第百十九話「灰色の境界」
「馬鹿な!」
ヤナギが手を薙ぎ払う。そのような真実は受け容れられないとでも言うように。ハンサムは、「だからこそ、全てを秘密のうちに終わらせようと感じていたんだよ」と口にする。
「どうかな? お前らの事だ。利権を全て食い荒らしてから、その食べかすを与えるくらいの気持ちだったのだろう」
ヤナギの言葉は随分と乱暴だが、ヘキサの真髄を表しているとも言えた。
「……確かに、全てを人民に与える事は不可能だよ。だがね、我々の行動はきっと実を結ぶ。そうでなくっては、近い将来、この世界は滅びてしまうんだから」
滅びの回避のためならばどのような手も打とう。たとえ鬼畜と罵られようとも。ヤナギは歯噛みする。一面ではヘキサを完全に非難出来ない事も発見しているのだ。この子供は賢い、とハンサムは感じ取る。
「……だが、特異点を破壊しようにもサカキの行方はようとして知れないのだろう?」
「片一方は分かっているだろう? オーキド・ユキナリだ。君にとっても因縁の名のはずだよ」
ハンサムはユキナリとヤナギについてシロナの報告以上の事は知らないが深い溝がある事だけは話の節々で窺えた。
「どうかな? 君がオーキド・ユキナリを殺す、というのは。我々にしてみても君という戦力も得られて一石二鳥なのだが」
その言葉の途中で空気中に形成された氷柱の針が首筋へと向けられた。ハンサムは息を呑む。一瞬のうちに凶器を発現させた実力もそうだが、迷いなく自分を殺そうとする態度にも、だ。
「お前達に与するつもりはない」
「では言い方を変えよう」
ハンサムは両手を上げて下手に出る。殺されては元も子もない。
「君が我らを率いるんだ」
「何……」
ヤナギが息を詰まらせる。ハンサムは一気に捲くし立てた。
「君が我らのリーダーとなり、我々の悲願を成就させてくれるのならば、何の問題もあるまい? 私としても強いトレーナーは欲しいが、別に部下にこだわる必要もない。それが有能な上司でも構わない」
ヘキサの最終目的は滅びの回避。そのためにはトップダウンにこだわってはいられない。ヤナギは顔を翳らせる。
「だが、俺はオーキド・ユキナリに敗北した……」
「トレーナーならばたった一度の敗北で何を――」
「たった一度でも! 俺は奴に敗北した俺が許せない!」
どうやらそれほどまでにユキナリへの執着と憎悪は強いらしい。ハンサムはこれを利用しない手はないと考えた。
「……君が勝てる手を打っておこう」
「汚い手で勝っても俺の本意ではない」
「いや、正々堂々さ。オーキド・ユキナリに君との実力差を分からせる」
「どうやって。マンムーは俺の誇りだが、こいつでは勝てない事が分かっている。少なくともポケモンリーグの間だけでは」
「ならばその期間中だけ相棒を替えてみるのはいかがかな? 交換は禁止されていない」
「交換だと? 俺の瞬間冷却速度と命令にぴったりと合ってくる奴はこいつしかいない」
「そのマンムー以上に器用となると、もう特別なポケモンを使うしかないな」
特別、という言葉にヤナギは睨む目を鋭くした。
「当てがある、ような言い草だな」
ハンサムはポケギアを掲げ、「私が手にしようとしていた力だが」と前置いた。
「もういいだろう。君ならばこいつを百二十パーセント使えるはずだ。ちょうど氷タイプでもある」
「どんなポケモンだ」
ハンサムは、「心配はいらない」と言い放つ。
「とても強いポケモンだよ。イッシュから運ばれてくる。ちょっとばかし捕獲に手間取ったが、我が組織は相当数のトレーナーを抱えている。カントー標準時の明日、運ばれてくる予定だ」
「モンスターボールに入るんだろうな?」
ハンサムは、「さぁね」と首を振った。
「何せ、あれは伝説のポケモンだ。どこまで制御下に置けるかは、君次第、と言ったところか」
ヤナギは臆する様子もない。それどころか、その力を手に出来るとなれば飛びついてくるだろう。この少年は力への探究心は人一倍にある。それはハンサムの目に狂いはない。
「……いいだろう。そのポケモン、もらいうけよう。して、その名前は?」
ハンサムはそのポケモンの名を紡ぐ。滅びを回避するためならば悪魔にも魂を売ろう。
目の前の少年はちょうど、その悪魔に相応しかった。
イッシュの上空を飛ぶのは一機の全翼型戦闘機だ。黒い三角形が飛ぶ様は技術大国として誇りを持っているイッシュとはいえ民には奇異に映った事だろう。その日、イッシュの民はこう記録している。
『空に、巨大な氷塊を運ぶ飛行物体現る』
三面記事を賑わせたこの情報はすぐに握り潰された。
全翼型の戦闘機からワイヤーが吊るされ、赤い十字架が無数に身体へと突き刺さった灰色のポケモンがいた。血液が噴き出すべき場所からは高密度の冷気が流れ出し、空からは雹が降っている。
左右非対称の折れ曲がった翼を持ち、身体は灰色でありながら自らが発する冷気によって凍り付いている。長い首を有しており、鋭く尖った三角形の頭部には黄色の眼光があった。その眼が空域を監視している。
雲へと入る前に一匹の鳥ポケモンがその空域へと迷い出た。その瞬間、すれ違っただけだというのに、その鳥ポケモンは凍結し、地面へと落下した。
十字架を全身に突き刺されたその氷のポケモンは、黙したまま、行く末を睨み据えている。
低い呻り声が、その口中から漏れた。
第七章 了