NEMESIS














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覚醒の章
第百三十二話「マッドスクリプト」

 雨が降り出していた。いつ止むのか全く分からない雨脚でセキチクシティの家屋の屋根を叩く。誰もが家に篭っているような天気の中、一人だけゆらりとセキチクジムへと赴いた影があった。扉から入り、その影は呼びかける。

「いるんでしょう? ジムリーダー」

 その言葉に中央で白い影が揺らめいた。アテナは突然の来訪者を認める。

「今日は客が多いわね」

「挑戦権、あたしにもあるよね」

 その言葉にアテナは目を細めた。

「あるけれど、何か? もしかしてさっきの女の子の敵でも討とうって言うのかしら?」

 暗がりを伝ってアーボックが背後へと至ろうとする。だが、突然舞い上がった赤い閃光がアーボックを打ちのめした。その攻撃にアテナは狼狽する。

「何……?」

「ハッサム」

 赤い閃光は鋼の腕を携えアテナを睨み据える。

「主人の雪辱を晴らそう。このあたし、ナタネと共に」

 雷が鳴り響きセキチクジムの扉から光が投射される。ナタネは決意の双眸を固めていた。アテナが、「ナタネ? ああ、ジムトレーナーにいたわね」と口にする。

「確か、タマムシのジムトレーナーだったはず。という事は、負けたのね、タマムシのいけ好かないお嬢様は」

「マスターの事を悪く言わないで」

 ナタネが強く言い放つとアテナは少しばかり気後れした様子だった。

「で? そんな子がどうして私に挑戦を?」

「ナツキちゃんはさ、ハッサムを出す前にやられたんだと思うんだ。きっと、今みたいに背後を取られて。だって、毒タイプの攻撃はハッサムに通用しないもの」

「だから、どうしたって?」

 アテナの言葉にナタネは鋭く口にする。

「真正面から戦ってやられたんならまだ理解出来るよ。でもさ、騙し討ちみたいなやり方で相手の戦意を奪うっての、あたしは嫌い」

 ハッサムがナタネの意思を借り受け、瞬時に掻き消えた。その対象へとアテナは声を飛ばす。

「アーボック!」

「電光石火!」

 アーボックが攻撃に転じる前にハッサムが蹴りを飛ばす。食い込んだ蹴りがアーボックを突き飛ばす。セキチクジムの板張りの床が捲れ上がった。それほどの怒りを湛えた攻撃にアテナが息を呑む。

「言っておくけれど、あたしは手加減が苦手。だからアーボックも君も、死んじゃっても知らないよ」

 ナタネの殺気にアテナとアーボックが怯むがすぐに嘲笑と共に持ち直した。

「……前歴ジムトレーナーが聞いて呆れる。だったら、殺し返すまで!」

 アーボックの身体が跳ね上がりハッサムへと噛み付こうとする。しかし、ハッサムは腕を掲げてそれを受け止めた。

「牙から毒を、なんてのも通じない。ハッサム、バレットパンチ」

 ハッサムがもう片方の腕を下段に構え、アーボックの身体を見据える。横に拡張した顔の意匠を持つアーボックの腹部へとハッサムの鋼の一撃が食い込んだ。アーボックが呻く。

「まだだよ」

 ハッサムが噛みつかれている腕を振るい落としアーボックの頭部を打ち据えた。そのまま蹴り上げ、アーボックへと間断のない攻撃の渦を巻き込む。

「あたしもハッサムも怒っているんだ。この程度で済まさない」

 アーボックへと「バレットパンチ」が突き刺さる。そのまま拳の応酬が叩き込まれアーボックは沈黙した。

「さて、次はトレーナーだけれど」

 ナタネが敵意を向けるとアテナは、「なるほどね」と呟いた。その顔にはまだ余裕がある。

「何それ、見せかけ? もう手持ちを潰したんだよ。ジムリーダーなら潔く、ジムバッジを渡すんだ。そのほうが長生き出来る」

 ナタネの攻撃的な最後通告にもアテナはフッと笑みを浮かべた。

「何がおかしい?」

「アーボックが手持ちですって?」

「そうだろう。今まで戦わせてきたんだから」

「誰がいつ、アーボックをモンスターボールから出した?」

 その言葉にナタネはハッとする。アーボックは一度としてモンスターボールから出された事も、ましてや戻す様子もない。

「手持ちじゃ、ない……」

「私の手持ちはこれ」

 アテナがホルスターからモンスターボールを取り出す。雷鳴が迸り、暗がりを一瞬だけ照らした。ナタネは呆然とする。暗闇の中に蠢いていたのはアーボックの群れだった。その段になって気づく。

