INSANIA











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ようこそ、カナズミシティへ
第一話「ようこそ、カナズミシティへ」 

 送られてきた妹からのメッセージを読み上げる事が、今日の初任務だった。

 正確に言えば任務でも労働でもないが、妹の言葉は自分に深く突き刺さる時がある。だから心して読む事にしているのだ。

 端末上にメールが一件、添付ファイルと共に送られてきている。ため息と共にそれを開いて読み上げた。

「サキちゃんへ。お誕生日おめでとう、って……、ああ、そっか」

 自分の誕生日すら失念していた。サキは目元を覆ってその続きを読み上げる。

「一昨日、サキちゃんの好きなガールズバンドのボーカルさんと握手してきました。サインももらったので後で宅配便を使って送ります。で、これがツーショット写真、と」

 添付ファイルを開くと茶色のショートカットの少女が明らかにパンクロックを意識した派手な色彩の髪色の少女達と共に映っていた。真ん中にいる当の妹本人はまるで肉食獣の中に放り込まれた草食動物だ。

「やれやれ。無茶しないでいいのに」

 サキはデスクトップパソコンから視線を外し、部屋を見渡した。片付けの行き届いている部屋には生活臭が存在しない。いつも食事をするテーブルにぽつんと箱が異物のように存在している。サキは歩み寄ってその箱に添えられた伝票を手に取る。

「速くなるのはいつだって技術とか人の思いよりも、宅配ピザとか、そういう部分だな」

 こぼしながら箱を開くと中にはピンク色のリボンで装飾され、ラミネート加工された色紙があった。ガールズバンドグループのサインと自分の名前が添えられている。「ヒグチ・サキさんへ」と。

「そりゃ、確かに好きだけれどさ。私だって暇じゃないんだし。ライブに行けないのは仕方がないよ」

 色紙を机の棚に飾り、サキは陰鬱な息を漏らした。この稼業はそうでなくとも忙しい。休みを取ってライブに行って発散したいのは山々であるが、それを許さないのが自分の職務だ。デスクトップパソコンの前に座り、メールメッセージに返信を打つ。

「マコへ。色紙ありがとう。学生であるうちにせめて色々と楽しめよ、っと。これじゃ嫌味か……」

 だが事実なのでそのまま送信する。サキは頬杖をついて、「学生ならなぁ」とセミロングの青い髪をかき上げた。その時、携行端末であるポケナビが鳴った。即座に仕事モードの声に変えて、「はい、こちらヒグチ」と応ずる。

『ヒグチ警部。連続殺人事件の犯人と思われる男を逮捕したとの報告が挙がっております』

 聞こえてきたのはシステム音声だ。予め仕込んでおいた時間に職務のスケジュールを自分に報告するようになっている。サキは、「警備ナンバー01384」とそのメッセージを受け取った事を示す番号をため息混じりに読み上げる。

「ヒグチ・サキの権限でそちらの担当官に繋いで欲しい」

 するとシステム音声からガイド音声に切り替わった。間もなく担当官との音声通話になるだろう。サキは、「何でこんな……」と呟いた。

「面倒なシステムを組んだものだな」

 ぼやいていると、『こちら担当官』と声音が人間のものに変わった。

『ヒグチ・サキ警部ですね。何か不都合でも?』

「不都合も何も、このメッセージはどういう事? 私にこれからそっちへ向かえとの矢の催促?」

『詳細は追って伝えます。留置所まで来てもらえますか?』

 担当官の声は素っ気ない。所詮は繋ぎの職務だと考えているのだろう。サキは苛立たしげに頭を掻きながら、「分かってる」と返した。

「どうせ私が行かなければ状況は全く動かないんだろう」

『助かります』と全く感情の篭っていない返答と共に続けられたのはメッセージ受諾を示す警備ナンバーだった。

『ヒグチ・サキ警部。0734にこのメッセージを受諾した事を同意してもらいたい』

「同意しました。はい、これでいいんでしょう?」

 その言葉を潮にして通話は切れた。サキはキーボードを叩いて、「追記」と呟く。

「またしばらく帰れそうにない。お父さんによろしく言っておいて。姉より」

 エンターキーを押して送信する。サキは大きく伸びをしてからデスクトップパソコンの電源を切り、ようやく寝巻きから着替える事にした。野暮ったい黒のパンツルックに身を包みネクタイを締めてようやく頭を切り替える。

 申し訳程度の化粧をしてから、自分の職務には欠かせない警察手帳を懐に仕舞った。ポケナビの時計機能を見やる。七時五十分。スクーターを飛ばせばそう時間のかかる距離でもない。サキは出かけ様に、「行ってきます」と口にした。一人暮らしを始めても抜けない習慣の一つだった。駐車場に停めてあるスクーターのキーを通し、サキはヘルメットを被る。

