NEMESIS














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黙示の章
第百十八話「境界侵犯者」

「馬鹿馬鹿しい。そんな事が記されているなんて」

 カラシナは一笑に付そうとしたが先生は真剣な声音で語りかける。

「しかし、四十年後から先の記述はないのです。これは、つまり向こう側の次元が四十年後に消滅した、と考えて間違いはないでしょう」

 人類終焉。だが、そのような非現実がまかり通ってなるものか。

「百歩譲って、ヘキサツールの記述通りに歴史が進んでいるとしましょう。でも、だったら、終焉を回避する手段もあるはずだわ。だってある程度は分かっているでしょう? 必要な事象という奴が。それを踏まえないと歴史は記述通りにならない。つまるところポイントよ。そのポイントを押さえる事こそが歴史を矯正する手段足りえる」

 カラシナの言葉に先生は、「それを我々は特異点と呼んでいます」と答えた。

「特異点……」

「歴史を順序よく回すポイント。その人物が、あるいはその事象があるからこそ歴史はきちんと繰り返す。タジリン伯爵のスケッチやポケモンの発見年代がそうです」

 カラシナは絶句する。この世界においてターニングポイントとなった事象は全て組み込まれているというのか。

「……あなた達が、それをコントロールしてきたの?」

「全てはカントーという土地の力です。ポケモンの発見も、生息域も全てカントーという土地が造られたと同時に組み込まれた事象」

 キクコの顔にしか見えない先生が無情に告げる。その顔を伏せて残念そうに語る先生にカラシナは、「でも」と抗弁を発する。

「他の地方はどうなるの? カントー以外は。この歴史上に進むとは限らないんじゃ」

「カントーはいわば時限爆弾です。この次元に同じ地方として存在した。それだけでもう歴史として設定されたのですよ」

 背筋が震える。そのような事がまかり通ってなるものか。だが、先生の言葉にカラシナは言い返す事も出来ない。

「人類終焉。どうしてあなた達はそれを回避しようとしないの?」

「先人達が、その回避に尽力した結果が今でしょう。我らネメシスは、それを受け容れる集団。滅びの時が来ると言っても安らかな心持ちであれば全ては安息の後に過ぎ去るはずです」

 つまりは滅びを静観せよ、という事か。しかし、そのような人間ばかりではないだろう。

「滅びを回避しようとした集団のうちの一派が、あたしの所属していた組織、ヘキサ……」

 伝えられれば確かに先回りが過ぎた部分はあった作戦が多かった。だが、今にして思えば、だ。当然、歯車の一部分として動いている時にはそのような事は感じない。ヘキサの作戦内容に疑いすら抱かなかった。自分が犠牲になれと言われた時以外は。

「ヘキサは、人の命を何とも思っていないでしょう。だから、あなたのような人間を殺そうとした」

「でも、そんな事を言ったらあなた達だってそうよ。最終的にみんな滅びてしまうのならば、黙っていようって。それってヘキサと何が違うって言うの?」

 先生は、「色々と言いたい事はあるでしょうが」と手の中の仮面に視線を落とす。

「私達の目的が歴史を繰り返す事。それだけは確かな事です」

「それって愚かだとは感じないの?」

 カラシナの声に先生は、「愚か、というのは」と嘆息を漏らす。

「未来がいつまでも延命し続けると感じる事です。この宇宙と世界には寿命があり、それには抗えない。ただ安穏と日々を過ごし、惰眠の只中にいる人々に知らせるべきではありませんよ。当たり前の事ですら、彼らには度し難いのですから」

 喚いたところで無駄。というわけだ。それに先生の言葉に納得している自分も存在する。世界は延命しない。いつか終わりはやってくる。それは今ではないだけで、いつかはやってくるのだ。皆が目を逸らし、耳を塞いでいるがその予感は人間として生を受けた瞬間から始まっている。

「でもたった四十年って……」

 時間がない。今すぐにでも動くべきでは、と考えたが、それを実行しているのがヘキサとロケット団なのだろう。

「ロケット団という事象は、本来、ちょうど三十年後くらいに出現する予定でした。ですが、この予言を知る人間がそれを早めた。しかし、早めたところでロケット団として完成はしない。卵を熱したところで早く雛が孵るわけではないように、早熟の組織は瓦解を始めるでしょう」