「アーボックはこのジムに棲んでいるだけ。私はこの子達を操れるに過ぎない。あなたも知っているでしょう? ジムはジムリーダーの最も適した戦闘が可能になるフィールドだと」

 つまり先ほどのアーボックは群れの中の一体に過ぎない。ナタネは息を呑む。目視だけでも数十体は存在した。

「で、でも鋼のハッサムなら先制を打てるはず」

「その先制を打てる強みも、このポケモンの前ならどうでしょうね?」

 アテナはボタンを緩め押し込んだ。

「いけ、ペンドラー」

 飛び出したのは一対の角を生やした巨躯だった。蛇のように見えるが、四足である事とくびれのある身体が蛇というよりも立ち上がった芋虫のそれであった。

「ペンドラー……」

「そう、毒・虫タイプ。これが私の手持ちよ。アーボックはこの子の引き立て役に過ぎない」

 ナタネは歯噛みする。毒・虫とはまた厄介なタイプ構成だ。だがハッサムならば先手が打てる。それを期待して攻撃の命令を上げる前に、ペンドラーは身体を丸めて回転した。一瞬にして速度を増し、回転数が上昇する。加速器のようにペンドラーの姿が掻き消えた。

「ペンドラー、ハードローラー」

 ペンドラーが板張りの床を噛み砕きながらハッサムへと肉迫する。その速度にナタネは目を瞠った。ハッサムの鋼の身体へと「ハードローラー」と呼ばれる技が突き刺さる。ナタネが、「ハッサム!」と名を呼ぶが摩擦熱でハッサムの表皮が焼け爛れていた。ペンドラーは回転数をそのままに上昇し空中で身体を広げる。

「メガホーン!」

 角を突き出しそのまま急降下してくる。ハッサムへとナタネは指示を飛ばす。

「受け止めるんだ!」

「この体重を?」

 アテナの声にハッサムへと圧し掛かってきたペンドラーが「メガホーン」の火花を散らす。ハッサムは鋼の腕で受け止めているがそれも限界のようだった。先ほどの「ハードローラー」で鋼の耐久を超えてきている。摩擦熱でハッサムの表皮を融かし、さらにハッサムは少しだけ手が遅れている。これは怯んでいるのだ、とナタネは判断した。

「怯みの追加効果……」

「効果は薄いかもしれないけれど、怯む事に変わりはない。メガホーンを受けろ!」

 アテナの声に「メガホーン」に殺気が篭る。鋭い角をハッサムはぎりぎりで押さえ込んでいた。

「ハッサム! 蹴りで突き飛ばせ!」

 ハッサムが身体を沈ませ、ペンドラーの頭部を蹴りつける。しかしペンドラーはその程度では押し飛ばされない。

「重い……!」

 ペンドラーが荷重をかけて床に踏み止まる。ペンドラーとの戦闘に夢中になっていると不意に空中から何かが降ってきた。ナタネに降りかかろうとしたそれをハッサムが「でんこうせっか」で突き飛ばす。それはアーボックであった。一撃で吹っ飛んだが、その口から煙が棚引いている。何だ、とナタネが感じているとハッサムが不意に膝をついた。先ほどアーボックを蹴った足が融けている。鋼のハッサムは毒で効果を打たれない。となれば炎の技を食らったのだと理解出来た。

「いつの間に……」

「アーボックは炎の牙を覚える。一発程度ではいまいちかと思ったけれど、そうでもないみたいね」

 アーボックが天井でひしめき合っている。ペンドラーとの戦闘に集中すればアーボックの不意打ちを受ける。しかし、アーボックに気取られていればペンドラーの重い一撃を受け止めきれる気がしない。