 すっかり秋めいてきた新鮮な空気を肺に取り込んで、サキはスクーターを発進させた。

「SH」のイニシャルデカールが貼られたスクーターがゆっくりと始動し、道路を走り込む頃にはサキの身に染み付いた鬱屈と苛立ちは少しばかり晴れていた。やはり走ると少しだけ気が紛れる。もっとも、これから向かう場所ではより深い気分の浮き沈みに晒される事になるだろうからこれは一時的なものだろうが。サキは流れる街並みに視線を向ける。のろのろと開店準備を始める顔見知りの定食屋がサキに気づいて手を振った。

「よう、ヒグチさん。これから仕事?」

「まぁね。そっちもお仕事頑張ってね」

 少しだけ速度を緩めて返事をする。定食屋の主人は笑顔を作って、「毎度ご贔屓に」と声にした。サキはその言葉を背中に受けながら仕事場へと向かう。仕事場は白亜の建築物だが、その実、内部の環境に関してはさほど快適でない事は嫌になるほど分かっている。サキは駐輪場にスクーターを停めて裏門から入る。

「おはようございます、ヒグチ警部」と守衛が挨拶をした。

「おはよう。出勤時間、きっちり計算しておいて」

「ヒグチ警部は定時で上がられますからね」

 守衛は人のよさそうな笑みを浮かべてサキの出勤を記録した。リノリウムの廊下を歩いていくと自分の職場である捜査一課のガラス張りの部屋が目に入ってくる。まずは上司に面通しをしなければ。その後で諸々の職務は片付ける。歩いているとつんと鼻をつく甘ったるい匂いが漂ってきた。

「またか」と落胆と共にサキは捜査一課のデスクに入る。

「おはようございます」と挨拶もそこそこにサキは元凶に歩み寄った。デスクの上でアルコールランプを使ってコーヒーを作っているツインテールの女性はサキが背後に歩み寄っていたせいか目を丸くした。

「ああ、サキちゃん。おはよう。……どったの? その顔」

「アマミさん。アルコールランプでコーヒーの抽出はしないでください、って言いましたよね? その匂い、甘ったるくって取れないんですから」

「ええ? そうかなぁ」

 アマミと呼ばれた女性はデスクの半分以上を占めているコーヒー関連の商品を見やる。ここまでコーヒー依存症だと逆に感心さえするが、それはまともなコーヒーならば、の話だ。彼女の作るコーヒーは砂糖の塊なのではないかと疑うほどに甘ったるい。サキにとっては苦手な飲み物の一つだった。

「ヒグチ警部。おはよう」

 返礼したのは端末から視線も外さない男だった。黙々とキーを打っている。サキは、「シマさん、また徹夜ですか?」とデスクに置かれている炭酸飲料の缶を眺めて返した。

「ああ、報告書がなかなか挙がってこなくってね。もう自分で作ったほうが早いや」

 シマ、と呼ばれた男は目の下の隈を擦って無心に報告書作りに没頭している。この男は年中そうなのだ。下の仕事が遅ければ何でも引き受ける。お陰で、自分の仕事、というものをしているのを見た事がない。

「おはよう、ヒグチ君。捜査資料には目を通したと先ほど担当官から報告が上がったが」

 声にしたのは執務机に構えた眼鏡の女性だった。書類に目を通しながらサキを見やってくる。ハヤミ一課長だった。担当官はこういう時だけ仕事が速い。サキは苦々しいものを感じつつ、「今朝、上がってきたばかりですよ」と答える。

「連続殺人事件の犯人なんですって?」

「被疑者って言っていましたよぉ」とアマミが口を挟む。舌足らずなその口調に苛立ちを覚えながらもサキは上司へと確認した。

「担当官からはそう聞きましたが」

「まぁ、慌てる必要はない。まだ被疑者というだけの話だ。それに彼がやったという物証はない」

「彼?」

 男だったのか。その事に疑問を挟む前にハヤミが書類を一枚、山積しているものから取り出した。受け取ってその不自然さに眉をひそめる。

「課長、これって被疑者の個人情報ですよね?」

「そうだが」

「なのに、何で名前の部分と年齢の部分が空欄なんですか?」

 写真に写っているのは一人の男だ。銀色の髪に赤い眼がどこかビビッドで眩しい。だがその面持ちには混乱が見て取れた。

「分からない、のだそうだ」

「分からない?」

 そのまま繰り返すとハヤミは手を組んで、「その青年の名前は目下のところ不明。いわゆる記憶喪失らしい」と告げた。記憶喪失、と言われてサキは改めて写真を見やる。この困惑顔はそのせいなのだろうか。

「記憶喪失、って言ったって、今の世の中個人情報がまるでない人間なんてありえないでしょう。何か彼の経歴を証明するものがあるはずです」

「それがないんだよ」

 声を発したのはシマだった。意外だったのでサキは目を見開く。

「僕も証言は少しだけ見させてもらったが、彼がどこから来て、このホウエンの地を踏んだのか、まるで分からない。辿ろうとしてもぷつんと途切れているんだ。まるで意図的に経歴を抹消されたみたいに」

