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ようこそ、カナズミシティへ
第六話「五番」

「なぁ、お前、トレーナーなのか?」

 ニシノの問いかけに彼は顎に手を添えて考え込む。

「分からない……、ってのが正直なところです」

「でも、腰にはモンスターボールつけているよな」

 そう指摘されて彼は自分の腰に赤と白を基調としたモンスターボールがある事に気がついた。

「いつの間に……」

「寝ていた時からあったけれど? お前のもんじゃないの?」

 自分は留置所ではポケモンを剥奪されていた。どうして今、手元にあるのか。だが留置所の事を話せばまた厄介が生じる。彼は意識して黙っておいた。

「分かりません」

「分かりませんばっかりだな。名前も分からないんだっけ?」

 ニシノの言葉に、「ウソ、マジで?」と後ろの女性が反応する。ニシノは気安い笑みを振り向けて、「マジマジ」と告げた。

「君らは? まさかこいつみたいに記憶喪失?」

「いや、あたしはレナ」

「私はミナミ」

 お互いに名前の記憶はあるらしい。だが攫われた前後の記憶は曖昧なようだった。

「じゃあお前だけが記憶ないってわけだ。不便だよな、名前でもないけれど呼び名ぐらいはつけなきゃ」

「いいですよ。俺は別に困らないし」

「でも……、あっ、肩に痣があるぜ?」

 痣、と言われて彼は肩を押さえる。ニシノが指差したのは半袖に隠れるか隠れないかの合間だった。

「えっと、D015? 何だこれ。刺青か?」

 彼は身をひねってようやくその痣を見やる。確かにニシノの言う通り「D015」と読めなくもない。

「じゃあ〈五番〉。お前、今から〈五番〉な」

「それ、名前じゃないじゃん」

 レナが指摘するがニシノは、「いいんだって」となだめる。

「呼び名があるほうが分かりやすいし、脱出したら本当の名前を教えてくれよ、〈五番〉」

 彼は嫌な気分はしなかった。〈五番〉として振舞う事にいささかのためらいもない。

「はぁ、じゃあ〈五番〉でいいですけれど」

 気のない返事をすると次の部屋が目に入ってきた。

「次の部屋は二方向か」

 先ほどの部屋は四方向に通じる立方体だった。だが、今度は二つしか道がない。右に折れるか左に折れるかだ。

「ちょっとやだ、それ何よ」

 レナが指差した方向にはギロチンが埋め込まれていた。だが、床に埋め込まれているだけであり、相当気を抜いていなければ躓きようもない。

「こけおどしかな。もしくはこれに引っかかるような間抜けを想定しているか?」

 ニシノが面白がって歩み寄る。「やめなさいよ」とレナが止めようとするがニシノはギロチンの上で手を振った。

「本物の刃っぽいな。でもこんなの転ばない限り脅威でも何でもないぜ。とりあえず右に進むか左に進むかを――」

 身を翻した瞬間だった。ギロチンが空気を切る音を立てて瞬時に浮かび上がった。

「危ない!」と〈五番〉がニシノを引き寄せなければもしかしたらニシノはその刃にかかっていたかもしれない。ギロチンは天井に吸い込まれて突き刺さった。ニシノが荒い息をつく。

「……おい、何だよ、これ」

〈五番〉は先ほどまでギロチンが埋め込まれていた床へと歩み寄る。「危ないよ」とミナミが言うが調べなければならなかった。

「ギロチンは、確かに埋め込まれていた。だけれど刃が固定されていたわけじゃない」

「念動力か何かで刃を浮かしたって言うのか?」

「それにしちゃ、今の刃の動きは速過ぎた。まるで、最初からギロチンが標的を見つければ動くみたいな」

「ちょっとやめてよ」

 レナが耳を塞ぐ。その理論で行けば誰かが犠牲になっていたかもしれないのだ。ニシノは息をついて、「とにかくサンキュ。もしかしたら死んでいたかもしれなかった」と礼を言った。

「いや、俺は反射的に……」

「反射的でも助かったって言っているんだ」

 ニシノの声音には今しがた死が歩み寄っていたという不安がない交ぜになっていた。言葉にする事で冷静になりたいのだろう。〈五番〉は素直に受け止める事にした。

「にしても、トラップルームってわけか。こりゃ迂闊に進めないか?」

「いや、進んだほうがいいでしょう。あのギロチンが狙ってこないとも限らない」

「とりあえず女性陣を守るようにオレらで囲うしかないな」

 ニシノは前を歩き、〈五番〉は後ろを歩く事となった。ギロチンの動向を見やるが、ギロチンからは既に攻撃の意思は取り去られたように思える。結局、左側へと進み、廊下を歩く最中ニシノが話しかけてきた。