「ペンドラーはいつでも攻撃姿勢に移る事が出来る。言っておくけれど、ペンドラーはハッサムよりも速いわよ」

 ペンドラーの巨体が掻き消える。またしてもどこへ、と首を巡らせようとするとアーボックが甲高い鳴き声を上げて落下してきた。それぞれ「ほのおのきば」を展開しており一撃でも受けるわけにはいかない。

「ハッサム、後ろに一旦下がって――」

「下がらせると思っている?」

 後退しようとしたハッサムの背中へとペンドラーの「ハードローラー」が突き刺さった。押される形で体勢を崩したハッサムの腕にアーボックが噛み付く。炎が表面を融解させる。ナタネは舌打ちを漏らしハッサムへと命じた。

「すぐに引き離して!」

 ハッサム自体、アーボックを吹き飛ばす程度は造作もないのだが、それが多数対一となればこちらの不利は歴然である。アーボック程度に気を取られる前にペンドラーを倒さねばと思うのだが、ペンドラーはハッサムよりも遥かに素早い。

「電光石火!」

 ハッサムの姿が掻き消え、ペンドラーを蹴り飛ばそうとするが、ペンドラーはそれを上回る速度で回転し上昇した。身体を押し広げ、「捨て身タックル」とアテナが命じる。ペンドラーの巨体がまともにぶつかり、内部骨格が軋みを上げた。ハッサムにこれ以上戦わせる事は明らかに酷である。

「ハッサム、電光石火で後退!」

 ハッサムが床板を蹴ってナタネの傍まで下がる。アテナは、「この程度?」と余裕の笑みを見せた。

「ペンドラーにはほとんどダメージはない。その割にハッサムは結構手痛いんじゃない?」

 ナタネはハッサムの状態を確かめる。辛うじて火傷にはなっていないようだが膝頭と爪先が融けている。腕にも損傷が見られた。ナタネは息を吐き出し、「そうだね」と応ずる。

「降参するのなら、今のうちよ。でないと、さっきの女の子と同じように、顔を融かさせてもらうわ」

「外道が……!」

 ナタネの声に、「何とでも言いなさい」とアテナは口角を吊り上げる。

「勝てば官軍。敗者は地を這い蹲り、二度と立ち上がれないようにする。それこそがポケモンリーグの掟でしょう?」

 アテナの声に、「ああ、そうかもしれない」とナタネは頷く。

「そりゃ、あたしだって結構な数の挑戦者を駄目にしてきた。そいつらの牙を何度も折ってきたクチだよ。でもさ、君のやり方はそういうんじゃない。あたしはそれでもお天道様に顔向け出来ないような戦いはしていない」

「だからどうだって言うの?」

 アテナは鼻を鳴らす。

「世間に顔向け出来れば偉いわけでないでしょう。ポイントが高ければ、勝者が全て。敗者の言葉なんて誰も聞かないわ」

「そうだね。だからこそ」

 ナタネはショートボブの髪をかき上げる。耳に虹色の意匠が施されたピアスがあった。

「ここで負けるわけにはいかないんだ。ハッサムが、ナツキちゃんは知っていたのか分からないけれど持っていてくれてよかった。あたしのキーストーンの呼び声に応えてくれる」

 ナタネがピアスを指で弾く。するとピアスが内側から発光した。ハッサムの眼前へと紫色の皮膜が宿る。それが卵の殻のようにハッサムを覆ったかと思うと一挙に弾け飛んだ。その姿を目にしてアテナは慄いたように後ずさる。

「な、何なの、その姿……」

 そこにいたのは先ほどまでのハッサムではなかった。鋼の両腕が拡張し、まるで強靭な顎を思わせる外観になっている。全身が鋭角的に変化し、翅は青白くなっていた。赤と黒を基調としたフォルムはハッサムでありながら全く違うポケモンにも見える。