「経歴を、抹消……」

 そのような事がこの情報化社会にあり得るとは思えない。ハヤミは、「経歴を辿ろうとしたが、全てシャットアウトされた」と続ける。

「分かるのは彼が二十代前後である事。それにポケモントレーナーである事だ」

「トレーナー、なんですか」

 サキは書類の男がトレーナーである、という事実がどうにも脳内で結びつかなかった。

「でも今回の殺人、ポケモンなしじゃ無理なんでしょう?」

 アマミがマグカップにコーヒーを注ぎながら口にする。ハヤミは、「そうだな」と一枚の書類を手にした。そこに書かれているのは「第二百六号連続殺人事件」の概要だろう。

「だからこそ、現場にいた彼を特殊部隊の捜査官数名が押さえた。だが、彼は黙秘どころか、全くの記憶喪失。それで一課にお鉢が回ってきたというわけだ」

「元々は特殊部隊、っていうか公安が持って行った事案でしょう? あまりに危険だからって。それなのに我々に返すのは筋が通っていませんよ」

「大方、面倒だったのだろうさ。記憶のない被疑者を追い詰めるのは」

 ハヤミの推測にさもありなん、とサキは書類の男の面持ちを眺めた。このどこか困ったような顔で、今も留置所にいるのだろうか。

「じゃあ、今回のヤマ、公安が引き続き、っていう事ですか」

「そうだな。その被疑者から事情を引き出すのは面倒だから、取調べくらいは任せてもらえるそうだが」

「それって任せるんじゃなくって、丸投げって言うんだなぁ」

 アマミがぼやく。サキも同じ気持ちだったが黙っておいた。

「で、どうしてだか私がその被疑者の取調べを担当する事になった、と」

 ここに来てようやく自分が朝早くから召集を受けた意味が分かった。ハヤミは、「あまり現場に負担をかけたくないのが私の主張だが」と前置きする。

「上からのお達しならば是非もない」

「上? 何で私なんです?」

「それが分かればきちんと報告書の形で提出しているさ。どうにも急な話になってしまったのは事情がありそうだが、内々を勘繰ったところで仕方がないだろう」

 それもそうだった。上からの命令ならば下は拒む権限はない。サキは頭を掻いて、「……もしかしなくても面倒事、ですよね」と口にする。

「だな。私も善処するが、ヒグチ君にまずは彼と会ってもらいたいとの事だ」

「私、記憶喪失の専門家じゃないですよ。それにセラピストでもない」

「だが、君の父親はポケモンの権威だ」

 返ってきた言葉にサキは眉をひそめる。

「父は、ポケモン群生学の権威です。殺人事件のエキスパートでは」

 抗弁を遮るように、「いないんだよ、適任者が」とシマが口を挟んだ。

「ポケモンの専門家を呼ぼうにも被疑者にこうも謎があれば内々で収めたい気持ちは分かるだろう? それにこの殺人事件、まだ公にするにはショッキング過ぎる」

 この事件はまだメディアには出回っていない。それは殺害方法の特殊さと関係があった。

「……被疑者、と言うからには、何か事情があるんですよね? たまたまその場に居合わせた、とかじゃなくって」

「六人目の被害者の落下したビルの屋上にいたらしい。公安はその現場を押さえた。他に被害者近辺の人物はなし。ならば、その人間を重要参考人として逮捕するのは当然といえば当然」

 その程度の事情なのか、とサキは額に手をやった。

「じゃあ、なおさら私達には関係なくないですか? 近くにいただけでしょう? 任意聴取レベルでいいんじゃ」

「ところが、だ。その男が所持しているポケモンが特殊な殺害方法を可能にしている。資料は?」

「いりませんよ。どうせ、公安が持っていったんでしょう?」

「賢明だな」

 ハヤミの声にサキはため息をつく。シマが、「その男がこの下の豚箱にいるってわけなんだ」と説明した。

「だから、何で私が」

「今手が開いているのはヒグチ君だけだからかもしれない」

 ハヤミの声にサキは糾弾するように、「アマミさんだって手が開いているじゃないですか」と指差す。

「酷いな、サキちゃん。あたしはこれでも大忙し」

「どこが。甘ったるいコーヒー作りにですか?」

 皮肉たっぷりに言ってやるとアマミは書類を一枚取り出し、「こっちのヤマも片付けなきゃ」と口にする。それは殺人事件と並行して起きている連続誘拐事件だった。

「こっちも全然手がかりがないんだよねぇ。誘拐されるの、男二人、女三人ってバラバラだし」

 サキはそこで苦言を飲み込んだ。誘拐事件も充分に世間を騒がせている。自分一人だけがわがままを言うわけにはいかなかった。

「……分かりましたよ。で? 地下何階なんです? 収監場所」

「地下三階。カードキーを渡しておくよ」

 ハヤミの手からカードキーを受け取り、サキは捜査一課を後にする。後頭部を掻きながらもう一度資料に目を通した。

「メチャクチャだな。この資料を作った奴の気が知れない」


オンドゥル大使 ( 2015/11/05(木) 20:59 )