第九十三話「共犯者」
「いやぁー、今日一日で疲れた疲れた」
マサキがソファに体重を預けて息をつく。イブキは部屋の片隅に佇んでいた。先生よりあてがわれた部屋はセキエイ高原の中でも政府中枢の人物が宿泊する施設だった。
他の重役ともまず会わないと断言された部屋は確かに他とは隔絶された雰囲気を持っている。窓辺から窺える景色は閉ざされており、セキエイ高原の中枢、植物の緑と石英の光に包まれた幻想的な空間だけが視界に入っていた。
「しかし、奇怪な頼み事でしたねぇ、姐さん」
イブキは先生の言葉を反芻する。先生はただ、「頼みます」と告げてからイブキにモンスターボールを手渡した。しかし、それはただのボールではない。上部が紫色であり、一対の突起がついていた。中央には「M」の文字がある。「これは?」とイブキが尋ねると、「新型のモンスターボールです」とだけ伝えられた。
「新型、ね」
キシベの下でも似たようなモンスターボールが開発されていたが、今手の中にあるそれは量産を目処にしたボールというよりかはワンオフの趣が強かった。
「何かワイら、とんでもない事に巻き込まれましたな」
マサキの言葉にイブキは高級そうな調度品で彩られた部屋を一瞥し、「そうね」とため息混じりの声を発する。
「でも、あの先生とやら、とんでもない事実を話したもんですわ。このカントーが人工的に作られた土地やなんて、スキャンダルでしょう」
「そうでもないかもしれないわ。確かに地質学者や考古学者が躍起になって飛びつきそうなネタではあるけれど、多分オカルトの類だと切り捨てられるのがオチね。ヘキサツールだって、こんなセキエイの深奥に隠されているんだもの。証拠は一つもないわ。私達が喚いたところで、頭のおかしい輩だと思われるのが見えている」
だからこそ、自分達に見せたのだろう。王の崩御の真実だって既に病死という事実が出回っている。たとえば自分がネメシスの陰謀だと言ったところで誰一人として信じやしないだろう。それにポケモンリーグは転がり出した石だ。誰にも止める事は出来ない。
「なーんか、ワイら、信用されているんかいないんか分かりませんな」
「信用はしていないでしょう。だって、私が分かるだけでも先生はいくつか隠し事をしている」
「それは、オーキド・ユキナリの事ですか?」
特異点。それもあるのだろう。だがそれだけではないような気がしていた。
「まず一つ。バッジを全部集める意味」
「ああ、それは確かにうやむやにされている感がありましたけれど、ほんまに何も起こらんのとちゃいます? やったら、別に隠し事じゃないでしょう」
「何も起こらないはずがないわ。だってあのヘキサツール一つでカントーという土地が興ったのよ。それを八分割したバッジにも当たり前のように能力が備わっている。それを全て手にして、何も起こらないですって? そっちのほうが不自然よ」
イブキの声に、「でも姐さん」とマサキは顎に手を添えた。
「起こるとしたら、何が起こる言いますのん。まさかバッジ全部を揃えただけで王になれるとか? でもこのポケモンリーグはポイント制ですよ。バッジを全部持っていてもポイントで劣っていれば、結局敗北ですやん」
「バッジが全部集まる事は、王になるとかならないとか、そういう次元を超越した、とんでもない事なのかもしれないわね。だってあのヘキサツールは次元の壁を超えて来たのよ? バッジが全部揃ったら似たような現象が起こらないとも限らないわ」
「ロケット団のデータベースに潜った時にも、さすがに次元の壁を超える超えないの話はありませんでしたけれど、でも三体の鳥ポケモンに意味があるみたいな記述はありましたね」
マサキは自分がサルベージしたデータを全て暗記している。これもまた、先生からしてみても、キシベからしてみても想定外の事実だろう。この男はそれなりに脅威なのだ。
「雷のポケモン、サンダー。炎のポケモン、ファイヤー、そして氷のポケモン、フリーザー。この三体を使って、確実にロケット団は何かを仕出かそうとしている。でもワイ的に一番怖いんは、ロケット団よりもヘキサやね」
イブキにも思い当たる節はあった。腕を組んで、「ヘキサ、と言う名がそもそも意味深なのよ」と呟く。
「どうして、重要機密であるはずのヘキサツールと同じ名前を冠しているわけ?」
組織の名前はその役割に応じて決められる。ヘキサがその名前を名乗っているという事はヘキサツールに関して一つや二つ程度ではない情報があるという事だろう。
「最終目的が同じ、と見るべきでしょうか。あ、でもそれやったら手を組んだほうが早いよなぁ。何でロケット団とヘキサは敵対しとるんか、その辺がいまいち分からんのですわ。だってどっちにせよ、表舞台には出ん組織でしょう? だって言うのに、伝説のポケモンの奪い合い。それにサカキというトレーナーの擁立。どうにもキシベの狸が何を考えとるんかが読めませんね。何も考えとらんのなら、ええんですけれど」
