第百二十九話「毒牙」
「ねぇね、二人ともどこ行っていたわけなのさ」
ナタネの声にナツキはメカポッポを受付に返しながら、「どこでもいいでしょうに」と答えていた。アデクは、というと先ほどの事をおくびにも出さない。アデクから聞き出す事は無理だと判断したのかナタネはしつこかった。
「ユキナリ君がいるのに、二人で会っていたの?」
「だから、そんなんじゃないって言っているでしょう」
ナツキが突っぱねる響きを伴って口にすると、「ナツキちゃんは冷たいにゃー」とナタネが返した。
「もっと愛想よくしないと。ユキナリ君を取っちゃうよ?」
「どうぞ、取ってください。あんな奴」
ナツキの強がりにナタネは、「まったまたー」と手を振る。
「取れないって分かっているからそういう風に出るんでしょ。ナツキちゃんは分かりやすいから」
そんなに分かりやすいだろうか、とナツキは頬に手をやった。アデクへと肩越しに一瞥を投げるとアデクはメカポッポが肩に留まっていたせいで凝ったのだろう。肩を回している。
「あたしは分かりやすくないですよ」
「分かりやすいよー。多分、五人の中で一番」
「ナタネさんのほうが分かりやすいんじゃないんですか?」
「まぁあたしはマスター一筋だし」
ナタネの声にナツキは、「ナタネさんって女の子が好きなんですか?」と聞いていた。ナタネは不敵に笑い、「どっちだと思う?」と手をくねらせてきた。ナツキは無視して、「興味ないですね」と答えた。
「つれないにゃー。あたしがどっちかなんてナツキちゃんにはお見通しでしょ」
少なくともユキナリをからかうくらいなのだから年下に興味はないのだろうと思っていた。だがナタネの性格だ。分かっていて行動している節もある。
「どっちだとしても近づいて欲しくないです」
そう切り捨てるとナタネは、「女の子同士なんだからさ」と肩を掴んだ。
「仲良くしようよー」
「何でですか、鬱陶しい」
ナツキの言葉にナタネはオーバーリアクションで返す。
「ガーン! ナツキちゃんが冷たい……」
「ナタネさんには怖いものもないんでしょうね」
「あるよ、怖いもの」
意外だった。ナツキは聞いてみる。
「何が怖いんですか?」
ナタネは顔を伏せ、手を前に振る。
「オバケが怖いんだよぉー。だから、草・ゴーストのポケモンが出てくるのが嫌だなぁ。今のところあたしの前にはいないけれど」
「そのうち出そうですけれどね」
「怖い事言わないでよ」
ナタネは本気でその一事だけは恐れているらしい。肩を震わせていかにも、な感じに目を慄かせた。
「草タイプ好きには悪い人はいないんだけれどなぁー」
「そう決め付けるのもどうかと思いますけれど。草タイプを使った人だって悪い人はいるでしょう」
「ナツキちゃん、ドライだねー。そういう事くらい夢見ようよ」
「ナタネさんは色々と夢見過ぎなんですよ」
ナツキがため息をつく。ナタネは、「そうかなぁ」と怪訝そうだ。
「ナツキちゃんだって、夢見てない?」
「何がです?」
「ユキナリ君が絶対に自分からは離れない、って言う夢」
ナタネの言葉に、「あほらし」と言い捨てる。
「何であの馬鹿の話が出てくるんですか」
「だってナツキちゃん、無条件に信じているじゃん。そういうところあるよ?」
ナタネの指摘にナツキは自分でも意図していない部分を見抜かれた気分だったがすぐに取り繕う。
「何で、そんな事ないですよ。第一、ただの幼馴染ですし」
「ただの幼馴染と最初は二人旅のつもりだったんでしょ? それって特別な感情がないと出来ない話だと思うなぁ」
ナタネの人物評にナツキは言い返す。
「幼馴染だから、出来るんですよ」
幼馴染だから、お互いに踏み込まない。距離間を理解した会話になる。理解した話し振りになる。
「相手の何でも分かっちゃうっての、功罪両面だと思うけどね」
ナタネの言葉にナツキは、「というと?」と問いかける。
「いやさ、だって分かったつもりになった相手が裏切った時にナツキちゃん、耐えられる? きっとさ、そういうのって相手の理想像みたいなのを自分の中に確立させているんだよ。だからその理想像から外れる事が何よりも悔しいの」
意想外な言葉だった。ナタネは子供ぶった言動ばかりが目立つと思っていたが今ばかりは大人の目線だった。
「あたしが、ユキナリに理想像を押し付けているって言うんですか?」
心外だと言わんばかりの声音にもナタネは平然と構える。
「その感じはあると思うよー。ナツキちゃんは相手がちょっと自分の予想と違う行動を取れば癇癪を起こすタイプだね。相手を信じ込んでいるほど、その確率が高い」
ナタネの言い回しにナツキはむくれる。
「あたしを分かり切ったような事を言うの、やめてもらえます?」
「そうつっけんどんにしなくたっていいじゃない。それとも自分の本質に触れられるのが怖い?」
