第九十五話「オノノクスという名前」
「と、言うのが事の顛末なんです」
いつもの事ながらパソコンの周囲は空いている。パソコン画面を覗き込んでいるのは三人ともだが、ナツキが表立って説明してくれたお陰で手間が省けた。というよりもまるで話す事を予め決めていたかのような滑らかさだった。博士もどこか内心では理解しているようだった。ワイルド状態やそれに伴うユキナリとオノンドの関係についても最初から知っているかのようだ。
『うん、なるほど。でもユキナリ君はそれを自分で突破した。違うかな?』
「あ、えっと、そうです」
何やら奇妙な感覚がついて回ったがナツキは気にするでもなく、「それでなんですが」と口火を切る。
「進化したんです」
『進化? オノンドが、かい?』
その段になって初めていつもの博士らしい反応が返ってきた。ユキナリは多少安堵しつつモンスターボールを差し出す。斧牙のポケモンは大型なのでポケモンセンターで出すわけにはいかない。パソコンにはポケモンのデータを読み取るための窪みがあり、今まで利用してこなかったがそれを使う事になった。斧牙のポケモンのデータを受け取った博士はすぐさまプリントアウトし、書類に目を通す。
『……これは、すごい数値だ。攻撃の値がずば抜けているよ。いや、今までもデータで計測してこそしなかったが、オノンドも攻撃特化型だったはずだ。それをさらに上回る数値……。ユキナリ君、どうやらキバゴはとんでもないポケモンだったようだね』
自分としても驚いている。まさか気紛れでもらったポケモンがこのような進化を果たすとは。
「博士、このポケモン、僕が持ち続けてもいいんでしょうか?」
思わぬ疑問だったのだろう。博士は、『え?』と虚をつかれた様子だった。ナツキも声をかけてくる。
「あんた、ポケモンリーグで優勝するんでしょう?」
分かっている。しかし、自分で制御出来るかどうかも分からないポケモンを持ち続ける不安はユキナリの中で大きく膨れ上がっていた。オノンドのワイルド状態の時も感じたが、このポケモンは自分を試しているような気がする。
『……不安になるのも分かるけれど、私としては持ち続けて欲しいな。もう君達は立派なパートナーじゃないか』
博士の言葉に今度はユキナリが虚をつかれる番だった。
「パートナー……」
『そうだろう。楽しい時も苦しい時も、同じ時間を過ごす相棒だよ。ユキナリ君、君はこれまで戦ってきた。勝利の美酒だけではなく、敗北の苦渋も味わったはずだ。ならば、このポケモンと共にいてあげる事もまた、トレーナーとしての務めだと思わないかい?』
思いがけぬ言葉だった。ユキナリはたまたまこのポケモンのパートナーになっただけだ。ほんの気紛れが巻き起こした偶然に過ぎない。だが博士の言葉はそれを必然とする口調だった。
「僕は……」
「自信持ちなさい、って事よ」とナツキが背中を叩く。思わずむせていると、「あんた達、もう立派なトレーナーとポケモンよ」と言葉が投げられた。
「だって言うのに、今さら後悔なんて。じゃああたしがこのポケモンもらったわよ。そうじゃないのは、あんたのほうにこいつが懐いているからじゃない」
ユキナリは顔を上げる。キバゴの時からそうだった。このポケモンは自分を信頼してくれている。ならば、それに応えるのがトレーナーの本分だろう。何よりも夢からはもう逃げないのだと誓ったはずだ。
「……そうだ。僕は」
ハッとしたユキナリを博士は満足気に頷きながら、『ところでユキナリ君』と声を発する。
『もう名前はつけたのかい?』
「あ、その事もあったんです」
忘れかけていた。まだこのポケモンに名はないのだ。
「僕が勝手に二回も三回もつけていいものか迷いまして……。それで博士に相談を、と」
『なるほどね』
博士は手を組みながら、『私がつけてもいいかな?』と訊いた。
「え、いいですけれど、何で僕に確認を」
『オノンドの時には本当、ぴったりだと思った! キバゴの時にもそうだ。ユキナリ君、君にはセンスがあるんだよ。でも、私にはその辺ちょっと怪しい』
博士は額に手を当てる。博士ほどの名の知れた大人が自分に自信がないのは意外だった。
「でも博士、今までにいくつも名前をつけてきたんでしょう?」
『そりゃ、やってきたよ。でもさ、これだ! ってのは結構巡り合わせなんだよね。その名前が決まる時もあれば決まらない時もある。出来れば君の意見も聞きたい。このポケモン……、今3Dモデルが送られてきたけれど、一緒に決めないか?』
思わぬ提案にユキナリは一瞬だけうろたえたものの、すぐに頷いた。博士と共に決める名前ならば安心だった。
「じゃあ、どうします? 見た目から、の連想でしますか?」
『そうだねぇ。このポケモン、オノンドの時よりも斧の龍って感じが強いから、オノは残そうよ』
そうなってくるとユキナリも楽しくなってくる。このポケモンがどのような名前を受けてこの世に誕生するのかワクワクする。
「ですね。オノ、何とか、ですかね。龍、ってのを強調したい気もするんですが」
『私がつけてきた先行例だと、ドン、とか濁点がつく場合が多かったけれど』
「もう完全に二人の世界ね」とナツキが茶化すがそれも聞こえていない。今はこのポケモンの名前をつける事に手一杯だ。
『オノ……、ユキナリ君、このポケモン、額にバッテンの傷があるね』
今しがた気づいたのだろう。ユキナリは、「ああ、すいません」と説明するのを忘れていた事を思い出す。
「谷間の発電所でのサンダー戦と、シルフビル戦でついた傷なんです。もしかしたら、本来、このポケモンにはなかったかもしれない傷なんですけれど、よくなかったですか?」
『いや、何ていうか、歴戦の猛者って感じがしていいよ。バツ印……、Xの連想……、ユキナリ君、名前決まりそうだ』
「えっ、本当ですか?」
思わず身を乗り出す。博士は、『うん、これならば納得出来る』と頷いている。ユキナリはすぐにでもその名前を知りたかった。
『これは古代のポケモンの名前をつける時のセンスなんだけれど、未知の意味を持つXを付けておいて後々Sに変える事があるんだ。だから、このポケモンの名前はオノに未知の意味とバツ印の額の傷を讃えて、――オノノクス。オノとX、それに後で対応が利くようにする造語なんだけれど、どうかな?』
「……オノノクス」
その名前を聞いた瞬間、ユキナリは目の前が拓けたような気がした。
「いいです! オノノクス、とても合っています!」
『そうかい? よかった、気に入られなかったらどうしようかと思っていたよ』
博士は笑いながらコーヒーカップを口に運ぶ。ユキナリは、「もういいですか?」とモンスターボールへと手を伸ばした。
『ああ、データはバックアップを取ったし、大丈夫だよ』
ユキナリはボールを手にもう一度、名前を呼ぶ。
「――オノノクス」
その名前が天から授けられたかのようにそのポケモンには馴染んでいる気がした。