第百三話「新緑の少女達」
ユキナリは、「いいんですか?」と訊いていた。エリカが首を傾げる。
「もう、僕らはナタネさんの手持ちを見ているんですよ。でもナタネさんは僕らの手持ちを知らない。これってフェアじゃないでしょう」
「ええ、確かに。ですが、ナタネ。やれますね?」
「当たり前です! マスター」
ナタネが強気に応じ、ホルスターからボールを抜き放つ。
「悪いけれど、優雅なお茶会はお終い。ここからは、強気で本気なバトル!」
ナタネがボールを投擲する。中から現れたのは先ほどと同じロズレイドだったが、纏っている空気が違った。戦闘用に研ぎ澄まされた神経がロズレイドの戦闘意識を感じ取る。これほどの戦意を感じさせず先ほどまで背後に立たれていたかと思うとぞっとする。
「で、どっちが勝負する?」
もちろん自分が、とユキナリが歩み出ようとすると、「あたしが」とナツキがボールを抜き放った。
「ユキナリ。一応、あんた怪我人なんだし、ちょっとは休んでいなさい」
その言葉に気負ったものは感じさせない。戦闘状態のナタネの前では詭弁など意味を成さないだろう。
ユキナリは頷いていた。
「頑張ってくれ」
「言われなくっても」
ナツキはマイナスドライバーでボタンを緩め、押し込んだ。
「行け、ハッサム!」
立ち現れたのは赤い痩躯だった。翅を震わせ、ハッサムと呼ばれたポケモンが戦闘態勢を取る。赤いハサミの両手に、丸みを帯びたフォルムはストライクの時よりも戦闘に適していないように見えた。
「その、大丈夫なの?」
ユキナリの懸念に、「何も心配はいらないわ」とナツキは答える。
「ハッサムは強い。それだけは確信出来る」
ナタネは、「なかなかホネのありそうなポケモン!」と喜んでいる。
「楽しめそうだね」
「そうやって余裕こいていられるのも今のうちよ。ハッサムの攻撃を見れば、その余裕も崩れ去るわ」
「へぇ、じゃあ……」
ナタネが手を広げ、突き出す。するとロズレイドは駆け出した。
「見せてもらうよ!」
ロズレイドは跳躍しハッサムの上を取ろうとする。ナツキの指示が即座に飛んだ。
「遅い! 電光石火!」
ハッサムの姿が掻き消え、次に現れたのはロズレイドの頭上だった。ロズレイドが顔を上げた瞬間、ハッサムの蹴りが突き刺さる。ロズレイドはそのまま庭園に落下した。
「ハッサムの速度を嘗めたツケよ。電光石火をハッサムはより速く、より強く繰り出す事が出来る」
威力から察するにハッサムの特性もストライクと同じ「テクニシャン」だろう。弱い攻撃が重い一撃と化す。ロズレイドとナタネは不意をつかれたようで、「あちゃー」と額に手をやっていた。
「ちょーっと、嘗めていたみたいだね」
「何、他人事みたいに言っているのよ。今の敵はこっちなんだから!」
ハッサムが攻めに入る。両手のハサミを突き出し、ロズレイドへと攻撃を放った。
「バレットパンチ!」
弾丸の名を持つ拳がロズレイドへと叩き込まれようとする。ロズレイドはしかし、華麗にかわした。だが拳は一つだけではない。一つ一つの威力は低いが、先制を約束する技だ。即座にロズレイドの動きに応じた拳が放たれる。ロズレイドはステップを踏みながらハッサムへと花束の腕を突き出した。
「ヘドロ爆弾!」
花束が一斉に枯れ果てたかと思うと、紫色に変色した花束の内側から液体が噴き出された。ゼロ距離で放たれたそれはハッサムを確実に仕留めたかに思われた。
「ウソ……、健在?」
ナタネも目の前の光景に唖然としたのだろう。ユキナリもそうだ。ナツキだけが勝ちを確信した目をしていた。
「ハッサム、その距離で連続斬り!」
ハッサムがハサミを開き、ロズレイドを切りつける。ロズレイドは両手を咄嗟に交差させて防御していたが茎のような腕に傷が走っていた。
「虫タイプの攻撃、連続斬り……、って事は虫タイプじゃないの?」
「ご生憎様。ハッサムのタイプは虫・鋼! 鋼タイプは毒を無効化する!」
