最終話「失われた時を求めて」
文庫本を捲る指先の感覚はざらざらとしていて懐かしい。
何度この本を読んだ事だろう。
その度に思い出が蘇り、目頭が熱くなる。それでも涙を流さなくなったのは強くなったからか。それともそういう感情に鈍くなったからか。
妹の孫達が家を駆け回っている。そのうち一人が、「ばあちゃん!」と声にした。
「友達連れて来たんだ。いいかな?」
静かに頷く。耳も随分と遠くなってしまった。
「こんにちは。本がお好きだと聞いたので、俺も興味があって」
今時、電子書籍ではなく紙の本に興味がある若者は珍しい。文庫本から視線を上げずに若者の声を聞いていた。
「どういう本が好きなんだね?」
「あなたが読んでいる本も、昔、遠い昔に読んだ事があります。『失われた時を求めて』っていう本ですよね。その本を読んでいた人はこうも言っていました。人生にはしおりが必要だ≠チて」
ハッとして顔を上げる。
銀髪が窓辺から流れてきた風に揺れ、赤い瞳が自分を映していた。もうすっかり年老いてしまった自分が反射して思わず嘆息をつく。
「……随分と長い時間が経ってしまったな」
「それでも、覚えていてくれたんですね」
文庫本にしおりを挟む。ずっと使っているミヤコワスレの花のしおりだった。
「もうおばあちゃんだぞ、私は」
「それでも」
すっと手を差し出される。安楽椅子から立ち上がり、その手を握った。温かな体温に、ああ、と感じる。
「本当に、帰ってこられたんだな」
「ずっと、言わなければいけないと思っていました。ようやく言える。借り物でなく、俺自身の言葉で」
頬を熱いものが伝う。彼はそっと口にした。
「――あなたの事が好きです。サキさん」
彼の腕に抱かれてサキは口にする。
「ようやく、分かり合う事が出来た」
窓辺から吹き込んできた風に文庫本が捲られる。
青いしおりが、失われた時に、光を与えた。
INSANIA ポケットモンスターHEXA5 完