第百十二話「選ばれし者」
テレポートで転送された先はそのまま直通でふたご島最奥の場所だった。それだけでも疑うべきなのに、行き遭ったのが恐らくはロケット団の精鋭部隊だと言うのは何かの冗談に思えた。
だが、サカキ、それにゲンジという見覚えのある人物がフリーザー捕獲に向けて動き出している。この事態を目にして、最早疑いようがなかった。ロケット団もネメシスと同様、あるいはそれ以上の預言書を有していると。
しかし、イブキからしてみればそれよりもこの実力者二人を撒いて、フリーザーを捕獲出来るのか、という懸念が先に立つ。先生から渡されたボールはたった一個。無駄には出来ない。ゲンジは高らかに正体を宣言した自分へと戸惑い混じりの声を向けた。
「どういう事だ? ドラゴン使いのイブキ、お前はこちら側の人間のはずだ」
そのはずだった。ロケット団精鋭部隊として組み込まれていたのだが、まさかネメシスの仮面をつけて現れるとは自分でさえも予想していなかった。それが敵対という形となるなど。
「言葉通りよ。キシベ、はいないのね」
恐らくは最も安全な場所にいるはず。だがサカキに何の首輪もつけていない事が気になる。キシベにとってサカキの死は最もあってはならない事象のはずなのに。あるいは、サカキが死なないという自信でもあるのか。
「姐さん。あかんで、真っ先に喧嘩を吹っかけるなんて」
後ろに続いたマサキが仮面を外さずに歯の根を震わせる。イブキは、「黙ってなさい」と言ってからゲンジへと視線を戻した。
「何が目的だ。ネメシスとは何だ?」
ゲンジは知らされていないのだ。サカキは、というと最初に自分達の存在に気づき攻撃を中断した当たり情報は行き渡っているのかもしれない。
「何の真似だ。イブキ」
自分よりも年上に対してサカキは気後れした様子もない。イブキは、「あんたも」と口を開いた。
「分からない奴ね。そこまで知っていながら何で、キシベの下になんてついているのか」
「俺はキシベの下についた覚えはない」
「じゃあ自然に、って事。操られている自覚のない操り人形なんて、滑稽ね」
イブキの挑発にサカキは青筋を立てる。サカキの実力は折り紙つきだ。ここで暴れさせて、その真意を見る。それがイブキの目的だったがサカキは身を翻した。
「どこへ行くの?」
呼び止めようとしてもサカキは応じない。ゲンジが駆け寄って肩を引っ掴んだ。
「何をしている! フリーザー捕獲が最優先だろう?」
掴んだ手をサカキは振り払う。その眼に嫌悪の色を浮かべて。
「俺に、触れるな」
その言葉の激しさにゲンジでさえも気圧された様子だった。サカキは佇まいを正し、「キシベに報告する」と背中を向けた。
「ネメシスなる組織の存在。俺も初耳だったが、もうイブキという駒は用済みである事だけは確かだな。俺がここで戦って手を晒すのは面白くない。やるのならばお前らで勝手にやれ」
サカキは道を戻っていく。イブキはモンスターボールのボタンをマイナスドライバーで緩め、「逃がさない!」と声を張り上げた。
「ハクリュー!」
背中を向けたサカキへとハクリューが肉迫するが、それを遮ったのは意外な影だった。
「タツベイ!」
出現したのは水色の矮躯だ。タツベイ、と呼ばれたポケモンが青い光の爪を纏い、ハクリューを受け止める。
「何を!」
「サカキ。お前は一応俺達の要だ。ここで死ぬようなことはあってはならない」
ゲンジの声にもサカキはまともに取り合わず去っていく。イブキはハクリューへと攻撃を命じた。
「ドラゴンテール!」
「クローで受け止めろ!」
間断を縫うようなハクリューの尻尾による刺突もタツベイは問題なく受け流す。青い光の爪を両腕に展開したタツベイの動きに熟練者のものを感じ取る。
「イブキ。俺にも分からん事が多いが、ロケット団を裏切った事だけは確かなようだな。お前の知っている事、教えてもらうぞ」
ゲンジも真実を知るために戦っている様子だった。手を組む、という生易しいものが通用する領域ではないだろう。イブキは事前に示し合わせた通り、マサキに命じる。
