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第七話「クリアボディ」

「ダンバル、こいつの特性はクリアボディ。どのような状況であろうと、現象の影響を受けない。つまり相手が能力変化の技を使っていようとも、ダンバルにはその変化はまるでかからないというわけだ」

 ダンバルが赤い単眼を突き出し、そのまま部屋を突っ切った。ダンバルにはこの部屋を支配する何らかの力の影響はない。そのままダンバルを次の部屋へ、次の部屋へと通していく。踏み込む事で作動するタイプのトラップならばこの攻撃が有効なはずだった。

「何しているの……」

 ミナミの声に、「試しているんですよ」と〈五番〉は答えた。

「ギロチンの時、ニシノが上に来た瞬間、発動した。この部屋の重力変化も同じように。さらに言えば、空調の変化も部屋に入った瞬間だった。つまり、全てのトラップを発動させる条件はその範囲内に入った瞬間。ならばダンバルで全ての部屋を回ればいい」

「と、トラップを発動させてどうするって言うの?」

「トラップは一度発動すれば、二度目はない、と考えられます。ならば、全ての部屋のトラップを発動させれば、脅かされる心配もない。もし、この部屋のように重力変化のトラップでも、一人ずつならばダンバルで運べる。そうすれば、安全に――」

 そこから先の言葉は不意に突き刺してきた衝撃に遮られた。〈五番〉は脇腹を見やる。青い光の思念の刃が脇腹に突き立っている。

「何だ……」

 レナが金切り声を上げる。その悲鳴に、「うるさいぞ」と声が聞こえた。

「お前も、こうなりたいのか?」

 ひねられた思念の光に激痛が増す。〈五番〉は眼前の敵を見据えた。

「ニシノ……、お前……」

「トラップを全て発動させてこれらの部屋を順繰りに攻略する。そんな事をされれば困るんだよ。あーあ、せっかくいい人を演じてきたのに、台無しだぜ」

 ニシノの興醒めだと言わんばかりの声にレナが逃げ出そうとする。「逃げんな」とニシノが指を立てると薄い皮膜を持つポケモンが穴から現れた。上部が三角巾のようになっており、下部には小さな顔らしきものがある。触手が伸びており、ゆらゆらと揺らめいていた。その触手の一本が光を放ち、レナの髪を引っ張る。すると、レナの身体から重力が消えた。レナの身体が、廊下だというのに浮き上がっていく。

「何で……」

「オレのマーイーカは全ての事象を引っくり返す=B冷たければ冷たいほど熱く、重力があるならばそれを正反対に」

「ギロチンも、計算に入れていたのか」

 自分が跨ぐタイミングでわざとギロチンを発動させ、自分への疑いがないようにした。ニシノは鼻を鳴らす。

「お前が余計なもん持っていなければ、仲良くお陀仏出来たんだよ。この女共は死に、お前はオレが最後まで味方だと信じ込んだままトラップで死ぬ。そうすれば、全てが丸く収まった。ハッピーエンドだったのさ」

 レナが廊下の天井へと張り付く。だが、すぐにその背骨を重力が圧迫した。

「反重力状態。こいつは圧死する」

「させない! ダンバル!」

 戻ってきたダンバルがマーイーカと呼ばれるポケモンへと突進する。マーイーカは避ける事叶わずそのまま押し出された。ニシノが舌打ちをする。

「ポケモンの使い方、覚えていたとはな。記憶はないってのに」

「記憶……。お前は、俺の記憶が、俺が誰なのか知っているのか?」

 その問いかけにニシノは答えない。「マーイーカ!」と名を呼び、落下したレナを思念の刃で突き刺そうとする。

「ダンバル、防御姿勢を!」

 ダンバルがレナを拾い上げ、その身を盾とする。ダンバルはそれなりに強靭だ。そう易々と倒される事はない。ニシノは、「そうやって、善人気取りか?」と挑発する。

「言っておくが、こいつら助けたって何にもいい事ないぜ? レナとかいう女はパニック状態で人を殺した事もある。このミナミって女も、大人しそうだが毒を盛った疑いがあって本来ならば刑に問われるところだった。生かして外に出しても、こいつらを、いや、お前らを待っているのは刑罰だ」

「俺の事を言っているのか?」

 ダンバルを呼び戻して構えを取る。身に染み付いた所作に疑問を覚えるよりも早く、「人殺しの性ってのはよぉ、簡単に消えるもんじゃねぇんだ」とニシノが口にする。

「人殺し……。俺が、か?」

「他に誰がいるっていうんだよ」

 ニシノと睨み合う。ダンバルの攻撃ならば、マーイーカを下す事は可能だ。だがダンバルは直線攻撃しか出来ない。それを見破られれば敗因を導くのは必至だ。

「ここで技の打ち合いをしてもいいが、それよか面白い余興があるぜ」

「余興?」

 怪訝そうにしていると、「マーイーカ、催眠術!」とニシノが口にする。マーイーカから波紋が放たれ、咄嗟に〈五番〉はダンバルで防御した。だが、催眠術が狙ったのは〈五番〉ではない。レナとミナミだ。二人はマーイーカに操られ、そのまま重力の反転した部屋に駆け出そうとする。〈五番〉はダンバルに命令を飛ばした。