「メガシンカ、メガハッサム」

 ナタネが呼びつけるとメガハッサムと呼ばれたハッサムの変化系は応ずる鳴き声を上げた。

「メガシンカ……、そんなものが」

「進化を超える進化と言われている。あまり観測例がないから目撃されていないだけで、それそのものは古くからある。あたしのキーストーンと」

 ナタネはピアスを誇示する。

「ハッサムの持つハッサムナイトが呼応して変化する姿。言っておくけれど、この姿になったら、手加減なんて全然出来ないから。あたしだってマスターに習って制御法を知っているだけで、知っているだけじゃどうにも出来ない。メガハッサムは辛うじて自我を保っているけれど、いつ暴走するか分かったもんじゃない。ポケモンである事を捨てたポケモンの力――」

 ナタネが両腕を掲げ、交差させる。メガハッサムが姿勢を沈めた。

「見せてあげる!」

 メガハッサムがその眼を開き、瞬間、その姿が掻き消えた。ペンドラーの頭部の真横へと現れたメガハッサムにペンドラーもアテナも全く反応出来ていない。メガハッサムが蹴りつける。空気の膜を破りペンドラーの巨体が吹き飛んだ。今放ったのは「でんこうせっか」だが本来の威力の何倍も引き上げている。ペンドラーがようやく反応し、四足で制動をかけようとする。ナタネは腕を振るった。

「回り込んでバレットパンチ!」

 メガハッサムの姿が瞬時に消え、今度はペンドラーの背後へと現れる。トレーナーであるアテナはもちろん、ペンドラーも完全に出遅れている。

 発達した顎を思わせる拳がペンドラーへと突き刺さる。ペンドラーの肉体へとめり込み、その身体を突き飛ばした。ペンドラーがここに来て初めて転がるという醜態を晒す。

「ペンドラー? この速度、加速特性?」

「いいや、メガハッサムの特性はテクニシャンのまま。弱い攻撃が強くなる」

 この種が割れてペンドラーの落ち着いた攻撃が来てしまえば先ほどの再現となる。その前に決着をつけねばならなかった。どちらにせよ、暴走を恐れている今では短期決戦以外に道はない。

「電光石火!」

 メガハッサムの姿が掻き消える。しかしアテナは応ずる声を出した。

「ならば、ハードローラー」

 ペンドラーが身体を丸めて回転する。その速度が瞬時に最高速へと至った。ナタネはあまりに速いその攻撃動作に目を瞠る。

「これほどの速度、まさか加速特性?」

「今さらに見抜くとはね。そうよ、ペンドラーの特性は加速。でも種が割れても痛いのは、あなたほどじゃないみたいね」

 回転するペンドラーへとメガハッサムは攻撃しようとしたがきりもみながら倒れた。何故、と思う前にアテナが言い放つ。

「ハードローラーの状態で常にいれば柔らかい横腹を突かれる心配はない。それにメガハッサムとやらにはスタミナがない様子」

 その通りだった。メガハッサムは既に疲労している。ナタネの実力ではメガシンカ状態を維持するのだけでも体力が大幅に削られた。トレーナーであるナタネにももちろん負荷がかかる。ナタネが息を荒立たせていると、「疲れているね」とアテナが声にする。

「誰が……!」

「痩せ我慢していても分かるわ。トレーナーとポケモンが一心同体のような状態になっている。仕組みはよく分からないが、そういう種が分かればハードローラーでぶつかればいい」

 ペンドラーが「ハードローラー」を維持したままメガハッサムへと攻撃を加える。メガハッサムへとナタネは命じた。

「電光石火!」

 横っ腹から蹴り飛ばす、と判じた思考にも即座に応じるのがペンドラーであった。一度横腹を蹴飛ばされれば二度とそのような弱点は晒さない。ペンドラーは常にメガハッサムに対して真正面から相対していた。

「こうすればやり難い事この上ないでしょう。そして!」

 アテナが天井を指差す。すると牙から炎を纏いつかせたアーボックが何体が落下してきた。

「ポケモンのダメージが本体のダメージになるのならば!」

 メガハッサムがアーボックを蹴飛ばし、腕で払おうとする。しかし、一撃を食らってしまった。腕の一部が焼け焦げる。するとナタネも腕を押さえた。同じ箇所に火傷のような傷が刻まれる。

