第百十四話「闇からの手」
「どういう事なんだ、これは!」
カンザキの怒声に秘書官が困惑する。執務机の上には新聞があり、そこには「シルフカンパニー崩落」の記事が踊っていた。
「わ、私に言われましても……」
出資している企業の事実上の崩壊。それはこのポケモンリーグを管理するカンザキからしてみればあってはならない事だった。だが、カンザキの頭を悩ませているのはそれだけではない。
この崩壊に関わっている人物だった。
「すぐに車を用意しろ! 私がヤマブキへと訪問する」
今、カンザキはセキエイ高原から抜け出せない立場にいる。それを知っている秘書官は渋った。
「しかし、執行官自ら首都へと赴かれれば混乱は増すばかりです」
「だがこうやってセキエイに居座っていても何も好転せんだろう!」
執務机を叩きカンザキは怒りを露にする。前情報の信用度を確認するためにも、ヤマブキシティに直接行かねばならない。秘書官は、「しばしお待ちを」とスケジュールとのすり合わせを確認するために部屋を出て行った。秘書官の気配が消えてからカンザキは呟く。
「……そんなはずはない。ヤナギが、これに関わっているなどと」
机の引き出しに届いた手紙を手にする。そこには自分の息子であるヤナギがこのポケモンリーグを牛耳ろうとする組織に属している事、シルフカンパニービル倒壊の張本人である事が綴られていた。締めには、「この事を公表されたくなければヤマブキへと赴け」という脅迫じみた文言がある。事の真相を確かめるためにもカンザキはヤマブキへと行かねばならない。
「ヤナギが、関係しているはずがないのだ」
扉をノックする音が響く。カンザキは、「入れ」と荒々しく口にする。すると現れたのは意外な人物だった。
「……君は」
「お久しぶりです。カンザキ執行官」
そう会釈したのはスーツを着込んだヤグルマであった。久しく見ていなかった顔に、「何をしていたんだ」と真っ先に口を開く。
「いや、ジムリーダー殺しの一件、分かった事があったので報告しようかと」
「何だって?」
ジムリーダー殺し。それはタケシ以降起こっていないものの、殺人そのものは終結していないとの見方であった。それに関しての情報にカンザキは飛びついた。
「何が分かったのだ?」
「ここでは少し」とヤグルマは憚ってから、「他の部屋は?」と問う。
「そりゃ、もちろんあるが……」
「ならばそちらで」
ヤグルマは歩き出した。カンザキも部屋を出て歩きながら尋ねる。
「で、何が分かった?」
「いえね、相手のやり口と過去にあった事件を照合したのですが」
「犯人像が割り出せたのかね?」
「ええ、そりゃもうぴったりに」
ヤグルマが並ぶ部屋の中の一つへと目線を配る。秘中の秘の話ならば、とカンザキは頷き部屋に入った。
「それでどのような事が分かったのだね?」
「ええ、はっきりした事は一つ」
ヤグルマはモンスターボールを抜き放っていた。それを解する前に飛び出してきた影がカンザキの胸を一突きする。思わず声を詰まらせているとヤグルマは冷たい眼差しで言い放つ。
「カンザキ・ヤナギの確保のためには、あなたの身柄が絶対に必要だという事」
ヤグルマの繰り出した影は金色の棺の姿を取ったポケモンだった。背後から伸びた手の形状の影が胸を貫いたのである。カンザキは呼吸音と大差ない声で、「何を……」と呻いた。
「お教えしますと、カンザキ・ヤナギの戦力的価値は我々としても手放したくないところ。彼ならば、特異点を破壊する事も可能でしょう。そのために、あなたには生きたまま朽ちていただく」
意味が分からないでいると突然、突き刺された胸の部分から激痛が走った。見やると血は出ていないが、服ごと乾燥しているのだ。異様な光景にカンザキが息を呑む。
「我がデスカーンは触れた相手にミイラ状態を約束する。ミイラになっても意識はあるものです。あなたの身柄を盾に、カンザキ・ヤナギには裏切れないように追い詰めさせる」
「どういう、意味だ……。ヤナギが何を……」
「彼は知り過ぎている。そして、重要な戦力であるサンダーに近い。この状態で彼とあなたの命を天秤にかけた結果、あなたは最悪死んでもいいとの結論が出ました」
カンザキはヤグルマの足元へと手を伸ばし、「お前が……」と掠れた声を出した。
「殺してきたのか」
「失敬な」とヤグルマが蹴り払う。
「私が殺したなどと。ジムリーダー殺しに関しては全くの別です。いえ、彼に関しては別とも言い切れないのですが、あなたに関しては関係のないところ。我々が近づいたのも、全て、カンザキ・ヤナギという事象を手の内にするため」
「事象、だと」
息苦しい。今にも意識が閉じそうであった。ヤグルマは、「ミイラになるだけです。死にはしない」と首を振った。
「どうか意識を手離さないでください。あなたが死ねば、ヤナギは我々を恨みますから」
「何のために、私に、接触を……」
「最初は、そうですね、このポケモンリーグに潜む闇を暴くため。これは嘘ではありません。実際、仮面の人々に関する情報が欲しかった。だからあなたに近づきました。バッジに関する情報も不透明でしたからね。ですが、あなたの情報網はもう古い。前線に出ているヤナギのほうがよっぽど情報源としては役立つ。我らヘキサから逃れられないように、あなたにはミイラとして身柄を確保させていただく」
棺おけのポケモンが手を伸ばす。その時、窓が割れ誰かが割って入った。ヤグルマが振り返り、「何奴?」と聞いた時には、自分の身体は放たれた水の膜に包まれて相手へと渡っていた。