INSANIA











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ようこそ、カナズミシティへ
第八話「ツワブキ・ダイゴという名前」

 彼の確保は無事出来た。

 それもハヤミのお陰だったが、追跡の結果、彼はカナズミシティからそれほど離れていない場所で発見された。これはある事実を暗に示している。

 最初から彼は人知れず抹殺されるために運び出された。そう考えなければ不自然な場所での発見を説明出来なかった。さらに二名の同行者を確認したが、二人とも刑事罰を待つ犯罪者でサキはどうしてこのような人間達と共にいたのか探りを入れようと考えていた。

 だが、誰に? その疑問に後頭部を掻いているとコツンと窓が叩かれた。窓を開けるとリョウが顔を覗かせる。

「例の彼、見つかったみたいだな」

「ああ。だが、不明な点が多い。彼は何であんな場所にいたのか」

「公安で探った結果、あの場所は個人所有の秘密基地だったらしい。だが所有者は不明。それに入り組んでいて一朝一夕じゃどうにも全貌は分からない」

「言っていいのか? 秘密裏に公安は調べているんじゃ?」

 サキの言葉にリョウは肩を竦める。

「どうせ隠し立てしたって、お前はこれくらいまでは探るだろうよ」

 リョウは自分にだけ言っているのだ。幼馴染の温情か。だが、この言葉の裏にはサキが調べようとしてもその程度しか分からない、という意思も見え透いている。サキは青い髪をかき上げ、「彼の処遇、どうにかならないのか?」と問いかけた。

「そう言われてもな。今のところ、あの記憶喪失の男は重要参考人。拉致されたとはいえ、自作自演の可能性も無きにしも非ずなんだ」

 公安は彼を疑っているのか。それはナンセンスだというのに。サキは自分に接触してきた人物の事を話そうかと思ったが、それはリョウにさえも打ち明けられなかった。彼の抹殺計画、それが公安レベルで進んでいたかもしれないなど。

「彼はどこに留置される?」

「同じく地下三階かな。出すのは危険だと判断した」

「それは早計だ。私の権限で、彼を護送し、検査施設に送り届ける。そうすれば問題あるまい」

「だがよ、今回、信用出来る護送車の一台が裏切ったんだ。運転手も、乗り付けていた公安の職員も行方不明。確か、ニシノ・シンジとか言ったか」

 彼に対して探りを入れれば入れるほど墓穴を掘る、と考えているのだろう。サキは鼻を鳴らし、「私ならば護送中に襲われるなんて間抜けはしない」と言ってのける。リョウは言い含めるように諭した。

「お前だって危ないんだ。あんまり薮蛇な事をやるなよ。それに、今回、奇妙な事に彼の手にポケモンが渡っている。彼の手持ちであったらしいが」

「確か、手持ちとは留置所で離した、と言っていたな」

 記憶を手繰るとリョウは頷いた。

「脱獄に繋がりかねないからな。だが、どうしてだか、彼は手持ちを持っていた。そしてさらに奇妙な事に、彼は自分から手持ちをまた手離した。今は我々の管理下にある」

 その言葉の持つ意味にサキは気づいていた。

「力を得れば、それでどうにでも出来るかもしれないのに抵抗もしない……」

「何かあった、としか思えないな」

 サキの言葉尻を引き継いだリョウにサキは目配せした。

「公安の、どのレベルまで彼の事を知っているんだ?」

「噂にはなっているよ。ただ、管轄上は公安六課と七課の掛け持ちだな。オレの所属する七課は六課から流れてくる資料の写し読み。ほとんど六課だ」

「六課……。行方不明になった公安職員は?」

「その六課、だな」

 リョウも自分も考えている事は同じだろう。サキは顎に手を添えた。

 ――公安六課がきな臭い。

 だが言葉にすれば自分達の身が危うい。ここは暗黙の了承程度に留めておくべきだろう。

「しかし、秘密基地で何かあったとして、彼はどうして何もせずに戻ってきたのか」

「もしくは何かあった、か」

 何か事が動いた上で彼が沈黙を守っているのだとすればそれはそれで奇妙に他ならない。自分の罪状が重くなるような事でも仕出かしたのか。あるいは行方不明になった公安職員が関係しているのか。サキは額に手をやって、「どっちにせよ」と口を開く。