 先生の理論は正しい。だがロケット団を作った連中の考えも分かる。

「ロケット団の最終目的は、人類終焉の回避ね」

「ヘキサも同じです。しかし、方法論が異なる」

「どう違うって言うの?」

 先生はヘキサツールを眺め、「詳しい事は私にも分かりませんが」と前置きする。

「伝説の三体、それに特異点、ジムバッジ、これらをキーとして誘発させる事象があるのでしょう」

 ファイヤー、サンダー、フリーザーの事だろう。サンダーはヘキサの手にあるはずだ。「フリーザーを手に入れました」という先生の言葉にカラシナは瞠目した。

「あなた達、やっぱり――」

「勘違いしないで欲しいのは、我々はあくまで計画の阻止を目的としているだけ。彼らの計画は歴史の通りに動かす我らよりもなおおぞましい」

 先生が嫌悪を催す目を向ける。人類終焉よりもおぞましい結末とは何なのか。カラシナは問うた。

「ヘキサは特異点を破壊する事にこだわっている。対してロケット団には特異点を保護する事にこだわっています」

「特異点の保護。破壊、って殺すって事よね」

 今さらの確認事項に違いなかったが、その特異点とやらに選出された人間は不幸だ。歴史のために死ねというのだから。先生は首肯し、「歴史のために排除される人間、というものを」と顔を振り向ける。

「作ってはいけない、と考えています」

「じゃあ、あなた達も特異点保護派?」

「いえ、我々は特異点という存在が発する歴史矯正の効果を狙って、このポケモンリーグを安全圏に持ってくる事を狙っています」

「安全圏?」

 それはつまり支配下、という認識でいいのだろうか。カラシナの眼差しに、「特異点は」と先生は口を開いた。

「歴史矯正機能。つまり、その人物がいる事で、本来の歴史へと世界が調律される機能を持っています」

「要所要所に存在する、ポイントのようなものね」

「調律機能を破壊されれば、世界はどう転ぶのか分からない。ですが、その機能さえ保全されていれば、世界は万全のうちに回る」

「誰なの? 特異点というのは」

 この段になって聞かないわけにはいかない。先生は、「予言されていた事項では」と答える。

「オーキド・ユキナリ。それがこの時間軸の特異点のはずです」

 意想外の名前にカラシナは目を見開く。ヤナギが目の敵にしていたトレーナー、オーキド・ユキナリこそが特異点だったなど。

「彼は何を成し遂げるの?」

 特異点は歴史上、重要な事柄を成立させる事に貢献する。それに即して考えればユキナリは何らかの偉業を成す人物なのだろう。

「今より三十年先にポケモン図鑑と呼ばれるポケモンの生態系を記録する媒体が開発されます。全てのポケモンを網羅する機能。それの開発者であり、責任者がオーキド・ユキナリです」

