第十話「えがおの家」
「ねぇ、ダイゴさんってサキちゃん、お姉ちゃんの何なんですか?」
突然に栗毛の少女にそう尋ねられ、ダイゴは返事に窮した。何なのか、というのは自分でも分かっていない。そもそも名前でさえ先ほど与えられたばかりである。ただ分からない、不明のままにしておくには彼女の目は好奇心に満ち溢れていた。
「えっと……、サキさんが言っていたように、俺は被害者なんだ。だから、世話をしてもらっているわけで」
事実をありのまま話せば被害者どころか被疑者なのだが、サキの意思を汲んでみるにそれを仕事外で話すのは好ましくないだろう。「怪しいなぁ」と少女は怪訝そうな目を向けた。
「あの、君は……」
「マコだよ。ヒグチ・マコ。十九歳です。よろしくね、ダイゴさん」
マコと名乗った少女は手を差し出した。華奢な身体つきで、サキに比べると纏っている空気は幼いように映る。
「あの、よろしく……」
ダイゴもその手を握り返すと、「もう、他人行儀なんだから!」とマコは強く握って振った。ダイゴは突然の行動に文字通り振り回される。
「サキちゃんもダイゴさんも、なーんか怪しいんだよね。一筋縄じゃないって言うか……。ねぇ、みんな」
マコは研究員達に視線を振り向ける。研究員達は、「そりゃサキちゃんは刑事だからね」と理解を示した。
「言えない事のほうが多いんじゃないかなぁ」
その言葉にマコは膨れっ面を返す。
「むぅ、私にも言えないってそれほどの事なの? だったら余計に怪しいじゃん。サキちゃん、やっぱり隠し事してるんだ」
マコの言葉にダイゴは覚えず、「隠し事、とかじゃないと思う」と言っていた。
「多分、マコさんの事を大事に思っているから、仕事とプライベートは分けているんじゃないかな。サキさんはそんなに冷たい人じゃないだろうし」
ダイゴの言葉にマコも研究員達も目を見開いた。何か変な事を言っただろうか、とうろたえていると、「意外……」とマコが口を開く。
「サキちゃんの事、第一印象で悪く言わない男の人って初めてだよね?」
マコが研究員達に問いかける。彼らも一様に頷いた。
「ですね。サキちゃんは昔からきつい性格だから、あれで誤解されやすいし」
どうやら自分の人物評はここにいる人々にとって異様に映ったようだ。言葉を改めようとすると、「でも、いいよね」とマコが口を挟む。
「サキちゃんの事悪く言わないってのは。うん、ダイゴさん、プラス十点」
マコがウインクしてダイゴを指差す。困惑していると、「なかなかにないですよ」と研究員が声にした。
「マコちゃんのプラス十点はね。マコちゃん、愛想がいいように見えてこれで人を減点法で見ているからなぁ」
「人聞きの悪い事言わないでよ。私は、サキちゃんが思っている以上にオトナって事でしょ?」
マコの口調に研究員達は、「参ったなー」と額に手をやって笑い合う。どうやらマコの茶目っ気はこの家では当たり前のようだ。
「でもダイゴさん、さっきツワブキって紹介されていたよね。ツワブキ家ってカナズミじゃリョウさんのところしかないけれど、親戚か何か?」
その言葉にもダイゴは返答出来ない。ツワブキ家の一員になったのはついさっきだ。それまでは名前すらなかったとは言えない。
「あの、その……」
言葉に詰まっていると、「困らせていますよ」と研究員が助け舟を出す。
「まぁ、あんまり詮索したって仕方ないか。サキちゃんが連れて来たんなら、信用に足る人だろうし」
マコは自分の中で結論付けて家の中に入っていく。ダイゴはそれに続くべきか迷った。
「何してるの? 一晩泊まるんだったら中を案内するよ」
マコはどうやら善意から言っているらしい。家の中に踏み出し、「お邪魔します」と声を出す。マコは笑った。
「やっぱり変な人だよね。さっきから家には入っているから今さらお邪魔しますもないのに」
