第百十一話「ふたご島揚陸作戦」
ゲンジは船乗りの帽子を上げて作戦概要を聞き返す。
「キシベ。お前の目的はフリーザー捕獲。そうと考えていいのだな」
抜き身の刃を思わせる声音にもキシベは淡々と返した。
「何か不満かな?」
「不満と言えば」
ゲンジは手で弄んでいるボールに視線を落とす。赤と白のカラーリングだった。ロケット団が開発に着手していた新型モンスターボールだ。だが、これは先行量産型。つまりいずれは一般流通が約束された代物である。
「こんなもので伝説と謳われるフリーザーを捕まえられるのか」
ゲンジの疑問にキシベは、「スペック上は既存のボールを上回る」と答える。それは数値上の話だろう、とゲンジは憤りたくなったが、数値の話になればキシベのほうが上手だった。
「ボールの量産体制、及び開発責任は八代目ガンテツが残したものだ。そう悪いものではないだろう」
「その八代目、裏切ったのだろう?」
八代目ガンテツ、シリュウと言う男は自分達精鋭部隊に加わっていない時点で、シルフビル壊滅のどさくさに紛れて逃亡したか、あるいはキシベが見限ったのだろう。敵対組織に売られれば困る技術。殺したという線も捨て切れないかもしれない。
「未確認だ。だが、我々に残されたボールはきちんとノルマを達成している。開発部門や技術部門もきちんと引き継いだ。最早、彼個人が必要なのではない。ロケット団と言う、もっと大きく包括的な組織が必要となるのだ」
暗にシリュウ殺害を黙認する言葉かと思われたが、キシベからしてみればもっと巨大な企みがあるに違いない。ゲンジは何度目か分からない視線を狭い船室にいる人間に向けた。
刈り上げた短髪の少年で、涼しげな眼を細めて舷窓を眺めている。
サカキ。自分が煮え湯を呑まされた相手。いや、それ以上に、ロケット団がシルフを捨ててでも自分のものにしようとしているトレーナー。ゲンジには未だにサカキがどれほどまでに重要なのか分からなかった。たかが優れたトレーナー少年一人、誰でもよさそうなものだ。どうしてサカキという少年でなければならないのか。それだけが依然不明である。
「揚陸作戦は、頭に入っているかね?」
キシベの確認の声にゲンジは、「もう何度も」と答える。
「耳にたこが出来るレベルだ。島の最奥にフリーザーがいる事はエンジニア達が解析しているのだろう?」
ふたご島の最下層に高密度エネルギーが存在しているのだという。自分達は、それを捕獲するために身一つで飛び込まねばならない。これはロケット団と言う組織がシルフを見限ったせいだ。もし、シルフの力添えがあったのならばもっと容易くふたご島へと潜入出来たかもしれない。
泡沫が舷窓に映る。自分達のいる場所を再び自覚する。
水深五十メートル付近。最新規模の潜水艦に乗り込み、お互いに息が振りかかる距離を自覚しながらふたご島へと慎重に至ろうとしている。ポケモンの「なみのり」や「そらをとぶ」を使わないのはシステムに自分達の動きが察知されるのを防ぐためだ。形式上、サカキも自分も、まだポケモンリーグの範疇に収まった行動しか出来ない。自分の視線を認めるとサカキは鼻を鳴らした。
「潜水艦で揚陸とは、面妖な事だな」
ゲンジはサカキから顔を背けて呟く。キシベは、「何ら不思議ではない」と答えた。
「ポケモンの技によるショートカットを防ぐ、というシステムが全域に張られている以上、我々の動きを極秘とするためには機械に頼らざるを得ない」
「その機械だって、見た事のないものばかりだ」
一体どこから、と皮肉を利かせようとしたが、キシベは、「詮索は野暮だよ」とそれを制した。
「シルフカンパニーから搾れるだけ搾り取り、我々はこの力を手に入れたわけだ。我らを脅かすものなど、最早存在しない」
強気な発言にゲンジは口を差し挟む。
「予想外の事は起こるものだ。いつだってそうだろう」
もっとも、キシベからしてみれば予想外と言うものからは縁遠いのかもしれない。自分とユキナリの出会いすら仕組まれていたのだから。
「肝に銘じておこう」
キシベの言葉の後、「浮上準備にかかります」と声がかけられた。全員が浮上準備を開始する中、サカキはキシベに何かを呟いた。それに対しキシベが、「ナンセンスだ」と答える。そのやり取りの全貌までは分からなかった。
