第三話「憤りの行方」
「でもだからって犯人じゃないとは限らないんだよねぇ」
話を聞いたアマミがそう口を挟む。捜査一課のデスクに戻り、彼の状態を課長に報告していると次第に自分の感情論になっていたようだ。サキは、「私だって、信用しきったわけじゃないですよ」と抗弁を垂れる。
「ただ、公安がどうしてだか彼の身辺に対して鈍感だというか、杜撰が過ぎるかと」
「公安に関してはわたしから話を通しておくとして」
ハヤミがサキへと視線を戻し、「釈放は難しそうだが」と懸念事項を告げる。現状、彼は重要参考人だ。だから留置所に入れておくのが正解である。だが、サキはただ闇雲に閉じ込めておくだけがいい事だとは思えなかった。
「彼の経歴を洗いましょう。そのためには一度施設を移動しなければ。地下留置所ではろくな検査も出来ませんよ」
サキの提案にハヤミも同意のようだった。書類にサインしながら、「それに関しては同じ気持ちだ」と返される。
「公安がそこまでして彼を犯人に仕立て上げたかった理由も気になるところではあるが、藪を突いて蛇を出しかねない。そのあたりは充分に留意するように」
暗に踏み込み過ぎるな、という警告だったがサキは、「こっちにはこっちでコネがあるんで」と口にする。
「うまくやってみせますよ」
「公安の目からどうやって彼を連れ出す気だい? あんまり動きが活発だと目をつけられる恐れがあるよ」
シマの警告にサキは、「連れ出すも何も」と答えた。
「正当な身体検査ですよ。歯の治療痕ですら精査していないところを見ると公安も随分と迂闊です。名前も素性も分からない人間を犯人に仕立て上げたら、それこそ警察の面子が丸潰れでしょう」
「でもさぁ、サキちゃん。この事件を解決出来ない事も、面子丸潰れには変わりないんだよねぇ」
アマミの声にサキが睨みを利かせる。アマミは肩を竦めて板チョコを頬張った。
その事は重々理解している。この事件を解決する糸口が少しでも欲しいのだろう。だが、それは無実の人間を追い詰める事に繋がってはならない。
「ヒグチ君。君の正義感で動いてもらってもわたしとしては構わないのだが、それは実績が挙げられたら、の話。彼を別施設に移送する手はずくらいは君が整えてくれるのだろうね?」
ハヤミの言葉にサキは、「やってみせます」と応じた。こうなれば彼の素性を知らぬまま過ごせというほうが無理な話である。彼は何者なのか、どこから来たのか、知る必要性に駆られていた。
「しかし、君の印象では彼は殺人を犯すようなメンタリティには思えなかったのだろう? それをどうして公安はこうもしつこく彼を拘束する事にこだわったのか」
ハヤミの謎は同時にサキの謎でもあった。彼でなくとも有力な人物の一人や二人はいなかったのか。全く手がかりのない状態で彼が見つかったのならばそれもあり得るがそうなってくると公安の手際の悪さが目立つ。
「準備もまるでなく、ただ踏み込んだ先に彼がいた、ではあまりに理不尽というか、あり得ていいのか、って気がします」
サキの印象に、「僕もそれは賛成だな」とシマが声を上げた。相変わらず端末に目を向けたまま視線を振り向けもしないがその言葉にはきちんと熱がある。
「公安だって色々と念入りに調べて張ったはずだよ。だって言うのに、彼がいました、じゃあ逮捕、ってのは何ていうか、出来過ぎているんだよね」
公安が作ったシナリオ、という線も捨て切れない。そうなれば警察本部が丸ごとでっち上げた犯人という事になる。
「陰謀論ですかぁ? 今時、流行りませんよ」
アマミの言葉は無視してサキはハヤミにもう一度要求した。
「彼を検査可能な施設へと移送する許可を取り付けてみせます」