 思わぬ言葉だった。それほどの偉業はポケモンからしてみても人間からしてみても偉人の領域だ。カラシナは、「あの子が……」とにわかには信じられない声を出す。

「そんな開発を」

「これは間接的に滅びへと繋がる事項を含んでいます。オーキド・ユキナリは滅びへ導く人間と言える側面もあります」

「滅びへ、って、ポケモン図鑑の開発が何で滅びを誘発するのよ」

 ポケモンの生態系の網羅がいけないのか。それともその開発そのものがタブーなのか。カラシナの思考に先生は、「そのポケモン図鑑を渡された子供達」と口にした。

「そのうち一人がカントーの王になる。その少年はカントー地方を制覇し、最強の称号を手に入れる。通常の歴史ならば、彼は単身でロケット団を壊滅に追い込みます」

 先生の言葉は信じがたかったが事実なのだろう。大それた嘘を並べても仕方あるまい。今は、彼女の言葉は全て真実と考えるべきだ。

「それほどにすごいトレーナーが出現するなんて。でも、そうなってくるとカントーの王が存在していなければいけないわよね?」

 今次のポケモンリーグは成功を収め、王が誕生する事になるだろう。三十年後もポケモンリーグが存続するためには。先生は、「あなたの疑問ももっとも」と頷いた。

「今回のポケモンリーグは成功します。そのために必要な事象は王の死でした」

 カラシナは目を瞠り、そして納得した。

「……あなた達が、王を殺したのね」

 王殺し。その血塗られた道の先に未来があるというのか。先生は、「必要だから行ったまでです」と無機質に答える。まるで人形だ。歴史という傀儡回しに動かされている人形が、人の姿を取っているだけに思える。

「おかしいと思っていたわ。チャンピオンが死んでその勅命で通信可能な地方全域にポケモンリーグを発布なんて。出来過ぎている。全て、あなた達のせいね」

「心外ですね。これは歴史通りに動いているだけの事。私がやらなくとも、誰かがやっていた」

「どうだか」とカラシナは鼻を鳴らす。それで殺人が正当化されると思っているのか。

「ただ今回、オーキド・ユキナリの生存とポケモン図鑑の完成こそが三十年後の未来に繋ぐ事象だったのですが、一つだけ、いいえ、一つではありませんが、この次元は元の次元とは異なっています」

「そりゃ、そうでしょうよ。歴史の通りに動かすと言っても、細部は違ってくる」

「細部、というよりもこの時間軸にいるはずのない人間がいるのです。その一人が、サカキという少年」

 シルフカンパニー、いや、今はロケット団が動かしているトレーナーだ。トキワシティでの開幕時にしか顔を合わせた事がない。

「サカキがどうかしたの?」

「彼は、三十年後のロケット団の首領です」

 カラシナが言葉をなくす。今、先生は何と言ったのか。

「……何ですって?」

「彼もまた、破滅へと導く人間の一人。三十年後、オーキド・ユキナリが見出したトレーナーに彼は倒される。これも決定事項だったはずなのですが、本来、この時間にいるはずのない人間が混じっている。このポケモンリーグは、歴史をなぞっているだけではない。何かが胎動しています」

「何か、って」

 その何かを明言する手段がないのだろう。先生は歯噛みする。

「ロケット団は、本来ならば三十年後に最も勢力を伸ばしている組織。だというのに、何故今なのか。この時間軸でいくらロケット団という組織を発足させようとしても必ず、無理が生じます。それは歴史の強制力に抗う形になりますから」

「つまり、あなた達はこう言いたいの? この時間軸で、それにそぐわない行動は全て無為に帰すと」

「そのはずなのです」

 先生はヘキサツールを仰ぎ見て、「予言は絶対のはず」と口にした。

「ですが、予言通りにいかない事象が多過ぎる。ひょっとすると、元の次元からこの次元に跳ばされた際、一種の歪が生じてしまったのかもしれません。ヘキサツールの予言通りにいかないとなれば、我々も動かざるを得ない」

「その手の一つが、この子供達、というわけ」

 カラシナが子供達を眺める。子供達は赤い瞳を困惑に揺らしていた。先生は、「彼ら彼女らは必要だったのです」と応じる。

「何をしたって言うの? みんな、同じ顔なんて」

「彼らは技術の粋を集めて造られた、ネメシスの中核を成すコピーの人々。同じ遺伝子を持つ人間の事を我らはレプリカントと呼んでいます」

「レプリカント……」

 問題なのは名前ではない。何故、同じ遺伝子を持つ人間が多数必要だったのか、である。

「あなたの遺伝子を使っているのよね?」

 カラシナの質問に先生は、「半分、正解です」と答えた。

「正しくは、私の遺伝子でさえ、先人達の造り上げてきたレプリカントの末裔でしかない。その反動か、私のようなオリジナル個体はテロメアが短いのです。本来の年齢と一致していない。私は、こう言うと困惑されるでしょうがあなたよりも生きてきた年月は少ないのです」

 思わぬ告白にカラシナは戸惑うしかない。目の前の相手は自分よりも年上に見えるが、実際にはどれだけの年月しか生きていないのだろう。それで「先生」を名乗らねばならなかった彼女の生き方の歪さにカラシナは胸を締め付けられる。