「ダンバル、二人を止めろ!」

 ダンバルが回転してミナミの足を引っ掛ける。レナが抜け出そうとしたが、それを〈五番〉が身を挺して止める。だが、レナは爪を突き立て、腕に噛み付いた。既に正気は失っている。ニシノは、「守ったってよぉ、どうしようもないぜ」と余裕を持って告げた。

「そいつらに暗示をかけたんだからな。マーイーカはポケモンの中でも随一の催眠使い。衝撃とかで催眠を解かせられるとか、思わないほうがいいぜ」

 ダンバルがミナミの顔に突進する。ミナミはそれをあろう事か手で受け止めた。あまりの事に〈五番〉は瞠目する。

「人間の潜在能力ってのははかり知れないんだ。非力な女でさえ、片手で六十キロのバーベルを持ち上げられるほどの実際の能力があるが、それは常に脳がリミッターをかけているために顕在する事はない。だが、一度リミッターを外してやればよぉ」

 ミナミが人間とは思えない挙動で踊り上がり、ダンバルを拳で打ち据えた。ダンバルのほうがよろめく。

「その能力はポケモンを超える。だが、当然代償は大きい」

 ミナミの手から血が滴っている。限界を超える力で殴りつけたせいだろう。骨もボロボロになっている事が窺えた。

「こいつらどうせ先なんてねぇんだ。駒のように使わせてもらうぜ」

 レナが無理やり〈五番〉を押し切ろうとする。〈五番〉は必至に呼びかけた。

「レナさん! 操られているんだ! どうにか正気を取り戻してくれ!」

 レナが〈五番〉の腕に噛み付き、そのまま引き千切ろうとする。ミナミがダンバルを蹴りつけ、天井にぶつけさせた。ダンバルがそのまま天井に突き刺さって沈黙する。

「人間相手じゃ、ダンバルでも攻撃出来ねぇよな。さぁて、人形共の供宴は最高潮を迎える事になる」

 ニシノがタクトを振るうように腕を上げる。すると、レナとミナミが纏めて〈五番〉へと突進してきた。〈五番〉がよろめき、重力反転の部屋に足を踏み出しかける。

「やめろ、このままじゃ……」

「このままじゃ三人仲良くお陀仏だよなぁ! これでオレだけが生き残り、報酬を受け取るってわけだ! 生き残る、ってのは心苦しいぜ!」

 ニシノの哄笑に〈五番〉は、「そうだな」と呟いた。その瞬間、ダンバルが赤い単眼をぎらつかせ、ニシノの背面に立っていた。それにニシノが気づいた直後、ダンバルの突進がニシノの背中から突き上げた。鉤爪状になっている部分から推進剤を焚き、ダンバルがニシノの身体を自分達よりも早く、重力反転の部屋に押し出す。

「生き残るってのは、確かに心苦しいな」

 ニシノの身体が宙に浮き必死に空を掻こうとする。

「ま、マーイーカ! オレは!」

「自分だけこの引っくり返す¥況から脱するか? だが、そんな器用な真似が出来ればとっくにやっているよな? 俺が推測するに、引っくり返す≠ノ味方も敵も区別がない。その範囲内ならば全ての現象を引っくり返す=Bさぁ、どうする? 俺もお前もお陀仏だが、死なない方法を、お前は知っているはずだよな?」

 ニシノは必死に呼びかけた。

「マーイーカ! 引っくり返す、を解け!」

 マーイーカが身体を翻す。その一動作だけで「ひっくりかえす」の技が解かれたようだった。ニシノは自分よりも天井近くまで昇っていたせいか身体を床にしこたま打ちつける。逆に〈五番〉はもつれ合うように落下したお陰で個々の損傷は酷くなかった。

「一手、勝ったのは……」

〈五番〉が立ち上がる。ニシノも立ち上がろうとするが足の骨を折ったらしくうまく立ち上がれないようだった。

「俺のほうだったみたいだな。人形遊びにうつつを抜かした、罰だと思え」

 レナとミナミは気を失っている。今や、対峙するのは自分とニシノ二人きりだった。呻き声を漏らすニシノへと歩み寄り、〈五番〉は襟首を掴み上げる。

「言え! さっき報酬がどうのこうのと言っていたな? 誰の依頼だ? 俺は何のために記憶喪失にされている?」

 ニシノはしかし、半笑いのような表情を浮かべて、「そんなの知って……」と呟く。〈五番〉はダンバルを呼びつけ、ニシノの顔に突進させた。ニシノの顔の骨がひしゃげる音が響き渡る。