鍾乳洞には冷気が満ち満ちている。氷の伝説のポケモン、フリーザーの棲み家とはさもありなん、とゲンジはふたご島の印象を決定付けた。この冷気では自分のドラゴンタイプもそう長々と居座る事は出来ないだろう。冷気で表皮がささくれ立つ前に、短期決戦を決めなければならない。
その点でいえば地面タイプの使い手であるはずのサカキも同じはずだったが、彼は気に留めている様子もない。精鋭部隊である人々は一様にモンスターボール装備で緊急時のライフジャケットのみを着用している。もしもの時には浸水も考えられたからだ。だが、最奥にフリーザーがいるとなればまず助からないだろう。命を賭した戦いに違いなかった。
「先行部隊が既に道を切り拓いている。我々は前へと進むぞ」
精鋭部隊の隊長が声を張り上げる。内部にくぐもって響いた音声にゲンジは無心に脚を動かした。先行部隊のお陰で最奥に通じている穴には梯子がかけられている。降りると、急激に体温が奪われた。一瞬、視界が暗転しかけるが持ち直し、ゲンジはその根源を視界に入れる。
「これが……、フリーザーか」
伝説の鳥ポケモン、と聞いていたのでゲンジは洞窟を自在に飛び回るポケモンを想像していたが、鎮座していたのは巨大な氷の中に自らを封印した鳥ポケモンであった。見方によっては虹色に変化する翼が美しい。思わず感嘆の吐息が漏れる後続部隊の人々にゲンジは発破をかけた。
「この氷を融かさなければ捕獲出来ない」
前へ、と声を上げようとすると氷の彫像がそこらかしこに据えつけられていた。どうしてこんな場所に彫像が、と窺った瞬間、愕然とする。氷の彫像と見えたものは先行部隊の人間達であった。彼らはポケモンリーグに参加してないがゆえにポケモンの技で渡ってきたのだろう。当然、腕に覚えのある人々ばかりのはずだ。だが、彼らは一様にモンスターボールの投擲姿勢のままで凍結させられていた。
「まさか……! これは」
ゲンジが咄嗟に飛び退くと先ほどまで自分がいた空間を何かが絡め取り、瞬く間に温度を奪っていった。空気が凍結し、その凍結速度に振動する。
「フリーザーが生きているのか」
あの状態で、と含めた声に、「生きていても何ら不思議はない」と答えたのはサカキだった。
「伝説の一角だ。あれは封印されているのではなく、自らを守るために形成した保護膜とでも言うべきか」
氷の保護膜はモンスターボールなど通しそうにない。かといって攻撃可能な距離まで近づけばトレーナー本体を狙ってくる。打つ手なし、とはこの事か、とゲンジは歯噛みしたがサカキは、「試してみるか」とホルスターからボールを抜き放った。
「いけ、ニドクイン」
水色の巨躯が繰り出され、ニドクインが着地する。だが、攻撃範囲に入ったものは何であろうとも凍結させられてしまう。ニドクインもその洗礼を受けようとしたがサカキは落ち着き払って声にした。
「冷凍ビーム」
ニドクインが腕を突き出して構え、三本の指で冷気をコントロールしてビームを発射する。その攻撃にフリーザーの冷却攻撃が止んだ。サカキは、「なるほど」と頷く。
「攻撃し続けていれば、向こうから攻撃は出来ない。あれはやはり保護膜なのだ。所詮は防御のためのもの。攻撃に転じるほどの器用さもない。野生のそれか」
一瞬にしてそこまで見抜いたサカキにゲンジは舌を巻く。サカキは、自分は決して射程へと近寄らなかったが「れいとうビーム」でじわじわとフリーザーの体力を奪っていく算段なのだろう。同じタイプの攻撃でダメージを与えるというよりかは相殺しているのに近い。この場での冷却エネルギーを拮抗の状態に持ってきている。やはりただのトレーナーではないと再確認してからゲンジはタツベイを繰り出そうとする。
その瞬間、「させない!」と声が響き渡った。
ニドクインの放つ光線の前に二つの人影が降り立った。ニドクインにサカキは攻撃の中断を命じる。降り立った影の異様さに気づいたのだろう。
「何者だ?」
サカキの問いかけに相手の二人組は答える。
「ネメシス、と名乗るのが正しいでしょうけれど、あなた達にはもう正体は露見したも同然でしょうし、答えるわ」
結った水色の髪を振るい、その影はカツンとヒールの音を響かせた。顔には七つの眼を有する仮面を被っていたが、それを取り払い、彼女は宣言する。
「フスベタウンのドラゴン使い、イブキ。推して参る!」
その声は洞窟の中に朗々と響いた。