「フリーザーの氷を解析して、融解させなさい。その後にボールでの捕獲を試みる」
「あいよ。本当に人遣いが荒いわ」
マサキはノート端末を取り出し、フリーザーの氷の皮膜へと電極を当てている。自分とていつ凍結の餌食にされてもおかしくはない。だが、フリーザーを捕まえるためには接近しなくてはならなかった。ロケット団の妨害に遭わないためにも彼らを遮る形で現れるのが一番なのだ。
「……頭で分かっていても、こう目の前にするとね……」
身が竦む。これが伝説の威容か、と肩越しに確かめる。
「余所見をしている場合か?」
差し込むような声にイブキは肌を粟立たせた。ハクリューへと攻撃を命じる。
「龍の波導!」
ハクリューが青い光の輪を次々に展開し、その中央を突破する光を口から吐き出す。タツベイはドラゴンタイプのはず。ならば、ドラゴンの攻撃で攻めるべきだと感じたのだがその戦略は既に読まれているようだった。タツベイは軽いフットワークでかわしながらゲンジの指示を待つ。
「タツベイ、一段階進化」
その声にタツベイの頭部にある甲殻が発達し始めた。頭部だけではなく背中から伸びた甲殻がタツベイを包み込もうとしている。これが話に聞いていたゲンジの戦略、戦闘中に進化させる戦いか。イブキは歯噛みして、「進化の隙を与えないで!」とハクリューへと命じた。
「ドラゴンテール!」
ハクリューが接近してタツベイを穿とうとする。タツベイは四方向から展開する甲殻を盾に使い、中世の剣士さながら「ドラゴンクロー」による攻撃を行ってきた。ハクリューが間一髪でかわすがその間にも進化の隙を与えている。身を躍らせたハクリューは畳み掛けるように尻尾を打ち下ろす。しかし甲殻が上手く防御した。
「戦い慣れているわね」
「嘗めてもらっては困るな。対ドラゴン戦は常に想定している。それにしても、何故、裏切った? イブキ」
ゲンジの声に、「あんたに言っても分からないでしょうよ」と応じる。ゲンジは鼻で一蹴した。
「理由なき反逆など、無意味なだけだぞ」
理由ならばあるが、ここで懇々と説いたところで意味はない。それよりもフリーザー捕獲だった。タツベイの進路を阻みながらハクリューが天上へと昇り、一気に落下攻撃を仕掛ける。
「ドラゴンダイブ!」
青い光を身に纏った体当たりはしかし、タツベイの甲殻が一枚剥がれた事によってあえなく防がれた。
「甲殻を、剥がす……?」
「タツベイの身体は代謝が速い。一枚程度、剥がしたところで痛くも痒くもない」
その言葉通り、剥がれた箇所からすぐさま甲殻が生え変わってくる。「ドラゴンダイブ」の攻撃は皮膚から剥がれた甲殻一枚を破壊するに終わった。白い甲殻が分散する中、立ち現れた姿に息を呑む。
「進化している……」
タツベイは四枚の甲殻に身を包み、四足で這い進む鈍重そうな身体になっていた。今ならば、とハクリューで仕掛ける。
「龍の波導!」
光の輪が連鎖し波導攻撃を相手へと浴びせるが、タツベイの進化した姿は甲殻を持ち上げて「りゅうのはどう」をいなした。
「さっきみたいに使えるって言うの」
「汎用性は高い。その合間からドラゴンクローだ、コモルー」
コモルーと呼ばれたポケモンは甲殻の合間から水色の手を伸ばし、青い光の爪を展開する。四足とは別の、もう一本の腕に判断が遅れた。
「隠し腕?」
コモルーの攻撃がハクリューへと突き刺さる。ハクリューは激痛に身悶えした。
「ハクリュー!」
「このまま引き裂いてしまえ」
ゲンジの指示にイブキは、「させない」と手を薙ぎ払う。
「ドラゴンテール、連撃!」
ハクリューが尻尾を突き上げたかと思うと、音を切る速度でコモルーへと突きを放った。コモルーは咄嗟的に甲殻を守りに使おうとするが、それよりも速い。合間を縫って「ドラゴンテール」が本体に突き刺さる。
「このまま引きずり出してやる!」
突き刺さった部分から力を込めてハクリューが内側にいるタツベイを引き出そうとする。だが、「それには及ばない」とゲンジは応じた。
