第百四話「ヒーローは眠らない」
モジャンボは奥にある眼光を鋭くさせ、ツタの腕を持ち上げた。数十本のツタで構築された腕はそれそのものが筋肉のように脈打っている。
「わたくし達に勝利を」
「勝つのは僕だ」
「どうかしら」
モジャンボが腕を振り上げる。ユキナリはそれよりも速く叫んでいた。
「オノノクス、ドラゴンクロー!」
だがオノノクスの反応は鈍かった。黒い瘴気が立ち昇って牙に構築しようとするがそれが霧散する。何かがおかしい。そう感じてユキナリがオノノクスに目を向けると牙に異常があった。
鋼鉄さえも叩き切るほどの威力を誇る扇状の牙が焼け爛れたような色を湛えている。先ほどロズレイドへと命中させた牙だった。
「これは……」
「ロズレイドへの直接攻撃。それが仇となりましたね」
エリカの声にユキナリはうろたえる。
「ロズレイドの特性は毒の棘。ロズレイドに直接攻撃した相手は三割の確率で毒を浴びる事になる」
その事実に驚愕する。ならば、何故、ハッサムは毒を浴びなかったのか。その思考を読んでエリカは答えを口にした。
「ハッサムには鋼があった。毒が通用しないのでしょう」
ユキナリはその段になってようやくナタネの言葉の真意が分かった。受け止めても無駄じゃないとはその事だったのだ。
「オノノクス、攻撃は……」
「毒状態では正確無比な攻撃の指示は熟練が必要。この状態ならばモジャンボのほうが素早い」
エリカは手を流麗に掲げ、モジャンボへと指示を飛ばす。
「さらに言えば、このモジャンボの特性は葉緑素。晴れ状態の時、素早さが二倍になる」
モジャンボがその体躯に似合わない動きでオノノクスへと肉迫する。ユキナリは即座に命じていた。
「ダブルチョップ!」
「遅いですわね」
ツタの腕を伸ばし、モジャンボが「ダブルチョップ」を放つ前に絡め取る。ユキナリは舌打ち混じりに、「だったら!」と手を開く。
「毒状態にないほうの牙でツタを断ち切る!」
オノノクスが牙を振るい上げ、モジャンボへと一閃を放った。だが、バラバラに断ち切られたツタの海の中にはモジャンボはいない。どこへ、と首を巡らせる前に背後の茂みからモジャンボが飛び出した。すかさずその腕を首に巻きつかせる。オノノクスは対応出来ずに仰け反った。
「モジャンボのパワー、嘗めないでいただけます?」
締め上げてくる力は強い。オノノクスの堅牢な表皮でさえも守り切れない。モジャンボがオノノクスをその膂力で振り回す。オノノクスほどの巨体がモジャンボに掲げられている様は奇怪に映った。
「パワーウィップ」
モジャンボがオノノクスを頭上で振り回して打ち下ろす。庭園に振動が響き、オノノクスが頭から落下した。ユキナリは思わず声を出す。
「オノノクス!」
「これだけで沈みますか? それとも、まだおやりになりますか?」
オノノクスは腕を振るい上げ、首を絞めているツタを掴み上げた。力任せにツタを剥ぎ取っていく。オノノクスは健在だった。立ち上がり、全身から黒い瘴気を立ち昇らせる。
「行けるか?」
ユキナリの問いにオノノクスは轟と吼えた。その了承の合図にユキナリは頷く。
「相手は強敵だ。さっきの戦いから既に張られていた。僕らも全力で相手をする」
「全力とは、可笑しな事を仰るのですね。ジムリーダーとの戦いはいつだって全力であるはずでしょう?」
「ええ、そうでした。僕らの認識が甘かった。ジムはジムリーダーの有利に働くように作られている。ジムトレーナーはジムリーダーを補助する役割がある。全て、当たり前のはずなのに、忘れていた。僕らの落ち度です」
「過ちを認めて次の糧にする。その姿勢、とてもよろしいですわ」
「まだまだ、僕らは未熟者ですから」
ユキナリはフッと微笑む。エリカも笑い、「でも」とモジャンボを見やる。
「モジャンボへのダメージは未だにゼロ。それにもかかわらず、オノノクスには断続的に毒のダメージがあります。加えて先ほどのパワーウィップ。急所に当たったと思いますが、どうでしょう。降参する気はありませんか?」
「さらさらないね」
ユキナリの返答にエリカは、「ならば」と笑いを止めて真剣な眼差しになった。
「本気でやります」
モジャンボが動き出す。光を吸い込んでいるのがツタに流れる緑色の血脈から分かった。ツタが半透明になり、一瞬だけ強く輝く。何かを仕掛けてくるのは言うまでもない。
「でも、僕らにはダブルチョップと、ドラゴンクローだけ。オノノクス、悪いけれどこれで戦ってくれよ」
口元を緩めるとオノノクスは呼応して鳴く。息を詰めユキナリは次の攻撃を指示する。
「ドラゴンクロー!」
黒い瘴気が牙の前で球状に凝縮し、先ほどまでの鞭のような一撃とは違う、剣閃を一射させた。ナツキが声を上げる。
