第百二十一話「温泉珍騒動T」
至るところに柵があり、その中にはポケモンが生活している。
北のタマムシシティとは全く面持ちの違うセキチクシティは街全体が動物園のようだった。民家よりも柵のほうが多いのではないのだろうか。ユキナリが周囲を見渡していると、「宿を取ろう」とアデクが提案した。
「ポケモンリーグ直営の宿屋があるな」
「あたし、高いほうがいいー!」
そう声を上げたのはナタネだった。相変わらずの図々しさで割り込むナタネにアデクは、「しかしのう」と地図を眺めた。
「このセキチクシティ、宿が一つしかないぞ」
「えー!」
終盤の街だ。当然、宿泊施設もそう多くない。当然だと言えたが都会に慣れたナタネは不満らしい。頬を膨らませている。
「まぁ、一つしかないんならしょうがないわよね」
ナツキがどこか遠慮がちに声にする。何か、サイクリングロードであったのだろうか。どこか他人行儀である。
「またナツキさん達と同じ部屋がいいな」
キクコが呟く。そう言えばキクコはずっと相部屋だった。
「相部屋は嫌いじゃないんだ?」
ユキナリが声をかけると、「うん。みんなと一緒がいいから」とキクコは微笑む。キクコの表情も最初のほうに比べれば随分と豊かで柔らかくなったものだ。ユキナリは、「そっか」と頷いた。
「アデクさん、宿はどこです?」
「あー、北のほうにあるみたいじゃのう。ほれ、ちょうどあの大きな施設の隣じゃ」
アデクが指差したのはセキチクシティ北方に広がる施設だった。看板にはでかでかと「カントー随一の規模のアトラクション」と書かれている。
「アトラクションって、何かするわけじゃあるまいし」
ユキナリが口にすると、「馬鹿ね」とナツキが脇を小突いた。
「セキチクシティといえばサファリゾーンで有名じゃない」
「サファリゾーン?」
言葉の意味が分からずに繰り返すと、「テレビも観ないの?」とナツキが突っかかった。
「失礼だな。テレビなら観るよ」
「セキチクシティ名物なのよ」とナツキは先を歩いていく。やはり変わらない幼馴染だ、と再確認してからユキナリはセキチクシティを歩いた。柵の中には珍しいポケモンが入っており、ユキナリは今すぐにでもスケッチブックを取り出したかった。
「ユキナリ。スケッチなら後でいくらでも出来るぞ」
アデクの声に、「どうしてです?」と聞き返す。アデクはサファリゾーンという施設を指差し、「リーグ参加者は無料のようじゃ」と告げた。立て看板があり「リーグ参加者大歓迎」と書かれている。
「へぇ、随分気前のいい」
「町興しの意味もあるんでしょうね」
ナツキはサファリゾーンの隣にある宿屋へと歩み入った。アデクが早速部屋数を確認すると、「まだ部屋は空いております」と受付嬢が答える。
「ちょうど五名様の部屋を確保出来ますがいかがなさいますか?」
「じゃああたしとキクコちゃんは同じ部屋で。ナタネさんはどうします?」
「あたしも同じ部屋でいいよー」
ナタネの場合、別室でも押しかけてきそうだ。ユキナリと同じ考えだったのか、「じゃあ相部屋で」とナツキは三人分の大部屋を確保した。
「オレとユキナリはどうする? 相部屋か?」
アデクの笑みにユキナリが困惑していると、「何言ってんだか気持ち悪い」とナツキはばっさり切り捨てた。
「この二人は別室で」
ナツキに仕切られる形となり、ユキナリとアデクは別の部屋にあてがわれた。部屋へと赴く最中、アデクが、「また行くからのう」と手を振った。ユキナリも手を振り返す。
「……あたし達は巻き込まないでね」
ナツキの言葉にユキナリは疑問符を浮かべる。
「ねぇ、何でちょっと余所余所しいのさ」
その言葉にナツキがびくりと肩を震わせた。
「余所余所しいって? あたしが?」
動揺した声を出すナツキを不思議そうに眺めてユキナリは首肯する。
「うん。何でだかアデクさんにも気を遣っているみたいだし。サイクリングロードで何かあった?」
「何でもないわよ! あんたみたいなのに気にされる筋合いはないわ」
その言い分はあんまりではないのか、とユキナリが返そうとすると、「まぁ、関係ないっちゃないんじゃない?」とナタネが口を挟む。
「あたしらも色々あったしね」
ウインクするナタネにユキナリは困惑の笑みを浮かべる。ナツキは、「あほくさ」と一瞥した。
「じゃああたし達は部屋に行くから。またポケギアで連絡するわ」