妙に挑発めいた言葉にナツキは言い返す。
「あたしはそんな。ナタネさんこそ、無遠慮で、人の心に切り込んできて」
「それがあたしだよ? 悪い?」
ナタネは少しも悪びれていない。案外、この少女は自分とアデクとの関係も理解しているのかもしれない。理解していながらあえて話題には触れてこない。一番触れられたくない話題を直感的に察知するタイプだ。もちろん、その話題には触れないがその周辺を、言うなれば外堀を埋めていく方法で自分達に分け入ろうとする。
「……ユキナリに、そんな感じに言い寄ったんですか?」
「言い寄ったわけじゃないけれど、彼、まんざらでもないみたいだよ。あたしと一緒にいるのも」
だとすれば自分が邪険にする事もないか。ナツキはユキナリの判断にいつの間にか自分の判断を重ねている事を自覚する。これもまた、ナタネの評価に直結する物言いなのかもしれない。
「ユキナリは迷惑がっているんじゃないですか。そうでなくっても五人旅は多いですよ。そのうちにお金なんかも足りなくなってくるでしょうし」
「あたしはマスターから結構預かっているから大丈夫だよ。もしもの時にはポイントも使えばいいと思うし」
「ナタネさんは玉座に興味がないんですか?」
その質問に、「興味がない、てのはちょっと違うかな」とナタネは首をひねった。
「なれるんならなってもいいけれど、別にそれほど執念を燃やすほどの事でもないし」
「……そういう中途半端なの、一番よくないと思いますけれど」
ナツキの口調に棘がこもっていたせいかナタネは、「怒らないでよ」と口にする。
「だからって玉座を目指している人を馬鹿にしているわけじゃないし、みんなすごいと思っているよ。一つの目標をわき目もふらずに目指せるって事はさ」
「盲目的に目指しているみたいな言い草じゃないですか」
実際、そうなのかもしれない。王になって何をしたいのか。どうありたいのかが決まっているかと言われれば全くそうではない。ナタネはそれを見透かした上で言っているのかもしれない。人の本質を見抜くという点で言えば、ナタネの目は誤魔化せないような気がする。
「まぁねー。あたしの主観でしかないけれど、人は収まるべき場所に収まるんだと思うよ」
「何ですか、その曖昧な言い方……」
そこから先の言葉を放つ前にナツキは信じられないものを視界に入れた。それはユキナリとキクコが今しがた宿の別棟から各々の部屋へと戻ってく様子だった。ナタネも見かけたのか、「あれ? あっちの部屋は取ってないよね?」と確認する。ナツキは、「何を……」と戸惑った。
ユキナリとキクコは何をしていたのだ。嫌な予感にナツキは首の裏を汗が伝った。
「後で聞いてみる?」
ナタネの声に、「いえ、あたしが」とナツキは駆け出していた。今すぐにでもユキナリに聞き出さねばならない。名前を呼ぶとユキナリは肩を震わせた。スケッチブックを片手に持っている。
「何をしていたの?」
「何って、先に帰っていただけだよ」
キクコは既に部屋に戻ったのだろう。ナツキは、「ちょっと来なさい」とユキナリの手を引っ張った。ユキナリは抵抗しようとしない。「何? 何さ」と言いつつもどこかユキナリはナツキに対して気後れした部分があるようだった。ナツキはユキナリの手を離し、「あっちの棟には部屋は借りていないわよね?」と口火を切る。
「何をしていたの?」
「何って、ちょっと宿の中を見ていただけで」
「キクコちゃんと二人で?」
その言葉にユキナリは誤魔化しきれないと感じたのだろう。ナツキから視線を逸らした。
「何やっていたの」
再び問いかけるとユキナリは突き放すように言う。
「ナツキには関係ないよ」
その言い草にナツキは苛立った。関係ないはずがない。自分を差し置いてユキナリはキクコとの関係を深めたのだ。ナツキはそう確信する。
「キクコちゃんと何をしていたの」
「だから、関係ないって言っているだろ!」
ユキナリの声にナツキは逆上する。
「関係ないはずがないじゃない! あたしの目は誤魔化せないわ」
「だから、ナツキは勘違いをしているよ。そんな、僕が大層な事を」
「キクコちゃんの事が好きなの?」
その言葉にユキナリは声を詰まらせた様子だった。自分でもどうしてこのような事を切り出したのか分からない。アデクの率直な気持ちに答えるべきか悩んでいたせいもあるのだろう。ユキナリの気持ちが知りたかった。
「……別に、そんなんじゃ」
「じゃあ、答えて。あたしの事はどう思っているの?」
「どうって……」
ユキナリは濁す。そこから先をうまく言えないのだろう。ナツキは急かした。
「嫌いなら嫌いってはっきりと言って」
「何を言っているんだよ。今日のナツキはおかしいって」
おかしいのかもしれない。だがいつかは直面する問題なのだ。それを遠まわしにしてきたのは他ならぬ自分自身である。ユキナリの口から自分が何なのか知りたい。