「期待はしているが、無理ならば無理と言ってくれよ。わたしとしても優秀な部下が無理難題に悩まされているのを見るのは辛い」
ハヤミの心配を他所にサキは、「やり遂げてみせます」と踵を返した。
「で、オレを呼んだわけだ」
事の次第を説明してから、サキは慣れていない高級レストランの内観を見渡す。暖色で固められた照明に白亜の壁が眩しい。運ばれてくる料理はどれも一級品でサキは手をつける事すら憚られたが対面に座る相手は遠慮がない。
「食えよ。オレのおごりだ」
サキは佇まいを正し、「リョウ、私は話をしたいと言ったんだ」と目的を呼び戻した。
「誰が高級料理店に連れて行ってくれと頼んだ?」
「まぁまぁ、いいじゃないか。ここもデボンの系列店、オレの顔は利く」
得意そうに口元を緩めた幼馴染に、「そうではなくって」とサキは話題を戻す。
「私は、容疑者である彼を移送する許可を取り付けて欲しい、と言った。食事のオーケーまではしたが、こんな場所である必要はない」
「いいじゃないか。どうせろくなものを食べていないんだろう?」
リョウの指摘にサキは言葉を詰まらせる。連日インスタント食品では身体によくないと医者に指摘されたばかりだった。
「たまには羽を伸ばしてさ。ぱあっとやらなきゃ人生つまらないぜ?」
「……そのしわ寄せがこっちに来ているんだ」
サキはテーブルマナーも何のその、運ばれてきた前菜を切り分けて頬張った。
「ふぁいたい、こうふぁんはなにをやって――」
「飯食いながら喋らない」
その言葉にサキは一度飲み込んでから言葉を続けた。
「大体、公安は何をやっているんだ。彼の素性を調べもせずに犯人扱いだと? 歯の治療痕の照合もしないとか正気か?」
「それが上のお達しだったんだ。オレ達は従うしかないよ」
「何のつもりで彼を全く調べなかったのかは知らないが、これは怠慢だぞ」
サキの厳しい口調に、「そう言うなって」とリョウは顔をしかめる。
「せっかくのうまい料理が台無しだぞ」
「私はな、飯を食いに来たんじゃないんだ。移送許可を、明日か明後日中に取り付けて欲しいと頼みに来たんだよ」
「じゃあ、飯を食ってから落ち着いて話そうぜ。何でそんなに焦っているのか分からないけれど」
サキは運ばれてきたメインディッシュに視線を落とし、「私は憤っているんだ」と告げた。
「全く素性の分からない人間を犯人に仕立て上げようとしている。こんな事、納得が出来るか!」
サキが拳をテーブルに打ちつけるとその音で何人かが視線を向けた。リョウが手を払い、「馬鹿、食事の席だぞ」といさめる。サキはばつが悪そうに顔を伏せた。
「……そりゃあな。納得が出来ないのも無理ないさ。でも、オレだっておかしいな、とは思っている。いくらなんでも強硬過ぎだ。現場にいたってだけで例の記憶喪失の彼はほとんど有罪扱い。調書が穴だらけだっただろ? あれ、わざとなんだ」
その言葉にサキは怪訝そうに眉根を寄せる。
「わざと、だって?」
「そう。本当は架空の名前と経歴を組み込んであのまま書類を通す気だったらしいんだが、オレが気づいて分からないところを穴ぼこだらけにした」
声を潜めた様子にこれは極秘事項なのだろうと察したサキはこちらも口元を手で覆って話す。
「何のために?」
「そりゃ、お上しか分からない事だが、調書に関してはお前みたいなのが気づいてくれるためだよ。穴だらけの書類が通ろうとしていたら誰かが止めに入るだろう? まさかそれがお前だとは思わなかったけれど」
サキはリョウの台詞に、「私は偶然巻き込まれたわけか」と嘆息を漏らす。リョウはメインディッシュを口に運びながら、「悪いとは思っているさ」と答えた。