これはナツキの読み勝ちだ。草タイプとの連携は毒が多い。博士の下で学んだ経験が活きて来ている。ナタネは、「鋼なんだ」とまじまじとハッサムを観察していた。
「見えないけれど、効かないって事はそうなんだろうなぁ。じゃあ、特性のほうも通じない、か」
ロズレイドの特性は分からなかったが恐らくは毒にまつわるものだったのだろう。虫・鋼のハッサムならばこの勝負、うまく立ち回れる。
「ナタネ。あまり相手を見た目だけで判断しちゃ駄目ですよ」
エリカの言葉に、「はーい。マスター」とナタネはふざけているのか敬礼してみせた。
「あんまり余裕ないんじゃない? ハッサムは飛行タイプの技も覚えているのよ。草タイプには効果抜群のはず。虫が今一つって事は複合タイプだからね」
ナツキの観察眼にナタネは素直に感心した声を出す。
「すごいなー、君。ここまであたしと立ち回れるんだ? なかなかいない挑戦者ですよね? マスター」
ナタネはダンスをするようにステップを踏んで喜びを表現する。ナツキはハッサムへと攻撃を命じた。
「ハッサム! ツバメ返し!」
ハッサムが鋭くハサミを繰り出して切りつけようとする。「つばめがえし」は飛行タイプの必中の技。相手が草タイプならば効果は抜群のはずだ。勝利の予感にユキナリは拳を握り締めようとしたが、ナタネは別段焦った様子もなかった。
「ツバメ返しって確か必中だよね? 必中って事はさ、確実に当てられる距離まで近づかなきゃ駄目って事」
ハッサムの攻撃が浴びせかけられるように思われたが、その前にハッサムの表皮へと何かが食い込んだ。空気を圧縮した球体だ。それが赤い色を伴ってハッサムの鋼の表皮をがりがりと削っていた。
「何……」
「今は日差しが強い状態。だから、この技は炎タイプになる」
ロズレイドが花束の腕を突き出したまま、手首をひねる。すると赤い光弾がハッサムの体表に食い込んだ。
「ウェザーボール」
ハッサムが仰け反りながらも必死に姿勢を正そうとする。ナタネは、「偉いね」と賞した。
「今の、絶対効果抜群でしょ? でもハッサムは耐えた。四倍弱点なのに、偉いね」
ナツキは額の汗を拭いながら、「ウェザーボール?」と先ほどの技を繰り返す。
「そう。天候によってタイプの変わる技。ちょっと組み込むのは博打めいているけれど、使い方さえ誤らなければ結構強い。天候変化時には必ず二倍。それがさらに四倍だよ? ハッサム、もう限界じゃない?」
ナタネの言う通り「ウェザーボール」の着弾場所から亀裂が走っている。ナツキは歯を食いしばり、「まだ!」と言い張るがナタネは思いの他冷静だった。
「もう色々と割れているんだよね。ハッサムは虫・鋼タイプ。技は連続斬り、ツバメ返し、バレットパンチ、電光石火。もう技は覚えられないよね。だったら新たな戦略なんてないと考える。ハッサムは近接戦闘型、それも弱い技を組み込んでいるって事はそれに意味がある特性って事だし。どう? まだ続ける?」
ロズレイドはいつでも炎タイプの「ウェザーボール」を繰り出せるように構えている。ハッサムのほうが速いと考えても光弾を食らわずに攻撃を浴びせられるのはせいぜい一回か二回が限度だろう。ハッサムの損傷箇所は頚椎に近い。足技で相手を組み伏せるにも少し厳しいと思われた。
「ハッサム……。でも、せっかくの公式戦なのに」
「あたしなら仲間に希望を繋ぐかな」
ナタネの声にナツキは怒りに任せようとする。しかし、ユキナリはその肩をそっと掴んだ。
「駄目だ。もう戦略を見破られている」
ハッサムに勝ち目はない。「つばめがえし」を連続で当てる前に「ウェザーボール」が次に撃ち込まれれば終わりだ。
「でも……、ユキナリ……」
「僕が引き継ぐ。ハッサムが見出してくれのは、決して無駄じゃない」
ユキナリの声にナツキも諦めた様子だった。「棄権するわ」とハッサムをボールに戻す。ナタネは手を叩いた。