「既に進化は完了している」
その意味を解す前に甲殻を突き破ったのは赤い翼だった。瞬く間に甲殻を押し出していくのは水色の巨体だ。突き刺さったといっても一部分でしかない。最早、コモルーの内部で育っているのはタツベイではなかった。
「これは……」
「タツベイの最終進化系、ボーマンダ」
甲殻を自ら噛み千切り、ボーマンダと呼ばれたポケモンが内部から出現する。ハクリューは完全に勢いを削がれた様子だった。
「最終進化……」
「一撃で決めるぞ。ドラゴンクロー!」
ゲンジの声にボーマンダは赤い翼を羽ばたかせる。旋風が刃となりハクリューへと突き刺さった。ハクリューから力が失せていく。至近距離で放たれたドラゴンタイプの技に防御さえも追いつかなかった。
「ハクリュー!」
駆け寄ろうとするイブキの眼前へとボーマンダが降り立つ。その眼からは殺意が溢れ出していた。
「もう詰みだ。ハクリュー程度では、俺には勝てない」
イブキがハクリューへと手を伸ばそうとするがボーマンダは威嚇してそれを制する。
「そこの男」
その声にマサキが肩を震わせた。
「わ、ワイでっか?」
「お前しかいない。フリーザーの氷を融かそうとしているのならば、こちらに渡せ。そうすれば命だけは助けてやる」
その声にマサキはノート端末を守るように手を掲げた。
「言うて、ワイかて命張りたくないんや。けれどな、まだ姐さんが諦めてへんのやったら、ワイが投げるわけにはいかんねん」
「何を、諦めていないなど……」
「ドラゴンテール!」
ハクリューが尻尾を突き上げボーマンダの頬を切る。鋭い傷跡がボーマンダの顔に刻まれた。
「悪あがきか」
「最後まで足掻くの。それこそ私が生きるために取った道。ハクリューと、最後の最後まで戦わせてもらうわ。私達は相棒同士だもの」
決意は揺るがなかった。ここで逃げ出すくらいならばロケット団を裏切り、ネメシスに転身してまで真実を追い求めた意味がない。自分は知る必要があるのだ。ロケット団とヘキサ、ネメシスが何を考えているのかを。ゲンジは怒りに頬を震わせた。
「小手先の攻撃だ。ボーマンダ、逆鱗で踏み砕け!」
ボーマンダの内部骨格が赤い燐光を帯び、全身から攻撃の波長が発振される。イブキはそれでも背中を見せなかった。それこそがドラゴン使い、フスベタウンの矜持だからだ。
「……何や、これ。姐さん! 氷が震えて……!」
そこから先の言葉を聞き取る前に振り返ったイブキの目には吹き飛んだ氷の皮膜が映っていた。自らを守護していた氷の皮膜から抜け出たのは虹色に映る羽根を持つ流麗な鳥ポケモンである。巻いたような尾をはためかせ、フリーザーが降り立つ。それはちょうど自分とボーマンダの間だった。
「割って入るというのか、野生のポケモンが」
ボーマンダが怒りに震えた咆哮を発し、全身これ武器という光を生じさせながらフリーザーへと突っ込む。だがフリーザーは落ち着いて、片翼を開いた。その瞬間、肉眼では捉えられないほどの速度で氷の刃がボーマンダへと突き刺さった。ボーマンダが翼を裂かれ、後ずさる。たった一撃だ。それだけでボーマンダの、あの堅牢そうな翼に傷が走った。
「何を……」
ゲンジでさえも理解出来ていないようである。当然、イブキにはどうしてフリーザーがこの戦闘に介入するのか分からなかった。だがフリーザーはイブキを一瞥すると、まるで守るように翼を広げボーマンダを威嚇する。嘴から甲高い鳴き声が発せられた。
「間違いあらへん! 姐さん、このポケモンは姐さんの心に反応したんや!」
崖の上で今しがたまでフリーザーの氷を解析していたマサキが叫ぶ。イブキはわけが分からず振り返っていた。
「私の、心……」
「伝説の鳥ポケモンは自ら主を選ぶと聞く。姐さんは、フリーザーに選ばれたんや!」
にわかには信じられない言葉だった。それはゲンジとて同じのようで、「何故この局面で」と呻いた。
「イブキを選んだ。伝説の一角よ!」