INSANIA











小説トップ
青い栞
第百四十八話「emeth」

「届いた……」

 クオンが放心状態で声にする。ダイゴも一撃でも届けば、と感じてメタグロスを走らせていた。青い皮膜を破った一撃に初代は目を瞠っている。

「ディアルガの防御膜を破る……」

「食らえ! アームハンマー!」

 メタグロスの強靭な爪の攻撃が次々とディアルガに突き刺さろうとする。ディアルガはしかし直後には離れていた。恐らく時間停止を使われたのだろう。

 肩を荒立たせて初代が声にする。

「驚いたよ。まぐれとはいえ、ディアルガに届くなんて」

 ダイゴはメタグロスと共に構える。初代は手を掲げた。

「まぁ待つんだ。よく考えてもみろ。もうぼくを倒したところで何の利益もないんだ。半年前ならば、ぼくを殺した人間は誰なのか、君は何者なのか、というお題目があっただろう。だがもう存在しない。君はフラン・プラターヌの肉体を持つD015の人格であるし、ぼくは初代ツワブキ・ダイゴだ。殺したのは君達を先導してきたゲンジ。もう明白じゃないか。裁かれるのはゲンジだ。これでも無駄な戦いをする必要は――」

「メタグロス、バレットパンチ」

 弾丸の勢いを誇る拳がディアルガへと突き刺さろうとする。ディアルガは青い皮膜を広げてその攻撃を受け止める。

「……分からず屋、って言えばいいのか? あるいは馬鹿なのか? もう決していると言っている。ゲンジは罰を受けたし、あとは殺すだけだ。ぼくがホウエンの、いいや、デボンが全てのポケモン産業を牛耳れば、世界の王にだってなれる。誰にも不幸なんて訪れない。この状態をどうして是としない? 君達が思っている以上に世界は均衡を保つだろうし、何よりも平和だ。平和を甘受しない人間は嫌われるよ」

「俺は、偽りの平和なんて要らない」

「偽りだと規定しているのは君だけだ。他の者達を見ろ。皆、もう戦う力なんて残っていない。メガシンカを奪われたんだ、当然さ。切り札のない戦いは意味がないって言っているんだよ」

「俺だってメガシンカは扱える!」

 ダイゴの張り上げた声にメタグロスが吼えた。しかしメガシンカは成されない。初代が哄笑を上げる。

「どこがさ? 言っておくがメガストーンは全てぼくの精神エネルギーを基にして作られた。だから既に取り込まれたぼくに勝つ方法はないし、そのエネルギーを取り出す術もない。負けは潔いほうがいいよ」

 メタグロスが跳ね上がり上段から爪を打ち下ろす。ディアルガは皮膜で弾いて青い光弾を浮かび上がらせた。

「流星群」

 突き刺さった青い光弾をメタグロスは弾き返す。

「鋼タイプを嘗めるな!」

「それはこっちの台詞だ!」

 弾き返された攻撃をディアルガは吸収する。相手も鋼・ドラゴン。鋼タイプのメタグロスでは決定打は打てない。唯一決定的な攻撃は「アームハンマー」だけだ。しかし「アームハンマー」の射程は限りなく短く、懐に潜り込まなければまず命中しない。

 恐れずにディアルガに立ち向かわなければ。しかし先ほどの攻撃「ときのほうこう」の威力がダイゴを怯ませる。もし、一撃でも「ときのほうこう」を受けてしまえばお終いだ。そう考えるとあと一歩が踏み込めない。

「どうした? 時の咆哮が怖くて決定的な攻撃を撃てないか?」

 読まれている。ダイゴは、「そんな事!」と声にする。振るわれた爪の攻撃をディアルガの体表面を跳ねる電流が弾いた。

「十万ボルト」

 電気の攻撃にメタグロスが後退する。まさか電気攻撃を組み込んでいるとは思わなかった。初代は余裕を浮かべて告げる。

「電気は意外だったか? ディアルガは特殊攻撃力がずば抜けている。特殊攻撃とはつまり直接触れない攻撃だ。ディアルガはメタグロスに一回も触れずに倒す事が出来る。比して、メタグロスは、限りなく至近距離に近づかなければ何一つ有効打を打てない。限りなく勝てる可能性は、ゼロだ」

 初代の言う通りだ。このまま持久戦を続けてもメタグロスでは勝てない。「ときのほうこう」が来るのを恐れている今では、懐にも潜り込めない。

「それでも、俺は……」

「いい加減分を弁えろって話だよ。勝てない勝負はするもんじゃない。どうかな? ぼくは君の一生を保障しよう。十五番目のぼく。君はもう何一つ戦う事はなく平和に一生を終える、というのは」