「やっぱりね。そうだとすればどうする? メガハッサムは耐久型ではないのでしょう? このまま持久戦を続けても、身体の節々を食い破られるだけだし」

 ナタネは歯噛みする。このままではメガハッサムがやられる。それだけは食い止めたかった。

「今ならば、降参という形にしてあげるわ。私に二度と挑まないと誓うならね」

「誰が、そんな事……! 君はナツキちゃんを害した。ユキナリ君も、アデクさんも傷ついた! みんなの旅を無茶苦茶にした君を、あたしは許すわけにはいかない!」

 メガハッサムが両腕を構える。顎のような両腕が俄かに開き、内部で紫色の光が連鎖した。アテナが、「無駄な足掻きを」と言い捨てる。ナタネは、「無駄かどうかは」と口走った。

「この先で決める! ハッサム、全力で攻撃するよ! 破壊光線!」

 腕が開き破壊光線が凝縮し二つに分かれてペンドラーを襲う。ペンドラーは満身に攻撃を受け止めた。「ハードローラー」で無効化する算段なのだろうがこちらのほうが威力は高い。回転数が下がりペンドラーが身体を開いた。

「押し負ける……」

「行け!」

 ナタネの声にメガハッサムが全力攻撃を浴びせる。破壊光線の残滓が消え去り、ペンドラーの身体に傷痕が刻まれた。だがアテナは口角を吊り上げる。

「耐え凌いだ」

 ペンドラーが顔を上げて動き出す。対してメガハッサムは動けなかった。破壊光線の反動だ。ペンドラーがとどめの攻撃を放とうとする。ナタネが歯噛みした瞬間、声が響いた。

「ゲンガー、シャドーボール!」

 その声と共に黒い球体が五つ、ペンドラーへと激突する。ペンドラーがよろめいた。

「何を!」

 アテナが視線を振り向ける。ナタネも振り返った。視線の先にはキクコがゲンガーを繰り出して佇んでいる。

「もう二度と、誰も悲しませたくない!」

 キクコの平時からは比べ物にならないほどの強い声音にナタネは驚愕する。ゲンガーが短い足でペンドラーへと肉迫する。だがペンドラーのほうが僅かに素早い。ゲンガーの攻撃の手を掻い潜り、背後へと一瞬にして回り込む。

「誰かは分からないけれど、ペンドラーの速度を嘗めない事ね!」

 振り返り様にゲンガーは腕へと赤い瘴気を帯びた引っ掻きを浴びせる。それとペンドラーの角がぶつかり合った。一瞬だけ交錯の火花が散るがお互いに距離を取ろうとする。だが、ペンドラーはいつの間にかその場に縫い付けられていた。床から眼球状の文様が浮かび上がる。

「黒い眼差し! ペンドラーは逃げられない!」

 これでペンドラーの攻撃対象はゲンガーに絞られた事になる。しかしアテナは、「だからどうしたって!」と強気に手を振るう。

「ゲンガーで勝てなければ同じ事!」

 その通りだ、とナタネが感じているとキクコは手を薙ぎ払う。

「鬼火を展開して相手の視界を奪う!」

 ゲンガーの手から青白い炎が浮かび上がりペンドラーへと投げつけられた。ペンドラーの眼に「おにび」が突き刺さる。ペンドラーが後ずさった。

「追撃、シャドーボール!」

 ゲンガーが両手を広げ、左右に三つずつシャドーボールを展開する。それらを互い違いに放り投げ、ペンドラーの巨体へと攻撃を浴びせる。間断のない攻撃にナタネが呆然とする番だった。