何も考えていない人間が一つの企業をそのまま隠れ蓑にするものか。イブキにはキシベという男がただ単にヘキサの目的を妨害するために動いているのではないのだと感じていた。
「キシベの目的、っていうのがロケット団の目的、と見るべきでしょうね。でも、そうなると特異点が引っかかってくる」
「一度纏めてみましょう」とマサキは立てかけられていたペンを取り出し、メモ用紙を一枚、手元に持ってきた。
「先生は、オーキド・ユキナリにさして重要性を感じてないみたいでしたけれど、ロケット団はオーキド・ユキナリとサカキを重要視している。その実情は特異点として利用するため。しかし特異点に関しては不明な部分が多い」
ロケット団と書くと円を描き、その中にユキナリとサカキの名を書いた。
「対してヘキサはワイもそうやけれど、この地方そのもの、ポケモンリーグに関する懐疑がある。重要視しているのは伝説の三体。オーキド・ユキナリやサカキは割とどうでもいと思っている」
ヘキサ、と書き、同じように円の内部に伝説の三体の名前を書いた。
「んで、最後はネメシス。こいつの目的は分からん事のほうが多いけれど、一番の目的はヘキサツールの予言通りに物事を進める事。それにはジムバッジが必要不可欠」
同じ調子でネメシスと書き、円の内部にはジムバッジと書かれた。マサキは腕を組んで渋い顔をする。
「こうして見ると、不思議とお互いに利益とするものや目的って被ってないんやね。だって言うのに対立しとるんは、この最終目的、というか重要視している要素にはお互いに必要なもんが重なっとるからや。というかお互いに足を引っ張り合っとる形やな。ネメシスの目的には三体の鳥ポケモンを捕まえられると面倒やし、ヘキサの目的にはネメシスの存在は邪悪そのもの。対してロケット団の目的のためには特異点となるオーキド・ユキナリとサカキを限りなく優勝に近づけなあかん。という事はつまり、強いトレーナーが出現する。それはヘキサからしてみても、ネメシスからしてみても邪魔やろうな。ジムバッジを取られたら困るし、強いトレーナーの存在は歴史の中に組み込まれてへん事象かもしれん」
マサキが鼻の下を掻く。最終目的は違えど、このカントーという盤面においてお互いが邪魔な事だけは確かのようだ。
「で、まずは三体の伝説から歴史を正せ、というわけね。三体の伝説についてはヘキサツールの歴史上ではノータッチなのに、ロケット団とヘキサが手垢をつけている。この段階に至れば、もうネメシスも静観してはいられない。確実にフリーザーを捕まえる。この三体をどこかが独占する事だけは避けたい」
勝手な理論だが、ネメシスからしてみれば必死なのだろう。それだけヘキサツールを崇めている、という事か。
「しかしやな、姐さん。じゃあこの三体、もしどこかが独占するとどうなるん、って話や」
マサキがメモ用紙を指差す。それも先生が意図的に伏せていると考えられた事柄だった。
「何かが起きる、とか……」
「でも、たかが、いやたかが言うのは言い方が悪いかもしれんけれど、三体のポケモンやで? たった三体で何が出来る言うん? それがどれほどの意味を見出すのか全然読めん」
マサキは後頭部で手を組んでソファにもたれかかる。イブキにも引っ掛かりがあった。マサキの言うようにたった三体の鳥ポケモンだ。強力かもしれないがそれで何をするというのだろう。
「組織力の強化」
「却下。そんなもんのために使わんよ。大体、三体持ってても使えるトレーナーがおらんかったら意味ないやん」
「でも、ヘキサは色んな地方からトレーナーを募っているんでしょう。実力者の。だったら、ヘキサには意味があるんじゃないの?」
「あかんて。ヘキサがたとえ実力者を募っていて、で、この三体を御せたとする。でもやで、そんなん、他国に喧嘩吹っかけるようなもんやん。今まで裏の組織として存在していた組織が国レベルに膨れ上がったとしたら、それこそ本末転倒。意味ないって」
ヘキサの目的はあくまで隠密の内に済ませる事。国家レベルでの陰謀を働かせる事はなかった。だからこそ、ネメシスこそが脅威だと断定していたのだ。理由はネメシスそのものが国家レベルでの陰謀に他ならない。ヘキサからしてみれば正義を気取ったつもりなのだろう。
「……だけれど、実際。ネメシスから排除命令が出るほどの愚を犯している。シルフビルの爆発だって、ヘキサが絡んでいるに間違いないのよ。だってロケット団があんな真似をすれば自らの首を絞める事に他ならないのだから」
裏組織が存在する事を世間に肯定するようなものだ。マサキは、「それはヘキサの本懐やない、か」と呟く。
