プロローグ
原初の記憶を呼び覚ますように、雨音が間断なく響いていた。
冷たい、という感覚はほとんど失せ、麻痺した感覚器が伝えるのは降りしきる雨の振動。雨粒が弾ける音色である。
雨とは凝固した水分、水の球、どうとでも言い換えられるが、視界を埋め尽くす灰色の景色は雨という存在そのものの群れと言ったほうが正しい。その群れの中に、一人、ぽつんと取り残されるように自分の存在を自覚する。
はて、とそこで思い至る。
自分は何故、このような場所にいるのか。
視線を投じれば、高層ビルの屋上であり、その断崖絶壁の縁に足をかけていた。自殺でもするつもりだろうか。存外に冷静な自分を俯瞰する精神に驚く。
自殺する、気分ではない。そっと足を縁から離し、その場を立ち去ろうとした瞬間、旋風が巻き起こった。鳥ポケモンが投光機を鉤爪で掴んで数体、自分に向けて威嚇する。彼は重々しい音と共に投光機の光が自分へと投げられた事に狼狽した。
「何……」
声を発して、自分の喉は声を震わせる事が出来たのかと驚く。自分というものが空っぽの存在であったかのように思われたのだが、その事で少なくとも「人間」である事は理解出来た。
投光機の光から逃れるようによろめく。すると、下階から上がってくる幾多の足音が雨音を掻き消した。黒い装甲服に身を固めた人々がアサルトライフルの銃口を突き出して自分を注視する。
「被疑者を発見。下は?」
その声に無線機から声が返ってくる。
『ビルの真下に死体を発見。こりゃ、損壊が酷い……。即死の模様』
――死体?
彼はその言葉に眉をひそめる。どうして死体などあるのか。動き出そうとした自分を制するように銃口が突きつけられる。
「動くな! 発砲許可は与えられている!」
その言葉に彼は身体が硬直していくのを感じ取った。装甲服の男達は彼へと命ずる。
「両手を頭の上に上げて、投降しろ! 無理やりふんじばられたくなければな」
彼は素直にその要求に応じた。両手を頭の上に置き、その場に膝を落とす。雨が止め処なく降りしきる。その音に混じって砂を食むような無線機の声が木霊する。
「被疑者を確保。連続殺人事件の人相と一致」
『了解。これより本部へと護送せよ』
「立て」と脇を固められる。彼は声を発していた。
「あの、俺が何をしたって言うんですか? それよりも、俺は……」
彼は致命的な欠陥を自分の中に感じ取った。ハッとして声にする。
「俺は、何なんだ。何者なんだ……」
自分が誰なのか、彼には全く分からなかったのだ。言葉は喋れるし、知識も経験もある。だが、自分が何者なのかだけが抜け落ちている。
「あの、俺は一体――」
「四の五の言わずに来い! 殺人犯が!」
殺人? と彼は疑問符を浮かべる。自分がいつ、殺人を犯したというのか。
「何か、重大な誤解を受けている気がします。俺は何もしていません」
「黙っていろよ」
アサルトライフルの銃身で後頭部を殴りつけられる。彼の意識は闇の中へと昏倒していった。