「一朝一夕ではどうにもならない」

「彼をエスコートするんなら道はあるが」

 リョウの提案にサキは眉根を寄せた。

「どうするって言うんだ? 彼の身柄は依然、警察にある」

「ホウエンで力を持っているのは、何も警察だけじゃない」

 リョウの言い分が透けてきてサキはため息を漏らした。

「……おいおい。家の力は借りないんじゃなかったのか?」

「そうは言ってもいられないだろう。彼の身体検査ですら、護送車レベルでの裏切りがある。一番に安全な場所は警察よりも外部組織、つまりは企業だ」

 リョウはデボンコーポレーションならばそれが出来る、と言っているのだ。サキはパトカーのハンドルを掴んで、「保釈金はどうにかなるだろう」とその後の展開を予想する。

「天下のデボンだからな。だが、その後はどうする? 戸籍も何もない、身元不明の人間を引き取るって言うのか?」

「うちの家族の了見はさほど狭くないと思うがな」

 それに、とリョウは耳打ちする。

「ツワブキ家ならばヒグチ家との間柄もいい。もしかしたら警察として張っているよりも彼の身柄を自由に出来るかもしれない」

 リョウの言い分は裏口のようだが実のところ目的には一番近い。彼が何者なのか。どうして殺されなければならないのかを自分は知らねば。

「リョウ、何日いる?」

「二日あれば保釈金と書類はどうにか出来る。家族への説明はオレが引き受けよう」

「おじさんは納得するか?」

「親父ならするだろうよ。問題なのは他の家族だが、まぁ、オレがよく言ってみせるよ。社会貢献はデボンのお家芸だからな」

 自分の家系ですら皮肉ってみせるリョウの姿勢は嫌いではなかったが、今回ばかりは悪い気がした。

「ツワブキ家で預かっている間に、私が接触してどうにか身体検査にこぎつける。その後、身元調査、か」

「時間はかかりそうだな」

「それだけじゃないだろう。家族として迎え入れるならば、名前が必要だ。どうする?」

「その点は決めてある。彼、肩口に痣があってな。ちょうどD015って読めるんだ」

「D、015?」

 何をどうすればそのような痣がつくのだろう。サキは気になったが追及してもリョウにも分からないだろう。リョウは手帳にその文字を書きつける。

「その0と1を崩して合わせて読んでみると、こうやって読んでやれなくもないか?」

 リョウが差し出した手帳には0と1が合わさりちょうどアルファベットの「a」の文字と「i」の文字となっていた。

「ダイゴ。こいつの名前だ」

「ダイゴ、って、それはお前、ツワブキ家の当主の名前じゃないか」

 有名な話だ。四十年前のカントーで開催された第一回ポケモンリーグで優秀成績を収め、玉座に輝いた男。その名前がツワブキ・ダイゴであると。

「玉座は二回目の防衛で獲られちまったけれどな。デボンはそのお陰でポケモン関連の商品のシェアを独占している。それにこの名前なら、自然と好感が持てる」

「好感って……、犬や猫に名前をつけるんじゃないんだぞ」

 サキの呆れ顔を他所にリョウはその名前が気に入ったらしい。

「親父達にも教えてやろう。きっと分かってくれる」

「そこまでおじさん達、柔軟な物の考え方出来るか? いくらなんでもツワブキ・ダイゴは趣味が悪いとしか」

「いや、提案してみるよ。オレは書類を作るから、じゃあまたな」

 リョウは自分で話を打ち切ってサキに手を振る。サキはパトカーの中で一人考えに耽った。

 ――彼の抹殺を目論む何者か。そこから守るには警察組織では危うい。デボンほどの大企業の家の中のほうがまだ安全かもしれない。自分でさえも安全を保障出来ないのだからリョウに任せるのも得策に思える。

「……一体、彼は何者なんだ」

 口にしても、答えは出なかった。


















 思いのほか、留置所で過ごす期間は短かった。彼はトラップ小屋での事件の取調べをろくにされずに釈放となった。その事の意外さに彼自身、驚いていた。

「あの、刑事さん。俺を尋問しないでいいんですか?」

「同行していた二人の女性から、お前が犯人から守ったと聞いている。犯人は未だに分からないが、二人の人命を救ったのは疑いようがない。それに、お前のほうが傷だらけだったからな」