ダイゴは靴を脱いでヒグチ家の内観を視界に入れる。外側から見た通りの広さを誇っており、吹き抜けのリビングとダイニングキッチンには清潔感が漂っている。天井には回転する空調機が取り付けられていた。階段が壁に沿う形でコの字を描き、二階層へと続いている。家屋そのものは二階建てだが、それを感じさせない開放感に満ちていた。
「広いですね」
感想を口にすると、「そう?」と前を行くマコが振り返る。
「ツワブキさん家のほうが大きいと思うけれどなぁ。我が家は研究所に間取り取られちゃっていて家自体はそんなにだよ」
「すいません」と研究員達が笑いながら謝る。マコは、「そんなつもりじゃないけれどね」と言いつつ笑った。どうやら笑顔が絶えない家らしい。
「研究所って、サキさんから聞いた話では、ポケモン群生学って……」
「おっ、その辺りも聞いたんだ? でも群生学って地味だよねー」
研究者の娘とは思えない発言である。いや、研究者の娘だからこそ出る言葉でもあるのか。ダイゴが考えていると、「まぁ大層なものじゃないよ」とマコは手を振った。
「分布図とか、あとは生息域とか、進化するのかしないのかを調べる研究部門。ポケモン研究、って大別されている中でも割と小さな分類だけれど、でもこれがないとポケモントレーナーは困るんだよね。分布図がないなんて考えられないでしょ?」
それはそうだ。マコはポケットから薄いカード型の端末を取り出した。その表面を撫でると画面が切り替わり、立体映像が投射される。
「あっ、確かホロキャスターっていう……」
「知っているんだ? 最近、一般向けにリソースされた技術だけれどね。大学じゃ皆持っているよ」
立体映像――ホログラムを自在に投射出来る機械。それを最小限に、軽量化したものをホロキャスターと呼ぶ。自分に関する記憶はないのに、周辺の機械やそれに付随する使い方などは知識としてあった。
「ダイゴさん、端末持っているんならアドレス交換しない?」
マコの提案にもダイゴは残念そうに肩を竦める。
「持っていなくって……」
「ああ、そうなんだ。今時端末もないなんて変わっているよね」
端末も何もないから困っているのだ。その時、ダイゴはマコの腰につけてある赤と白の球体を視界に入れた。
「モンスターボール……」
「うん? ああ、これ? そうだよ、私もトレーナー」
意外だった。確かサキはポケモンを所持していないはずである。
「サキさんは持っていなかったですよね」
「うん、サキちゃんはあんまりポケモンとか得意じゃないっぽいんだよね。でも私は昔から育てているのがいるよ。出てきて、フライゴン」
マコが緊急射出ボタンを押し込むと緑色の体色をした龍が飛び出した。菱形の翅に、赤い複眼が特徴的である。フライゴンと呼ばれたそのポケモンは周囲を見渡し、ダイゴに威圧する。
「フライゴン、この人、今日だけうちの家族」
マコがそう説明するとフライゴンの敵意が凪いでいった。どうやら主人の言う事は忠実に聞くらしい。ダイゴは会釈する。
「ど、どうも」
その様子にマコは笑った。
「ポケモン相手に腰の低い人って初めて見るよ。やっぱり、ダイゴさん、面白いよね」
ダイゴもポケモンを紹介するべきか悩んだがマコが指差した。
「ダイゴさんもトレーナーなんだ?」
「ええ、まぁ」
曖昧に微笑むと、「フライゴンは頼りになるんだ」とマコは軽快に飛び回っているフライゴンを見やった。
「珍しいタイプ構成でね。地面・ドラゴンなの。いざという時には強いよ」
マコの自信に、「マコさんはこれでポケモンバトルには明るいんですよね」と研究員達が囃し立てた。
「もう! これで、は余計」
マコはフライゴンを呼びつけると頭を撫でてやった。フライゴンが赤い複眼の下にある瞳を細める。
「サキちゃんもお父さんもあんまりポケモン育てるのには興味がないからね。私だけが結果的にこうなっちゃっただけだよ。それに今やポケモンを持っているくらいは当然のステータスだし」