「あの時、シルフビルで見たのと同じ……」
ユキナリも狙って出せるとは思っていなかった。ただあの時、自分もオノノクスも極限状態だった。今もそうだ。極限状態に晒された神経が昂り、オノノクスと自分とをリンクさせる。
一射された「ドラゴンクロー」をモジャンボは腕で弾くがその腕がたちどころに断ち切られていく。ツタ同士の連携が甘くなり、ボロボロと崩れた。
「これが、オノノクスのドラゴンクローというわけですか」
ようやく本気を見せた相手が嬉しいのかエリカは微笑みを湛えている。
「ですが、モジャンボはその上を行く」
エリカの声にモジャンボの切られた腕が再生していく。まるでビデオの逆戻しを見せられているかのように鮮やかにモジャンボの腕は再構築された。
「光合成の技。日差しの強い下ならば、回復を約束する」
先ほど光を取り込んだのはそれか、とユキナリは感じたが後悔する暇もない。即座に命令をかける。
「オノノクス、接近してダブルチョップを浴びせるんだ」
下手に距離を取ってもこの地形ではモジャンボの有利に働く。ならばあえて退路を断つ。オノノクスの身体が跳ね上がり、その足が庭園を踏みつけた。モジャンボが腕を伸縮させる。
「パワーウィップ」
「右に避けてその腕を叩き落せ!」
ツタの腕が目の前を突き抜けていく中、オノノクスは恐れずに直前で回避し、手刀を叩き込んだ。伸び切ったツタの腕から力が失せる。
「これで、一本」
「お忘れではなくって? 腕はもう一本ありますのよ」
エリカの声にモジャンボはもう一本の腕を掲げた。その手が開かれ、内部に光の球形を凝縮する。その眩さに一瞬判断が遅れた。輝きを帯びたその手から攻撃が一射される。
「ソーラービーム」
光線がオノノクスへと庭園を焼きながら肉迫する。オノノクスは回避の暇も与えられず、脇腹にその一撃を食らった。よろめくオノノクスへとモジャンボが跳躍する。
「パワーウィップで沈めます!」
いつの間にか力を取り戻していた腕が回り込んでオノノクスを拘束し、先ほど「ソーラービーム」を放ったほうの腕でオノノクスの頭部を鷲掴みにする。
「これで、ラスト!」
「させない! オノノクス!」
黒い瘴気が全身から迸る。しかしエリカは冷静だった。
「頭部を掴んでいます。牙を振り下ろせなければ、ドラゴンクローは成立しない」
「いいや、僕は負けない。負けたくない――」
ユキナリが全身を声にして叫ぶ。
「負けられないんだ!」
その声に黒い瘴気が震えた。微粒子レベルまで拡散した瘴気が渦を成し、モジャンボが引っ掴んでいる腕へと何かを構築していく。黒い瘴気がちょうど上顎と下顎を形成し、その合間にツタの腕を挟んだ。エリカは目を見開き、言葉を紡ぐ。
「何ですか、それは……。黒い、断頭台……?」
ユキナリが力の意思に任せて雄叫びを上げようとする。オノノクスが呼応し、赤い眼をモジャンボに据える。エリカは即座に声を飛ばした。
「モジャンボ、腕を切断して離脱!」
エリカには似つかわしくないような大声で放たれた命令にモジャンボは応じた。ツタの腕を切断し、跳ねて自ら距離を取る。直後に顎が噛み切られ、断頭台のように見えた瘴気の渦が消え失せた。
「今のは……。いいえ、モジャンボ」
すぐに持ち直したエリカがモジャンボに指示する。モジャンボは回り込むように駆け出した。オノノクスはまだ頭部を鷲掴みにされていた衝撃から抜け切れていないのだろう。脱力し切ったその身体へとモジャンボは腕を再生しながら拳を叩き込む。
植物の発芽の勢いを伴った突き上げる拳にオノノクスが口を開いて呻く。モジャンボの身体が跳ね上がり、横軸に回転しながら頭部へとツタの腕を叩き落した。オノノクスがよろめき、足元がおぼつかなくなる。脳震とうを起こしたのだろう。ユキナリが指示しても聞こえない様子だった。
「このままじゃ……」
「王手です」
モジャンボが小脇に形成した掌に光の球を凝縮させる。「ソーラービーム」が放たれる瞬間だった。オノノクスが黒い瘴気を再び「ドラゴンクロー」に当てようとするが間に合わない。光線が一射されるかに思われたその時、モジャンボとエリカは何かを察知して跳び退った。
先ほどまでモジャンボのいた空間を炎が遮る。ユキナリは呆然としていた。今の一瞬。確実に敗北を意識した。だが、何かが割って入ったのだ。その正体を見極めるべく振り返ったユキナリの視界に映ったのは意外な人物だった。
「あなたは……」
「何者です?」
エリカの問いにその人物は答える。
「なに、名乗るほどのものでもないがのう! こう名乗らせてもらおうか。窮地に現れたヒーローとでも」
「アデクさん……」
太陽の鬣を持つ男は気安げに笑った。