 何を言っているのだ。ダイゴが目を見開いていると初代は手を叩いた。

「悪い提案じゃないだろう? 君は今まで戸籍もなければ人生に何の保障もなかった。いつネオロケット団に裏切られるかも分からず、自分の人格も自分のものではないのだと疑ってきた。それよりも平和な道を選ぼうって言っているんだ。君にツワブキ・ダイゴの名は与えよう。そのまま一生を終えていい。ぼくとここで直接対決なんて馬鹿な真似をするよりかは、そっちのほうが有意義だと思うけれど」

「……軍門に下れと言っているのか」

「荒っぽい言い方だとそうかな。ぼくはただ、手を取り合わないか、という提案だと思っているのだが」

 戦わなくって済む。自分が何者なのか迷わなくってもいい。それは今までダイゴが困惑してきた出来事を全て初代が背負うと言っているのだ。もう自分の存在意義に悩む必要もない。戦わなくてもいい。

「俺は……」

「騙されるな、ダイゴ! 奴はお前をいいように扱うだけだ!」

 ゲンジの声にダイゴは振り返る。

「何を言っているんだ? 今の今までぼくを殺す方法としてたくさんの人間を利用してきたんだろう? 君は。メガシンカという力をちらつかせ、実力者達を配置してきた。それらは全て、ぼくを封じるため。たった一つの因果のために、人生を歪められた人々がいる。君が口を挟める義理はないね」

「ワシは、小さな出来事のために動いていたつもりはない」

「だが実際には、ぼくが気に入らない、それだけだったはずだ。さぁ、悩むなよ、ツワブキ・ダイゴ。裏切り者と王。従うべきはどちらか、分かっているはずだろう?」

 従うべきはどちらか。選ぶべきはどちらなのか。自分には何もない。記憶も、人としての尊厳も、何もかも借り物だ。だからこの選択権もきっと借り物でしかないのだろう。

 自分に選ぶ価値はあるのか? 果たしてこの戦いで得られるものがあるのか?

 メガシンカが封じられ、もうこれ以上の戦果は遮られた。自分が戦っても、何一つ、好転する事なんて。

 その時、咆哮が発せられた。

 真っ直ぐに向かってくるのはボスゴドラである。ディアルガへと突進攻撃を試みるが青い皮膜で防御される。それを操っていたのはもう髪の毛が黒くなってしまったオサムであった。

「紛い物が! まだぼくに立ち向かうか!」

「紛い物じゃ……ない。ダイゴ! 何を迷っている! そんな選択肢、端から選ぶ必要がない!」

 ボスゴドラが二の腕を膨れ上がらせ、ディアルガへと攻撃を見舞うがディアルガは完全に防御していた。

「Dシリーズの欠陥品がよく言う。左足があるから生きてこられただけの存在が。もう左足を失えば、お前にはDシリーズでさえもない。価値は崩れ落ちたんだ!」

「価値だって? そんなもの、自分で見出すものだ。カゲツさんが教えてくれた。自分に自信が持てなくっても、たとえ戦いに意味がなくとも、それでも自分を曲げない。それこそが、生きるという事なのだと」

「詭弁を!」

 ディアルガが青い皮膜に吸着させたエネルギーを放出する。ボスゴドラは一瞬だけ怯んだがすぐさまディアルガを全身で拘束する。

「今だ! ツワブキ・ダイゴ! ボスゴドラごとやれ!」

 オサムの声にダイゴは逡巡を浮かべる。初代が、「余計な真似を」と忌々しげに口にする。

「左足があるから生かしておいただけの命! ここで潰えろ! 流星群!」

 オサムへと青い光弾が照準を定める。ダイゴは声にしていた。

「オサム、逃げてくれ! 俺はお前の命まで背負って戦う価値なんて……!」

「何言っているんだ。ここまで来た男だろう? だったら、使命を果たせよ」

 ボスゴドラの拘束を剥がそうとするディアルガへとボスゴドラが腕を掲げる。その腕が瞬時に巨大化し鋼の色を帯びた。ボスゴドラがディアルガの顎へと一撃を加える。

「今のは、一瞬だけ、メガシンカした……?」

「ダイゴ! メガシンカは何も初代の魂だけで成り立っていたわけじゃない。心が! 人の心が成すべき事を成した時訪れる現象なんだ!」

「まやかしを語って道を阻むか。その肉体、吹き飛ばしてくれる! 時の咆哮!」

 ディアルガが青い粒子を口腔内に溜め込む。だがボスゴドラは臆す事もなく直接攻撃に打って出た。ディアルガの身体が傾ぐ。

「おかしいとは、思っていたんだ。ギリーを殺した時とキャプテンに攻撃を加えた時、同じ時の咆哮なのになんで威力が違うのか。思うに、時の咆哮は何度も撃てる技じゃない。フルチャージで撃てたのは最初だけ。キャプテンに撃った時点でもうその威力は何分の一までか落ちているはず。恐れるな、ダイゴ。もう初代には、お前を倒すだけの体力もない!」