そうなのか、とダイゴは驚いた。ポケモンがステータスだという印象はなかった。どちらかと言えば抜き身の刀の印象が強い。いざという時にポケモンから身を守れるのはポケモンのみだ。
「部屋を案内するよ。えっと、でもサキちゃんの部屋はまずいよね。どうしようかな」
マコの言葉に、「俺は別にリビングでも」とダイゴは返すがマコは首を横に振った。
「駄目駄目、お客さんだし。お父さんに聞いてみるのが早いか」
マコが歩み出す。ダイゴは先ほどのサキの言葉を思い出す。
「お父さん、ヒグチ博士は仕事中なんじゃ?」
「これだけ部下がこっち来てたら仕事なんてならないって。大丈夫、大丈夫」
マコの大丈夫は大丈夫に聞こえない。鋼鉄製の扉が奥まった場所にあり、マコは華奢な手に比べて強い力で扉を押し開けた。そこから先の空間は家屋部とは一線を画していた。銀色のパイプが縦横無尽に通っており、天井が不釣合いなほどに高い。そこいらに書類が山積し、パソコンが机に置かれている。乱立する本棚には専門書籍が並んでいた。
「お父さーん! お客さん連れてきたよー!」
明らかに自分でも分かるほどに大声を出してはいけない場所なのに、マコは遠慮がない。それどころかフライゴンも出しっ放しである。すると、奥で書類と睨めっこをしている男性の姿が目に入った。年の頃はまだ五十にも満たないだろうが、どこか老練したような印象を受ける男性だ。顔を振り向けると、難しい顔が一転、破顔一笑してマコを見つめた。
「おお、マコ。お客さん、ってのは?」
「この人、ツワブキ・ダイゴさん」
マコの紹介にダイゴは頭を下げる。
「あの、はじめまして」
「ああ、先ほどリョウ君から連絡があったよ。そうか、君がダイゴ君ね。ちょっと待っていてくれ」
「博士、一時から会合の予定が入っております。出来るだけ迅速に」
そう口にしたのは博士の隣で書類に目を通している聡明そうな女性だった。ダイゴを認めると少しだけ頬を緩めた。笑ったのだろうか、と考えている間に、「おお、そうか」と博士はメモをする。
「悪いが会合があってね。話をするのはその後でもいいかな?」
博士の提案にダイゴは気後れ気味に頷く。
「ええ、まぁ」
「そう固くなる事はない。サキが連れて来たんだから誠実な男だろう」
誠実、という部分では疑問を挟む。なにせ、自分でも自分が誠実なのか不誠実なのかは分からないからだ。
「よろしくな」とマコに言い置いて博士は研究室を出て行く。マコは、「お母さん」と同行する女性を呼び止めた。
「なに?」
「もうお腹も膨らんできているんだから、あんまり無茶しちゃ駄目だよ」
マコの忠告に母親だと思しき女性は微笑んだ。
「大丈夫よ。あなた達が思っているほど私は抜けていないから」
「本当? お母さん、割とそういうところあるからなぁ」
「違いないですね」と研究員達が同意する。
「ヨシノさんには無理はしないでもらわないと」
その声に、「おいおい」と博士が手を振るった。
「まるで私が無理強いしているみたいじゃないか」
笑い声が木霊する研究室でマコが、「そうじゃない」と腰に手を当てる。
「秘書だからってあんまり無茶はさせちゃ駄目だよ」
マコの言葉に、「肝に銘じておくよ」と博士は返す。ヨシノと呼ばれた女性は、「すぐに帰るから」とマコの頭を撫でた。
「子供じゃないよぅ」と反論するマコもまんざらではないようだ。博士とヨシノが裏口から出て行く。マコは後ろに手をやって、「もうすぐね」とダイゴに向き直った。
「弟が出来るんだ。私、お姉ちゃんになるの」
マコの声音からは喜びの感情が溢れ出ている。こちらもぬくもりに触れたような気持ちになった。
「そう、なんですか。それはおめでたい事で」
「そう。だからサキちゃんにばっかりお姉ちゃんぶられているのが、今は不満かな」
だがサキとマコは対等な関係に見える。姉妹というよりも友人のようだ。
「サキさんも、知っておられるんですか?」
