第百七話「二人の距離」
「その、モンスターボールはどこで手に入れたんですか?」
ユキナリはまず聞かねばならないと感じていた。アデクの持つモンスターボールはロケット団やシルフの人間が持つ新型だ。どこで入手したのか。もしかするとロケット団と繋がりがあったのではないかと邪推させる。アデクはユキナリのそのような懸念を吹き飛ばすように、「受け取ったんじゃ」と答える。
「受け取った?」
それは奇妙な響きだった。やはりロケット団か、と身構えたユキナリへと、「おいおい、変な意味じゃないぞ」とアデクは手を振った。
「でも、そのモンスターボールは一般流通していないみたいなんです」
その言葉にアデクは顎を手でさすりながら、「じゃあ誰だったんかのう……」と呟く。
「誰って、手渡しじゃ」
「いんや、郵送だった。差出人不明の荷物だが、オレ宛だったから受け取っておいた。中に手紙が入っておってな、新しいモンスターボールを参加者全員に支給する事になりました、って書かれておったが」
「そんなはずは……。だって、新型は出回っていない」
誰かがアデクに新型を渡したのだ。しかし受け取るアデクもアデクである。どうして疑わなかったのか。ユキナリの弁に、「モンスターボールくらい、何でもないやろう」とアデクは答える。違うのだ。そのモンスターボールがのっぴきならない事態を起こすかもしれないのである。
「あたしも新型ほしー。だって戻す時とか出す時とか楽チンだしカッコよかったし!」
ナタネが後ろ向きに歩きながら口にする。ユキナリは、「そのうち流通するよ」と答える。もちろん、それにロケット団が関わっているとは言えなかった。
それよりも先ほどから無言なのはナツキとキクコだ。ナツキはどうしてだか口を閉ざしている。それほどまでにナタネを仲間にしたのが気に入らないのか。キクコはというとタマムシジムからその先、ずっと無言である。エリカに何か言われたろうかと考えていると、「しかしユキナリ」とアデクが肩を突いた。
「お前さんも人の事言えんだろう。何じゃ、そのボールは? 奇怪だからあえて触れなかったが……」
GSボールの事をアデクには説明するべきか迷ったが、ユキナリは正直に答えた。
「あの、ボール職人の一門の方に行き会って」
掻い摘んで説明すればボール職人であるガンテツに気に入ってもらえたからボールを手に出来た、という話だった。アデクは飽きもせず、「なるほどなぁ」とGSボールを眺めた。
「操作方法は新型と同じか?」
「ええ。新型のほうが使い勝手はよさそうですけれど」
「手の馴染み……、これは使うトレーナーを想定した作りや」
アデクほどのトレーナーとなると分かるのだろう。ユキナリは、「特別測量してもらった記憶はないですけれど」と言った。
「こいつは測量器具やらを必要とせん、目分量で作った奴やな。目測だけでお前さんの投擲の癖、指をどこに添えるのか、どこに力を込めるのかさえも計算され尽くしている。正直、恐ろしい完成レベルだな」
その完成レベルでも不完全なのだから驚愕である。ユキナリは次にガンテツに会う時にでも聞いてみようかと考えたが、ガンテツの言葉には重みがあった。
――完成させてはいけないボール、か。
ガンテツは八代目、シリュウと名乗った男を追っている。恐らくは道中出会う事もないだろう。シリュウがロケット団の人間であったのか、あるいは他の組織の人間であったのかは分からない。ただ、あの男は邪悪だとユキナリの本能が告げていた。
「ガンちゃんは、僕に託してくれたんです」
「なるほどな。まぁ、オレには推し量る事しか出来んて。あんまり口挟むのも無粋だし」
アデクは宿屋の前に着くなり、「いい外装しとるな」と感想を漏らした。
「アデクさんは、到着したばかりだったんですか?」
「ああ、ほとんど着の身着のままでな。そのお陰か、タマムシジム以外目に入っておらんかった感じではある。よくよく見ると、このタマムシシティ、いい街じゃのう」
アデクが眺めているのは白亜の百貨店やマンションなどだろう。ユキナリは同じ目線になって尋ねた。
「イッシュにはなかったんですか?」
「ヒウンシティって言う大都市はあったが、オレに関して言えば無縁でのう。優勝候補とおだてられてから一度訪れたが、円形の街で好きにはなれんかった」
「円形の街ですか。カントーにはない地形だな」
ユキナリが微笑むとアデクは、「まぁ、チェックインしようやないか」と宿の受付でチェックインを済ませ、別室へと案内された。ユキナリはナツキと共にポケモンセンターに向かう。お互いに傷ついたポケモンの回復が必要だった。
「負けちゃったな。カッコ悪い、ナツキを助けるつもりで割って入ったのに」
結果的にアデクにいいところを取られた形となる。ユキナリが苦笑すると、「でも、嬉しかったわよ」とナツキはユキナリへと笑顔を向けた。その笑顔がどこか見知った幼馴染の笑顔ではないような気がした。何か内に秘めているような含みがある。
「……何か、心配事?」
ユキナリの声にナツキは一瞬だけ肩を震わせた。だがすぐに持ち直し、「何よ、何にもないわよ」と言ってのける。だが、ナツキは明らかに無理をしているのが分かった。ユキナリは足を止め、「ポイントの事なら」と口を開く。
