第四話「接触」
頭痛を伴って出勤するとすぐさま一報が入った。公安は今日のうちに動いてくれるのだという。リョウが働きかけてくれたのか、あまりの迅速さにこちらが目を瞠る番だった。
「早いな」
ハヤミも驚いている。サキは捜査一課に顔を出してから護送車に自分も同乗する事を提言した。思いのほか、サキの提言はすんなりと受け容れられた。
「公安も自分達の不手際を隠すのに必死なのか」
シマの推理に、「そうでもないんじゃないですかぁ」と甘ったるいコーヒーを飲みながらアマミが返す。
「今まで適当に済ましていたところを、サキちゃんが突っかかっただけで」
「それって、私が余計な事をしたって言っています?」
思わず声が出るとアマミは、「そうは言ってないよ」と手をひらひらと振った。
「サキちゃんはでも、そんなに真剣になる事? だって、名前も素性も分からない人間のために」
「でも無実の罪ならば検査くらいは受けるべきです」
サキはそう言い置いて護送車へと取り次ぎを果たした。捜査一課の人間が介入する事は疎んじがられるかと思ったが、意外にも一回の連絡で事足りた。
「検査ねぇ。歯の治療痕の照合? それとも手術痕とか?」
シマの声に、「どれもですよ」と応じてからサキは捜査一課を後にした。護送車は全部黒塗りで物々しい空気を醸し出している。三台あり、どれに彼が乗っているのかは分からない様子だった。
「警察関係者でも用心しているってわけか」
サキはそのうち一台に乗り込む。すると、間もなく護送車が動き出した。カナズミシティの街並みは舗装されているためにほとんど振動はない。車に揺られていても外の景色に目を留めるような余裕さえある。
運転手は真っ直ぐに車を走らせていたが、バックミラーを眺めていたサキには後ろの一台が別ルートに入ったのに気がついた。
「あの、後ろのが」
「ああ、あれは別クチに行くみたいですよ」
「別クチって……」
「詳しくは聞かされていないですが、別ルートで向かうみたいです。なにせ稀代の殺人事件ですし、あんまり施設なんかも明らかにしたくないんじゃないですか?」
そう言われればそう納得するしかない。サキは頬杖をついて施設までの道を眺めていた。施設に着くと一台の護送車が先に到着していた。サキが声をかける。
「彼は?」
「ヒグチさん、でしたっけ。ここから先はご遠慮願いたい」
その言葉の意味が分からずにサキは首を傾げる。
「どういう意味ですか」
「検査施設が誰かの口から漏れればマスコミにリークされる可能性があります。彼はまだ被疑者レベルなんですから」
それにしては今までの扱いは何だ、と問い質したかったが、ここで論戦を繰り広げても仕方がないのだろう。サキは髪をかき上げて、「で私はどうすれば?」と訊いた。
「検査結果を受け取ってもらって、後はご自由に」
公安の手先であろう人物の口調は素っ気ない。サキは、「そうさせてもらう」と施設外苑のベンチに座り込んだ。施設内に入って待ってもよかったがどうせ彼とは会わせてくれないのだろう。ならばどこで待とうと同じだ、と感じたのだったが、不意に誰かが隣に座ってきた。このような狭い敷地で何が悲しくって相席せねばならないのだ。立ち上がろうとすると、「待ちなよ」と声がかけられた。振り返ろうとすると、「私のほうを見なくてもいい」と鋭い声がかけられる。サキは瞬時に、警戒の神経を走らせた。後ろに座っている人物は一体何者なのか。
「何だ?」
「私のほうを見ずに、話を続けてもらいたい。これは要求ではなく、決定事項だ」
「私の職務を知っていて言っているのか?」
「だからこそだ。ここで脳しょうぶちまけたくないだろう?」
サキは相手の言葉に息を呑む。背後の人物の声音から男か女かを判断しようとしたが、変声機でも使っているのか読めない声だ。
「……お前は誰だ?」
「彼を助けたいのだろう」
彼、という言葉が即座に銀色の髪を持つ彼と結びつきサキは動悸が早まるのを感じ取った。
「何故……」
「このままでは秘密裏に始末される」
「何を言って――」
振り返ろうとすると、「振り返らずに聞いて欲しい」と声が返ってきた。サキは必死に衝動を押し留めて口にする。
「秘密裏に始末、ってのは誰がだ? 公安か?」
「もっと大きな流れだ。もっとも、あれはこの事には気づいていないが。護送車が一台、到着していないだろう?」