「今さらだけどな、俺のダンバルは突進しか覚えていないんだ。だからこれしか拷問の方法がない。悪いな」

〈五番〉の雄叫びと共にダンバルが無数の軌道を描いてニシノの顔に突き刺さる。幾重の突進攻撃によってニシノの顔は原型が分からなくなっていた。

「言うんだ。俺は誰なんだ?」

 ニシノは唇の端から血の泡を噴き出させ、ぷっと笑った。

「……どうせ、お前には、そんな道はないんだ。殺せよ」

「殺さない。お前は俺が誰なのか知っているはずだ。だから、こんな罠を造り上げた」

 聞き出すまでは殺すものか。〈五番〉の意志の強さを理解したのか、ニシノは諦めの笑みを浮かべた。

「……罠を作ったのはオレじゃない。罠とマーイーカは用意されていた。オレは処刑人として、お前ら四人を殺す任務を帯びていたんだ」

「処刑人? お前は、何者なんだ?」

 ニシノは顎でしゃくる。すると、マーイーカが手帳を取り落とした。突き飛ばしてから手帳を拾い上げる。そこに書かれている事実に〈五番〉は震え上がった。眼を戦慄かせ、「何だこれは……」と聞き返す。

「ニシノ! お前は何なんだ!」

「……そこに書かれている通りさ。お前ら大罪人を処刑する役目を拝命した」

〈五番〉は手帳を震える指先でポケットに入れ、「俺の質問に答えろ!」と改めてニシノへと詰問する。

「この、手帳に書かれている事が事実だとして、じゃあお前は、何で……」

「殺せよ……。そうすりゃ、シナリオ通りだ」

 ニシノはもう答える気がないらしい。先ほどマーイーカが取り落とした手帳が全てなのだろう。

「……出来ない。俺は、人殺しなんて」

 その言葉にニシノはせせら笑った。

「今さらだろう? お前らは大罪人だと言ったな。レナとか言うのとミナミとか言うのは人殺しだ。最初の男だって連続婦女暴行事件の犯人だった。それと同じだよ。お前は、生き永らえているそれそのものが、深い罪なのだからな」

〈五番〉はキッとニシノを睨みつける。しかし、ニシノはくいっと顎をひねっただけだった。

「マーイーカ。仕上げだ」

 その声に〈五番〉は警戒の神経を走らせるが、マーイーカの思念がひねったのは〈五番〉の身体ではなく、ニシノの身体だった。その首が枯れ枝のように容易く折られ、呻き声も一瞬、ニシノから生きている者の気配が消えた。

「ニシノ……?」

 尋ねる声を出すがニシノは答えない。〈五番〉はニシノの襟首を掴んで立たせようとしたが、だらんと身体がだらしなく弛緩するだけだった。ニシノは既に事切れていた。

「何なんだ……。ニシノ、お前は一体……。俺は、何を信じれば……」

 その問いかけは虚しく霧散していくばかりだ。主人を失ったマーイーカは天井の穴へと吸い込まれていく。マーイーカの軟体の身体ならば空調の隙間から逃れられるのだろう。

 唯一の手がかりを失った〈五番〉はレナとミナミを抱え上げた。トラップは全て作動した後だ。ダンバルを引き連れ、〈五番〉はゆっくりと立方体の迷宮を潜り抜けていく。最後に一本道に繋がっている部屋を抜けると、陽光が眩しく切り込んできた。覚えず手でひさしを作る。岩盤をくりぬいて作られた小さな穴だった。そこから白い立方体の地獄へと繋がっていたのだ。

「どうすればいいんだ、俺は。誰に助けを求めれば……」

 レナとミナミを見やり、〈五番〉は絶望的に呟く。すると、パトランプの放つ赤い光が遠くに望めた。蜃気楼か、と思っているとそれはすぐに近づいてきて大写しになる。何台かのパトカーが自分を囲い込み、その中から知っている人影が顔を出した。

「ヒグチ・サキ……」

 昨日出会ったばかりの相貌が自分を見つめている。彼女は自分へと歩み寄り、「その女性達は?」と尋ねた。〈五番〉には説明出来ない事柄が多過ぎた。咄嗟に、ニシノから取り上げた手帳を穴の中へと放り投げる。そこに書かれていた事実は自分のみが知る事となるだろう。

〈五番〉は警察官達に確保されながら二人を見やる。「軽症です」と警察官の一人が言ったのでホッと安堵した。だが一つだけ、脳裏にこびりついて離れないのはニシノの死に際の言葉と、手帳に書かれていたニシノの経歴だった。その言葉を彼は呼び起こす。

 公安六課所属、ニシノ・シンジ。相手はサキと同じく警察組織だ。だが、ニシノはそれだけで動いていた様子ではなかった。報酬を受け取ると言っていた事から鑑みてさらに大きな存在が動いていると仮定するべきだろう。当然、自分は容易に口に出す事など出来ない。サキを巻き込んでいいものか。それよりもサキも敵の手の内の一つではないと誰も言い切れない。

 ――今は、自分の胸の中に留めておくしかない。

 そう考えて彼はパトカーに乗り込んだ。


オンドゥル大使 ( 2015/11/05(木) 21:00 )