいって。お客様にお手数かけさせるわけにはいかないし」
マコはキッチンから布巾を取ってきてワイシャツの汚れを取ろうとするがコーヒーのしみはなかなか取れない。
「うぅむ、まぁいっか」
それだけでマコはその汚れを意識から取り除いたようだ。随分と思い切りがいいな、とダイゴは感心してしまう。
「で、も! デボンを知らないなんて正気?」
マコがテーブルを叩きつけてダイゴに詰問する。それほどにまずい質問だっただろうか。ダイゴはただ答えるほかない。
「……ええ、耳馴染みがないもので」
「デボンも知らずに、ホウエンにいるっていうのが……、ってかツワブキの苗字なのが分からない……」
マコが椅子に座り、頭を掻いている。それほど有名なのだろうか。
「あのさ、ツワブキ・ダイゴさんだよね?」
再三尋ねられダイゴは、「そうですけれど」と応じる。本当は違うのかもしれないが、今はツワブキ・ダイゴだ。
「だったら変じゃん。自分の家の仕事も知らないなんて」
家の仕事、と聞いてダイゴはツワブキ家と符合させた。
「ツワブキ家が何か……」
マコはため息をつき、「本当にツワブキ家の人?」と怪訝そうに眉根を寄せた。違うのだが、それは言えない約束である。
「大企業デボンコーポレーション、その代表取締役が代々、ツワブキ家の人間じゃない。リョウさんもツワブキの人間だけれど、あの人はお鉢が回ってくる前に警察に入ったから。ツワブキ家の人間にしては、ダイゴさん、変だよ」
そうだったのか。デボンという企業名とツワブキ家がようやく結びつきダイゴは納得した。だからあれだけの豪邸を構えていたのか。
「そうだったんだ、じゃない、そうですね。ツワブキ家はそうです」
ダイゴの語調がおかしかったのだろう。マコは、「頭でも打った?」とこめかみを指差した。
「やっぱり被害者ってそういうの? 誰かに襲われたとか? それで一命を取り留めたものの記憶の一部がショックにより欠落しているとか?」
思わぬところで鋭いマコの言葉にダイゴは辟易する。記憶に関する事は秘密だろう。ツワブキ家とサキにだけだ、言っていいのは。
「そんなドラマチックなの。ないですよ」
朗らかに笑い誤魔化そうとする。だが、マコは食らいついた。
「えー、ないの? やっぱりドラマや映画の観過ぎかな?」
サキの妹だ。もしかしたら、動物的勘や嗅覚に優れているのかもしれない。しかしこちらからぼろを出さなければ巻き込む事もあるまい。ダイゴは頭の片隅で考える。秘密基地で襲いかかってきたニシノの事。ニシノの所属、公安。これは何らかの意味がある事だと考えていたがそれすら考え過ぎの範疇だろうか。だがダイゴは自分の判断でその秘密を胸に仕舞っている。あまり迂闊な事は言えない。ともすれば自分は巻き込む側かもしれないのだから。ニシノの言葉が思い返されダイゴが無言になる。その沈黙をどう判じたのか、「でもさー、ダイゴさん」とマコが後頭部で手を組んだ。
「やっぱり変だよ。デボンの事知らないなんて。ツワブキ家の人間っての、嘘じゃないの?」
あながち間違っていないから困る。ダイゴは、「でもサキさんにきちんと自己紹介をしてもらったはずですけれど」とサキを引き合いに出した。するとマコは言葉を詰まらせる。
「うん、まぁ、確かにサキちゃんがそう言うのなら、そうなんだろうけれどさ。なーんか、引っかかるんだよね。ダイゴさん、サキちゃんと結託して私を騙しているんじゃない?」
「騙して、どうするんです?」
口をついて出た質問にマコは、「分かんないけれど……」と言葉を彷徨わせる。
「何かしら、共謀してさ。出し抜こうってんじゃないかな、って」
出し抜く、という言い草には何かしら奇妙なものを感じ取る。もしかして過去にそういう事があったのかもしれない。
「前にもこういう事が?」
ダイゴの質問にマコは目線を逸らした。どうやら図星らしい。この少女はつくづく分かりやすい。
「……うん、まぁね。私に黙って、お父さんに研究データを渡して、それで調べを進めていた、ってのが一回だけあって。私、すごい嫌だった」
「何でです? サキさんは警察官ですし、そりゃ守秘義務ってもんが――」
「違うの! 何ていうか、騙されているみたいじゃん!」
遮って放たれた大声にダイゴが目を見開く。その様子を見やってマコは声を潜めた。
「……そういう、秘密にされるっていうの? 好きじゃないなぁ……」
マコも家族としてサキの無事くらいは確かめておきたいのか。いや、それよりも自分だけ蚊帳の外に置かれる、という状況が我慢ならないのだ。マコ自身、自分の無力さが嫌になるのだろう。姉は刑事で両親は研究者。自分だけが宙ぶらりん、という気分なのかもしれない。
「でも大学生って言うのは自由でいいでしょう」