「じゃあ、この子達は……」

「レプリカントの遺伝子と、ポケモンの遺伝子を掛け合わせた、ポケモンと人間の境界を冒す者達です。ですが、これも失敗作でした」

 失敗、という言葉にカラシナは子供達を見やる。誰もが皆、無機質な視線を向けていた。

「失敗、って言うのは」

「個体ごとのばらつきが激しいのです。ポケモンの遺伝子を入れたからと言って、誰もが同じように力を行使できるわけではない。我々はA判定からE判定まで子供達を振り分けました。ここにいる子供達はB判定以下です」

 そのような非情な烙印を子供達に押したネメシスの大人達もそうだが、ポケモンの遺伝子を望まずに組み込まれた子供達の、何と哀れな事か。カラシナは、「この子達の寿命は」と訊いていた。

「ポケモンとの同調によって寿命にばらつきが出るでしょう。判定が高いほど寿命は長いはずです。私は、ポケモンの遺伝子は組み込まれませんでしたがC判定。この子達にも劣ります」

 つまりポケモンを扱う上で、これ以上ない逸材達というわけか。だが、カラシナには疑問が残る。

「B判定以上の子供は、生まれなかったの?」

 生まれなかった、と言って欲しかった。そうでなければ、その子供は――。

 先生は、「一人だけ」と言葉を発する。

「一人だけ、生まれました。A判定の子供が」

「キクコだよ」と子供の一人が告げる。カラシナは視線を振り向けた。子供達は顔を見合わせて、「キクコだけだよね」と頷き合う。

「Aなのは。ボクらはBやCの子達」

「でもキクコみたいなどん臭い奴がAなんて面白くないからさ」

「いっつもみんなより遅れていたしね」

 カラシナは子供達の無邪気な言葉の中に、大人の邪悪の深淵を見た。

「……キクコちゃん、なんですね。A判定の子供は」

 先生は嘆息を漏らし、「ええ」と頷く。ならばヤナギの心惹かれていた少女は。ユキナリが行動を共にしていた少女は。

「はい。キクコこそがネメシスの要。彼女が全てのバッジを取得すれば、何の問題もない。そうする事で調和が生まれ、歴史の通りに事が進むのならば」

 カラシナは先生の胸倉を掴み上げていた。子供達が一斉に先生を呼ぶ。カラシナは自分の胸のうちから漏れ出す熱に任せて声を発していた。

「そんな事のために、命を冒涜したの? そんな、歴史一つのために、生み出された命なんて……」

 命ではない。そう言おうとして口ごもった。今もまた、生きている命。ヤナギが特別な意味を見出した命。それを否定したくなかった。先生は、「仕方がないのです」とだけ応ずる。

「歴史のためならば、人の命一つなど、いくらでも。歴史は何度だって繰り返します。永続する命のために、細胞が作りかえられるのと何ら変わらない。我々は歴史という生命を潤滑に回すための細胞でしかないのです」

 歴史の延命のためだけに消費される命など、と言おうとしたが、それは全ての人類やポケモンに当てはまる。彼ら彼女らの命は一刹那だが、繋ぐ事で永続する。ある意味では消費こそが、歴史や生命を巡らせるために必要な事なのだ。

「それでも……、それでも!」

 カラシナの声は無意味に響き渡る。怒りとも、悲しみともつかない感情が胸の中で暴れ回った。掴んでいた手を離させ、先生は言葉を続ける。

「しかし、我々は歴史を回すためだけに存在する。ヘキサやロケット団は違います。やがて来る滅び、その回避のためにヘキサは特異点を抹殺しようとしている」

「……何ですって?」

 特異点の抹殺。それが意味するのは歴史の通りに物事が進まないという事。だがそれ以上に、自分の属していた組織が少年一人を抹殺するために存在していた事が信じられなかった。

