INSANIA











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ようこそ、カナズミシティへ
第五話「処刑空間」

 床が冷たいと体温というものが余計に感知される。

 それは留置所にいた時もそうだったが、自分はどうやら冷たい床でなければ寝られないらしい。温かい布団の上で寝ようとしても落ち着かないのだ。身体の一部分が冷たいとなおよかった。

 だが、頬から伝わってくる低い音程は装置のそれだ。床ではないのか、と瞼を上げて身を起こす。すると一面が白い部屋に入れられているのが分かった。天井も滅菌されたように白い、と感じていると滅菌どころか照明となっており、全方向から光が漏れていた。

 ごきり、と首を鳴らしてから、ここはどこなのだろうか、と考える。確か、留置所から出られたところまでは覚えている。護送車に入れられ、検査に向かうのだ、と告げられた。ならばここが検査所だろうか。それにしては随分と質素だな、と彼は思う。質素どころか、部屋は角張っており眺めていると空間が立方体である事が理解出来た。

「あのさぁ」

 その声に振り返ると、二人の女と二人の男が寝そべっていた。そのうち一人の、角刈りの男が声を発したのだ。彼は身を起こし、「さっきから待っていたんだ」と告げた。

「待っていた? 何を」

「全員が起きるのを、だよ。オレが最初に起きて、でも揺すっても誰も起きないから事態を静観していたんだ。で、お前が起きた」

 指差されて彼は、「俺がぁ?」と首を傾げる。他の三人に視線を移すと、「眠っているよ」と先んじて言われた。

「どうやら強力な睡眠薬か何かで眠らせられているらしい。お前もそうだった。なぁ、お前、名前は?」

 問われて彼ははたと思い留まる。名前はないのだ。何度刑事に問い詰められても出なかったものがこの異空間で出るとは思えなかった。口ごもっていると、「もしかして覚えていない?」と察せられた。彼は頷く。

「驚いた。マジに記憶ないのか?」

「そういうあんたは、あるのか?」

「ああ、オレの名前はニシノ」

「苗字じゃ……」

「充分だろ」

 ニシノと名乗った男は歩み寄り、彼へと手を差し出す。きょとんと見つめていると、「とりあえず握手だよ」とニシノは口にした。

「この妙な空間で、まず起きたのがオレとお前だった、っていうね」

「あの、俺、記憶ないんですけれど……」

「安心しろ。オレも眠る前の記憶は曖昧だ」

 ニシノは快活に笑って、彼と握手を交わす。「さて」とニシノは他の人々を見渡した。

「こいつら起きてるのか寝てるのか分からないからな。迂闊に触れないと思って声かけて揺すってみたんだが、反応はない。どれ、お前、こいつら起こしてみてくれないか?」

「俺が?」

 彼が怪訝そうに眉をひそめると、「頼むよ」とニシノは肩に手を置いた。

「オレの呼びかけ方が悪かっただけかもしれない。お前なら起こせる」

 謎の確証に彼は戸惑いながらまずは目についたもう一人の男の肩を揺すった。すると、男は寝返りを打つ。どうやら死んでいるわけではないらしい。彼がもう一度強めに肩を揺すると、「あ? どうしたんだ、私は……」と男が身を起こした。三七で分けた髪が真面目そうな印象を受けさせる。