 ボスゴドラがそれを証明するように近接戦闘に打って出る。初代は歯噛みして、「黙ってろよ」と口にする。

「黙っていれば長生き出来たものを。時の――」

 ディアルガがエネルギーを放出しようとする。ボスゴドラが腕を掲げた。

「させるか、メガシンカ! メガボスゴドラ!」

 紫色のエネルギーの光が腕に纏いつき、片腕を包み込んだ。銀色の巨大な腕をボスゴドラがそのままディアルガの射線に向ける。

「オサム!」

 ダイゴの声にオサムは微笑んだ。

「――ナンクルナイサ。ダイゴ、お前は自分の道を行け。Dシリーズの呪縛を解くのは、きっと」

「咆哮!」

 放出された青い瀑布の中にボスゴドラが包まれていく。瞬時にボスゴドラの半身が退化していた。だが半分だけだ。それも一進化前レベル。オサムの言葉は彼本人のポケモンによって証明された。

 初代が舌打ちする。

「余計な事を吹き込みやがって! もうぼくの姿でさえもない、欠陥品が!」

 倒れ伏しているオサムへと蹴りが放たれる。オサムが呻き、初代はその頭部を引っ掴んだ。先ほどの「りゅうせいぐん」が少し掠めたのか腹部が焼け爛れている。

「もう価値なんてない。ディアルガ、引き裂いて殺せ」

 ディアルガが動き出そうとする。ダイゴは声を張り上げた。

「待てよ! 初代ツワブキ・ダイゴ!」

 初代が振り返る。ダイゴはメタグロスと共に踏み出した。

「それ以上、友を侮辱する真似はやめてもらおう」

「友だって? この出来損ないが人間だと? 世迷言を言うなよ、ダイゴ。友人関係とは、対等以上でなければ成り立たない」

「そんな物言いだから、分かり合えない」

 ダイゴの言葉に初代はフッと笑みを浮かべる。

「その気はないよ!」

 ディアルガが振り返り、青い光弾を生成する。

「メタグロス!」

 推進剤を焚いてメタグロスが突進した。青い光弾が発射されるがメタグロスが爪で弾く。

「この出来損ないの言葉を信じて突き進むか。言っておくが愚行だぞ」

「愚行なんかじゃない、俺は、ようやく分かった。進む価値のない人間なんていない。前に道があるのならば、俺は歩む事になんら恐れない!」

 爪が打ち下ろされる。ディアルガが防御しようとするがその動作があまりにも緩慢だった。

「時の咆哮の反動か。その速度なら!」

 メタグロスの爪がディアルガの肉体へと食い込む。ディアルガが青い電流を跳ねさせた。

「十万ボルト!」

「耐えろ! この程度、四天王と渡り合ってきた俺達なら!」

 メタグロスは鋼の肉体を焼く電流を耐え凌ぎ、下段からもう一撃を加える。ディアルガが後退するのと初代が呻くのは同時だった。

「これは……、どういう事だ、身体が熱い」

 初代が胸元を捲り上げてハッとする。八つのメガストーンが心臓部に食い込んでおり、それらから煙が棚引いていた。

「強制同調……。まさか、ゲンジ、最初からお前は!」

「そうだ、最悪の事態を想定していた」

 子供の姿になってしまったゲンジはプリムに支えられて立ち上がる。

「メガストーンは同調状態を生み出す。それを逆手に取り、八つのメガストーンを肉体に組み込んだお前は今、ディアルガと強制的な同調状態にある。今までどのポケモンとも同調を切っていたお前は無敵だっただろうが、ディアルガの死がそのまま、お前に反射してくるぞ」