「廊下は何にもないみたいだな」

「だからと言って歩みを止めるのは」

「分かっているよ。何にもないって事は脱出の手段もないって事だし」

 ニシノは存外に理解がいいらしい。先ほど死にかけたというのに立ち直っている様子に窺えた。

「……脱出ルート、ありますかね」

「なければ困るって話だな。今にして思うと、最初に死んだと思ったあの人は、逆に逃げ出したのかもしれん」

「と、言うと?」

 ニシノは、「根拠のない話は好きじゃないが」と前置きした。

「あの部屋の空間をおかしくさせて、自分は血糊で死んだとでも思わせればあの部屋には誰も戻らない。もしかしたら、あの部屋が唯一の脱出口だったのかもしれないのに」

 そう考えれば辻褄もある。だが〈五番〉からしてみればそれは考えたくない可能性だった。

「裏切られた、って事ですよね」

「悔しいけれどそうなるわな。でも死んだと考えるよりかは後腐れない気がするが」

 破砕音は明らかに常態のものではなかった。空調に挟まれて死んだ、と思い込んだだけかもしれないが、前を行くレナとミナミには伝えないほうがいいだろう。無用な心配を生むだけだ。

「なぁ、本当に記憶がないわけなのか?」

 ニシノの声に〈五番〉は答えた。

「言ったじゃないですか。この痣だって、意味分からないですし」

「でもポケモンに関する知識は、オレらの中で一番あるようだが」

 モンスターボールを指差されて、「でも、こんな極限状態、想定していませんよ」と応ずる。「そりゃあな」とニシノも理解を示した。

「わけの分からない部屋の中でトラップに怯えながら進むなんて悪夢だよ」

 開けた場所に出そうになってレナとミナミが足を止めた。トラップの可能性にニシノと〈五番〉が歩み出る。今度は三つに道が分かれており、先ほどまでの部屋よりも幾分か小さかった。

「罠らしい罠は、なさそうだが……」

 空調設備が行き届いているのか涼しい風が運ばれてくる。

「空調があるって事は、やっぱり外と何かしらで繋がっていると見るべきだろうな」

「ですね」

 だが最悪の形を想定する。空調設備以外は外との繋がりが全くないという可能性。

「ねぇ、何だか暑くない?」

 レナの声にニシノが、「おかしな事言うなって」といさめる。

「空調が効いているんだぞ。なのに熱いだなんて」

「……いえ、気のせいじゃないみたいです」

〈五番〉も蒸すような暑さを感じ取っていた。おかしい、つい先ほど空調は万全だと感じたはずなのに。

「汗が……」

 ミナミは額を拭う。ニシノも感じ始めたのか、「何だって言うんだよ……」と苛立たしげに呟いた。

「この部屋で長居をさせてくれない、という事でしょうね。それにしても、暖房に切り替わった様子はないのに」

 選択を迫られている、という事だろう。〈五番〉は、「真正面の廊下を行きましょう」と提案した。

「こんな風に、当てずっぽうでどうにかなるの?」

 レナの疑問はもっともだったが今は進むしかない事もまた分かっているはずだった。

「オレは〈五番〉に賛成。とりあえず進まなきゃどうにもならん」

 レナとミナミは渋々と言った様子でついてくる。廊下に入ると暑さは失せた。

「やっぱり今の部屋だけが暑かったんだ……」

〈五番〉が振り返って眺めていると景色がたわんだ。何が起こったのかと確かめようとすると、床の一部から煙が生じているのである。照明設備に引火したらしい。

「おいおい。熱しすぎて照明がいかれちまうぞ!」

 ニシノの声に先ほどの部屋が明滅したかと思うとすぐさま真っ暗になった。もし少しでも長く留まっていたら、と考えると全員に怖気が走った。

「早く、進まないと」

 そう口にしたのはレナだ。急くように駆け出す。ニシノと〈五番〉が制する声を出した。

「おい、危ないって!」

「先行は危険です!」

 その言葉も聞こえていない様子だった。次の部屋へといち早くレナは飛び出す。その瞬間、レナの身体が浮き上がった。

「いや! どうなっているの?」

 追いついた〈五番〉は床についた血糊でハッとする。

「元の場所に戻ってきてしまったんだ……」

 浮き上がったレナを止める術はない。レナの身体が穴へと吸い込まれようとする。叫び声がけたたましく響き、ミナミが目を覆う。その身体が空調の隙間に挟まれかけたその時であった。

「いけ!」

 無意識にホルスターからモンスターボールを引き抜き、緊急射出ボタンを押し込む。光を取り払って射出された物体がレナの身体を空中で捕まえた。

「あれは……?」

 レナが身をよじろうとする。〈五番〉は、「戻って来い」と告げる。すると水色のポケモンに掴まれたレナは無事に廊下へと帰投を果たした。ミナミが、「よかった!」と抱きつく。レナは涙を流して震えていた。

「お前、それは……」

 ニシノの声に〈五番〉は唇の前で指を立てる。

「しーっ。ダンバル」

 その名前に水色のポケモンが鳴き声を上げる。赤い眼球があり、それを中心として鉤爪のような形状の胴体が引っ付いている。ダンバルと呼ばれたポケモンはレナから離れると〈五番〉の傍に寄り沿った。


オンドゥル大使 ( 2015/11/05(木) 21:00 )