「まさか幼馴染にお鉢が回るなんて思わなかったからさ」
「お陰で妹に会う予定も狂ってしまったよ」
サキはメインディッシュを口に運ぶがほとんど味は感じられなかった。
「そう、マコちゃん。最近どうしてるって?」
「言っただろ。私がファンのバンドのライブに行って、色紙をもらったって」
「今、学生だっけ?」
「カナズミシティの大学に通っている。実家から近くて都合がいいそうだ」
「ああ、学園都市であるカナズミは何でも揃うからな」
リョウの言葉に、「随分と帰っていないからな」とぼやいた。この事件でより一層、帰りづらくなるのかもしれない。それを察したのか、リョウは、「大学生ってのはいい」と口にする。
「学生のうちにやれる事やっておかないとな。後悔する」
「そうだな。妹にはそう言っているが、あいつが当てにするかどうか」
自分と違って性格が温厚な妹の事である。何かに流されるように過ごす事になるかもしれない。そう思うと気苦労が絶えなかったが、「ポケモンは持っているんだっけ?」とリョウが尋ねた事でそれは霧散した。
「ああ。確かドラゴンタイプの」
その言葉にリョウが感嘆した。
「へぇ、ドラゴンタイプって言えば大器晩成型の奴が多いもんだが、おじさん、ヒグチ博士はよく許したな」
「小さい頃から飼っていた奴だよ。私が一人暮らしする頃にはもう一段階進化していたが」
しかし思い返せば小さい頃から目をかけていても自分には懐かなかったな、とサキは感じる。マコが優先して世話をしていたからかもしれないが、それだけでもないだろう。
「サキは持たないのか? ポケモン」
考えていた事を読まれたようでサキは少しばかり狼狽したが落ち着いて答えられた。
「持たないよ。自分の事で手一杯だ」
「もったいないよなぁ。センスはあるっておじさんから言われたんだろ?」
「昔の話だよ。それこそ、トレーナーズスクールに通っていた頃の話」
「オレは持っているけれどさ、潤いがあるぜ? 手持ちがいるのといないのとじゃ大違いだ。もしもの時には護身用にもなる」
サキはリョウの手持ちは聞いていなかったがホルスターにモンスターボールを留めている事だけは知っていた。
「手持ちって世話がかかるだろう? 私は自分以外の事は考えたくない」
「出たよ、お前お得意の自分本意なところ。よくないと思うぞ? 自分以外に気配りが出来て初めて一流の警察官だろ?」
「……穴だらけの書類を送ってきたお前に言われたくない」
サキの返す言葉にリョウは微笑んだ。サキも少しだけ頬を緩める。だが忘れられぬ事がしこりのように残っていた。
「彼の移送を明日か明後日には頼みたい」
「分かったよ。受ける。だが上がすぐにオーケー出すかどうかまでは保障出来ない」
「充分だよ。公安は、そうでなくとも何を考えているのか分からない」
「それはオレの事も含めて?」
リョウの試すような物言いにサキは鼻を鳴らす。
「お前は相変わらず分かりやすい。だからこそ、公安でも会ってやっているんだろ」
「会ってやっているって、そりゃこっちの台詞だよ」
売り言葉に買い言葉を返してサキは脇にあるワインに口をつけた。リョウが口を差し挟む。
「あのさぁ、ワインってのは味わうもんだ。そうやってその他の飲み物みたいに飲んじまうのはもったいないぞ」
「さっきからもったいないもったいないって、うるさいぞ。私にとっちゃ、どれも似たようなもんだ」
呂律の回らない口調になったのを察してリョウがさっとワイングラスを取り上げた。
「バカ。そうやってすぐ酔うくせに。言っておくが帰りは保障しないからな。自分の足で帰れよ」
「分かってるよ」
サキは応じてメインディッシュにフォークを突き刺した。