「キクコちゃん、そんなに強かったなんて」

「私は、もう誰かに傷ついて欲しくない。ユキナリ君にも」

 キクコの手にはスケッチブックがあった。ユキナリのものだ。

「だから!」

 さらに攻撃を加えようとゲンガーがペンドラーへと飛びかかる。しかし、その攻撃は丸まったペンドラーによって弾かれた。

「それ以上攻撃を食らうわけにはいかないわね。それに、ゲンガーはよく育てられているみたいだけれど、多数対一の戦闘はそう経験していないはず!」

 アーボックが再び落下してくる。ナタネが声を張り上げていた。

「避けて!」

 アーボックは顔のように見える腹部を晒し、赤い眼光をゲンガーに浴びせる。その瞬間、ゲンガーが動けなくなった。

「ゲンガー?」

「蛇睨み。相手を問答無用で麻痺にさせる。こうなってしまえば、ゲンガーなどおそるるに足らない。ペンドラー!」

 ペンドラーがゲンガーへと角を突きつける。ゲンガーとそれを操るキクコは、「動いて!」と叫んだ。

「動かなくっちゃ! もうユキナリ君が、戦わなくってもいいように!」

 ペンドラーが回転してゲンガーへと迫る。押し潰される、と思われた瞬間、紫色の光条が遮った。片腕を上げたメガハッサムが破壊光線を発したのだ。

「最後の仕事だよ。メガハッサム!」

 もう片方の腕を持ち上げるメガハッサムだが、ペンドラーはそちらへと攻撃対象を移すまでもない。アーボックが降ってきてメガハッサムに噛み付いた。鋼の身体を融かす炎の牙にメガハッサムがもがく。

「メガハッサム!」

 それと同期してナタネの身体にも傷痕が刻み込まれる。メガハッサムの傷はそのままダメージフィードバックとしてナタネの身体へと移された。

「これで……」

 アテナが命令しかけてゲンガーがいつの間にか眼前から姿を消している事に気づく。ナタネもどこへ行ったのか分からなかった。

「どこへ」と首を巡らせようとするアテナが不意に言葉を切った。その首筋へとゲンガーの爪が突き立てられていたからだ。

「私は、もう戻れない人殺し。だから」

 キクコの声には意志の輝きが宿っている。ナタネが声にする前にゲンガーがアテナを引き裂いた。アテナの身体から血が迸る。

「何を、何をした! このガキ!」

「私だけ傷つくのなら、それでいい」

 アテナの身体から力が抜ける。膝をついたアテナはそのまま倒れ伏した。ペンドラーが動きを鈍らせる。主人の死に思考がついていっていないのだろう。キクコはアテナの死体に歩み寄り、その身体からバッジを手にした。

「これが、第六のバッジ」

 ピンク色に輝くバッジをキクコは血に塗れた手で掴む。ナタネが言葉をなくしていると、突如としてメガハッサムから紫色の光が放たれた。

「これは、メガシンカエネルギーが……」

 メガハッサムの内包するメガシンカのエネルギーがどこかへと移送されている。どこへ、とナタネは見渡してその光がキクコの胸へと吸い込まれているの目にした。正しくはキクコが下げているネックレスだ。

「ネックレスが、輝いて……」

 ナタネの声にキクコが動揺した目を向けた瞬間、ネックレスから放たれた光がゲンガーへと映し込まれる。ゲンガーはその光を満身に受け、光の殻に覆われていった。

「メガシンカ……? でも、どこにメガストーンが」

 ナタネがそこまで言った時、キクコの胸から解き放たれた光がゲンガーの頭上に至る。ゲンガーは光を透過し、卵の殻を思わせる光が一挙に弾け飛んだ。

 出現したのは巨大な腕を持つ影の塊のようなゲンガーだった。全身が刺々しく突き出ており、額へとぴしりと亀裂が走る。すると第三の目が現れ、金色の眼光を晒した。

「メガゲンガー、だって言うの?」

 エネルギーを吸い込まれたメガハッサムは既に元のハッサムに戻っている。キクコが歩み寄ろうとするとメガゲンガーはその手を掲げた。するとキクコの姿が一瞬にして影の球体に呑まれた。ナタネは息を詰まらせる。

「何を……!」

 メガゲンガーは球体を収縮させ、自分の側に引き寄せたかと思うと、口腔を開いて飲み込んだ。

「暴走している?」

 主人を取り込むなど正気の沙汰とは思えなかった。メガゲンガーは咆哮し、両腕を掲げる。すると両腕が拡張し、ジムの天井を突き破った。メガゲンガーは瞬時に身体を仕舞い込み、拡張した腕と共にジムから外へと出る。暗く垂れ込めた雲に同化し、メガゲンガーは街を俯瞰した。

 雨が降ってくるジムの中でナタネはただ、尋常ならざる事が起こっていると認識するしかなかった。


オンドゥル大使 ( 2015/07/17(金) 20:48 )