第百三十六話「終わる世界」
メガゲンガーが赤い眼を見開き、瞬く間に膨張していく。紫色の雲が一点に集まったかと思うと、その身体が破裂した。血の色を伴って分散したメガゲンガーをオノノクスが吸収する。オノノクスの左側の牙が光り輝き、メガゲンガーの姿を再構築した。その姿はまさしくキクコそのものの姿だった。
「何が起きているんだ……」
うろたえるアデクに、「オーキド・ユキナリが」とヤナギは口にしていた。
「キクコを助けたのか?」
「そのような生易しい光景には見えない。これは……」
言葉を濁したチアキにオノノクスが咆哮する。赤い翼が拡張し、オノノクスはさらに高空を目指した。その身体から放たれる燐光が紫色の雲に変わり空を満たしていく。一転して空が暗くなった。夜の時間だ。雲間に浮かぶ月をオノノクスが凝視したかと思うと、オノノクスは牙を払った。その直後、月に亀裂が走り扉のようなものが形成されていく。
「まさか、これが来る滅びか……」
月から開かれる扉が次の段階を想起させる。何かが起ころうとしているが何だと明言する事は出来ない。歯がゆい思いがヤナギの胸の中を占めていった。
「覚醒したようです」
先生は何かを感じ取ったように顔を上げる。イブキが怪訝そうに眺めていると、「なんじゃ、これは!」とマサキが仰天の声を上げた。
「何よ」とイブキは振り返った瞬間、息を呑む。端末の画面上に表示されていたのは、ユキナリが所持していたポケモンが月へと剣閃を浴びせる光景だった。月は呼応したように扉らしきものを開く。先生が頭を抱えてその場に膝をついた。
「ちょっと!」
「キクノさん!」
シロナ――今はカラシナと名乗っているらしいが――は先生の事を「キクノ」と呼び駆け寄ってくる。イブキが問い質す。
「何が起こっているというの? この光景は何?」
その質問に先生は震える声で応じた。
「ああ、我々は止める事が出来なかった。やはり、特異点を抹殺する事が正しかったのでしょうか」
要領を得ない先生の声にイブキは声を張り上げる。
「何が起こっているの?」
「滅びが来ます」
その言葉にイブキは息を呑んだ。カラシナも、「まさか、こんなに早く?」と聞き返す。
「だって滅びは四十年後のはず」
「特異点、オーキド・ユキナリとレプリカントのキクコの接触と覚醒。それによって滅びが誘発される。かつてヘキサツールに刻まれた歴史上で起こった世界をクラックする行為が擬似再現され、滅びの扉が開きます」
先生の言葉に、「そうなったら、どうするって言うの?」とイブキは聞いていた。
「だって、前の滅びの時にはもう一つの世界であるこっちに来たって言うんでしょう? 彼らがどこに行くって言うのよ」
「どこにも」と答えた先生の声には諦観が混じっていた。
「どこにも行けません。ただ滅ぶ。その現象だけがこの世界に訪れます」
先生は頭を振って仮面を押さえた。後悔の念が押し寄せているのだろう。キクコを放った事への後悔か。それともユキナリを放置した事への後悔か。
「そんな勝手な事って……」
カラシナも言葉をなくしているようだ。先生は告げる。
「勝手だろうが事実は事実。ヘキサツールの歴史が歪められた」
歴史の矯正を至上としてきたネメシスからしてみればこれは痛手だ。結果的に歴史は曲げられた。誰の手によるものかは分からない。ただ滅びが四十年早まった。
「……そんな。本当に、滅ぶって言うの? こんなに呆気なく?」
自分達が積み上げてきたものも、これからも全て潰えるというのか。イブキは信じられなかったし信じたくなかった。
「どうにか、ならないの?」
先生は首を横に振る。
「もう、誰が何をしようと手遅れです」
こうなってしまって、という声に悔恨が滲み出ていた。仮面の子供達が不安げにお互いを見やっている。手を握り合っている子供もいた。
「滅びの前には、人間はこうも無力なのね……」
カラシナはどこか達観したように告げる。マサキは端末に表示されている映像を見ながら呟いた。
「オーキド・ユキナリの覚醒と解放。こいつはロケット団もヘキサも黙ってられへんな。それとも、これもシナリオのうちか? キシベ」
ふたご島からでも充分にその光は観測出来た。キシベが双眼鏡を手にしているがサカキは肉眼で確認する。
「あれが、滅び、って奴か」
月が切り裂かれ、扉のようなものが開こうとしている。
「ああ、回廊が形成され、滅びの時、すなわちヘキサツールの終焉へと一気に駒を進まれた形となる」
「慌てないのか?」
「慌てても仕方あるまいよ」
キシベは双眼鏡を下ろしてフッと口元に笑みを浮かべた。何か考えていそうなものだが、キシベは特別手を打とうとする兆しはない。もしかするとキシベにとっても予想外の出来事なのかもしれない。だとすれば初めての破綻か。キシベは、だがうろたえる事もない。ただいつもと同じ調子で空を眺めていた。
「ご覧、あれが特異点、オーキド・ユキナリの力だ」
自分と同じ存在だとキシベは言いたいのだろう。サカキは一瞥してから、「興味がないな」と言い捨てた。
「何故だね? あの力を君が使っていたかもしれないんだぞ?」
それは暗に滅びの因子が自分にもあると言いたいのか。サカキは、「下らない、と言っているんだ」と鼻を鳴らす。
「俺達の意味が滅びにしか集約されないとはな。お前が俺とオーキド・ユキナリを使って何がしたいのかは知らないが、拮抗する実力者を用意出来なかった不手際を詫びるんだな」
「世界が滅びるのに、詫びが必要かね?」
自嘲気味の言葉に、「違いない」とサカキは返す。
「だが待て。お前も、これで世界が滅びると思っているのか?」
「おかしいかな?」
「そりゃおかしいな。俺の知っているキシベ・サトシは、この程度で諦める器ではあるまい?」
サカキの問いかけにキシベは、「どうかな」と口角を吊り上げた。
「あちゃー」
ナタネは目を覚ましていた。ヤナギ達が空を舞うオノノクスに目を奪われている。くらくらとする視界の中、額に手をやってナタネも翼を帯びたオノノクスを視界に入れていた。
「こりゃ、ちとまずいかな。でもユキナリ君、さすがだね。やっぱり匂いの違う奴は違うのかな」
ナタネは盛大にくしゃみをした。
窓辺が揺れる。突風だ、と感じ取って窓に視線をやった。左目が赤い光を感知し、起き上がる。思い切って窓を開けるとカーテンが煽られた。その中で飛び立とうとする赤い翼の龍を目にする。
「……ユキナリ」
「――現行人類の終焉、歴史の終わりが訪れる」
第八章 了