第八十一話「運命の鎖」
「入らせろ! 早く!」
屋上で既に離陸準備を始めている輸送機へと重役連と社長が入っていく。ヤナギは誰が入ったのかまでは把握していなかったが、それを離陸まで見届けろとの命令だった。
正直、キシベという男からの命令には逆らいたかったが、シロナがあそこまで信用してくれたのだ。ならば自分も恩を返さずして何としよう。
「俺は……馬鹿だな。大切な人は目の前にいたのに」
それさえも救えないのならばキクコの望みを叶える事など不可能だろう。ヤナギはキクコから与えられた白いマフラーを撫でる。このポケモンリーグの激戦の中にあっても、このマフラーだけが寄る辺だと感じていた。だが、いつの間にか自分の信じるところは多くなったようだ。
「シロナ。俺はあんたの事も知りたくなっている。おかしいかな」
きっと自分らしくないと笑うだろう。だが、いいではないか。自分らしくない事があったとしても。
輸送機に重役達が荷物さながら積み込まれていく。ヤナギは配置につき、鉄骨の陰から事の次第を眺めていた。まだ建築途中のシルフビル屋上には互い違いに伸びた鉄骨や巨大なクレーンがある。輸送機がローター音を響かせながら風を纏いつかせ、飛び立っていく。
「マンムー」
ヤナギは手持ちを繰り出して輸送機へと照準を定めた。キシベから命じられたのはただ一つ。
「瞬間冷却、レベル5」
ヤナギが命じるとマンムーが一瞬にして大気中から綱のようにローターへと繋げていた凍結術の効果範囲が拡大しローター部分が冷却された。急に動きを鈍らせたローターが誤作動を起こし、連鎖的に輸送機がバランスを崩していく。輸送機から黒煙が立ち上った。ヤナギは落ち着いて凍結術からの連携を放つ。
「氷柱を形成。機関部だ」
凍結していた箇所を触媒にして氷柱を形作る。棘の鋭さを帯びた氷柱が突き刺さり機関部から炎の赤が灰色の輸送機を彩った。輸送機から表面の装甲版が遊離する。凍結術はその隙を逃さない。
「内部の人間を纏めて凍結させろ」
確認するまでもない。マンムーの凍結術は気圧の差を利用し、内部を圧縮、凍結に成功したはずだ。
次第に高度を落としていく輸送機が眼下に映る。ヤマブキシティの一万ドルの夜景と称される場所へと無骨なローター音を幾重にも重ならせていく。それは死出の旅への前奏曲に思えた。
「シロナ。作戦目標を確認。俺は既に終わった。お前は……」
これからキシベに合流して改めて作戦行動か。顔を合わせるとなるといささか緊張するが、今まで通りに接するとしよう。それが自分には一番性に合っている。
だが、そのような思考を、異様な音声が遮った。
『ヤナギ、君……。何で……』
シロナの声が罅割れている。どうしてだろう。電波環境が悪いのだろうか、と電波を確認するが異常はない。
「おい、音声が酷いぞ。何だ、この雑音は」
シロナの声に混じってノイズが連鎖する。ヤナギが眉をひそめていると輸送機から爆炎が走った。その音に同調しシロナの悲鳴が漏れ聞こえる。
「おい! 何が起こっている?」
まさか、輸送機の真下にでもいるのか。シロナの所在地をポケギアのGPS機能で確かめる。
その場所は、空中で浮遊しており一定ではなかった。まさか空飛ぶポケモンに? という疑問はこの状況ではナンセンスに過ぎない。ヤナギは最悪の想定をして輸送機へと振り返った。
輸送機の窓に一瞬、見知った金髪の女性を見たような気がした。
だがそれも束の間、爆風と炎が輸送機を包み込み、ヤマブキシティへと一直線に墜落していく。ヤナギは思わず叫んでいた。
「まさか……! やめろ!」
その声が形になる前に輸送機は空中で爆発した。四散した部品の中に人々の血が入り混じる。ヤナギは直感した。あの中に、大切な人がいた。想っていた人がいたのだ。
それを壊したのは他でもない、自分自身だった。
ヤナギは身も世もなく悲痛に狂った叫びを上げる。今しがた自分が壊した幸福。どうしてシロナは自分に配置場所を言わなかった? どうして自分は命令される事に疑問を抱かなかった? シロナは最初から知っていたのか? 知っていて、自分にあのような振る舞いをしたのか。
「そんな……。俺が、やったというのか。俺が、殺した……」
マンムーが茶色の毛並みを震わせる。敵の到来に肌を粟立たせるプレッシャーが直感させた。ヤナギは頬を濡らした涙を拭い去る。それでも涙は零れ落ちた。大切な人のために流れる涙は止め処ない。ヤナギはマンムーを伴って鉄骨の陰から歩み出た。作業用の赤いクレーン階段を降りつつ、ヤナギは敵を目にする。その時に理解した。キシベは、最初からこれが目的なのだという事を。
その時、相手も理解したのだろう。お互いにここで合間見える事こそが運命に他ならなかった。
眼下の敵を睥睨し、ヤナギは口にする。
「よくもまぁ、ここまで来たものだ。ぬけぬけとよくも」
立ち止まり、ヤナギは相手の視線を感じ取る。ようやく、と言った様子で相手が口にした。
「輸送機を墜としたのは、お前か?」
キシベはこれさえも予期していたのだろうか。自分の神経を掻き乱す言葉を。
「だったらどうする?」
その言葉に相手は息を呑んだようだ。だがすぐに持ち直し、ヤナギを睨み据える。
「お前はカンザキ・ヤナギだ」
「お前はオーキド・ユキナリだ」
この時、ユキナリは、ヤナギは、お互いを憎悪の対象と見なした。