第百五十話「愛し君へ」
ダイゴは初代の死んだ跡の水溜りに浮かぶ機械を手にする。右手に埋め込まれていた転送装置だ。
「ダイゴ、何をする気だ?」
「転送装置。電源は生きているようです」
ダイゴは呼びつけた。初代の百四のボックスが開示され、その中にあるたった一体のポケモンを呼び出そうとする。
「ボックスの中にいるポケモンを一体、呼び出す。そのポケモンの名前は、ペラップ」
サキとゲンジが同時に目を見開いた。それの意味するところを悟ったのだろう。
「ダイゴ! それはFを呼び戻す、という事なのか?」
サキの声にダイゴは首肯する。
「全て、元に戻すんです。そのためにはFの人格データが必要でしょう」
「まさか、ダイゴ。お前、そこまで考えて……」
ゲンジが口を差し挟む。ダイゴは、「分の悪い賭けですけれど」と口にした。
「元に戻れるならば。そうするのが一番自然な気がするから」
「そんな! お前が消えるぞ!」
駆け寄ってきたサキにダイゴは微笑みかけた。
「いいんです。元々、この身体も、精神も借り物なんだから。借りたものは返さなくては」
サキは頭を振ってダイゴの胸元を叩いた。彼女には珍しく涙ぐんでいる。
「ここまで戦ってきたのは! お前の意思だろう。何で、Fに返そうなんて思うんだ! Fはお前を利用して……」
「それでも、コノハさんの救済は、彼の帰還です。俺に出来る事があるのならば手伝いたい。それだけなんです」
あの日の口づけに報いるためには、これしか方法がない。空っぽの自分に出来る精一杯の事だった。
「ダイゴ。Fを呼び戻したとしよう。人格の上塗りなんてすれば、お前は消える。それで、本当にいいと思っているのか?」
ゲンジの問いかけにダイゴは晴れ晴れとした顔で答える。
「いいに決まっていますよ。俺は、何かの間違いでここに来てしまった。だから間違いを正すだけなんです」
「お前を待っている人がいても、か?」
ゲンジの声はサキだけではない。ここにいる全員の代弁であった。ダイゴは静かに応じる。
「ツワブキ・ダイゴという人間は、幻のようなものだったと考えてください。本来、あってはいけなかったんです。一瞬の、陽炎のようなまやかしに、捉われた。そう感じてくだされば、俺は」
「ダイゴ! オレは、そんなつもりだったんじゃ……」
リョウが口を挟む。思えば彼が名付け親だ。ダイゴは、「ありがとう」と声にしていた。
「俺に名をつけてくれたのは、意味をくださったのはリョウさん、あなたです。そうでなければ、俺は名無しのまま、死んでいたかもしれない」
「他の方法はないのか? ここにいるのはネオロケット団の精鋭だろう? 何か、方法があるはずだ」
サキの必死の訴えにも誰も言葉を返さない。非情ながら、この場において口を挟める人間は一人もいなかった。
「ありがとうございます、サキさん」
「私は! お前にそんな安らかに笑って欲しくないんだよ! 全て諦めたみたいに、何でお前は、いつも笑うんだ……」
泣きじゃくるサキにダイゴは転送装置に声を投げた。
「ペラップを出してくれ。人格転移を行う」
転送装置が一つのモンスターボールを出現させ、光と共にペラップが解放される。ペラップ――Fは何が何なのか分からないように首を巡らせた。
「何が起こっているんだ?」
「F! 俺はお前に、身体を返そう」
ダイゴの言葉にFは呟く。
「何故……。あれから何が起こったんだ?」
「分からなくってもいい。F、いいや、フラン・プラターヌ。コノハさんを、泣かせるんじゃないぞ」
ダイゴの声音が真に迫っていたからか、Fは余計な事は言わなかった。ダイゴと視線を合わせ、声にする。
「本当に、いいんだな?」
「分かっているさ」
「ダイゴ!」
声の方向に振り返る。クオンとディズィーが傷だらけで立ち竦んでいる。
「またっ! また会いましょう!」
きっと他に言いたい事があったはずだ。それでもクオンは前向きに「また会える日」を選んだ。ディズィーも手を振る。
「ここまでカッコつけられちゃ、正義の味方のオイラは形なしだなぁ」
「アチキも! ダイゴ、待っているから!」
「わたくしも、あなたが無事帰還できる事を」
フヨウとプリムの声にダイゴは頷く。オサムが続けて言葉にした。
「ダイゴ。お前はツワブキ・ダイゴだ。それだけはもう間違えようがない。心がある」
メガシンカのきっかけをくれたオサムには感謝してもし切れない。リョウは顔を伏せて涙を流していた。
「ゴメン。本当に、ゴメン……。オレは……」
間違いに気付いてくれただけでもよかった。ゲンジが拳をダイゴの胸元に当てる。
「期せずして若返ってしまったからな。また戦おう。強者の頂で」
ダイゴは約束して最後にサキへと声を振り向けた。
「サキさん。お別れです」
「こんな理不尽な事! お別れなんてすぐに出来るか!」
涙声のサキへとダイゴは優しく諭す。
「きっと、俺は帰ってきますから。今度は本当の俺として。約束は果たします」
サキは涙を拭いて鼻をすすり上げた。
「絶対、だぞ……」
「ええ。絶対です」
別れの笑みを交わしてダイゴはFへと視線を据える。
「……愛されていたんだな。お前」
Fの声は短いものでありながら幾ばくかの逡巡を滲ませていた。ダイゴは応ずる。
「お前だって愛されていた。さぁ、行こう。フラン・プラターヌの帰還を」
Fが自分と目線を合わせ、瞬時に人格を転移させる。
ダイゴは天上を仰いだ。幾つもの光が精神を洗い流していき「ツワブキ・ダイゴ」の人格は消失点の向こう側に消えた。