「ううん。だから産まれた時にびっくりさせるの。私とお母さんの計画ね。言っちゃ駄目だよ」
マコが指を一本立てて内緒にする事を示す。ダイゴも微笑んで、「いい計画ですね」と唇の前に指を当てた。
「サキさんには、内緒で」
「そう、ナイショ。そうじゃなくってもサキちゃんが偉ぶっているんだから、ここいらでドカンとビックリさせないと。そうしたら私の扱いもマシになるだろうし。でもそうなったら、弟にはきちんとマコお姉ちゃんのほうが偉いって教え込まないとさ。サキちゃんはどうせ放任主義だろうから、私が面倒見る事になるだろうけれどね」
マコの計画は遠大である。弟が産まれる事がよほど待ち遠しいのだろう。微笑ましいな、とダイゴは感じた。それと同時に、そういう人間的な感情が自分の中に存在する事に驚く。どうやら自分は冷血動物ではないらしい。
「マコちゃんは変なところで抜けているから、またサキさんに出し抜かれるかもしれないですよ」
研究員達の軽口にもマコは、「もう!」とむくれて笑う。よく笑う少女だな、とダイゴは観察していた。姉であるサキはほとんど笑わないのに、まるで対極だ。
「あ、言い忘れていたけれど、ここが研究所。お父さんがきちんと説明してくれればいいんだけれど、あの人もあの人で抜けているし、私が説明するよ」
マコが研究機材を見やって手を掲げる。様々な種類のモンスターボールが居並んでいた。
「ポケモンっていうのは、同じ種類でも個体ごとに能力が異なる場合がある。もっと言えば特性が違う場合も、さらに色が違う事もある。お父さんのお仕事は統計学に近いかな。そのポケモンの分布図もそうだけれど、色違いや別の特性、能力の変動値の差、とかを調べるんだって」
並んでいるモンスターボールを透かすと、それぞれに入っているのは同じポケモンだった。自分でも知識がある。ナゾノクサ、と呼ばれる草ポケモンだ。
「ナゾノクサの研究をしているんですか?」
「ああ、厳密には違って、ナゾノクサが広域分布するから、ナゾノクサから調べている、って言ったほうが正しいかな。最近ではこれなんかも調査対象みたい」
モンスターボールをマコが手にする。中にいるポケモンは小さな野花に取り付いており、小型の妖精のように映った。
「これは?」
「フラベベ、って言うんだって。最近見つかったばかりのポケモンで、なんでも分布図的には今までにあり得ない狭い範囲で別個体が確認されているみたい。だから、群生学としてはこれを調べるのは当然ってわけ」
マコが胸を反らして説明するがそれは博士の領分だろう、とダイゴが内心思っていると、「博士の受け売りじゃないですか」と研究員が笑った。
「もう! せっかく、いい気分だったのに!」
マコが喚くと研究員達はそれぞれの仕事へと戻っていった。
「フラベベ……。タイプは?」
「フェアリーだよ。効果抜群になるのは毒と鋼だけっていう珍しいタイプだね」
「フェアリータイプ、ですか。そんなポケモンもいるんですね」
「ダイゴさん、聞いたところだとポケモンにも詳しそうだけれど、もしかして学者さんか何か?」
問われてもダイゴは答えようがない。自分は学者だったのだろうか。だから一目でポケモンの種類が分かった。だが、そうだとしても腑に落ちない点が多い。
「いや、多分、そうじゃないと思います」
ダイゴの要領を得ない返答を気にする素振りもなく、「そっか」とマコは流した。
「お父さんはすごいし、サキちゃんも警察で偉いし、私もいつか何かになるのかなぁ」
何か。まだ大学生であるマコには漠然としたものだろう。ダイゴは自分が既に何かになっていたのか、と自問する。では一体何者で、どうしてこうなってしまったのか。答えは掴もうとして滑り落ちていく砂のようだった。
「ダイゴさん、他の部屋も見せてあげる」
快活に笑うマコの笑顔が眩しい。このように打算も何もなく笑えるだけの環境が整っていたのだろう。ヒグチ家はいい家だ、とダイゴは再確認した。