ダイゴの言葉にマコは、「それが自由じゃないんだよねぇ」と端末を操作した。こちらへと向けると通話アプリが入っており、マコが所属しているであろうグループ名が表示されていた。
「サークルとか、ゼミ歓とかさ! やっぱり、何ていうのかな、どこかにいないと寂しいから」
言葉尻は少しばかり弱々しい。どこかにいなければ寂しい。それは記憶喪失の自分に突き刺さる。自分の居場所はどこなのだ。自分はどこを頼りにして、寄る辺にして、生きていけばいい? これからツワブキ家がそうなるのだろうか。だが、自分にはこのヒグチ家のほうが合っている気がした。
「俺は、マコさん、羨ましいですよ」
その言葉が意外に聞こえたのだろう。マコは、「えっ」と声を詰まらせる。
「だって学校にもきちんと通われているし、家族はみんな誇れる人達ばかりだ。俺も正直、その輪に入りたいくらいですよ」
マコがきょとんとしている。しまった、とダイゴは感じる。自分がツワブキ家の人間ではないと言ったようなものではないか。だがマコはぷっと吹き出して笑う。
「やっぱり、ダイゴさん、変だって。そりゃ、うちは代々陽気なだけが取り得な家柄だけれど、大富豪であるツワブキ家よりもうちがいいなんて。よっぽどの変わり者なんだね」
どうやらマコにはそれ以上はばれていないようだ。ホッと安堵する。
「でも、なんの遠慮も要らないんだよ?」
マコのてらいのない言葉にダイゴは顔を上げる。マコは、「うちの輪に入りたければ入ればいいじゃない」と告げる。
「でも、俺はヒグチ家の人じゃないし」
「どこの家だなんてあんまり関係ないんじゃない? 誰かと一緒にいたい、同じ時間を過ごしたいって思うのって人間ならば当たり前だよ。そういう、どこの家がいいだとか言うのはちょっと子供じみているけれどね」
マコは微笑みを湛える。大人の笑みが見え隠れした。この少女も自分より年少のように見えて意外に世間を知っているのだ。ダイゴは勝手に自分の中でマコを弱々しい存在に置いていた事を反省した。
「それに、今日は多分、パーティーだよ。ダイゴさんみたいなお客さんが家に来ると、晩御飯も華やぐし」
「そんな。俺なんかがいたって」
「またそう言う」
マコがむくれる。ダイゴは自分の浅はかさを恥じた。
「そうやってへりくだっていればいいってものでもないよ。自分を褒めてあげられるのは自分だけなんだから。いっその事、いっぱい褒めてあげようよ」
「お前は褒め過ぎだ、馬鹿マコ」
突然割って入った声にマコが、「ひゃっ?」と悲鳴を上げる。ダイゴも釣られて肩を震わせた。視線の先には今しがた帰ってきたばかりなのだろう、サキが佇んでいた。
「サキちゃん? いつからいたの?」
「ついさっきから。勝手な事ばかり吹き込むな。大学生に説教されるいわれなんてないんだぞ」
サキの言葉にマコは腕を組んで、「でも、私だって正論言えるし」と鼻息を漏らす。サキが、「ケツの青いガキが、何を」と返した。
「……サキちゃん、お客さんの前でお下品だよ」
「こっちとしては馬鹿な妹に任せた事のほうがよっぽど恥だな」
売り言葉に買い言葉の体で両者、一歩も譲らない。その様子がおかしくなってダイゴは微笑んだ。すると姉妹揃ってダイゴを見つめた。
「えっ、何ですか?」
「いや、だってダイゴさん」
「今、笑ったような……」
珍妙な生き物でも見るかのような目つきにダイゴは、「ええ、笑いましたけれど」と答える。マコが、「いいね」と手を叩いた。
「笑っているダイゴさんのほうがいいよ。そのほうが合ってる」
マコの言葉にダイゴは頬が紅潮した。おかしかっただろうか、サキに目線をやると、「まぁ、仏頂面よりかは」と口にした。
「笑いがあるほうが人生、豊かではあるな」
「サキちゃん、そうやって誤魔化してー。今の笑顔、素敵だったね、ぐらい言いなよ」
マコが調子に乗って肘で突くとその脳天に向けてサキがチョップした。
「痛いー」
「当たり前だ。痛くしたんだからな。馬鹿な事言っていないで、出かけるぞ」
「え? どこへ?」
マコの質問にサキはため息をつく。
「客人だろう。一応、お前はな」
サキが顎を突き出す。するとマコも理解したようで手を打った。随分と芝居がかった仕草だな、と思いつつダイゴは首を傾げる。
「何です?」
「じゃあ、今日はアレだね」
心得たようなマコの声にダイゴはますます戸惑う。「つい先ほど、お父さんからメールももらった」とサキがホロキャスターを操作していた。
「だから、何です? アレって?」
その質問に姉妹揃って不敵に笑みを浮かべた。
「きっと、驚くな」
「サキちゃんとやるの久しぶりだし、こりゃ盛り上がるね」
ダイゴは二人の言葉に疑問符を数々浮かべるばかりだった。