「答えて」と要求するとユキナリは目を背けた。
「……何でもないよ。ただの幼馴染」
その答えは聞き飽きた。ユキナリの本当の気持ちが知りたい。ナツキは問いを繰り返す。
「それだけ?」
「それだけって、それ以上に何があるんだよ。ナツキは、僕にとってはそうだよ」
「キクコちゃんは、そうじゃないって言うの」
その言葉は責め苦のように聞こえただろう。ユキナリは目に見えて困惑した。
「何なんだよ。キクコキクコって。そんな事気にする性質じゃないだろ」
「キクコちゃんの事は、好きなの?」
自分でも自分を切り崩すような苦痛の伴う問いかけだった。だが確かめておきたい。そうでなければアデクの気持ちには一生答えられない。
「……キクコは、分からないよ」
それが決定的な答えだと言えた。自分との関係はただの幼馴染だが、キクコとの関係はまだユキナリでさえも理解していない。それが恋心であるとナツキは感じ取った。思わず手を振り上げる。張り手が来ると感じたのかユキナリが目を瞑った。しかし、ナツキは張り手を握り締める。
頬を熱いものが伝った。ユキナリが目を開けて声にする。
「ナツキ。泣いているの……」
「泣いてないわよ!」
ナツキはユキナリを突き飛ばして飛び出した。ナタネとアデクが声をかけるがナツキは構わず宿の外へと出る。先ほどの晴れ間が一転して、暗雲が垂れ込めていた。今にも泣き出しそうな空を仰ぎナツキは嗚咽を漏らす。
ユキナリに好きと言って欲しかった。幼馴染以上の存在だと言って欲しかった。自分の歪な感情が涙となって堰を切って流れる。自分で線引きをしておきながら、それ以上を望んでいる自分の業。
一言でもいい。
必要だと言ってくれれば、自分はアデクの気持ちにもきちんと答えられた。
だが、曖昧に濁された感情は澱み、渦を巻いて心の深層へと凝っていく。もうどこにも逃げ場所なんてなかった。アデクの気持ちから逃げ続けるためにユキナリの気持ちを今まで知らないでいた。だが知ってしまえばアデクの気持ちに答えられるかといえばそうでもない。
「……あたしは、ユキナリに好きだと言って欲しかった」
セキチクシティをとぼとぼと歩く。誰かが追いついて自分を慰めて欲しい。だがこんな時に限って、誰も肩を叩いてはくれない。ナツキは覚えず街の南側へと歩を進めていた。
視線の先にはポケモンセンターの隣に設営されたセキチクジムがある。ナツキは涙を拭い、モンスターボールを握り締める。
強ければ泣かないでいい。強ければ、悲しむ必要もない。畢竟、強ければいちいち傷つけられる事もない。
「戦って、勝てばいい」
それだけが今の自分を癒す手段に思えた。戦いの中に身を浸し、色恋沙汰からは無縁のところにいればいい。ナツキはセキチクジムへと入った。
外側からは窺えない和風建築だった。随分と暗がりであり、ところどころ目を凝らさねば見えない。そのような環境の中、中央に赤い髪の女が立っている。浮き立ったように白い服を着込んでおり鋭い目つきをしていた。
「来たわね、挑戦者」
ナツキは身構える。女はすっと手を掲げた。
「私の名前はアテナ。このセキチクジムのリーダーであり、毒タイプの使い手。挑戦者、名前は?」
「名乗る意味はないわ。あたしが欲しいのはただ一つ、ジム制覇という結果のみ」
ナツキの切って捨てたような言い回しにアテナは微笑む。
「いいわね、そういうストイックな感じ。でも、挑戦者。一つ気をつけてね。私は全く戦いにおいて妥協というものを許さない性格なの。あなたを倒す布石は既に打ってある」
「何を――」
ナツキがそう口にする前に何かが視界の中を横切った。振り返った瞬間、赤い眼光が煌き自身の身体が石で固められたように動けなくなるのを感じ取る。呼吸さえ自由ではない。ナツキは目の前の、腹部に顔のような意匠を持つポケモンによって動きを束縛された。
「蛇睨み。私のアーボックの十八番よ。このセキチクジムではまずトレーナー本体を襲わせてもらう」
ナツキはモンスターボールに手を伸ばそうとするが指の筋一本ですら動かせなかった。アーボックと呼ばれたポケモンは細い舌を出しながら主人であるアテナの命令を待っている。
「女の子にとって最も屈辱的なのは何だと思う?」
アテナが耳元で囁く。いつの間に歩み寄られたのか分からなかった。ナツキはそれほどまでに自分の身体が制御下に置かれている事を自覚する。アテナの指がナツキの首筋へと触れ、「綺麗な顔ね」と輪郭をなぞった。
「私はね、終盤のジムリーダーに選ばれたけれど、私より綺麗な子ってとっても妬ましいの。特に力を持っている子って言うのはね。二度と私に歯向かう気になれないようにしてあげるわ」
アーボックが大口を開ける。ナツキは目を慄かせた。