その言葉に駐車場の護送車二台を見やる。
「あんたは撒かれたのさ。彼は極秘施設にて処刑を受ける」
処刑という言葉がサキの潜在的な意識をささくれさせる。
「何で、彼が何をしたって……」
「それは我々にも余計な事は言えないが、公安があちらの要求を呑んで大人しく内々に事を済ませようとしたのを突いたのはあんたのほうだと、言っておこう」
サキはその口調から相手が自分の経歴、もっと言えば動きを熟知しているのだと感知する。
「趣味が悪いな。覗き見か」
「覗くまでもない。あんたの行動は小さなものだが、その小さな、些事に過ぎない事でもあちらはそうは思わない。死にたくなければ今すぐにでも家に帰って彼に関する情報を削除する事をお勧めする」
「……脅迫、か」
ホルスターに留めておいたモンスターボールに手を添える仕草をすると、「やめなよ。ブランクなんだろう?」と声が発せられた。心臓を鷲掴みにされた気分に陥る。モンスターボールがブランクである事を知っているのは限られた人間だけだ。警察関係者? と憶測を呼び出していると、「私の存在を勘繰ったところでお互いに益はない」と見透かされた声が発せられる。
「……私はどうすれば」
「何も。もう起こってしまった事だ。彼が生きて帰ってくれば、あんたに一任したい。ただそれだけの、お願いのために訪れたまでだよ」
「……お願い」
その一事にしては妙に気を張っている辺り、相手にも何かしら思うところがあるのかもしれない。だが、どうして彼なのか。その疑問がついて回った。
「彼が何をした? この事件と関係があるのか?」
「私の口から言えるのはここまでだ。だが、ヒグチ・サキ警部。彼はいずれ必要となる時が来るだろう。それはあんたにとっても、であって欲しいね」
「どういう意味だ」
「もう行こう。彼の無事を祈るしか、我々にはもう出来ないよ」
気配が消えた、それを感じ取って振り返る。ベンチには誰もおらず、誰かが歩み出した形跡もなかった。何か痕跡を探そうとしたがそれを残していくような間抜けではないだろう。
「……何だって言うんだ。私の事を知っていて、あえて接触してきた。彼の事を、処刑されるだと?」
護送車が一台遅れているのは見れば明らかである。だが処刑施設に寄っているなど考えられるだろうか。サキは額に手をやって考えを巡らせようとするが、それは無為だというかのようにポケナビが鳴った。通話モードになったポケナビの相手はハヤミだった。
「はい、こちらヒグチ」
『ヒグチ君。今しがたこちらに彼の検査結果が届いた。迅速な対応に大変助かっている』
その言葉に違和感を覚えた。検査施設に入っていたとしてもまだ数分、そんな短時間で検査結果が導き出せるわけがない。
「ちょ、ちょっと待ってください、課長。私が来て、まだ数分ですよ?」
『それはおかしいな。検査結果は三十分前に記録された事が確認済みだ。送信されているが』
ハヤミの言葉にサキは先刻の謎の人物の言葉を思い返した。彼は秘密裏に処刑される――。
「あの、送信先って分かります?」
『送信先?』
ハヤミが胡乱そうな声を出す。サキは、「受信したのなら、送信してきた相手ってのが分かるはずですよね」と被せた。
「誰が送ってきたのか……」
『妙だな』
ハヤミは何かしらに気づいたらしい。サキが追求する。
「妙、とは?」
『一度公安を経由して送信されている。そこからさらにアマミ君に辿ってもらったが、どうしてだか海外のサーバーを転々としていた』
サキは確信に変わったのを感じた。彼の身柄。それを容易く外に出してはならなかったのだ。彼を狙っているのが何者かは分からないが、警察組織を相手取れるほどの大規模である事は疑いようのない。
「海外を経由したって事は、それは出所不明と同義じゃないですか」
『そうなのだが、きちんと上のサインも入っている。出所不明の書類を上が認可した、という事だな』
サキは周囲を見渡した。先ほどの人物にうまく当てがあれば。そうでなくとも、護送車がどこへ行ったのかを追跡出来れば、と。
「この件、予想以上にまずいですね」
『何ならこの書類はわたしが上の動きを制するために持っておく事も出来るが』
「お願いします。それと追跡の許可を」
『追跡? 何をかね?』
サキは息を吐き出して告げた。
「彼の行方を」