「あの、眠っていたみたいなんですけれど」

「ああ、うん? うまく思い出せないな」

 その反応にニシノへと目配せする。「オレと同じだ」とニシノは腕を組んで首肯した。

 もう二人の女性へと彼は歩み寄った。軽めに肩を叩くと二人とも額を押さえて起き上がった。思っていたよりも素早い動きに最初から起きていたのではないかと思わせられた。

「こりゃ狸寝入りだったのかな」とニシノも軽口を叩く。

「うん? あたし、何で」

「私も、どうして……」

「二人とも、前後の記憶は?」

 問いかけると二人の女性は狼狽したが合わせて首を横に振った。

「やっぱり、オレだけじゃないってわけか」

「あの、説明してもらえるかな? この部屋は何なんだ?」

 起きた男の問いかけにニシノへと視線を配ると、「オレにも分からないが」と口火を切った。

「全員が、何らかの理由で攫われた、と見るべきだろうな。ここにいるのは無関係な五人だ」

「攫われたって……! 嫌だ、マジで」

 女性の一人が肩を抱く。何かされたのだと思い込んだのだろう。ニシノは、「何かされたってのは分からないが」と続ける。

「全員、外への通信手段は?」

 女性二人が携帯端末を持っていたが圏外だった。男は、「ポケナビを携行していたはずなんだが」と左手を見やるがもちろんない。

「つまり外へと呼びかける事は不可能、か」

「あの、一応、この部屋についても調べるべきだと思うんですよ」

 彼が口にすると、「もっともだな」とニシノは頷いた。

「この部屋は、立方体だ。四方に隣の部屋へと続く廊下があり、床から廊下までの高さは二十センチ。段差レベルだな。だが天井までの高さは二メートル近くある」

「よくそこまで……」と男が感心する。ニシノは、「伊達に早く起きたわけじゃないからな」とウインクする。

「調べようとして隣の部屋に行きかけたが、オレ一人で進むのも不安なので全員が起きるのを待っていた。で、こいつが二番目に起きた」

 指差され彼はうろたえ気味に、「閉じ込められた、とかだと思います」と告げた。

「はぁ? 閉じ込めたって、マジ意味分からないんだけれど」

 先ほどと同じ女性が糾弾する。意味が分からないのはこちらも同じだ。返そうとすると、「でも、そこいらにドアはないですよね」ともう一人の女性が呟く。

「目をつけるとすればそこだな。ドアのない、密室だよ」

 ニシノの言葉に全員が慄いた。彼は、「でも全く出入り口がないなんて考えられない」と抗弁を発する。

「俺達を入れてきたのならば、その入り口があるはず。そこを探しましょう」

「となると、隣の部屋、行くかぁ?」

 ニシノの声音にはどこか興味本位すら感じさせる。彼は全員に目配せする。男が立ち上がり、「私は動かないほうがいいと思う」と意見した。

「動かないほうがって、でも周りは廊下しかないだろうが」

「どこかから観ているんですよ、この密室に入れてきた人間は。そいつを見つけ出すのが先でしょう」

 男の言葉にも一理ある。だがニシノは、「監視カメラならばないと思うぜ」と首筋を掻いた。

「どうして言い切れる?」

「一応、最初に起きたもんで。そこいら調べたけれどそれらしいものはなかった」

「埋め込まれているかもしれないじゃないか」

「だとすれば余計に気にする意味分からんだろ。オレはこの場から行く事に賛成」

 ニシノの視線に彼も首肯する。

「俺も、賛成です」

 女性陣に視線を移すと、「あたしも。ここ何もないし」と片方の女性が言って歩き出した。もう片方の女性は、「私も」と連れられる形で歩き出す。男だけが、「正気か?」と動かなかった。

「そうだ、あれは何だ?」

 男が指差したのは天井に開いている穴だった。人が一人分入ればいいほうの穴で、どこへと続いているのかは分からない。

「多分、空調でしょ? 期待しないほうがいいと思うけれど」

「あそこから落とされたかもしれないじゃないか」

「いや、あり得ないでしょ。天井から床まで相当距離あるし、叩きつけられたら怪我くらいするでしょ。無傷なのが、あの穴が何の役にも立たない証」

「やってみなければ分からないじゃないか」

 男は頑なに動こうとしない。終いにはニシノが折れた。

「行こうぜ。この人、ここから動きたくないみたいだ」

 女性陣を連れ立ってニシノが廊下へと踏み出す。彼は呼びかけた。

「あの、出来るのならば固まって動いたほうがいいと思うんです」

「うるさい! 私の事は放っておいてくれ!」

 極度のパニックからか、男は意固地になっている。彼はしかし、それでも構わないか、と考えていた。後々、心細くなれば合流するだろう。そう感じて身を翻した、その時である。

「み、見ろ! 身体がふわふわと浮いて……」

 その声に全員が振り返った。男の身体が吸い寄せられるように宙へと浮いている。その光景が全員、信じられなかった。

「おいおい、マジかよ」

「何で人が浮くわけ?」

 全員の視線が男に集まる中、男は両手を広げた。

「やはり動かない事が賢明だったんだ! これで脱出出来る!」

 その言葉が紡がれた直後、男の身体が穴へと吸い込まれた。だが期待していたものとは程遠い結末が待っていた。穴へと吸い込まれたかと思うと、気味の悪い破砕音が響き渡る。骨や肉が砕けた音が連鎖した後、血が滴った。穴からである。女性二人が、「何……」と後ずさる。彼は咄嗟に、「さっきの携帯端末を」と女性に手を差し出す。女性は事態が飲み込めていないのか彼と先ほどの部屋とを見比べた。

「早く!」

 その言葉に携帯端末を手渡す。彼はそれを思い切り放り投げた。先ほどの部屋に入った瞬間、携帯端末は浮き上がり天井へと張り付いた。

「おい、どういう事だ、これは」

 彼はその現象を見やり、一つ呟く。

「分からない。分からないが、さっきの人は、決して脱出出来たわけではない。それだけは確かみたいです」

「死んだって事……?」

 小柄なほうの女性が尋ねる。携帯端末を差し出したほうの女性は、「そんな事って!」と声を荒らげた。

「でも携帯端末が天井に吸い寄せられている。磁力か? でも磁力じゃ人は浮かない……」

「ポケモンじゃないの、かな」

 その言葉に全員が目を向けた。小柄な女性はそれだけで竦み上がりそうになりながら言葉を紡ぐ。

「その、ポケモンならば、可能じゃないかな、って」

「なるほど。念力とか使うポケモンならば考えられない話じゃないな」

 ニシノの推理に彼は疑問を挟んだ。

「でも、妙だ。さっき、あの人の周りにはそれらしき痕跡がなかった。念力ならば青い光ぐらいは纏いつくはず」

 その段になってどうして自分はポケモンの事を知っているのか、と疑問が浮かぶ。自分の名前に関しては何一つ分からないのに。

「ポケモンの仕業か。だとすれば、誰が何のために」

「どちらにせよ、部屋を戻るのは得策じゃないです。携帯端末が天井に張り付いたって事はまだ有効射程だろうし」

 彼の言葉に全員が納得したわけではなかったがニシノは承諾した様子だった。

「次の部屋に行こうぜ。でないと始まらない」

 その提案には全員が乗った。ここで置いていかれれば何が起こるか分からないからだろう。先ほど死んだ男の次は追いたくなかった。


オンドゥル大使 ( 2015/11/05(木) 21:00 )