「そんなに気に病む必要はないよ」
「ああ、うん。ポイントならね」
どこか含んだような言い回しだった。ポイントならばまだよかった、とでも言いたげな。ユキナリはナツキへと声をかける。
「何かあったの?」
「だから何にもないってば」
ナツキは笑い飛ばそうとするが、ユキナリが真剣な眼差しを向けていたからだろう。「……隠し切れない、かな」と呟いた。
「何かあるの?」
「いや、大した事じゃないのよ。本当に、大した事じゃ」
言い聞かせるような口調だった。ナツキがここまで思い詰める事は何なのだろう。幼馴染であっても踏み込めない感触があった。
「ハッサムなら、充分に強かったよ」
「あ、そうね。ハッサムはよく頑張ってくれたわ」
ポケモンの事ではないのだろうか。ユキナリが問いかけようとすると二人して後ろから抱きつかれた。振り返り驚愕する。
「な、ナタネさん?」
「なーに、やってんだい? 二人とも。ポケモンセンターまでの道を山道みたいにのっそりと歩いて」
「あんたには関係ないでしょう」
いつもの冷たさを帯びたようなナツキの声にナタネは、「もう旅をする仲じゃん」と返す。
「そういう壁はなしで行こうよ」
「あんたみたいに割りきりが出来るわけじゃないのよ。さっきまで戦っていた相手と今度は旅をしなさいなんて」
「でもマスターの言う事は絶対だし」
「キクコみたいな事を言うのね」
ナツキが鼻を鳴らす。いつものナツキだ、とユキナリは不機嫌なナツキに安堵していた。
「そのキクコちゃんだけどさ。何でマスターに挑戦しなかったんだろうね?」
二人の歩調に合わせながらナタネが首を傾げる。ナツキは、「さぁね」と素っ気ない。
「あの子の考えている事は、あたし達でも分からないわ」
「でもナツキ、本能的なものかも、って言っていたじゃないか」
ユキナリの意見に、「本能的なもの?」とナタネが聞き返す。
「ああ、はい。キクコにはそういう動物的勘とでも言うんですかね、それが優れていて、僕らじゃ分からない事でもキクコには分かるんです」
「へぇ、マスターの読心術みたいなものかな」
「離れてもマスターなのね」
ナツキが指摘すると、「どこへ行っても、あたしのマスターはエリカ様一人だもん」とナタネは笑った。
「そのマスターに何で挑戦しなかったのかな?」
「負けるかもしれないって思ったのかもね」
「でも、マスター。君達三人を見た限りでは、一番強そうなのはキクコちゃんだって言っていたよ?」
ナタネの声にユキナリは尋ねる。
「いつ、です?」
「ジムに入る前、あたしが泣いちゃった時だね。お茶を入れているとマスターがそう呟いた。あの子が一番手強そうだって」
「まぁ、事実、キクコちゃんだけ手合わせしていないわけだから彼我戦力差は分からないわね」
どうしてキクコが戦いを躊躇ったのか。ユキナリにはそれがしこりのように残ったが、ナツキとナタネはもう気にしていない様子だった。ポケモンセンターに入ると、三人して回復受付にポケモンを預けた。
受付ではナタネが耳目を集めていた。どうやらジムトレーナーナタネの敗北はセンセーショナルなニュースになったらしい。「新聞記者呼んでくるから、ちょっと待ってな」と街の人々がこぞってナタネに構っていた。
「ああいうの、羨ましいと思う?」
ユキナリが眺めていたからだろう。ナツキが訊いた。
「どうかな。僕は、静かに旅をしたいから」
「静かに旅をしたい、ねぇ。今のところ達成されていないわね」
オツキミ山から先、トラブル続きだ。その割には誰にも取り沙汰されないのが不思議でもあったが、余計なトラブルは持ち込みたくない主義のユキナリからしていればちょうどよかった。
「隠れていたほうがいいかな。ナタネさんが僕らの事を言うかも」
「自意識過剰よ。何でもないように振る舞っていれば、あっちも心得ているでしょ」
ナツキはパソコンを操作し、博士と通信を繋いだ。ナツキの様子にユキナリは頬を掻く。
「つれないなぁ……」
「とりあえずタマムシジムはアデクさんが制した事を伝えないと。今度はセキチクに向かわなきゃね」
「セキチクか。どうやって行けばいいんだろう?」
「馬鹿。それを博士に聞くためにパソコン点けているんでしょう」
どうやらナツキはパソコンが使えるようになったためか、少しばかりユキナリを馬鹿にしている節があった。
「失敬だな。僕だって考えているよ」
「いいわよ、別に。繋がるわ」
ナツキがパソコンに集中していると通信が繋がり博士の顔が映された。
『やぁ、ナツキ君、ユキナリ君。今、二人かい?』
「ええまぁ、今タマムシのポケモンセンターから繋いでいるんですけれど」
『うん。という事はタマムシジムを制したという事かな?』
「いえ、ジムは――」
「アデクさんっていう人が全部持ってっちゃった感じだよね」
いつの間にか背後にいたナタネが顔を出す。二人して仰天していると博士は目を丸くして、『だ、誰だい?』とうろたえた。
「ああ、申し遅れました。タマムシジムのトレーナー、ナタネと申します」
ナタネが恭しく頭を垂れる。博士は二人へと説明を求める目を向けた。
「えっと、実は……」
長い説明になりそうだった。