INSANIA











小説トップ
二つの家
第十一話「裁かれるのは誰だ?」

「全く笑えませんね」

 サキは資料を手にしてハヤミへと口にする。並んでいる事実はダイゴが発見された秘密基地に関するものだったが、ほとんどが黒塗りで見当もつかない、と言った具合の資料である。これは報告書ではない、と突っ返したかった。

「そう言うな。それでも善処したほうだよ」

「これで善処って。じゃあ、本当に何も分からないって事じゃないですか」

 サキの突っかかる言い分にハヤミは、「悪いが、そうらしい」と目頭を揉んだ。

「公安から流れてきた資料はもっとわけが分からん。よければ原文を見せようか?」

「一応、ぼくとアマミさんが共同で洗い直したわけ。それでこれだよ」

 シマが全くこちらを見ずに言う。アマミは相変わらず甘ったるいコーヒーを沸かしている。

「じゃあ、公安はやる気がないんだ」

 サキの出した答えに、「その方面が無きにしも非ず、だな」とハヤミは応じた。

「公安は彼――ツワブキ・ダイゴだったか? に対して、何のアプローチも行うつもりがないらしい。むしろ、逆だ。彼を遠ざけようとしている」

「でも、捕まえたのは公安でしょう?」

 ダイゴを天使事件≠フ当事者として捕縛したのは公安が最初だ。ならば調べを進ませてもおかしくはないのに、皆目見当がつかないとはどうかしている。

「その捕まえた公安が、どうしてだか動きづらそうにしている。被害者はこっちだと言わんばかりだ。正直、彼に関する資料も水増しされた可能性が高い」

「……つまり、仕組まれた逮捕劇だったと?」

「我々が勘繰っても仕方のない領域ではあるが、彼に関して言える事はこの資料の上だけだ」

 ハヤミが顎でしゃくる。サキは資料を眺め、「これコピーしても?」と尋ねる。

「元よりそのつもりだ。それに原本もないのだからあちら側に権利もない。解析の手間賃をいただきたいところだよ」

 サキはコピー機に向かう。アマミが声を振り向けた。

「でも、分からないところ多過ぎだよね。これってさ、いわゆる極秘事項って奴なんじゃない?」

 アマミの指摘に指が止まる。視線を振り向け、「じゃあ極秘で彼を犯人に仕立て上げる必要って何です?」と問い返した。

「知らないよ。サキちゃん、冗談通じないなぁ」

 冗談で言われれば堪ったものではない。サキはため息を漏らしてコピー機を動かす。

 頭の中で今明らかになっている事項を整理する。

 彼は何者かで、抹殺されなければならないほどの秘密を抱えている。

 彼の秘密は警察内部にも既に及んでおり、何者かの意思が介入している。

 その格好のタイミングで拾い上げたツワブキ家――。

 全てが繋がりそうで、繋がらない点の集約に思えた。まだ線を結ぶにはそれぞれの因子が持つ意味合いが弱い。サキは前髪をかき上げた。

「何かあるはず、何か……」

「あんまり考え過ぎないほうがいいよ。薮蛇になりかねないし」

 アマミの声に、だとしても、と刑事の探究心が勝った。自分にだけ接触してきた何者か。あの人物は彼が抹殺されるべき人間だと断じていた。だが、同時に彼を救い出して欲しいという希望の声でもなかったのか。自分に告げ口する事は何らかの波紋を呼ぶと計算ずくの行動だったのか。それに、彼の手持ちが秘密基地内でどのように働いたのかも不明である。

「……分からない事だらけですね。少し、頭を冷やします」

「そのほうがいいって。サキちゃん、働き詰めなんだからさ。有給あるでしょ?」

「ありますけれど、あんまり現場を離れたくないんで」

「そう無理する必要もないよ」とはシマの声だ。

「捜査一課は一人くらいの欠員でもどうこうなるほど人手不足でもないし。それにいざという時動けなければ元も子もないでしょ」

 皆、自分を慮ってくれている。だが、この事件から少しでも目を離せば状況が動いてしまう予感がしていた。

「有給取るとしても、一日程度しか」

「そのぐらいでも休んだほうがいいよ。あたしから見てもサキちゃんの顔色悪いし」

「そうですか?」

 サキはコピー機の鏡面に映った自分の顔を見やる。化粧気がないのは元からだが、確かに憔悴の色が見て取れた。

「今日は昼過ぎに上がったら? 幸い、仕事も立て込んでないし」

 サキは遠慮の声を出す。

「そんな、悪いですよ」

「いや、休みたまえ、ヒグチ君。私からも提言する」

 課長であるハヤミに言われてしまえば二言もない。サキは、「じゃあ、今日だけは早めに」と口にした。コピーされた書類は相変わらず穴ぼこだらけだ。これでは何が新事実なのか、何が分かっていないのかさえも不明である。

「ちょっと纏めますね」

 サキは自分のデスクにつく。書類にある報告書の番号にアクセスし、これを書いた当人のデータベースと照合するつもりだった。だが、それが行われるよりも先にテキストエディタが画面の隅で開いた。起動させた覚えはないのに、と閉じようとすると文章が流れる。

『ヒグチ・サキ警部。我々はこのような形でしか接触出来ない無礼を許して欲しい』

 その文言にサキは反射的に施設で自分に接触してきた人物の事を思い返した。これは例の連中からか? それを判ずるよりも早く、『他の人物に漏らした時点で、あんたに情報は与えられない』と続けられる。その言い草にサキは確信した。この相手は自分と接触した人物に違いない。