「賢明だよ。ハッサムでも勝つ道はあった。でも、ちょっと相手が悪かったね」
ユキナリは、「その余裕」とボールを抜き放つ。
「僕の前では言えなくする」
ナタネは拍手をやめ、ユキナリに興味深そうな視線を注いだ。
「へぇ、君って戦いの時はそういう眼になるんだ。やっぱり匂いの違う奴は強いのかな」
GSボールを掴み、ユキナリは投擲する。
「いけ! オノノクス!」
その名を呼ぶとボールが割れ、相棒が召喚された。黒色のオノノクスが身体から同じ色の瘴気を漂わせながらロズレイドを正面に見据える。
「見た事ないポケモンだ」
「オノノクス。タイプはドラゴン」
ユキナリの声にナタネは笑う。
「いいの? 教えて」
「フェアプレイの精神で行こう。僕はロズレイドの攻撃を知っているし、おあいこだ」
「でも、全然遠慮はしないよ?」
ナタネの声にユキナリは口角を吊り上げる。
「上等……!」
オノノクスが牙を振り上げた。牙から黒い光が拡張しロズレイドを射程に捉える。
「オノノクス、ドラゴンクロー!」
オノノクスが打ち下ろした「ドラゴンクロー」はロズレイドの足元をすくおうとしたが、ロズレイドは跳躍して回避する。どうやら身軽らしい。
「射程が長くってビックリしたよ。ドラゴンクローってそんな技だっけ」
直上にロズレイドが腕を交差させて構える。ユキナリは拳をぎゅっと握り締めた。
「ドラゴンクロー、拡散」
その言葉で「ドラゴンクロー」が弾け飛び、短剣となってロズレイドを包囲する。ナタネが目を見開いた。
「何それ。そんなの、あたしの知っているドラゴンクローじゃ――」
「攻撃」
ユキナリの指示で短剣が一斉にロズレイドへと襲いかかる。ロズレイドへとナタネは命令した。
「出し惜しみしている場合じゃなさそうだね。リーフストーム!」
ロズレイドが花束から葉っぱを噴出し、それを壁面のように展開させた。短剣が突き刺さるが葉っぱの壁がロズレイドへの攻撃を許さない。
「これで防いだ。リーフストーム、攻撃!」
ナタネの指示に「リーフストーム」の葉っぱが一斉に刃の輝きを帯びて攻撃に転じる。その素早さに目を瞠った。
「僕のオノノクスのドラゴンクローと、同じタイプの攻撃……」
「みたいだね。似ている攻撃方法の相手がいるなんて思わなかったけれど」
葉っぱは一陣の風になりオノノクスの頭上へと攻め込む。オノノクスは牙を振るって風圧で「リーフストーム」を回避しようとするが、まるで意思を持ったかのように葉っぱの一群は横に抜けた。
「こんなに自在に!」
オノノクスの横っ腹を突き刺そうとしてくる「リーフストーム」にユキナリは手を開いて指示した。
「腕を打ち下ろせ。ダブルチョップ!」
丈夫になった二の腕が膨れ上がり、高速の手刀を叩き込んだ。しかし「リーフストーム」は二つに割れたかと思うと手刀を回避し、オノノクスの頭部を狙う。
「嘗めないで! あたしのロズレイドが手で動かしているんだから。指の筋で操れば、速力は増す!」
花束の腕を動かしている空中のロズレイドが下降に入っている。このままでは「リーフストーム」かロズレイドの直接攻撃かどちからを受けざるを得ない。熟考の暇はなかった。瞬時にユキナリは判断する。
「オノノクス! 脇をしめて防御の姿勢に入れ、リーフストームは受け止めるしかない!」
オノノクスはユキナリの指示通り、防御姿勢に入る。「リーフストーム」が直後にオノノクスの身体を揺り動かした。新緑の暴風がオノノクスの硬い表皮を切り裂いていく。だが、オノノクスはそれに頓着していなかった。既に攻撃段階は次に至っている。ユキナリはすかさず指示した。
「空中のロズレイドだ。あれに攻撃態勢を取られる前に撃墜する!」
オノノクスの体表から再び黒い瘴気が立ち昇り、牙に纏いついて攻撃を拡張させる。
「ドラゴンクロー!」