ナツキ達とも別れ、ユキナリは個室へと向かった。部屋は広過ぎるほどだ。ユキナリは部屋に入るなり鞄を降ろし、ソファに寝そべった。フローリングの床は磨き上げられている。
「……こうして休めるも久しぶりだな」
ガンテツとの旅や、ナタネに翻弄されて一人っきりになる機会はなかった。誰かと会話するのは悪くはないのだが、想像以上に神経をすり減らす旅になった。
「でも、得たもののほうが大きい、か」
ガンテツに会わなければ旅を続ける事も出来なかっただろう。ナタネに会わなければサイクリングロードで立ち往生していただろう。結局、出会いが人を強くするのだ。
「ナタネさん、悪い人ではないんだろうな」
ジム戦でのナタネや明るい人柄から見て、いい人であることはよく分かる。ただタマムシシティの宿で言われた意味だけは分からなかった。身体を嗅いで、「匂うかな……」と呟く。バスルームを使おうか、と腰を上げかけた時、ノックする音が聞こえた。駆け寄るとアデクが早速顔を見せた。
「ユキナリ、ここの宿温泉があるらしいんだが、行ってみんか?」
ちょうど風呂を使おうとしていたのでユキナリからしてみれば渡りに船だった。
「いいですね。行ってみましょう」
「よし。タオルは部屋にあるから、廊下に出て。手持ちも持ってくるといいぞ」
「オノノクスが、ですか? 入るのかなぁ」
GSボールを眺めつつ呟くと、「ポケモンと一緒のほうが賑やかじゃろ」とアデクは快活に笑って先に行った。
ユキナリはタオルと着替えを手に温泉がどこかを従業員に尋ねる。
「一階の突き当たりの赤いのれんのところですよ」
ユキナリは礼を言って一回突き当りまで降りた。赤いのれんのある場所は一つしかない。脱衣所には既にアデクが脱ぎ捨てた服が畳まれていた。アデクの服飾は相変わらず先住民族特有のものだ。ユキナリはその上に包帯があるのに気付き、少しだけ躊躇った。ハナダシティで傷つけてしまった手前、こうして温泉でどのような顔をすればいいのだろう。そのような陰鬱な考えばかりが頭を占める中、服を脱いでユキナリは浴場へと入っていった。
浴場から湯気がもくもくと溢れ出てくる。その中に三人の人影がちょうど立ち竦んでいるのを目にした。ユキナリは目を丸くする。向こうも同じ反応であった。
視線の先にはタオルも身に纏っていないナツキとキクコ、ナタネの三人がいたからである。三人分の裸体を目にしてから、ユキナリは何が起こっているのかを整理しようとする。
「……ちょっと待って」
相手は待つはずがない。悲鳴がナツキの喉から上がり、浴場内に木霊する。ユキナリは、「お、落ち着いて」と声にしようとするがナツキはキクコからタオルを引っ手繰り自分の身体を隠して桶や石鹸を投げつけてくる。
「馬鹿! 変態! 何考えてるの? あんた!」
思わぬ罵声にユキナリは、「誤解だってば」と返したがナツキは聞く耳を持たない。ナタネは、「あーらら」とナツキとユキナリが入ってきた戸口を交互に見やった。
「どうやら混浴みたいだね。脱衣所だけ分かれている仕組みなわけだ」
「ナタネさん? 何で落ち着いていられるんです?」
ユキナリの声に、「見られちゃったもんはしょうがないからさー」とナタネはタオルで隠そうともしない。しなやかでありながら出るところはきっちり出ているナタネの身体を無意識的に見つめていたユキナリへとナツキが横っ面へと拳を見舞う。
「何凝視してるの! 変態!」
桶で頭を叩かれ、ユキナリはすごすごと退散していく。途中、キクコが問いかけてきた。
「ねぇ、ナタネさん。何で、ナツキさんはあんなに怒っているのかな?」
「あれ、キクコちゃんも大丈夫なほうなんだ。やっぱり匂いが違うからかな」
「なに納得してるんですか! 女の敵ですよ、こいつは!」
ナツキは自分だけタオルで身体を隠してユキナリの背中を踏み締める。ユキナリ自身はタオルで大事な部分を隠そうとして必死でもがいた。その手がタオルに触れた、と思った瞬間引っ張り上げる。するとさらり、とタオルが上から降ってきた。
「ん? 上?」
タオルがあるとすればそれは浴場の床のはずである。どうして上からタオルが降ってくるというのか。ユキナリが振り返ると一糸纏わぬ姿のナツキが大写しになった。
「あ、えっと……」
ナツキが胸元を咄嗟に隠し、顔を紅潮させる。
「馬鹿!」