 だが、どうして警察の、しかも捜査一課にある自分のパソコンを特定出来たのか。警察の端末は何重にもプロテクトが成されている。そう易々と侵入は出来まい。

 サキは周囲を気にしたが、アマミもシマも、もちろんハヤミも誰一人としてサキの行動に疑問を抱いている様子はない。サキは慎重にキーを打った。

『お前らは何者だ?』

 するとすぐに返事が返ってくる。

『それをあんたに開示するのはもう少し先になるだろう。しかし、我々の真意を汲んで彼を匿ってくれた事は感謝する』

 どうやら彼の護送も確認済みと来た。これはいよいよ近辺がきな臭い。

『公安か?』

 切り込んだ質問には応じず、『だが万全とも言えない』という答えに狼狽する。

『ツワブキ家に運び込んだのはミスだ』

 その言葉にサキは、『どういう意味か?』と問いかける。

『ツワブキ・リョウはあんたの幼馴染だったか? だが、あまり信用しないほうがいい。彼は、いずれ敵に回るぞ』

 リョウを知っている事にも驚きだったが、それよりも驚愕に値したのはその文言だ。リョウが敵に回る。それは考え辛いシナリオだった。なにせ、彼の自由を一番に望んでいるのはリョウだ。

『根拠を明示してもらおう』

 サキの提案に相手は一呼吸置いてから、『ツワブキ家は彼を抹殺するために動くはずだ』と告げられた。サキにはもちろん、わけが分からない。ツワブキ家が彼を抹殺するメリットがない。

『確かに、デボンの下は信用ならないがこちらの下に置いていても同じだろう。現に護送車の裏切りがあった』

『それを先導したのが、他ならぬツワブキ・リョウだとしたら?』

 その仮定に、あり得ない、と頭を振る。リョウが命じたのだとすればリスクが大きい。公安で、ただでさえ目につく。

『論拠が足りていない。リョウを悪者に仕立て上げたければもう少しマシな嘘をつけ』

 少し攻撃的な物言いになったか、とサキは気にしたが相手は意に介せずに続ける。

『我々は事実だけを述べているのだがね。ツワブキ・リョウが彼を、ツワブキ・ダイゴにしたい意味を、あんたは分かっているのか?』

 ダイゴにしたい意味? と頭の中で疑問符を浮かべる。それはただ単に思いつきと管理がしやすいからではないのか。

『ダイゴの名に、何かあるのか?』

『このデータを持ち帰れ』

 新たにウィンドウが開き、サキのパソコンへとデータを送信する。圧縮化がされているが文章データだ、とパソコンに入っているウイルス検知ソフトが警告する。

 ウイルスでこちらの情報が漏れる危険性をまず頭に入れたがそれよりもこの情報、今逃せば二度と手に入らないのではないか。先ほどコピーした穴ぼこだらけの資料を視界に入れる。彼に関する資料をこれ以上警察内部で調べようとしても限界が生ずるのは目に見えている。ならば、蛇の道と割り切ってでも新たに道を開拓するべきか。

 サキは即座に判断する。送られてきたデータを外部メモリに一度ダウンロードし、ネット環境のない端末で開く事に決めた。

『これは何だ?』

 まだ開いていないが、相手からしてみれば分からないだろう。こちらが手にした事だけが表示されるはずだ。相手が尻尾を出すのを期待したがそれほど馬鹿ではなかった。

『ファイル名を開示した上でこれからの情報のやり取りの如何は決める』

 引っかからないか、とサキは息をつく。どうやらこちらは必然的に後手に回る事になるらしい。だが警察内で開けば大事になる恐れもある。相手も理解しているのだろう、『開ければいつでもいい』と電話番号を送信してきた。

『この番号ならばいつでも出られる』

 サキは手元のメモに書き付ける。このログも恐らくは残らない。

『何がしたいんだ? 彼についてお前らは何を知っている?』

 サキが送った言葉に相手は返信する。

『恐らくは、あんたの欲しい情報だよ』

 それはまだ自分には明かせないものだと告げていた。全ては外部メモリにダウンロードした情報次第だろう。サキは、『ツワブキ家に関して何を知っている』と別アプローチをかけた。

『それは恐らく、あんたが知らなかった幼馴染の顔だ』

 リョウに関しては相手も情報をオープンにするつもりらしい。リョウを敵対するのならば当然だろう。

『リョウが何をした?』

『いいか。我々が言うのはこれだけだ。ツワブキ家を信用するな』

 リョウに関してもそれ以上は得られないだろう。サキは嘆息を漏らし、『では私については?』と質問を変えた。

『どうして私なんだ?』

 それは兼ねてより疑問だった。何故、他の誰でもなく、あの場所で、自分に接触してきたのか。サキの質問に、『適任だからだ』と返事があった。

『あんたには彼の事を知ってもらいたい。その上で、裁かれるのは誰だか決めて欲しいのだ』

 裁かれる、という言葉にサキは即座に事件との関連性を見出した。

『連続殺人事件に関係しているのか?』

 こちらとしてはカードを出し尽くした状態である。相手の返答に期待するほかなかった。十秒ばかし間を置いて、『一つだけ言っておこう』とあった。

『犯人を彼とするのは早計だ』

 それっきりテキストエディタは動かなかった。どうやらここまでらしいと感じたサキはデスクを立った。手には外部メモリがある。

「すいません。今日はここまででいいですか?」

 サキが働き者だと感じている一同は、「ああ、いいとも」と応じた。

「少しでも休みたまえ」

 ハヤミの声にサキは捜査一課を後にする。行くべき場所は一つだろう。


オンドゥル大使 ( 2015/11/10(火) 21:58 )