これは回避のしようがないはずだ。ロズレイドは「リーフストーム」の直撃の代わりに自身への攻撃を免れないはずである。だが、ロズレイドは花束の腕を突き出していた。
「既に、ロズレイド、攻撃の準備には入っている。君がどう指示をするのか見物だったけれど、刺し違えてでも、っていう覚悟はあたしのほうが上だったみたいだね」
ロズレイドの花束の腕が変色し紫色のヘドロを噴出した。その腕が眼前に大写しになる。鞭のようにしなった「ドラゴンクロー」の黒い一閃がロズレイドに叩き込まれるのとその攻撃がオノノクスへと命中したのは同時だった。
「ヘドロ爆弾!」
噴出されたヘドロが固形化し、一瞬にして光り輝いたかと思うとオノノクスの頭部で爆発した。だがロズレイドもただでは済まない。「ドラゴンクロー」の攻撃を満身で受け止め、ロズレイドの痩躯が庭園を転がった。
「オノノクス!」
ユキナリが着弾点を見やる。オノノクスの頭部から爆発の煙が棚引いているものの、それそのものは無事に映った。ホッと胸を撫で下ろす。オノノクスは闘争心に染まった赤い瞳で転がったロズレイドを睨み据えた。ロズレイドがよろめきながら起き上がる。身体には「ドラゴンクロー」による深い傷があり、植物の身体が必死に傷口を再生しようとしているがダメージは深刻であった。
「まさかロズレイドにこれほどダメージを与えるとはね。一撃でも、まずかったか。出来る事なら受けないに越した事はないんだけれど、受け止めてもロズレイドは決して無駄じゃないからね」
ロズレイドはもう一撃分の余力はあるのだろう。花束の腕を突き出す。しかし、ユキナリは冷静に、「終わりだよ」と言っていた。
「何言っているの? まだあたしとロズレイドは戦える」
「いや、もう無理だ。さっきの攻撃を見抜けていない」
ナタネが顔をしかめる。ユキナリがすっと手を掲げ拳を握り締めた。
「攻撃」
その言葉の直後、地面から伝わった衝撃波がロズレイドを包囲し、打ち据えた。ナタネは突然の事に狼狽する。
「えっ、何で? ドラゴンクローは受け止めたけれど、こんな攻撃じゃ」
「ダブルチョップだよ」
ユキナリの声にナタネは顔を上げる。
「ダブルチョップはただ単にリーフストームを空ぶったわけじゃない。攻撃の衝撃波は地面を伝わって溜まっていたんだ。ロズレイドがドラゴンクローを受けて転がるであろう地面の場所までね」
ミシミシとロズレイドの身体が締め付けられる。衝撃波が一挙に放たれた。
「ロズレイド、回避を――」
「もう遅い」
地面から発せられた「ダブルチョップ」の衝撃波がロズレイドを噛み砕く。ロズレイドは力なく横たわった。ユキナリが息を吐き出す。
「……勝った」
「負けたって言うの……」
ナタネの声に、「そのようですね」とエリカは応じた。ナタネは、「惜しかったなぁ」とロズレイドを労わってボールに戻す。
「ちょっと読み負けただけなのに。ドラゴンクローが予想以上に強かった」
ナタネは悔しそうでありながらも湿っぽいものは感じさせない、溌剌とした声音だった。
「仕方がありませんね。ナタネ、今のは読み負けです」
エリカの声にも、「すみません、マスター」とナタネは返した。
「マスターはよしなさい。さて」
エリカはナタネと入れ替わるように歩み出る。ユキナリはオノノクスと共に一歩も退くつもりはなかった。
「このまま継続して戦闘で大丈夫ですか?」
「僕とオノノクスを嘗めないでいただきたい。リーフストームは確かに強力な技でしたが、耐え凌いだ僕達は負けない」
「結構」とエリカはボールを繰り出す。
「ですが――手加減はいたしません」
エリカがボールのボタンを緩め押し込んだ。
「おいきなさい」
出現したのはツタで全身を覆ったポケモンだった。中央に僅かに垣間見える本体は真っ黒で、青々としたツタで構成された丸い巨躯だ。先ほどのロズレイドとの対比にユキナリはまず目を瞠った。ロズレイドに比べ、随分と鈍重そうなそのポケモンの名をエリカは呼ぶ。
「モジャンボ」