「そんな、馬鹿な事が……」

「まかり通るのですよ。オーキド・ユキナリを殺せば滅びを誘発する一因が減る。ロケット団は存続しますが所詮一組織に過ぎない。いつでも潰そうと思えば潰せる算段なのでしょう。ヘキサは、新たなる歴史を紡ごうと画策する組織。対して、ロケット団の考え方は保守的です。特異点を保護する事で、少しだけ歴史のベクトルを変えようとしている。そのためのサカキなのでしょう」

「さっきも言っていたけれど、サカキは本来、いないはずの人間なんでしょう?」

 先生は首肯し、「あと二十年先に生まれる予定の命です」と告げた。

「それがどうして」

「だから、歪んでいるのですよ。この次元そのものが」

 先生は頭を振りつつ、「どこまでが予言に忠実なのか、誰にも分かりません」と言った。

「もしかしたら私とあなたの存在だって予言通りではないのかもしれない。ですが、我々は行動するしかないのです。それだけが、未来へと繋ぐ事が出来る唯一の道」

 自分の存在そのものでさえ、決められた道筋通りではないのかもしれない。それは不安でもあり、自己存在への懐疑にも繋がる。

 カラシナは改めて問うた。

「ロケット団の目的は?」

「今のところ不明な部分が多いですね。どうして今、ロケット団を興したのか。ヘキサツールを握っている人間ならば無駄な事が分かっているはずなのですが」

 解せない、とでも言いたげな口調にカラシナは、「何となく分かるわ」と答えた。

「ヘキサツールを握っているからこそ、その通りにはさせたくないっていう、今の人間の気持ちが」

 先生はそれに関しては無言を貫き、「もう一つ、不明な事として」と列挙した。

「三体の伝説の確保」

「それは、あたしも不審に思ったわ。どうしてヘキサとロケット団、あなた達とで取り合いみたいな事をしているの?」

「我々は奪い合いに参加した覚えはないのですが、結果的にそうなりましたね。それもこれも、ロケット団が全てを確保しようとするからなのですがその行動に謎は多い。バッジを総取りする意味ならば分かります。ですが、伝説の三体の鳥ポケモンに関しては全く意味不明です。集めたところで、戦力の増強くらいにしかならない」

 どれだけ強いポケモンを揃えたところで制する自信があるとでも言いたげだったがあるのだろう。ネメシス側からしても伝説の三体を揃える意味は分かりかねるようだ。

「あたしにも、全く理解の範疇を超えていた。でも、命じられれば捕らえるしかない」

「うち一体、サンダーを捕獲したのでしたね。その運用に関しては?」

 カラシナは首を横に振った。

「全くよ。何の指示もない」

 それは不思議でならない。いくら実力者であるカミツレに預けられたとはいえ、伝説のポケモンだ。何が起こるのか分かったものではない。

「我々はヘキサによる三体の集結、あるいはロケット団による収集を恐れ、フリーザー捕獲の任を任せましたが」

 先生が天を仰ぐ。すると虹色に乱反射する羽根を持った鳥ポケモンが流麗な翼を広げて舞い降りてくるのが視界に入った。

「上手くいったようですね」

 先生は仮面を被ろうとする。これから降り立つ者達には顔を見せる気はないのだろう。カラシナは一つだけ訊いておいた。

「教えて欲しい。あなたの、本当の名前は何?」

 先生ではない、個人としての名前だ。カラシナはどうしても知っておきたかった。この先生がただ人の命を弄ぶだけの人間だと断じたくなかったのもある。

 先生は紫色の紅の引かれた唇で名前を紡いだ。

「――キクノ、というのが私の名前です」

 キクノはその一言だけを呟き、仮面を被った。間もなく降り立ってきた人影にカラシナは瞠目する。そこにいたのは優勝候補の一角、イブキと誘拐されたはずのマサキだったからだ。

「どうして、あなた達二人が……」

「シロナ・カンナギ……? 何で、あなたがここに」

 お互いに疑問を氷解させる必要があるのだろう。仮面を被ったキクノは「先生」としての声を張り上げた。

「お疲れ様です、イブキ様。マサキ様。あなた達にも説明せねばなりません」


オンドゥル大使 ( 2015/06/19(金) 20:47 )