 彼はニシノの事を口にしようとはしなかった。ニシノの所属、それに暗躍していた何者かは自分で探るしかない。下手に口を滑らせればまた誰かが犠牲になるかもしれない。

 留置所を出るのを手伝ったのは見知った人影だった。

「三回目、ですよね」

 彼が挨拶をすると相手は、「かしこまる必要はない」と答えた。

「身元引受人は私ではないのだから」

「えっと、じゃあ誰なんです? 俺、多分知り合いは多くないと思います」

「そうだな。お前の事をいたく気に入っている奴がいる。そいつが一方的に取り付けた。私は案内役を頼まれただけだ」

 パトカーの後部座席に乗せられ、彼は小首を傾げる。自分に興味がある人間などいるのか。

「あの、でも一応、俺は重要参考人ですよね。勝手に出歩かせるわけにはいかないんじゃないですか?」

「相手も警察関係者だ。それに、お前の一件は、あまり警察内部で動かさないほうがいいとの判断でな」

 警察関係者、という言葉に無条件にニシノの顔が思い浮かぶ。ニシノは誰に命令されていたのか。どうして自分を殺そうとしたのか。未だに謎だった。

「あの、警察関係者ってのは……」

「すぐに分かるさ。ああ、その先左折」

 運転手に指示を出し、サキは口にする。訪れたのは豪奢な家屋だった。ビルの群れが乱立する都市部から少しだけ離れた高級住宅街で、その中でも異彩を放っている。石を切り崩した現在彫刻のような貫禄のある家だった。

「ここは……」

「お前を引き取りたいんだと。物好きだよ」

 その言葉に彼は身じろぎした。

「あの、俺を引き取るって……」

「言葉通り。今のままじゃ、名前も戸籍もないんだ。何も出来ないし、何もしようがない。だから名前と家だけは与えてやろうって言う、まぁ、金持ちの気紛れだよ」

 後半は本音が入り混じっているような気がした。その金持ちとやらは自分をどうするつもりなのだろう。曲がりなりにも殺人の被疑者だ。社会にいい顔で迎えられるとは思っていない。

「お前は少しばかり社会性を学ぶ必要がある。記憶喪失の上、トラブルに巻き込まれているんじゃ、危なっかしい。この家で学んでくれだとさ」

 門前から入り、停車した前庭は広く、彼には初めての光景だった。

「これ、枯山水、って言うんですか? 本物は初めて見たな」

 庭を指差すと、「枯山水は知っているのか」とサキは意外そうに呟いた。そういえば、どうして一般常識は頭に入っているのだろう。自分に関する記憶は全くないのに。

「とにかくここにいる変わり者がな。お前の身元引受人になってもいいんだと」

「変わり者で悪かったな」

 家から出てきたのは背の高い好青年だった。赤いジャケットがよく似合っている。

「よぉ。会うのは初めてだったか?」

 差し出された手をどうするべきか決めあぐねて挨拶を先にする。

「えっと、はじめまして……」

「こいつが私の幼馴染。で、お前を引き取りたいって言い出した張本人」

「人を悪く言うもんじゃないぜ。それに、今日からは家族なんだからな、ダイゴ」

 聞き覚えのない名前が自分にかけられ彼は周囲を見渡した。

「お前だよ。お前に言ったんだ」

 指差され、「俺?」と聞き返す。

「そう。名前が与えられて、お前は今日からツワブキ・ダイゴだ。よろしくな。オレはツワブキ・リョウ」

 リョウと名乗った青年の手を握り返し、彼は自分に与えられた名前を咀嚼する。

 ツワブキ・ダイゴ。

 どういう経緯で名付けられたのかは知らないが、自然とニシノに呼ばれていた〈五番〉に近いものを感じた。サキへと視線を配ると彼女は首肯する。

「お前はツワブキ・ダイゴだよ」

 どうやら彼女の意見よりもリョウの意見で決まったらしい。好青年らしい微笑みを浮かべるリョウに、彼――ダイゴは苦笑いを返した。






第一章 了

オンドゥル大使 ( 2015/11/05(木) 21:00 )