「まぁ、ワイがいた頃からヘキサは秘密主義の集団やったからな。上から命令が飛んで来れば下に拒否権はないし。どこまでが上層部なんか全然分からん。ハンサムの旦那かて、自称国際警察や。そのレベルまで絡んでない可能性もある」
所属していたマサキでさえ全貌を掴めなかった組織だ。しかしロケット団はその概要を纏め上げていた。
「ある意味では末恐ろしい組織ね、ロケット団。そんなトップダウンの差がある組織の概要を洗い出すなんて」
「こんなん、人海戦術でやったに決まっとる。なにせ、人手があれば一人二人程度侵入されても怖くないし。ワイほどのウィザード級ハッカーがいたとは思えんな」
マサキ自身のプライドが許さないのだろう。鼻を鳴らし、ロケット団を一蹴する。
「……まぁ、あんたほどの奴がぞろぞろいたらそれはそれで恐ろしいわ。シルフの財力をもってしてどうこうした、と考えたほうがいいわね」
「そりゃ、ロケット団をある種では認めとるよ。ここまでやるんや、相当な気概がないといかん。ロケット団に所属しとる連中は骨の髄まで信奉しとるのがはっきりと分かるわ」
つまりロケット団からの離反者はほとんどない、との見解なのだろう。イブキもそれに関しては同意見だった。
「私達くらいでしょ。ロケット団を自分達から見限ったのは」
「ワイは、姐さんに先見の明があると見て着いてきたんやで」
マサキの言葉にイブキは手をひらひらと振って、「せいぜいごまでもすりなさい」と冷たくあしらった。
「何も出ないわよ」
「つれないなぁ、姐さん。ワイら共犯やん?」
「あんたは頭脳、動くのは私。その関係に変わりはないわよ」
踏み込んでくるのを許さぬ口調に、「冗談やん」とマサキは肩を竦める。
「本気にせんどいてください。ワイは姐さんの犬です」
手を丸めて犬の真似事をする。イブキは、「だとしても、分からないわね」と無視して続けた。
「ロケット団はここまでの情報を掴んでおきながら、全員に共有されるべき情報にしなかった。これらの情報のほとんどはキシベのデータベースから流出したものだった、というのが」
「解せんと言えば解せませんなぁ。キシベは本当のところ、ロケット団を信用してないんと違います?」
「信用していない? ここまで育てた組織を?」
それは奇妙ではないか。自分の育てた組織を信用せず、情報も仲間に共有しないとは。いざという時、自分しか頼れなくなる。
「キシベは自身に頼むところの多い人間なんやとワイは思う。最後の最後に頼れるのは自分自身。それ以外は全て敵だと断じているかのような」
マサキの人物評は当たらずとも遠からずだろう。キシベがそこまで念には念を要しているのならば、自分達の手に入れた計画はキシベのアキレス腱だ。
「特異点と、サカキ、オーキド・ユキナリの重要性。これが漏れれば一番困るのはキシベよね?」
「いや、それもどうか分からんよ」
マサキの言葉にイブキは首をひねった。
「どういう意味?」
「たとえばこの事実を、オーキド・ユキナリかサカキに伝えたとしよう。で、信用するか? 言う話。自分達が特異点? 別の次元? ポケモンのいない世界? ワイらかてあれほど信用出来んかった事をこの二人の子供が信用するか?」
「それは……」
口ごもるしかない。最も漏れてはならないのは本人達だが同時に本人達にとってしてみれば最も遠い出来事でもあるのだ。
「キシベが言うとるんは夢物語や。でも、実現出来る可能性が高いのは、ヘキサツールを目にした今ならば分かる。でもやで、ただ特異点の二人におまいさんらは危険なんや言うたかて、それってあの先生とやらの言い分と何が違う言うんや」
イブキは言葉もなかった。マサキは飄々としているようで実のところ一番考えを巡らせている。もし、自分がユキナリに「お前は危険だ」と詰め寄ったとしたら、彼からしてみればわけの分からない事に違いない。元々自分は一つ裏切りをしているのだ。それに罪を塗り重ねるようなものである。
「……そうね。オーキド・ユキナリに接触も出来ない。かといってサカキにはもっと、よね」
「やから、ワイらの出来る事って今のところ、先生の言う通りにフリーザーを捕獲する事や。その後で考えを巡らせるとしよう」
マサキはその判断で決着をつけたらしい。イブキにはしかし、まだ納得のいっていない事があった。
「その、先生の言っていた子供達の事は」
「絶対に言うべきやないやろうな。特にオーキド・ユキナリには」
その意見も同じだ。ユキナリにだけは知らせてはならない。キクコという少女が何者なのか、彼女が殺人者である事以上に、この事実は危険だ。
「ワイはそろそろ寝るわ。姐さんも疲れ取らへんと動けんようになるよ」
マサキはソファに座ったまま顔を拭っている。ベッドまで行く事すら億劫らしい。イブキは、「じゃあまた」と部屋を出た。隣部屋が自分のものであり、窓辺に歩み寄る。
セキエイ高原の中枢で仮面の子供達が遊んでいる。その光景が不気味になり、イブキはカーテンを閉めた。