 初代が怒りを声に滲ませる。

「ゲンジ……、貴様、王への狼藉、生きて帰らせると思うな!」

「その王は敗北する。自身の似姿によって」

 ゲンジの声にダイゴはメタグロスへと声を奔らせる。

「コメットパンチ!」

 彗星の輝きを誇る拳が打ち込まれてディアルガが呻く。初代は身を焼く激痛に膝を折った。

「こんな……こんな事で……。だが、ならばぼくは逆に利用させてもらう。強制同調だというのならば!」

 ディアルガの瞳に光が宿り、先ほどまで圧倒していたメタグロスを突き飛ばす。メタグロスは爪で制動をかけたがその空間へと見越したように電流が放たれた。

「十万ボルト!」

 メタグロスの身を焼く電流にダイゴは困惑する。

「あまりに速い……、どういう事だ」

 ゲンジは舌打ちをした。

「……強制同調を逆手に取られたか。同調現象は本来、プラスの側面も強い。反射速度の向上、感知野によるポケモンとの意識圏の拡大。毒を食らわば皿まで、という事なのだろう。今のディアルガは、初代と完全同調レベルにある」

 メタグロスが逃げに徹しようとするがそれを遮るように青い光弾が放たれる。逃げ道を潰されたかに思われると今度はいつの間に発生していたのか電流の網がメタグロスを捉えた。

「ぼくは王だ! この程度、操れないわけがない! 同調現象があるというのならば、ツワブキ・ダイゴ。お前を殺し尽くす道具としよう!」

 メタグロスへと間断なく放たれる攻撃はさしもの高耐久でも辛いものがあった。このままでは負ける。浮かんだ考えにダイゴは頭を振った。

「……もう、負けたくない」

「敗北者が何を!」

 ダイゴは手を払った。これしかない。もう、道は残されていない。

 オサムが示したほんの小さな、針の穴ほどの活路。それに賭けるしかない。ダイゴはメタグロスを呼びつけ瞼を閉じた。

「愚かしいな、ツワブキ・ダイゴ。それがお前の、最後の選択か!」

 ディアルガが電流を発生させ、ダイゴへと直接攻撃を浴びせようとする。ダイゴは小さく口にしていた。

「メタグロス、前へ」

 その声にメタグロスが爪で電流を引き裂く。ダイゴは迷わず告げる。

「そのまま推進剤を焚いて接近。流星群は叩き落せ」

 青い光弾が放たれるがそれが発射体勢に移る前に爪の甲で叩き落した。

「まさか……、ツワブキ・ダイゴ」

 ゲンジの声にダイゴは目を開く。一撃ごとにメタグロスへの集中力が洗練されていく。戦闘本能が研ぎ澄まされ、メタグロスが必殺の一撃を携える。その視界は既にメタグロスと同期していた。

「あり得ない! メガストーンもなしに」

「違うな、初代。メガシンカは心の力、魂に感応する力だ。ダイゴには魂があった、心があった。あんたにはそれがなかったって事さ」

 オサムの声に初代が歯軋りする。

「出来損ないが!」

「俺は、もう出来損ないじゃない」

 振るわれた拳がディアルガの横っ面を捉える。ディアルガがよろめき、初代も頭を振った。

「貴様らが、貴様らが王を敬わないから! 王の血筋は偉大なんだ。それを知りもしない凡俗が何を!」

「俺は、超える!」

 ダイゴの胸元に留められたペンが輝き出す。そのペンを目にして初代が口走った。

「四十年前に、ハルカに渡されかけたキーストーンのペン……。何でお前が持っている?」

「託されたんだ。ハルカさんに、ツワブキ家の人々に、このホウエンに生きる全ての民に、未来を」

 ダイゴはペンを手にして掲げる。

「メタグロス、メガシンカ!」

 メタグロスの体表を紫色のエネルギーが覆っていく。空気が逆巻き甲殻を成した。びりびりと大気が震え、力の前に鳴動する。

「させると思っているのか! 不完全でも撃つ! 時の咆哮!」

 口腔内にエネルギーが凝縮され、青い光線をディアルガが放った。ダイゴは目を開き、手を払う。

「引き裂け!」

 エネルギーの甲殻を引き裂いて巨大な爪が露になる。その爪が「ときのほうこう」のエネルギー波を掻き消していった。左右に分かれた波が徐々に収まっていく。その中央に佇む姿は先ほどまでのメタグロスではない。

 身体を反転させ、四つの腕を全て前に突き出したまさしく攻撃形態と呼ぶに相応しいメタグロスの姿があった。X字の意匠が光り輝き、内奥にある赤い瞳が鼓動と共に瞬きする。

 メタグロスの更なる姿、その名は――。

「――メガメタグロス」


オンドゥル大使 ( 2016/03/30(水) 21:43 )